225 :1/5:2007/10/10(水) 21:15:16 ID:DnvRUKybO
僕の友人に、古美術商を営んでいる人がいる。坂の途中に店があるから、通称『坂さん』。 
友人といっても歳は10歳以上離れているし、月に2、3回会うか会わないかといった程度だから、
僕は彼については、名前と職業とあるひとつの厄介な趣味以外は殆ど知らない。 

それで彼の趣味というのが、まぁ予想はついていると思うがオカルトで、 
そもそもそれが高じて、古美術の名を借りた魔術道具まがいの店を始めたらしい。 
おかげで彼の店は、いつ行っても不気味な雰囲気が漂っていた。 
自称武久夢二の絵なんかも飾ってあるのだけど、明らかに逆効果になってたし。 

ある日、彼から電話がかかってきた。凄い物を仕入れたから見に来いと言うのだ。 
丁度試験明けで暇だったので、僕は学校帰りに彼の店を訪ねることにした。 


226 :2/5:2007/10/10(水) 21:16:58 ID:DnvRUKybO
彼は年期の入ったレジスターに肘をつき、テレビでワイドショーを見ていた。 
「坂さん、こんにちは」 
声をかけると、日に当たらないせいで真っ白な顔がこっちを向いた。 
「ああ、いらっしゃい」 
客商売にまるきり向いていない無愛想な声で坂さんは答えた。 
「そこら、適当に座り」 
僕が店の空いているスペースに適当に座ると、坂さんはレジスターの下の金庫から一冊の本を取り出した。 
古ぼけた洋書だった。日に焼け、虫食いやよく分からないシミがところどころについていた。 
金文字のタイトルは読めなかった。 
「なんすか、これ?」 
「水神クタアト」 
「……なんすか、それ」 
坂さんの答えに、僕はもう一回同じ質問をした。 
坂さんはつまらなそうに説明してくれた。 
「ラヴクラフトが小説ん中で言及した魔導書……いや、ラムレイやったかなぁ。 
 とにかく、現実には存在せん本やね」 
「は?じゃあこれは?」 
「どっかのマニアが自分で作った、同人誌みたいなもんやと思う」 
ほら、と坂さんが見せてくれた本のページは真っ白だった。 


227 :3/5:2007/10/10(水) 21:18:21 ID:DnvRUKybO
「装丁作ったんはええけど、内容が分からんかったんやろね。全ページ白紙やったわ」 
確かに、おしまいまでページをめくってみたが、全く何も書かれていなかった。 
一体これのどこが『凄い物』なのか。落胆する僕を見て坂さんは笑った。 
「以上が前の持ち主の説明。そんでこっからが、僕の説明。 
 なぁ、その本、やたら紙が分厚いと思わん?」 
確かに、一ページ一ページがまるでボール紙のように奇妙に分厚かった。
坂さんは僕から本を取り返すと、初めの方の一ページを破った。 
そして呆気に取られている僕を尻目に、イカの皮でも剥ぐみたいに、破ったページを剥いだ。 
やったことある人なら分かると思うけど、
段ボールとかお菓子の箱の紙とか、薄い紙を何枚も重ねてあるような紙を一枚一枚剥く、あんな感じで。 
ただ違ったのは、ページは元々大きな一枚の紙だったものを、折って重ねた物だったということだ。 
だから坂さんの行為は、『剥ぐ』より『開く』の方が正しいのだろう。 
開いた中――折り畳まれていた内側を、坂さんは僕に見せてくれた。 


228 :4/5:2007/10/10(水) 21:20:02 ID:DnvRUKybO
くすんだ赤色で書かれた筆記体の文章と、訳の分からない図。 
読み取れるものは何一つ無い筈なのに、目にした瞬間に強烈な不快感が体を襲った。 
これは見ちゃいけないものだ。本能が僕に訴えかけた。 
必死で目を反らした僕を笑い、坂さんは紙をひらひらと動かした。 
「反魂の秘術――らしい。ラテン語やからよう読めんかったけどね。 
 インクに血が混ざっとるみたいやし、少なくとも書いた本人は本気やったんやろ。
 君の反応からしたら本物っぽいわ」
と嬉しげな坂さんの声を聞きながら、僕はただただ早く帰りたかった。 

さて、これだけでも僕にとっては気持ち悪い話なのだけど、実は後日談がある。 


229 :5/5:2007/10/10(水) 21:23:11 ID:DnvRUKybO
本を見せてもらってから一週間ほど経ったある日の朝、また坂さんから電話がかかってきた。 
すぐに来いと言われたので、学校をサボって僕は店に行った。 
まず最初に感じた異変は、臭いだった。坂さんの店に近付くに連れて、魚が腐ったような強烈な臭いがするのだ。 
店はもっと酷かった。引き戸のガラスが割られ、店内は滅茶苦茶に荒らされていた。 
自称武久夢二の絵も破かれていたし、テレビは画面が割れてブラウン菅が見えていた。 
おまけに、バケツでもひっくり返したかのように、店中が濡れていた。 
坂さんは相変わらずレジスターに肘をついて、動かないテレビを眺めていた。 
僕に気付くと、坂さんはバケツと雑巾を引っ張り出してきて、僕は片付けを手伝わされた。 
そのために呼ばれたらしかった。
「なにがあったんすか!?」 
「泥棒」 
落ち着き払った様子の坂さんに、僕はそれ以上何も聞かなかった。 
何が盗まれたのか見当はついたし、
誰が盗んだのかは、床といわず壁といわずこびりついている魚の鱗を見れば、考える気も失せた。 
代わりに、壁を雑巾で拭きながら、
「意外と早くバレてもうたなぁ」と呟く坂さんとの付き合い方を、少し本気で考えた。


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