神使さんから「星辰/北辰/北斗信仰の過去について明かしたい」との連絡を貰い
今回お聞きしたことを公開したいと思います


お狐さんから伺った話です。巷に出回っている話ではありません。
星辰信仰(似た呼び方は多数ありますが、便宜上この言い方をします)はもともと古代中国に起こりました。

平和な世の中では、夜間に北の方角を知る必要はありません。北の方角を知りたければ、日中に日時計を使えばいいわけです。夜間に方角を知る必要があるのは、夜間に土地勘のない場所を移動するとき。例えば、戦争で夜間行軍するときとか。北の方角を知ることは、戦争で勝つために必要な技術で、このため重要視されました。古代中国の戦乱の時代(春秋戦国時代)は紀元前770-221年前後。このときは、北極に近い星は、現代ではこぐま座β星と呼ばれる星です。

時が下るにつれて、「北極星」が2つできるようになりました。現在の北極星、こぐま座α星とβ星が双子星のように北極の周りをぐるぐる回るようになります。西暦500年頃にちょうど北極星が入れ替わりますが、この時点では二つの「北極星」が同じような距離で天の北極をまわっていました。 (詳しくはWikipediaの「北極星」を参照)

さて、さらに時が下ると、双子星の釣り合いが徐々に崩れてきました。双子星と言うよりは、片方の星(α星)が明らかに北極に近づいています。天の乱れは世の乱れの兆し、数百年前の人が言っていた「双子星」が見えなくなると、天を観測する人はますます不安になります。

ここで、ある偉い人が画期的な解釈を提示しました。

曰く、今の北極星(α星)は天帝の星だ。「双子星(昔のα星、β星)」は幼かった天帝を輔弼していた者(読みは「ほひつ」。支える人、摂政のような人)の星だ。北極星(α星)を指し示す北斗七星は天帝の乗り物(帝車)だ。輔弼していた双子星は役目を果たしたため、今は帝車にいる。明るかった星(α星)は「輔星」として、暗かった星(β星)は「弼星」として。輔星は帝車にある暗い星(アルコル、おおぐま座ζ星(ミザール)の伴星)、弼星は見えない星として。

つまり、「双子星」のうちこぐま座α星をアルコルに、こぐま座β星が実在しない星に移した上で、こぐま座α星を改めて「天帝の星」に割りあて、つじつまを合わせたのです。このため、「北斗七星」である貪狼星、巨門星、禄存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星に、輔星、弼星を加えた「北斗九星」が言い伝えられています。

この解釈の後、双子星に関する言い伝えは、人間の世界ではほぼ断絶します。乱れた双子星の存在は黒歴史ですから。現代では、星の歳差運動がよく知られているため、北極星の変化は受け入れられている話ですが、古代ではゆっくり天が移り変わっていくことは当たり前ではありませんでした。数百年前に言われていた天と今の天が違うことは、当時の人には解けない謎でした。



さて、この星辰信仰が日本に伝わったとき、「天帝」に天照大神、天帝を支える役に豊受大神が割り当てる信仰が生まれました。それぞれ伊勢神宮の内宮と外宮で祀られているように、対になっている神様なので、星辰信仰と相性がよかったのでしょう。この場合、豊受大神に対応する星は、見ることができる北斗八星(貪狼星、巨門星、禄存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星、輔星の言い方をします)のうち、最も暗いが最も格が高い「輔星」になります。このとき、北斗八星の名をとる八つの稲荷神使の氏族が生まれました。「輔星」の氏族は、豊受大神直属の氏族です。星辰信仰は仏教と混ざったり、様々なアレンジが起きましたが、稲荷神使の世界では、今でも北斗八星の氏族が残っています。

興味深いことに、星辰信仰は、稲荷信仰の中でも、ダキニ天信仰との繋がりはそこまで強くないようです。空海の時代ではまだ「双子星」が残っていたからでしょうか。それとも、「天照大神」の対になる「豊受大神」としての立場が必要だからでしょうか。神々の世界では、同じ「中の神」でも複数の名前や顔をもつことは当たり前の話です。皆さんもリアルとインターネットで違う名前を使い、違う喋り方をしていると思いますが、それと同じようなものです。神霊の世界の得体のしれない相手と接触する場合は、ハンドルネームを使うのもありですね。何かあったら簡単に縁を切れるように。


怪談の森管理者「神様との日常のエピソードをいくつか宜しくお願いします」


稲荷といえば「食」も絡みますが、実際にご利益はあります。小ネタを二つほど。

料理するときに調味料をいれますが、わざわざ量って入れるような野暮なことはしません。直感に応じて入れます。醤油入れて、酒入れて、ん?もうちょっと醤油足りないから入れる?砂糖はこれくらい? このような感じで相談しながら入れます。完全に丸投げは危険なので(意思疎通が不十分だった場合洒落にならないことになる可能性が)問題なさそうなことを確認しながら投入します。
たまにハズレを引くことはありますが、うまくいくと大当たりです。残念ながら、二度と同じ味を再現することはできませんが・・・・
古(いにしえ)の料理の再現はやりません。調理法も食材も昔とは違うので、あまり面白くないのでしょう。食材の改良は日進月歩ですから。


仕事柄、土地勘のない場所に行くことが結構あります。外食する必要がでますが、どこで食べるかを考える必要があります。最近は、まずはネットで検討します。ここに行こう!と決めて、実際にその近くに行ってみると、やはりこの店がいい!と近くにある別の店に連れて行かれることがたまにあります。
後で調べると、無名に近い店や地元では有名だが観光客にはあまり知られていない店であることが多いです。少なくても、検索で引っかかりやすい派手なサイトにある、「○○駅に近い○○屋10選!」のようなランキングにはまず、出てきません。その店の存在を私に直接教えることは難しいので、近い場所に連れて行って、そして改めて誘導する作戦なのでしょう。こういう場合、連れて行かれた店は、だいたいアタリです。私はSNSやブログやっていないこともあり、そのような店をネットで紹介することはありません。


怪談の森管理者「また、個人的にお聞きしますが入れない神社とかお寺ありますか?」


入れない神社やお寺としてブラックリスト入りしているものはありません。少なくても、観光客に開かれている寺社は入ることはできます。
実は、寺社で私的なお願い事をすることはありません。なにしろ、自分自身がプチ神社なもので。自分の頭の中だけにある「瞼の裏の世界」にバーチャルなオリジナル神社すらあります。正月はリアル神社の初詣とバーチャル神社の初詣を両方やります。

あまり縁のない寺社に付き合いで行く場合は、礼儀を守り(神社だと手水舎を使い、拝殿前で二礼二拍手一礼)、「〇〇(住所)の〇〇(名前)です」、「本日は見学に伺いました」あるいは「表敬訪問させていただきました」、「よろしくお願いします」のように挨拶します。
これですと角が立つことはありません。
もう少し縁の強い場所ですと、「〇〇(住所)の〇〇(名前)です」「いつもありがとうございます」「これからもよろしくお願いします」
もっと縁が強い場所では、最近の出来事(よかったこと)の報告と感謝と、「これからも自分の役目を果たせますよう、よろしくお願いします」のような内容となります。

私的なお願い事ししても、一見よさそうなことでも、長い目で見たらダメなものは容赦なく却下となるので、するだけ無駄なのですよね。

他宗教の信仰の場(例えばヨーロッパの有名な教会など)に入ることは基本的にありません。外から建築を楽しむことはあります。
人との付き合いで入ることになったとしても(宗教が合わないからと言って入らないことはしない)、あくまでも見学させていただいているとの建前をとります。
開かれた観光の場でしょうから、見学者を蹴り出す、攻撃してくることはないと思います。






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