【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

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カテゴリ: 宮大工見習いシリーズ










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 俺が初めてオオカミ様のお社を修繕してから永い時が経過した。
時代も、世情も変わり、年号も変わった。

日本も、日本人も変わったと言われる。
しかし俺を取り巻く世界はそれほど大きく変わってはいない。
昔からの気持ちの良い仲間。家族。
そして見守ってくださる神仏。
俺の生活は、仕事を中心に穏やかに過ぎて行った。

一度、縁を得て所帯を持ちかけたが、諸事情により断念した。
しかし、その時にも心の中にはあの方が居り、乱れる事は無かった。

いや、だからこそ断念したのかもしれない。
今だから、そう思えるだけなのかもしれないが…。


俺は隠居した親方の後を継ぎ、宮大工の棟梁となる事が出来た。
様々な神仏、様々な神職・住職の方々、様々な弟子達と出逢い、別れてきた。
そして、今も天職として毎日を忙しく過ごしている。
俺が独り身なのを心配して、様々な方から縁談を持ち込んでいただいたが、仕事の多忙さを理由にして断り続けてきた。
自分でも寂しいと思うことは多かったが、自分は神仏に殉じれば良いと独身を通した。
あの時までは。


親方が隠居を決めた年の翌正月、親族や縁者を集めて引退の宴が開かれた。
と言っても、親方がお世話になった人へ感謝の気持ちを込めてお礼の為に行うもので、親方が祝ってもらうという趣旨ではない。
いかにも親方らしいと俺も皆も思い、俺たちは全力で手伝いをした。
おかみさんの実家の伊勢からもご両親が見え、非常に大きな宴となった。
宴会中は招いた方全てに宴会場である旅館の部屋へ泊まっていただくのだが、親しい親族や遠方から来られる方の中には、宴会期間外に数日滞在する方も居る。

その為、年明け前にそう言った方の為の部屋をおかみさんと一緒に手配していた時の事。


おかみさんの実家から来られるご両親と一緒の部屋に泊まる予定になっている家族が居る。
どこかで見たようなその『榊』と言う苗字に、俺が首を傾げているとおかみさんが教えてくれた。
「○○、その榊さんご家族を覚えているかい?」
家族構成は父、母、そして娘。住所は名古屋だ。

「…どこかで聞き覚えのある苗字なんですが…?」
「ほら、かなり前だけどお前に懐いていて、白血病で亡くなった娘さんが居たろ?」
「ああ!確かに!引越し先は名古屋でしたね!思い出した思い出した!」

あの娘が亡くなった翌年、ご両親は転勤によりこの地を去ったのだ。
「そうか…あの後また娘さんが生まれたんですね。良かったなあ…。でも、なんでおかみさんのご両親と一緒の部屋に泊まられるんですか?」
「ん、色々あってねぇ。おまえ、お伊勢さんに旅行行った時の事覚えてるかい?」

そう、オオカミ様のお社が地滑った年末の事だ。
あの時、おかみさんは久しぶりに実家へと顔を出し、ご両親と仲直りをした。
そして、実家の前に捨てられていた女の子の処遇を手伝う為に二ヶ月くらい実家へ残ったのだ。
「あの時、実家じゃあ乳飲み子の面倒は見られないし、警察からは連絡ないし、いっそウチで引き取っちまおうかと親方に相談しようと思ってたんだよ。

そしたら偶然、お伊勢参りに来た榊さんご夫妻とバッタリ逢っちまって、榊さんご夫妻がこれもなにかの縁だ、って言ってその女の子を引き取る事にしたんさ。おまえにも話した筈だけどねぇ」
…確かに、思い出した。

しかしあの頃の俺の頭はオオカミ様で占められていて、すっかり忘れていたのだ。
しかし、数日とはいえ可愛らしい乳飲み子の面倒を見ていたおかみさんのご両親は情が移ってしまい、それからはちょくちょく榊さんと行き来するようになり、その娘にとっては祖父母同然だと言う。
「なるほど、それで同じ部屋ですか。納得しました」
「うん、だから大きめな部屋を用意してあげておくれね」

そして宴の為の手配は全て終わり、年が明けた。
俺は例によって除夜の鐘を聞きながらオオカミ様のお社へと向かった。
最近は忙しさに感けて半年に一遍ほどしか参っていない。

あの少年にも、最後に逢ったのはもう何年も前になる。
俺も歳を取ったなあと思いつつ舗装路となったお社への道を走り、階段前の駐車スペースに辿り着いた。
珍しく先客が居るようで、車が一台停まっている。

中には中年の男女が乗っているようだ。もう参ったのか、これからなのか。
俺は階段を上り、鳥居へと辿り着いた。

松明の明かりの中、お社の前に誰かがこちらに背を向けて立っていた。
ひゅう、と風が鳴り、粉雪が舞い散る。
松明に照らされて立っているその後姿には、長い黒髪が揺れている。
俺の心臓がドクンと波打つ。
早まる鼓動に促されるように俺は歩き出した。

すると俺に気付いたのかこちらを振り向いた。
涼しげな瞳、端正な顔立ち、長く艶やかな黒髪。
そして、松明の炎を写して鈍く輝く銀の髪飾り。
俺の記憶の中にある、あの懐かしい、愛しい姿が其処にあった。
「オオカミ…さま…?」
俺は、呆然と呟いた。

「オオカミ…さま…?」
俺が呟いた瞬間、彼女はビクッと身体を震わせた。
一瞬の後、彼女の瞳から涙が溢れた。

「○○…さま…?」
彼女の口から俺の名が紡ぎ出される。
記憶の中の、あの澄んだ鈴の音のような声で。
舞い散る雪の中、どれほどの時間が経ったろう。

彼女が困惑したように口を開いた。
「あれ…? 私、何で泣いてるの…? あれ…? ○○様って…あれ…?」

俺も混乱していた。
目の前に立つ少女は、紛れもなくオオカミ様だ。

顔立ち、黒髪、声音、そして銀の髪飾り。
何よりも、俺の名前を呼んだではないか。

「貴女は…」
俺が口を開き掛けた時、突然階段の方から声が掛かった。
「沙織、どうしたんだ? 大丈夫か?」
どうやら、停まっていた車から男性が出て来たようだ。
「あ。お父さん!大丈夫。今行きます!」

彼女は涙を拭くと、俺の横を会釈しながら小走りに駆け去って行った。
車のドアが閉まる音が聞こえ、エンジン音が遠ざかって行く。
俺は呆然と立ち尽くす他なかった。


突然聞こえてきた笛の音で我に返る。
お社を振り返ると、見事な月明かりの中お社の屋根に誰かが座って笛を吹いている。

月明かりが逆光になりシルエットしか見えないが、直感的にあの少年だと感じた。
美しく響く笛の音を暫く聴いていると、ふと演奏が止まった。

「時、来たれり」

朗々とした声が響く。
もう一度見上げると、既にその影は消えていた。
俺はお社に酒を納め、願いを掛けた。
そして踵を返すと鳥居を潜り、階段を降り始めた。


結局そのまま眠れずにいたので、少し早いが午前六時頃に親方の家へ向かう。

集合時間は七時なので、誰か弟子が来ている筈だ。
案の定、俺が付く頃には弟子達が半分は集まっていた。
親方とおかみさんに新年の挨拶をし、鏡割りした樽から酒を酌む。
庭で焚いた火に当たりながら酒をチビチビやっているとおかみさんが声を掛けてきた。
「○○、なんだか心此処にあらずって感じだね。なんかあったのかい?」
「いえ、なんでもないです。もう少しでバスが迎えに来るから支度しないとですね」
言ってる傍から迎えのバスが到着した。

自分の車から荷物を下ろし、親方の荷物や祝いの品等をトランクに乗せてから乗車。
ものの十分でバスは会場の温泉旅館へと到着した。


荷物を下ろし、宴会場の状態を確認する。
親方とおかみさんには、先に部屋に行って寛いでもらった。

殆どの支度は旅館側でやってくれているし、今日の宴会は午後三時からなので取り敢えず温泉に浸かって汗を流した。
こんな大規模な宴はなかなか無いので弟弟子達もはしゃいでいる。
しかし俺はオオカミ様の事が気に掛かってはしゃぐ気にはなれなかった。


温泉から出て、与えられた部屋に入る。
弟子達は十畳ほどの部屋四つに分かれて宿泊だが、俺は一応個室を頂いた。

とんでもないと辞したのだが、おかみさんが「あんたは特別だよ」と取ってくれたのだ。
茶を入れ、饅頭を食べながらこれからの段取りを思案しているとノックする音が聞こえる。
「どうぞ」と答えると、弟弟子の一人が入って来た。

彼はかつてお稲荷様の一件で取り憑かれて昏倒した男だ。
今では腕を上げ、俺の片腕となっている。
また、数奇な縁で例のお稲荷様の神主さん宅へ入り婿した。

「兄さん、ちょっといいですか?」
「ああ、どうした? まだ昼飯にゃ早いだろ?」
「いえ、それが…」

先ほど、温泉から出て旅館の中を歩いていると見覚えのある女性とすれ違ったと言う。
その後ずっと誰だったか考えていたのだが、ようやく思い出したと。
「俺がお狐様に取り憑かれた時、意識が戻る前に見た夢でお狐様を踏んづけてた巫女さんそっくりなんです」

「ってことは…」
「そう、オオカミ様です。あの方にそっくりな女性とすれ違ったんです!」
「時、来たれり」

少年の声が俺の脳裏に蘇る。
「これは…」

その時が、奇跡の時が来たのか?
どうすればいい? 探しに行くか?
…いや、焦るまい。
もう、これは運命なのだ、と感じた。


宴が始まる少し前、俺は会場の最終チェックをする為に部屋を出た。
旅館の方に任せておけば良いとは思えど、仕事柄最終的な確認は自分の目でしないと気が済まないのだ。自分の貧乏性に苦笑しながら会場に向かう途中、

「○○さん…?」
と背後から女性に呼び止められた。

振り向くと、上品な中年女性が立っている。
どこかで逢った事がある。俺の記憶が囁くが、名前と素性は出て来ない。

俺が途惑っていると、女性が微笑しながら話し出した。
「何年振りでしょう…私もすっかりおばあさんになっちゃったから分かりませんよね。ご無沙汰しております。詩織の母です」

瞬間、あどけない少女の笑顔が閃く。
白血病に冒されながら、精一杯生き、微笑みながら逝ったあの少女。

「これは!こちらこそ、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
溢れるように戻って来る記憶。
懐かしさと哀しさに、ちくっと胸が少し痛んだ。
「○○さんは本当に変わられませんね。あの頃のまま…」
「いえ、自分もすっかり歳を取りました。もうすっかり中年ですよ。おかみさんから色々と伺っておりますが、今はお幸せなんですね」
「ええ、あの時の○○さんのお心遣いは忘れません。詩織が微笑みながら逝けたのもみな貴方と、…そしてオオカミ様のお陰ですから…」
暫く、二人は黙った。俺は、そして恐らく女性も少女の事を想い出していた筈だ。

少しの後、女性が口を開いた。

「あ、何かご用事だったんでしょう。呼び止めてしまって申し訳ありません」
「とんでもない。また、後ほど旦那様もご一緒にゆっくりお話させて下さい」
俺は一礼して踵を返し、宴会場へと向かった。


宴会場はきっちりと設えられており、いつでも宴が始められる状態だ。
親方夫妻は既に玄関で弟子達数人とお客様を出迎えている。
俺が女将さんと少々打ち合わせをしていると、例のお稲荷様の神主さんご家族が現れた。

「やあ、○○さん!この度はお招きいただいて…」
神主さんが上機嫌で喋りだした。

どうも、既に少々飲っているようだ。
「ご無沙汰してます。お元気そうですね」

俺の横に優子さん(娘さん)が来た。
「ウチの宿六がご迷惑をお掛けしてませんか?」
「まあ、少しは」
顔を合わせてぷっと噴出す。
今では、すっかり兄妹の様になる事が出来た。

「何か手伝う事、ありませんか?」
「じゃあ、玄関でご亭主と一緒に受付をお願いします」
料理、飲み物、座布団…しっかり設えられているが、結局もう一度確認する。

確かに手抜かり無い、と納得して時計を見るともう三時直前だ。
そろそろ、宴席が埋まりだしている。俺は親方を呼ぶ為に宴会場を後にした。



俺はまだ到着していないお客様を迎える為、親方夫妻と交代して玄関に立つ。
本来なら親方が立つのが道理だが、宴が始まるので一番弟子の俺が代理としてお迎えするのだ。
玄関脇に立ち、まだ到着してない方を名簿でチェックしていると弟子の一人が呼びに来た。
だが、まだ数人来られてない方が居るから、と弟子を帰す。

女将さんが用意してくれた茶を啜っていると、今度は優子さんが現れた。
「始まったばかりなのに抜けてきちゃダメですよ」
「いえ、ウチの人からの伝言です。オオカミ様が宴会に来てるって…。
私のところに飛んできて、俺は手が離せないからとにかく兄さんに伝言してくれって」
「…そう、ですか」

俺は玄関を出て、空を見上げた。
いつの間にか、雪が降りて来始めていた。

「早く来てくださいね」
優子さんは会場へと戻って行った。


開始から既に数十分は経過している。
そろそろ出迎えを宿の方に任せて宴席に行っても失礼にはならないだろうと思う。

しかし、なぜか宴席に行けない。
なぜだ? そう、俺は怖いのだ。

恐らく宴席に来ている「オオカミ様」は晦日にお社で会った、あの少女だろう。
彼女はオオカミ様に間違いない。俺は既に確信を持っている。
しかしあの時、彼女は俺のことを覚えていなかった。
どのような形でオオカミ様が現世に顕在したのかは想像も出来ないが、俺の事を覚えていないという事が衝撃だった。
オオカミ様が俺の事を覚えていないという事実。

この状況を冷静に分析すれば、彼女にとって俺は見知らぬ中年男性でしかない。
この宴席で出逢えたという事は、縁が全く無い訳ではないだろうが、現実的にこれからの状況を考えると目の前が真っ暗になってくる。

こんな事ならば、あの頃のまま、精神で触れ合えたままでいた方が良かったのではないか?
生まれてからこんなに不安に、絶望に苛まれた事は無いほど俺は憔悴し切っていた。
「○○、様…?」
オオカミ様の声が聞こえる。どうやら、憔悴の余り幻聴まで聞こえてきたようだ。
「あの、○○様…?」

…幻聴、では無い!ばっと振り返ると、そこにはオオカミ様の姿があった。
「きゃっ!?」
凄い勢いで振り返った俺に驚いたようで、びくっと身をかわす彼女。

そこには、晦日の夜に出逢った、そして俺の記憶の中に住み続けている姿がはっきりと容を取っていた。
「貴女は…」
俺が呟く。

「あ、はじめまして、ですよね。でも、大晦日にオオカミ様のお社でお逢いしましたね。私は、榊沙織と申します」
深々と頭を下げる彼女。艶やかな黒髪がさらっと流れる。
初めて逢った、あの時の様に。
「昔、○○様に可愛がって頂いた姉、詩織の妹です。と言っても私は養女ですし、詩織姉様とは現世では逢えなかったけれど」
彼女は滔々と語りだした。

伊勢で捨てられていた事から、現在に至るまでの事を。
「でも、私は捨てられたことに感謝してるんです。そのおかげで、父様や母様の子になれ、お祖父様やお祖母様にも逢えました。それに、詩織姉様にも…○○様、どうなさったんですか?」
彼女が心配そうに俺の顔を覗き込む。

俺はいつの間にか、涙を流していた。嬉しさによって。
「いえ、何でもありません。貴女が幸せな人生を歩んできたのが感じられて、嬉しかったんです」
俺の答えに彼女はちょっと驚き、頬を染めながらはにかんだように俯いた。

「…お社でお逢いした時、何故かすぐに○○様、って判ったんです。
貴方の事は、父様や母様、詩織姉様から聞いていたからかも知れませんが、それだけじゃなく、…何ていうのかな、パッと閃いたんです貴方が、○○様だって」

そこで俺は気付いた。詩織姉様から聞いた、とは…?

「あ、ごめんなさい。変ですよね…でも、私、良く詩織姉様の夢を見るんです。何か悩んだり、困ったりすると詩織姉様が夢に出てきて助けてくれるんです。
○○様の事もいつも聞いてました。詩織姉様は○○様のお嫁さんにしてもらうんだって言ってました。
でも、沙織ちゃんになら○○様を譲っても良いよって言うんです…」
ここまで言い、彼女はハッとした様に顔を真っ赤に染めて
「ご、ごめんなさい!変な事を言って!

あ、そう言えば私、○○様をお呼びするように言われてたんです。親方のおじ様が早く来い、って仰ってました。さ、行きましょう!」

彼女は俺の手を取ると、会場へと歩き出した。
その手は華奢で、心地良く冷たかった。


会場は相当な盛り上がりだった。
沙織と会場に入った俺は直ぐに親方に呼ばれ、暫くは親方とお客様の相手をする事になった。
そのうち榊さん夫妻も近くに来て、想い出話になって行った。

沙織はちょっと離れたところで若い弟子達と談笑していたが、榊さんに呼ばれてこちらにやって来た。
想い出話が続く内、俺は沙織がしている髪飾りについて尋ねてみた。
「沙織は銀の髪飾りを二つ持っているのです」
榊さんの奥様が答える。

「一つはおかみさんの実家の玄関に沙織が置かれていた時、最初から握り締めていました。
もう一つは三歳の時にお伊勢さんにお参りに行った際、奥の宮で不思議な少年が沙織にくれたのです」

その少年は神官服を着た玲瓏な美少年で、沙織に近付いて握らせてくれたと。
ご両親も全く不審には感じず、有り難く受け取ったと言う。

「今着けているのは、三歳の時にもらったものです」
沙織は髪飾りを外すと、俺に渡してくれた。

それは、間違いなく俺があの時、あの少年に預けたものだった。
「この髪飾りをくれた少年は、どんな感じでしたか?」
俺は髪飾りを沙織に返しながら聞いてみた。
「私は小さかったので良く覚えて無いんですが、何故かとても懐かしい感じがしました。まるで…」
言い淀んだ沙織の跡を継ぎ、母上様が話し出した。

「まるで、沙織の血縁者の様でした。顔立ちや雰囲気も似ていて、後になってもしかしたら沙織の本当の兄では、と主人と話したものです。
しかし、とても神々しく優しげな少年でしたので、あの少年は神様の遣いで、沙織は神様が詩織を転生させてくれたのだとその時は考えました」

再び、沙織が話し出す。
「でも、私は詩織姉様の生まれ変わりではなく、妹でした。
○○様には先ほどお話しましたが、私の夢には詩織姉様が良く出てきてくれて、私をとても可愛がってくれました。いつの間にか私の方が姉様よりもずっと年上になってしまったけれど」
親方も詩織の事を想い出したのか、涙ぐんでいる。
詩織の事を覚えている弟子たちも集まってきて、しんみりとした空気に包まれていた。

「最初に握り締めていた髪飾りは、今、持っていますか?」

少しの間静まっていた空気を破り、俺は沙織に聞いてみた。
「はい、ここにあります。随分と古いものみたいで傷が多かったので、ペンダントにしたんです。

沙織は白い胸元からペンダントとなった髪飾りをを取り出し、俺に渡してくれた。
沙織の体温が残り仄かに暖かいそれを受け取った時、心臓がドクンと脈打った。

撫ぜ廻して出来たような擦れ痕と細かい傷が数多く残るそれは、かつて俺が二度目に納め、そして土砂に埋もれてしまったあの髪飾りだった。
「…その髪飾り、どこかで見た事が…?」

いつの間にか俺の後ろに廻り込んで覗いていたお客様が呟いた。
驚いて振り向くと、そこにはオオカミ様のお社を管理している神主さんが居た。

「あ!これは!○○さんがオオカミ様に納めたものじゃないですか!」
その場に居た皆の視線が髪飾りと俺に集中する。

「…○○、本当なのか…?」

親方が搾り出すように問いかけて来た。
「…はい、確かに俺がかつてオオカミ様に納めたものです。間違い、ありません…」
「…え? え? どういうこと、なんですか…?」
沙織が混乱しつつ聞いてきた。いや、周りの全ての人々が混乱している。

俺と、優子さんとその夫、晃を除いて。

「…沙織さんが、オオカミ様だという事ですよ」
晃がボソッと答える。

「晃!」

俺が叱責するが、晃は構わず語りだした。
「兄さんはオオカミ様を愛し、オオカミ様も兄さんを愛した。
二人の余りの愛の深さに、天照大神様が心動かされ、オオカミ様はヒトへ、沙織さんへと転生なさったんでしょう。
ただ、時間を越えることまでは出来なかった。

だから…」
「やめろ、晃」

親方が静かに諌めると、流石に晃はそれ以上口を開けなかった。
宴の席は、いつの間にか静まり返っていた。


「さ、お祝いの席が静まっちまったら仕方ないよ!」

パンパンと手を叩きながらおかみさんが声を上げた。
「そうそう、皆さん、さあ飲んで飲んで!」
優子さんも声を張り上げる。

堰を切ったように止まっていた時間が動き出した。
俺も晃にコップを持たせ、ビールを並々と注ぎ込んだ。

俺には沙織がビールを注いでくれ、晃と俺は一気に喉の奥へと流し込んだ。
宴は深夜まで続き、沙織とご両親、若い弟子達は十二時前に部屋へと引き上げた。


お客様が全て部屋に戻り、それを見届けてから親方夫妻も引き上げ、最後に残ったのは俺、そして晃と優子さんだった。

三人ともかなり酔ってはいるが、何とか理性は繋ぎ止めている。
優子さんのお酌で静かに日本酒を飲んでいる内、晃が口を開いた。
「…兄さん、沙織さんはオオカミ様ですよね」

「…ああ、多分、な」
「兄さん、どうするんですか?」
俺は、オオカミ様、いや沙織に自分の気持ちを伝える積りは無い事を話した。

「何故ですか!」
晃が声を上げる。

俺は歳が離れ過ぎている事、俺の事を覚えてない事を主な理由として、そうなると常識的に難しいだろうからと答えた。

「意気地無し」
それまで黙っていた優子さんが俯いたままぼそっと呟いた。
「怖いんでしょう。あの方に拒否されるのが」
ぞくっと背筋に寒いモノが走る。
違う。いつもの優子さんじゃ無い…?

「優子…?」
晃も何かを感じたらしい。

優子さんがすーっと顔を上げる。その顔は優子さんのモノではなかった。

目尻はきゅっと吊上がり、高い鼻梁の下には厚めな紅い唇。

そして、微かに紅く光る瞳。この、刃物のように尖った美貌は…

「お狐様…」

晃が息を呑む。
俺の背中にも冷たい汗が流れた。

お狐様の突然の発現に息を呑む俺達。
優子さんがお狐様に憑かれたのは何年振りだろうか。
もう、十年以上前になるのだな、等と脈打つ心臓とは裏腹に思考は妙に冷静に過去を想い出していた。
「お久しぶり、ね。○○さん…そして、あなた(晃)も…」

口の端を上げ、微笑う彼女。
ぞくりとするほど妖艶なのだが、同時に冷たい戦慄を覚える。
俺は、頭を振りながら精神を統一し、大きく息を吐いた。

「なぜ、出てこられたのですか?」

俺が尋ねると同時に、晃がビクッと震える。
「ご挨拶ね。久しぶりに逢えたのに。あの方に対しては弱気なのに、私には随分とキツく当たるのね」
甦る、苦く切なく、そして少しだけ甘い記憶。
お狐様に憑かれた優子さんを晃が抱きしめて鎮めた夜。

あれ以来、彼女が現れる事は無かったのだが…
「なぜ出てきたのかは解っているでしょう? あの時の私の言葉、忘れていない筈よね。貴方達なら」

…確かに、覚えている。彼女は言った。
俺の心が変わった時、また逢いに来ると。
「覚えています。だけど俺の心は変わっちゃいない。俺はオオカミ様だけを愛し続けている」

彼女の微笑が、嘲笑う様に変わった。
「そう。その答えがあの方を見守っていくって事なの?自分の気持ちを伝える事無く」

ふん、とせせら笑う。
「触れてはいけない時には抱きしめたくせに触れられるようになったら諦めるなんて、貴方と結ばれるために御身をヒトにまで落としたあの方が報われないわね」

その言葉に俺は驚愕した。
俺と、結ばれる為に…。

その時、がた、と物音が聞こえた。
俺と晃はビクッと驚き、物音のした方を見る。

そこには、沙織が見覚えのある少女と手を繋いで立っていた。
記憶の中から愛らしい姿が甦り、その少女と重なった。あれは、詩織…

「詩織ちゃん…」

俺が呟く。
詩織は俺の記憶の中にあるままの天使のような微笑を見せ、すっと消えてしまった。
「優子!」

晃が叫んだ。
驚いて振り返ると、倒れ込んだ優子さんを晃が抱き留めたところだった。
その顔はお狐様のものではなく、既に優しげな優子さんのものに戻っている。
呆然と立ちすくむ沙織。消えてしまった詩織。

倒れ込んだまま意識の無い優子さん。
あまりの急な展開に俺と晃は混乱した。
俺は深呼吸をして、優先順位を確認する。まずは優子さんの状態だ。

「晃、優子さんはどうなっている!?」

取り敢えず正常に息をし、脈も大丈夫。心臓も動いている。

ほっと胸を撫で下ろしたが、万が一という事もある。

「沙織さん、救急車をお願いします」
俺が沙織に向かって声を掛けると、晃が答えた。
「いえ、大丈夫です。折角の宴の初日にそんな縁起の悪い事は出来ません。俺が自分で病院に運びます」
「馬鹿野郎!お前も酒飲んでるだろうが!そんな事言ってる場合か!」

晃を睨み付ける俺の横を沙織が通り過ぎ、優子さんを抱く晃の前に座り込んだ。
沙織は晃から優子さんを抱き受けると、自分の白い額を優子さんの額に当てた。
数分の後、沙織が顔を上げる。
「大丈夫です。彼女はもう奥様の中には居りません」

呆気に取られる俺と晃。

「お部屋で横にさせて上げた方が宜しいでしょう。○○様、お手伝いしてあげて下さい」
しかし晃は一人で優子さんを抱き上げ部屋に帰って行き、広間には俺と沙織が残された。


「○○様、少し散歩しませんか?」
沙織が俺を見つめながら聞いてくる。
そして数分後、俺と沙織は旅館の庭にある池の辺をゆっくりと歩いていた。

空を見上げると見事な月が光っている。
沙織の歩みが止まる気配を感じ、俺は月明かりに照らされて白く浮かぶ沙織に目を向けた。

「…宴会から部屋に戻ってうとうとしていたら、久しぶりに姉様の夢を見たんです」
そして、夢から覚めると詩織がそのまま存在していたのだという。
詩織は微笑みながら沙織の手を取って俺達の居た宴会場へと導いた。

そして、お狐様が優子さんに憑いている所に出会したと。
「彼女の言葉を驚きながら聞いていたら、姉様が私をとん、と押したんです。そうしたら、私の中に、爆発したように、全てが、戻って…」
沙織は漆黒の瞳から、宝石の様に輝く涙を溢れさせた。

「貴方と、初めて、逢った時の事、貴方に、抱き締められた時の事…」
もう言葉になっていない。俺の両目からも、驚くほどの涙が溢れてきていた。
両手を顔に当て、泣き笑いのような表情をしている沙織。
俺は両手を広げ、辛うじて声を絞り出した。

「お還りなさい」
沙織は俺の腕の中に飛び込んで来た。

そして、はっきりと応えた。
「ただいま、還りました」

抱き締めたその華奢な肉体は、あの時と同じ様に熱かった。
どこからか微かに流れてくる笛の音を感じながら、月明かりに照らされた二人の影は重なったままだった。 




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俺と沙織の結婚式の時。

早くに父を亡くした俺と母を助け、とても力になってくれた叔父貴と久し振りに会う事ができた。

叔父貴は既に八十を超える高齢だが、山仕事と拳法で鍛えている為とても年齢相応には見えず、沙織の親族からは俺の従兄弟と勘違いされるほどだった。

ピシッとした紋付袴姿で軽トラから現れた叔父貴が、助手席から幾重にも包まれた長いモノを取り出した時、俺はそれがあの刀だと直ぐに判った。

かつて自分が幼き頃、叔父貴の家で出会った刀。

そして、その精霊。

彼女は己を俺の物として欲しいと言った。

叔父貴は刀が欲しいと強請る幼い俺にこう言った。

「この刀は、独身の男が持つと魂を魅入られてしまう。だからお前が将来、この刀の精霊に負けない程の女性を妻としたらお前にやろう」

叔父貴に駆け寄りその逞しい拳を握り締め、挨拶をする。

そして、沙織を紹介した。

「……うむ、お前の事だから素晴らしい女性を娶るとは思っていたが、まさか女神様を娶るとは思わなんだ。

あの時の約束通り、結婚祝いにこの剣はお前に譲ろう」

俺たちはその言葉を聞いて驚愕した。

何故なら、叔父貴にはまだ沙織との馴れ初めは話していなかったからだ。



暫くは忙しい日が続き、新婚旅行から帰って来て一段落した後。

俺は叔父貴から頂いたあの刀を取り出し、鞘から抜いてみた。

幼い頃に見た時と全く変わらない、静謐さと艶かしさを併せ持つその刃に惚れ惚れとしていると、先に休んだ筈の沙織が起きてきた。

どうしたのかと誰何する自分に沙織が答えた。

「その剣に、起こされました」

その時、唐突に電気が消えて居間は漆黒の闇に包まれた。

「……来ます」

沙織が呟くのとほぼ同時に、沙織と自分の間に青白い光が湧き溢れ、水晶の様な硬質な輝きを持った半透明の少女が現れた。

「○○、久し振りですね…」

俺と、そして沙織の精神の中に言葉が響く。

そこには自分が少年の頃、叔父貴の家で逢った刀の精霊が顕現していた。

「そして人ならざるお方、お初にお目に掛かります…」

精霊は沙織に顔を向け、恭しく礼をした。

「○○、新たに私の主となられた男よ、私を抜く時には心を砕きなさい…私は命を断つ為のモノ。

そして、闇も、光も断つことが出来る。何者をも切らない事も出来る。

お前ならば大丈夫でしょうけれど…」

「刀の精霊よ、○○様ならば大丈夫です。その様な方だからこそ、私が結ばれることが出来たのですから」

沙織が応えると、精霊は清楚な、そして少しだけ妖艶な微笑を浮かべた。

「大いなるお方よ、よく存じております。しかし、それもまた少し残念…私は、生かす為よりも切る事を命としているのですから…。

○○よ、努々忘れることなかれ。私は主の意思にのみ沿うモノである事を…」


今、刀は我が家の床の間にて鞘に収まり、静かに眠っている。

しかし、極稀に鞘から抜き放つ誘惑に負けることがある。

鞘から抜き放った時に刀が見せる顔はいつも異なる。

いつか、禍々しい誘惑に負ける時が来ないように精進しなければと、刃に写る自分に言い聞かせている。






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俺が中学を卒業し、本格的に修行を始めた頃。

親方の補助として少し離れた山の頂上にある、湖の畔に立つ社の修繕に出かけた。
湖の周りには温泉もあり、俺達は温泉宿に泊まっての仕事となった。
そのお社は湖に突き出した小さな岬の突端にあり、社と言っても小さなものだったが、妙に厳粛な雰囲気を漂わせていた。
見積もりと計画は予め親方がしていたので、親方の指示に従いながら初日の準備作業は順調に進んで行った。


二日目の朝、親方と二人で作業に掛かろうとすると、お社からちょっと離れた茂みに小さな祠があるのを見つけた。
ずっと放ったらかしのようで、腐りかけ、朽ち果てている。
祠の中には石で出来た小さな龍の像が納められていた。
俺は親方に報告し、どうしましょうかと尋ねた。

「祠の事は仕事で頼まれてねぇな。○○、おめぇはどうしたいいんだ?」
「このままじゃ、龍神様が可哀想ですから、修繕したいと思います」
「じゃあ、手が空いた時におめぇが修繕しろ。いいか?」
「はい!」
それから俺は、朝食前、昼休み、夕食後の時間を使って祠の修理に励んだ。

修繕に取り掛かってから一週間ほど経った朝、起きてみるとしとしとと霙混じりの雨が落ちてきている。
食堂の天気予報では一日中雨との事なので、親方は俺に様子だけ見て来るように指示して温泉に向かった。

俺はカッパを羽織ると、お使い用に持って来ているスーパーカブに跨り、社の様子を見に行った。


鳥居の前にカブを停め、お社へと歩き出す。
お社の前に辿り着き、手を合わせ祈ってから修復中の裏手へ廻る。
お社の裏手は湖になっていて、結構高い崖である。
また、建物と崖までの距離は1メートルもない。
気を付けながら進んでいたが、足場が音も無く突然崩れた。

咄嗟に飛び退いたが、その足場もやはり脆く崩れ、俺は嫌な落下感を一瞬味わった後水中に落ち込んだ。
季節は初春、山頂の湖の水温はまだ数℃しかない。
必死で水面に出ようとした時、両足がこむら返りを起こした。
着ている服は水を吸い、重くなっている。
必死で水を掻き分けようとしていると、右肩までも攣ってしまった。

左手一本で藻掻いても体は中々浮かびはしない。
落ちた時にちゃんと呼吸が出来ていないので、酸素が足りなくなって行く。
鼻と口から冷たい湖水が流れ込んできて、本当にヤバいと感じた時、何か白く光る物が近付いて来るのが見えた。

そして、凄いスピードで近付いて来たそれが巨大な龍だと気付いた時、俺の意識は白い闇に溶けて行った。


暖かい感触を唇に感じ、ふと目を開ける。
次の瞬間、猛烈な咳と共に鼻と喉を熱い水が駆け上がってきた。
「がはごほげへぐはっ!」

息が出来ず、俺は盛大に口と鼻から水を噴出した。
一頻り咽返り、ようやく呼吸する事が出来るようになった。
涙と鼻水にまみれた顔を上げると、そこには白い着物を着た美しい女性が無表情に立っていた。

俺はその美しさに驚くと共に、女性の長い白髪に釘付けになった。
よく見ると、髪だけでなく睫毛も真っ白だ。
唇だけ、紅を差しているようで鮮やかに紅い。
驚いたように見つめる俺に、女性が

「大丈夫か?」
と男のような口調で尋ねてきた。

「…あ、はい。大丈夫です」
「…そうか」
彼女はそのまま去ろうとした。

「貴女が助けてくれたんですか?」
その後姿に声を掛ける。
彼女は顔だけ振り向くと、
「気にするな。祠の礼だ」
とだけ言い、掻き消すように居なくなってしまった。


暫く呆然としていると、親方と旅館の番頭さんが俺を見つけ、大声を上げながら駆けて来た。
「○○、大丈夫か!?」
親方が叫ぶ。
俺が旅館を出たのは早朝だが、既に時間は昼頃となっていた。
親方が帰りの遅い俺を心配して社に行くと裏手に崩れた跡があり、俺の手袋も落ちていたので湖に落ちた事を知り、地元の青年団に協力してもらって探していたと。

そして、俺が居たのは社の対岸だった。
俺が女性の事を話すと、番頭さんや青年団の人は幻でも見たんだろうと笑って取り合わなかった。
しかし、親方がニヤリとしながら手拭を差し出し、
「口から水を吸い出してもらったんだぁな? 拭いとけよ」
と言うので驚いて口を拭うと、手拭には鮮やかな紅が付いていた。
「オオカミ様と良い、龍神様と良い、えらく神様に気に入られるヤツだな、おめぇは」
そう言いながらがははと笑う親方。
俺はかっと頬が熱くなるのを感じ、手拭をほっかむりにして紅く染まっただろう頬を辛うじて隠した。







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ある年の秋。

季節外れの台風により大きな被害が出た。

古くなった寺社は損害も多く、俺たちはてんてこ舞いで仕事に追われた。

その日も、疲れ果てた俺は家に入ると風呂にも入らずに布団に倒れこんで寝てしまった。

「○○様、○○様…」

どこかからか懐かしい声が聞こえる。

この、鈴の鳴るような声は…俺はのそのそと起き上がると廻りを見廻した。

すると、枕元に懐かしい姿があった。

「オオカミ様…」
夢か現か、幾年振りかに見る姿。

「○○様、お久しゅうございます。」
彼女は泣き笑いの様な不思議な表情で俺を見つめている。
良く見ると、白い顔と着物は泥にまみれ、長い黒髪もバサバサである。
そして、俺の納めた銀の髪飾りも見当たらない。

「申し訳ございません。○○様に頂いた髪飾りを失くしてしまいました…」

彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

俺は取り乱し、どうして良いか解らなくなってしまった。

「そんな、泣かんで下さい。また新しい髪飾りを、貴女にもっとお似合いの髪飾りを見つけてきますから…」

彼女はポロポロと涙を零しながら
「お許しください…」と言い、ふっとかき消す様に居なくなってしまった。

「オオカミ様!待って、待って下さい…」

はっと目覚めると、窓の外は白みつつあった。

出勤し事務所に入ると、直ぐに親方に呼ばれた。

「おう○○!実はな…」

「オオカミ様の社に何か有ったんですね!」

親方の声を遮るように俺が叫ぶ。

「お、おお。良く解ったな。先日の台風で、オオカミ様の社が地滑ったらしい。
さっき神主さんから連絡が有った。社は下の林道辺りまで落ちて土砂に埋まっているそうだ。」

「親方!俺は今日からオオカミ様の社に行かせて下さい!」

「バカヤロウ!地滑ったばっかで社の修復なんぞまだまだ先だ!
それに、お前が掛かってる現場はどうすんだ!」

親方に怒鳴られたが、俺は喰い下がった。

「お願いします!なんなら今日は休みでも良いんです。様子を見るだけでも!」

親方は凄い形相で俺を睨んでくる。しかし、昨夜のことも有り、
俺は負けずに睨み返した。何分ほど睨みあっていただろうか、
突然おかみさんが口を挟んできた。

「おまえさん、行かせておやりよ。○○、昨夜夢枕にオオカミ様が立ったのかい?」

「・・・はい、おかみさん。」

「で、社を早く直して欲しいとでも言われたのかい?」

「いえ、泥だらけの姿で出て来ましたが、社の事は何も…」

「じゃあなんで出てきたんだい?」

「俺が納めた髪飾りを失くしちまったと。泣きながら謝るんですよ…」

「ふう…」

親方が溜息をつく。

「やれやれ、相思相愛かよ。しかし神様相手じゃキスも出来んだろうによ。まあ良いや。
行っていいぞ○○。ただ、無理すんじゃねえぞ」

「はい!ありがとうございます!」

俺は軽トラにスコップや鋤簾を積むと、急いで社へと向かった。

途中の林道は予想以上に荒れており、四駆にしなければ越えられないほどの場所が何箇所も有った。

何時もの倍以上の時間を掛け、なんとか社の付近まで近付いたが、其処には目を覆うような惨状が広がっていた。

社へと上る長い階段は跡形も無く、社の建っていた広場は殆どが削られてしまっている。

鳥居は見当たらず、恐らく土砂に埋もれている。

そして、社は土砂に半ば埋もれかかった無残な姿を晒していた。

俺は四苦八苦しながら社へと近付き、状態を確認した。

とりあえず社の周りを探し回るが、髪飾りなどは見付からない。

四時間ほども探し回ったが見つけられず、途方に暮れながら軽トラに戻ろうとした時、
目の端で何か光るものを見た。

急いで当たりを付け、駆け寄って見る。
そしてその周辺をスコップで掘り返してみると、数回の後に土砂の中から鈍く光る髪飾りを掘り出す事が出来た。
とりあえずお社に向かって一礼し、先ほど掘り出した狛狼様二体を軽トラの荷台に固定し、
このお社を管理している麓の神社へと向かい、神主さんに事情を話して引き渡してきた。

ただ、髪飾りは俺が持ち、お社の修復後に改めて納める事となった。

事務所に帰ってから、急いで現場に向かう。

ある年の秋。

季節外れの台風により大きな被害が出た。
古くなった寺社は損害も多く、俺たちはてんてこ舞いで仕事に追われた。
その日も、疲れ果てた俺は家に入ると風呂にも入らずに布団に倒れこんで寝てしまった。
「○○様、○○様…」
どこかからか懐かしい声が聞こえる。
この、鈴の鳴るような声は…俺はのそのそと起き上がると廻りを見回した。
すると、枕元に懐かしい姿があった。

「オオカミ様…」
夢か現か、幾年振りかに見る姿。
「○○様、お久しゅうございます」
彼女は泣き笑いの様な不思議な表情で俺を見つめている。
よく見ると、白い顔と着物は泥にまみれ、長い黒髪もバサバサである。
そして、俺の納めた銀の髪飾りも見当たらない。
「申し訳ございません。○○様に頂いた髪飾りを失くしてしまいました…」
彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
俺は取り乱し、どうして良いか分からなくなってしまった。
「そんな、泣かんで下さい。また新しい髪飾りを、貴女にもっとお似合いの髪飾りを見つけてきますから…」
彼女はポロポロと涙を零しながら、
「お許しください…」
と言いふっとかき消す様に居なくなってしまった。

「オオカミ様!待って、待って下さい…」
はっと目覚めると、窓の外は白みつつあった。
出勤し事務所に入ると、直ぐに親方に呼ばれた。

「おう○○!実はな…」
「オオカミ様の社に何かあったんですね!」

親方の声を遮るように俺が叫ぶ。
「お、おお。良く分かったな。先日の台風で、オオカミ様の社が地滑ったらしい。さっき神主さんから連絡があった。社は下の林道辺りまで落ちて土砂に埋まっているそうだ」
「親方!俺は今日からオオカミ様の社に行かせて下さい!」

「バカヤロウ!地滑ったばっかで社の修復なんぞまだまだ先だ!それに、お前が掛かってる現場はどうすんだ!」
親方に怒鳴られたが、俺は食い下がった。
「お願いします!なんなら今日は休みでも良いんです。様子を見るだけでも!」
親方は凄い形相で俺を睨んでくる。しかし、昨夜のこともあり、俺は負けずに睨み返した。

何分ほど睨みあっていただろうか、突然おかみさんが口を挟んできた。
「おまえさん、行かせておやりよ。○○、昨夜夢枕にオオカミ様が立ったのかい?」
「…はい、おかみさん」
「で、社を早く直して欲しいとでも言われたのかい?」
「いえ、泥だらけの姿で出て来ましたが、社の事は何も…」
「じゃあなんで出てきたんだい?」
「俺が納めた髪飾りを失くしちまったと。泣きながら謝るんですよ…」
「ふう…」

親方が溜息をつく。

「やれやれ、相思相愛かよ。しかし神様相手じゃキスも出来んだろうによ。まあ良いや。行っていいぞ○○。ただ、無理すんじゃねえぞ」
「はい!ありがとうございます!」
俺は軽トラにスコップや鋤簾を積むと、急いで社へと向かった。
途中の林道は予想以上に荒れており、四駆にしなければ越えられないほどの場所が何箇所もあった。
いつもの倍以上の時間を掛け、なんとか社の付近まで近付いたが、其処には目を覆うような惨状が広がっていた。
社へと上る長い階段は跡形もなく、社の建っていた広場は殆どが削られてしまっている。

鳥居は見当たらず、恐らく土砂に埋もれている。
そして、社は土砂に半ば埋もれかかった無残な姿を晒していた。
俺は四苦八苦しながら社へと近付き、状態を確認した。
とりあえず社の周りを探し回るが、髪飾りなどは見付からない。
4時間ほども探し回ったが見つけられず、途方に暮れながら軽トラに戻ろうとした時、目の端で何か光るものを見た。
急いで当たりを付け、駆け寄って見る。
そしてその周辺をスコップで掘り返してみると、数回の後に土砂の中から鈍く光る髪飾りを掘り出す事が出来た。
とりあえずお社に向かって一礼し、先ほど掘り出した狛狼様二体を軽トラの荷台に固定し、このお社を管理している麓の神社へと向かい、神主さんに事情を話して引き渡してきた。

ただ、髪飾りは俺が持ち、お社の修復後に改めて納める事となった。
事務所に帰ってから、急いで現場に向かう。
仕事を終えて戻ると、親方は他の現場から既に戻っていた。
「おう、○○。髪飾りは見付かったか?」
俺は一通り報告し、地滑りの修復が終わった後のオオカミ様のお社は俺に任せてくれるようにお願いした。
「ああ、言われんでも解ってる。どっちにしろ来年の話だぁな」

「そうですね。役所がとっとと動いてくれるといいんですが…」
俺はそう答えながら髪飾りを握り締めた。


あの地滑りから半年ほど経ち、春の息吹が萌え始めた頃。
ようやく地滑りの後処理が終わり、オオカミ様のお社の再建に掛かれる事になった。
しかし、社のあった台地は大きく崩れてしまったので相当削られ、以前と全く同じ状況ではない。
とりあえずは管理している神社の神主さんと相談を始めたが、元々オオカミ様の神社は便宜上管理しているだけなのでここまで大きく壊れてしまったお社の再建に多額の費用を掛ける訳にはいかないらしく、相談は遅々として進まない。
俺は出来る限り早く再建したいので神主さんの曖昧な態度にイラついてしまい、つい失言してしまい親方に叱られる事が何度もあった。

その日も神主さん相手にちょっと失礼な態度を取った挙句、捨て台詞まで吐いて事務所に帰ると親方が鬼の表情で俺を待っていた。

「このバカヤロウ!お前が神主さんを怒らせてどうする!何考えてんだ!」
親方が怒鳴る。イラついていた俺はつい口答えしてしまった。
「しかし、親方!このままじゃあオオカミ様の社がいつまで経っても進みませんよ!」
次の瞬間、俺は親方にぶっ飛ばされた。
親方の表情はもう怒っているのではなく、呆れているような、哀しそうな表情だった。
「…○○、お前はもうオオカミ様の社はやらなくて良い。明日からは今俺がやっている現場と交代しろ」

「そんな!俺は嫌です!俺がやらなきゃ…!」
叫び出した俺の肩を後ろから誰かが掴んだ。振り返ると、おかみさんが首を振りながら苦笑していた。
「○○、頭冷やしなよ。これ以上ダダこねたら、親方が本当の本気で怒っちまうよ」
力を込めて捕まれた肩の痛みで我に帰り、俺は何とか理性を取り戻した。
そして、「解りました…」と声を絞り出した。
もちろん、納得なんて出来るはずはない。

ただ、これ以上頭に血の上った俺が一人で空回りしては再建できるものも出来なくなる事くらいは解ったので、辛うじて自分を抑えつけただけだ。
その夜は哀しさと悔しさで中々寝付けなかった。


オオカミ様の髪飾りを握り締めながらいつの間にか浅い眠りに入っていたが、唐突に俺は覚醒した。
ガバッと跳ね起きると枕元にオオカミ様の姿があった。
あの時から半年振りに見るその姿は白い巫女衣装ではなく、薄桃色の艶やかな着物となっていた。

長い黒髪も綺麗に梳かれていて、今までの彼女とは雰囲気が違う。
俺たちは言葉も無く見詰め合っていた。
どれほどの時が流れただろうか。
オオカミ様の澄んだ大きな両の瞳からつ、と涙の筋が毀れた。
俺は、山ほど話したい事があるのに言葉を発する事の出来ない自分の口を呪った。
「○○様、私の為にお骨折り頂きありがとうございます…」
いつも通りの、鈴の鳴るような和えかな声が彼女の口から紡ぎ出される。

「主の命により私は少しの間留守に致します。ですので社の普請はお急ぎなさらぬ様お願い致します。○○様、どうぞお心安らかに、お焦りになどならないで下さい。貴方様の御健勝をお祈りしております…」
俺の口は動かない。

しかし、金縛りの様になった体は唐突に、そして自分でも驚くような動きを行った。
…一瞬の後、俺はオオカミ様を両腕で抱き締めていた。
「ダメです!何処にも行っては!此処に、この場所に居てください!」

彼女を抱き締めると同時に、大声で叫んだ。
彼女の御体はか細く華奢で、そして燃える様に熱かった。

彼女は何も言わずにそっと俺の頭の後ろに両手を廻し、きゅっと少し力を入れて抱き締めた。

しかしすぐに俺の頭を両手で挟み、俺の顔を彼女の顔の正面に持ってきた。
間近に彼女の漆黒の瞳がある。
その瞳は人のそれではなく、吸い込まれたら戻って来れないような、まるで宇宙の深遠を思わせる深さだった。
「大丈夫。少しの間です。私は必ず此処に戻ってきます。貴方の居る、この場所に…」

俺は猛烈に襲ってくる眠りの魔力に抗ったが、その後に気付いた時には昨晩眠りに付いた時のままの布団の中だった。

「夢、じゃない。筈だ…」
昨晩、彼女を抱き締めた感触は両腕にハッキリと残っている。
その時、俺は握り締めていた髪飾りが無くなっている事に気付いた。
そして、代わりに握り締めているものは長く艶やかな一房の黒髪だった。

事務所に出勤すると、既に神主さんが親方と話をしている。
俺は挨拶をしながら神主さんに近付き、
「昨日は申し訳ありませんでした!」

と誠意を込めて頭を下げた。

「いえ、解ってくれれば良いんですよ…おや? 昨日までとは随分雰囲気が違いますね?」
「おお、昨日までのおめぇはまるでオオカミ憑きそのものだったが、今朝はいつものおめぇに戻ったようだな。なんか良い事あったんか?」

親方も安心したように言う。
「はい、ちょっとありまして。親方、後で親方の現場の引継ぎの相談させて下さい」
「おう、それはもういいや。おめぇは続けてオオカミ様の社の相談を神主さんとしろや」
「いいんですか?」
「バーカ。俺みたいなむさい爺が行ってオオカミ様の逆鱗にでも触れちゃ適わねえからな。じゃあ頼んだぞ!」

「はい、ありがとうございます!」
俺は神主さんと相談を始める為に、資料を出そうと自分の机の引き出しを開けた。
そして、お守り袋に入れた彼女の髪の房を仕舞い込んだ。





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