【閲覧注意】怪談の森【怖い話まとめ】

当サイト「怪談の森」は古今東西の怖い話~ほっこりする神様系の話まで集めています。 随時更新中!!

タグ:お坊さん



128 :本当にあった怖い名無し:2018/01/15(月) 11:34:08.63 ID:rZfZOc+M0.net[1/2]
死んだ爺さんの最期の悪戯

30年ほど前の元旦、豪雪地帯のド田舎に暮らしている父方の婆さんから「爺さんが死んだ」と電話があった
婆さんがちょっと目を離したスキにモチを詰まらせ、気が付いたらポックリ逝ってたとのことだ
すぐに全国から親族が集まり、総勢40人ほどが一堂に会した
みんな突然の爺さんの逝去に取るものもとりあえず駆けつけたという慌てっぷりだった
なので足りないものは現地で買うことになる

加えてド田舎であるがゆえに火葬場やお寺はまだしも、葬儀屋や仕出し弁当等が手配できなかった
しかしボケて引退したとはいえ爺さんはかつてこの集落をメインに坊さんをやっていた
その影響でどれほど徳があるのか知らんが、婆さんもお経をフルコーラスで読破できるようになっていた
よって婆さんの指示で通夜から火葬まで、全てを執り行うこととなった

食事一つとっても40人分となるとそこは戦場
「あれがない!」「大至急これ買ってきて!」と簡単なお使いに何度も行かされた
気が付けば野戦病院のような、台本無し&ぶっつけ本番&ぬるぽな葬儀はどうにか終わった
大往生だったこともあり、悲しさよりも「やっと終わった」「皆さんお疲れさま~」という安堵感が漂い始めた

ここで大人が我々子供の存在に改めて気づく
「正月だというのにお年玉もなくてごめんなさいね」と
いやいや、いくら子供とはいえそれぐらいの分別はついている
とはいえ貰えるものは素直にほしいと思うのもまた子供だw

ふと一人の叔母さんが俺に「まずこれで福引を引いてきてほしいの」と頼んできた
見ればコンビニ袋にどっさりと福引券が
総額は不明だが、葬儀に際して商店街に80万ぐらいは落したのではないかとのこと
チリも積もればとはいうものの、それにしてもよくこんだけ福引券が貯まったものだ

買い物をしたのは婆さんのいるA村字B商店街だが、抽選会はA村メイン商店街で行われていた
「字Bの○○爺さんのお孫さんでしょ?せめて遅い福が当たるといいね」と言われたことを覚えている
巨大な抽選箱に手をつっこむとすぐに異変があることに気付く
俺が自分の意志で券を引く前に、箱の中に手があって「これを掴め」と別の券を押し当てるように薦めてくる
なぜか不思議と怖い感じはしなかった
むしろそうするのが当たり前であるかの如く、「あ、これ爺さんの悪戯だなw」と自然に受け入れた

最初の一枚がいきなり\5,000の商品券だった
その後も手に誘導されるままに引いたらほとんどハズレなし、さらに\30,000、\50,000と高額当選が連発
そしてついに一本ずつしかない一等の\100,000(商品券)と特等の大型テレビを射止めてしまった
最初の内は「おめでとうございま~す」とカランカラン鳴らしていた商工会の人も、後の方は(゚д゚)ポカーン だった

当初の福引券並に嵩張った商品券をドッサリ持ち帰ったらみんな大喜び
字B商店街に費やした分はほとんどプラマイゼロ、大型テレビ含めたら思いっきり黒字だったそうだ
商品券はA村でしか使えないので婆さんにプレゼントし、代わりに婆さんからたくさんお年玉をもらった
文字通り盆と正月と葬式が一度にやってきたお祭り騒ぎとなった

さて、故人の爺さんだが
生前は「素晴らしいお坊さん」「あんななまぐさ坊主」と人によって評価はバラバラだった
どうも好き嫌いで仕事を選んでいたらしく、嫌いな檀家の所は平気でスッポかすわ二日酔いで行くわ
逆に気に入った檀家からはほとんどお布施を受け取らず、またもらったとしても檀家と一緒に飲み明かしたり
だから僧侶とは名ばかりで、いつも貧乏して婆さんは苦労していたらしい
あの福引は「婆さんには特に迷惑かけたからなw」と最期の懺悔のメッセージだったのだろうと思ってる




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昨日、あるお寺で、怪談好きの友人や同僚とお坊さんを囲んで百物語をやってきました。
百物語というと、蝋燭というのが思いつきますが、ちょっと変わった手法のものもあるようで、その日行ったのは肝試しの意味合いがとても強いタイプのものでした。

まず、大きく太い蝋燭を参加者の中心に置き、その火だけで座敷を照らし、怖い話を語ります。
語り終わった人は、その座敷を出て隣の座敷へ行き、その中央に置かれた文机に向かいます。

その上の鏡で自分の顔を覗きながら、筆で『◯◯◯◯』と自分の名前を書いて、皆の待つ座敷に戻る。
その一連の行動を、一人が十回程度繰り返すわけです。

最初、座談会ということで和やかだった雰囲気も、百物語となると張りつめた物になって、やはり怖かったです。
なんといっても、山寺の暗い廊下を歩いて、ほの暗い部屋の中に入り、鏡で自分の顔を見るわけです。
普段なら何のことはない行為ですが、あんなに鏡が怖いというのも、なかなか面白い体験なのかもしれません。

たしか、午前二時を周った頃でしょうか。
私の友人が語った『ノックの話』。
それは、こんな語りだしで始まりました。

ノック、というやつがあるだろう。
そうそう、トイレやら玄関やらでコンコンってやる、あのノックだ。
俺はあんまり幽霊なんてものは信じないたちでね。
なんといっても、姿かたちが見えない、というのは信じならんねぇ。
ただな、この話を思い出すたび、霊的な存在ってのはあるかもしれないって思うのよ。

幽霊やオバケってのは、あぁ、これは違うんだっけか?
ま、とりあえずそういうものは人との繋がりを探してるんだとよ。
ほら、仏壇でチーンってやるやつも、一種の呼びかけ、ってやつでさ」

ここまで語ると、彼はお坊さんを見ました。
山寺の住職だそうですが、非常に徳の高い方らしく度々、悪霊払いなどで同じお坊さんも相談に来るほど、とのこと。
語りだすと、それを続けても良いか、お坊さんに確認をとるのがこの百物語の暗黙の了解でした。

何を臆病な、と思うかもしれませんがこういった状況で話す怖い話というのは、霊障だ、祟りだ、というよりも、信じ込みやすい人には危険な話というのがあるらしく、それを確認をとって進んでいかないと、悪影響のでることも多いそうです。
百物語の怪異というのは、そういう自己暗示の負の部分というのが大きい、と事前に説明がありました。

お坊さんが頷いたので、彼は勢いこんで話を続けます。

それでな、人との繋がりっていうのはさ、現世とあの世を繋げるほんのちょっとした行為なんだよ。
襖を開けっ放しにすると幽霊が覗くっていうのも、そういうスキマが向こうの世界とのスキマをつくっちまうとかな。
それでな、俺がある人に言われたのは、『人がいないとわかっているところで、絶対にノックをしてはいけない』っていうことなんだ。

ノックってさ、中に人がいるかいないかっていうのを確認するだろ。
つまり、返事が返ってくることを待つっていう行為なんだと。
ドアを隔てて、向こうとこっちで繋がりを求めてるだろ。
これが、誰かいるかもしれないっていうさ、そういう確認ならいいんだけど、自分以外家にいないってわかってたり、閉店後のデパートとかいないってわかってるのに、ノックをするっていうのは絶対にやっちゃいけないって言うんだよ。

例えばな。
自分しかいない家で、トイレのドアをノックする。
こういうのは、『中に誰かがいる』というのを暗に願ってる状態なんだ。
だから、もし誰もいないってわかってるのにノックしてしまうってのはさ、霊とかあの世のものを呼び出す行為っていって、忌むべきものなんだって。

ただ、それを言われてね、なんだと、と思ったんだよ俺は。
ノックぐらいで何をビクビク、なんて思ってね。
あるとき、俺しかいない家で、片っ端からドアをノックしたんだよ。
キッチンだ、寝室だ、子供部屋だって全部回るんだけど、結局何もなくてね。
まぁ、よくある迷信だったんだ、と思ったんだよ。
それで、少し思うところがあって、外に出たんだ。

ふざけ半分で玄関をノックしたんだ。
中には絶対誰もいないし、出れるなら誰か出てみろって思ってさ。
コンコンってな。
結構強めに。
そしたら、遠くから「コン・・・コン・・・」って聞こえるんだよ。

ホントに、背筋がぞっとしたよ。
無人の我が家からノックの返事が返ってきてるんだ。
ドア開けるのが怖かったね。
俺は何かを呼び出しちまったんじゃないかって。
ノックに返事をするために、あの世から何か呼んではいけないものを呼び出しちまったんじゃないか、って思ったよ。

また、恐る恐る家の中を回ったけど、幸い何もなくてね。
今でこそ、あの返事は空耳だとか、木のきしみだって言えるけど、あの時は、ノックの返事だってたしかに思ってたよ。

だから、ノックっていうのはそうそう安易にしていいもんじゃない。
もちろん、純粋に人の有無を問うならいい。
ただ、何かを呼び出す行為だっていうことを心に留めて置けよ。
それはつまり、居ない所に誰かを呼び出す行為になるんだからな。

それじゃ、終わりだ。
思えば、学校の頃はやったな、トイレの花子さんだっけ?
ノックを何回かして呼び出すっていうのは、暗にそういうことを示してたんだろうか、なんて勘ぐっちまうよ。
ま、蛇足だな。
そう言って友人は、座敷を出ていきました。

午前四時頃、夏ということもあり空が白み始め、九十九話目も無事に語り終わったとき、お坊さんが「最後の一話」と言ってしてくださったお話を、ここに併記しましょう。

「ある民家には、度々ある異形が現われる。
その異形が、家人が誰何を問うたびにこう言う。
『アギョウサンサギョウゴ如何に?』」

皆さんはわかりましたか?
これで百物語は終わり、無事に帰宅できました。

うそ、ですね。
昔からとはいえ、五十音のある頃からでしょうが、とんち話というやつでしょうか。

「百話目はいつもこれで済ます」とは、そのお坊さんのお話でした。




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