奇跡のキスカ撤退

28 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/11(金) 00:03
日本軍がキスカ島から撤退するとき、無人のはずの島から万歳三唱が聞こえてきた
んだって。それを聞いた兵士たちは「死んだ戦友たちが見守ってくれているんだ」と
泣いたとか。 実際の話、キスカから撤退するときは、タイミングよく濃霧になったりと幸運続き
だった。だから今でも、死んだ戦友が守ってくれたと信じてる生存者も少なくないと
か。 何か切ないよ。


46 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/11(金) 14:35

>>28

キスカ撤退のとき、実はすぐそこまでアメリカ艦隊が接近してたんだってね。でも、
アメリカ艦隊は、レーダーに反応した敵艦隊に砲撃するのに夢中で、寸前のところで
日本軍を逃してしまったとか。
 
けど、実際には、レーダーに写ってた日本軍の艦隊は存在しなかったんだって。こ
れはアメリカ軍の公式文書にも載ってる話なんで、信憑性は高いよ。
 
元軍人の人が「恐らくは北の海に特有の不思議な現象でしょう。何もないのにレー
ダーが反応してしまうことって、よくあるんですよ」と語ってた。そして「でも、自
分としては、死んだ戦友が助けてくれたと信じてます」と目頭を熱くしてた。
 
この“死んだ戦友に助けられた”というパターンは、戦場怪談の定番だね。死んだ
はずの戦友の声に励まされて、撃沈された輸送船から陸に流れ着くことができた。味
方陣地に戻ることができた・・・そーゆー話はよく聞くよ。
 
ありがちな話なんだけど、ジーンと来るね。

今も...

31 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/11(金) 01:21
昔読んだ、人類学者の西丸震也(字、あやふや)氏の本に書いてあったエピソ
ード。うろおぼえ&自分の中で脚色がなされているけど、大筋で--

戦争が終わって日本も復興、経済大国になった頃、南方の原住民調査のために
かつての激戦地ニューギニアの山中に入った。そこで原住民と仲良くなって、
一緒に生活しているうちに、日没後は彼らが山の中に決して入ろうとしないこ
とに、西丸氏は気づいた。
「なぜ、夜は山に入らない? 危険な野獣とかいるのか?」との問いに、原住
民は「野獣はともかく、とにかく気味が悪い。姿は見えないけど、あちこちか
ら意味不明の人の言葉が聞こえる。でも、人の姿はやっぱり見えない。白骨は
いっぱいあるから、あれはその白骨の精霊だと思う。夜の山は生きた人が入る
場所ではない」との応え。
「意味不明の言葉ってどんな?」と西丸氏が問うたところ、原住民の応えは
「『ガヌバレ』『シカリシロ』と聞こえる。私たちの言葉ではない」……だっ
たそうだ。西丸氏は「さもありなん」と感じ入ったそうな。

一緒に帰ろう

61 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/11(金) 17:59
戦争で夫を失った女性が、終戦50周年をメドに戦地巡礼の旅に出かけたときの話。
 
夜中、部屋のドアを叩く音がする。誰かと思ってドアを開けると、戦死したはずの夫が立っていた。
女性が言葉を失って呆然としてると、夫が微笑みながら「一緒に帰ろう」と言って消えてしまった。
 
調べてみたら、ホテルは夫が戦死した場所に立っていたんだって。50年間、待ち続けたんだね。
今でも、日本軍が逆上陸した海岸でお札を流すと、誰かが引っ張るようにすぐに水中に引っ込んでし
まうとか。何時までも、何時までも待ち続けている霊もいるんだね。

お盆

63 :ぽん。 :2001/05/11(金) 18:32
友達の家では、お盆前後に沖縄戦線で亡くなったおじいちゃんが帰ってくるそうな。
帰ってくるときには廊下を革靴の音が「コツ コツ コツ…」として、
台所ののれん(すだれ)がふわっとゆれるんだとか。
その時にすだれをあげると、軍服を着て敬礼したおじいちゃんが立っている。おば
あちゃん、お母さんにははっきり見えるんだそうだ。
毎年その日には、おじいちゃんが好きだった料理を作るのがその子の家のならわし
になっているらしい。本人に、「気味悪くなぁい?」って聞いたら、逆に
「なんで?だっておじいちゃんだよ?自分のウチに帰ってくるのは当たり前なんじゃ
ないの?」って逆に不思議そうな顔で聞き返されてしまった。なるほどね、納得。
ちなみにおじいちゃんの滞在期間(?)はだいたい4~5日前後でその間はあちこち
から音がするらしい。帰るときにはやっぱり靴の音がして、廊下の途中でしばらくその
音が止るんだって。
友達は「名残惜しいのかなぁ」って言ってた。

ジャングルの中で

67 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :2001/05/11(金) 19:13
太平洋戦争の南方戦線での話。
部隊からそはぐれ道に迷った兵士がジャングルを彷徨ってると、懐かしい声が聞
こえてきた。耳をすませると、亡くなった祖父母や親族の声ではないか。喜んで声
の方向を目指すと、はたして彼らの姿が見えてきた。なぜかジャングルの中なのに、
一角だけ日本家屋の部屋のようになっている。そして、そこで車座になって、懐か
しい面々が団らんしてるのだ。
 
「オレも仲間に入れてくれ」と兵士は喜んで言った。すると、彼らは話をピタリ
と止めて、こちらに怪訝な表情を向けた。そして「お前がここに来るのは、まだ早
い。日本に戻れ」と言う。兵士が「嫌だ。オレもそこに行く」と我を張ると、祖父
が「駄目だ。帰れ!!」と一喝。そして、彼らの姿は、ジャングルの闇の中に消え
てしまったのだった。
 
・・・これ、元兵士の話。「あのとき、団欒に加わってたら、今頃、どうなって
たんでしょうね」と言ってたよ。

戦友

190 :(*^_^*) :2001/05/13(日) 02:55
正統な話を一つ、友達のおじいさんの話
南方戦線で敗走中、真夜中のジャングルで分かれ道になり
どっちかわからず困っていたところ、
戦友がどこからともなく現われ、正しい道をおしえてくれたんだそうだ。
お前も一緒に逃げようと誘ったら、「いや、あとで行く」とのこと。
命からがら基地までたどり着いた後で戦友の行方を聞いたところ、
数日前に戦死していたことがわかった。戦友に深く感謝したそうだ

じいちゃんの帰還

87 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/06/30(土) 23:37

うちのじいちゃんは終戦直後にインドネシアで同僚数人と行方不明になって
帰ってこなかった。
先に日本に帰ってきた同僚は「武装解除の作業中に突然いなくなった。多分神隠しだ」
とばあちゃんに報告したそうな。

数年後、じいちゃんはインドネシア政府特別機で帰ってきた。
ゲリラ部隊に武器の使用法や戦術を指導した独立戦争の英雄として・・・

戦死した兵隊

183 名前: 軍事板よりコピペ 投稿日: 2001/07/30(月) 15:13

ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。

ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、
夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに
「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。
見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、
ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、
「全員、整列!」
と言うと、素直に整列したそう。そして、
「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」
隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、
そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。
あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。

「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、
「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」
と言っておりました。

まだ来るな

56 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:04/08/23(月) 22:33 ID:9tWS1ChF
高校生の時に「どうせいつかは死ぬんだから、今死んでも一緒だよなぁ」と言った私に祖父が語ってくれた話です。
戦時中祖父の乗っていた船が撃沈され、祖父は陸まで何とか泳ぎ生き延びたそうですが殆どの仲間が他界されたそうです。
戦後亡くなった友人達の遺族の方に挨拶回りをし、全て回り終わった祖父は自決しようとしたそうです。
素晴らしい人達が沢山死に自分だけ生き残った事を悔やんだ祖父は、遺書を書き軍服に着替え切腹しようとしました。
「皆に寂しい思いをさせてすまん、自分ももうすぐそっちに行く」と言い、短刀で腹を切ろうとした時「まだ来るな」と言う仲間の声がはっきり聞こえたそうです。
祖父は泣き、生きたくても生きられない仲間の為にも生きる事を決心したそうです。

怖い話ではありませんが、身内に起こった話ですのでここに書かせてもらいました。

旭日旗

277 :本当にあった怖い名無し :2005/06/13(月) 00:54:58 ID:aW+qIJUR0
そんなに遠いむかしではないこと。
マラッカ海峡を夜航行していた日本の貨物船が
海賊の快速船にねらわれてしまった。
積み荷を積んだ貨物船、いくら頑張っても速度差はいかんともしがたく、
ついにもう夜目にも見えるところまで近づいてきた。
このままでは横付けされ、乗り移られてしまう、
積み荷と船は奪われ、乗組員は人質に取られて
身代金と引き替えになるまで虜の生活だ。
放水銃(消火用)を放ちながら
なんとか近寄られないように操船をつづけていると、
後方からもう一つの船影が近づいてくる。
急速に近づいてくるその船はどうやら軍艦か沿岸警備隊のものらしく、
砲を装備しているのが見える。
軍艦は海賊船と貨物船の間に割り込んで海賊船を牽制する。 
海賊船はあきらめて方向転換すると消えていった。
そのときにはもう夜明けが近く、その軍艦は遠ざかりはじめた。
見ると白い制服を着た乗組員達が帽子持った手を大きく振っている。
よくよくその軍艦を見ると、どうもかなり古い型の軍艦で、普段見かけないもの。
水平線の向うから太陽の光が差しはじめ、
遠ざかる船の艦尾にはためいていた旗を照らし出した。 
旭日旗だった。 
軍艦の影は朝日の中にとけ込むように薄れて消えていった。
後で調べてみるとその軍艦は旧海軍の駆逐艦に似ていたという。

左足

139 :本当にあった怖い名無し:2006/07/16(日) 23:53:47 ID:yj7yEwZG0
空母「瑞鶴」に乗艦していた見習い尉官の話
戦闘の際、日ごろからお世話のなっていた中尉が敵機の爆弾により倒れた
左足を付根からもぎ取られていたが意識があり「もし呉に帰ったら家族に
苦しまずに死んだ、と、そう伝えてくれ」そう言い息を引き取った。
見習い尉官は遺言どうり中尉の家族に手紙を書き送った
それから二十五年後に行われた瑞鶴戦没者慰霊供養の際に中尉の未亡人と
会い、実際の中尉の最期を伝えた、すると未亡人は「これまで何回となく
夢で帰って来てくれましたが、不思議な事に、そのたびに左足がないんです
今、やっと、その訳が解り、ほっとしました」

雪中行軍隊

331 :本当にあった怖い名無し:2006/07/28(金) 00:14:12 ID:n9aYgCHW0
明治35年1月、厳冬期の八甲田山中にて、青森五連隊の雪中行軍隊210名が遭難し、
199名が死亡すると言う事件がありました

それから1~2ヶ月後の寒い夜、青森五連隊連隊長の所へ、
営門の兵士が血相を変えて報告に来ました

連隊長が営門に駆けつけると、遠くの闇の中から、大勢が行進する音、軍歌、ラッパの音が近づいて来たそうです。
...だんだん近づいて来て、もう少しで闇の中から姿を現すと言う時、
連隊長はおもむろに軍刀を抜いて闇に向かって叫んだそうです

「雪中行軍隊の諸君! よーく聞け! 貴様等は勇戦奮闘し見事な最後を遂げた!
 今や無情雪山の鬼と化すも、迷ってはならん!  お前達の死は無駄ではなかった!
 厳冬期の軍装及び戦術については、一大改革がなされる事となったぞ!
 来たるべき戦役に於いて、未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!
 貴様等行軍隊員は、みな靖國神社に合祀される事になったのだ!
 迷うな! 心安く眠れ! ここはお前達の帰って来る所ではない!
 帝国軍人として見苦しい振る舞いは、この連隊長が許さん!
 青森五連隊雪中行軍隊、回れ~右! 前へ~進め!」

足音はピタリと止まり、八甲田山に向けて進んで行き、二度と戻らなかったそうです。

...今でも時々は戻って来るとも聞きましたが...

日本軍に加勢してくれた狸

672 :本当にあった怖い名無し:2006/08/16(水) 21:41:32 ID:7eTfE4v00
日清日露戦争は神様や妖怪(狸や狐含む)が戦争いった逸話沢山残ってるみたいね。

うちの地元の狸も日露戦争いった逸話が残ってる。昔別スレにも書いたんだけど、
喜左衛門って言う狸で、背中に○に『喜』って文字が入った赤いちゃんちゃんこ着てたそうで、その狸が日露戦争に出兵して、小豆に化けて大陸を渡り、
上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと全軍に散ったあと、赤い服を着て戦ったとか。
ロシアのクロパトキンって指揮官の手記に
「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現れて、この兵隊はいくら射撃しても
一向に平気で進んでくる。この兵隊を撃つと目がくらむという。
赤い服には、○に喜の字のしるしがついていた」
っていう逸話が残ってるそう

>>661
鹿島神社の神様(戦の神様)は、出兵する兵隊を乗せた機関車が急に停車。
原因不明で故障個所も見つからなくて変だなって思ってたら、
数分後何事もなかった様に汽車が走りだしたのが調度鹿島神社の前辺りだったんで
神様も一緒に乗り込んで出兵してくれるのでは?って事で士気があがったって言う話を前に読んだ事がある。

他にも、出兵して片羽根を失って帰ってきた天狗か何かがいるとか…
日露は特にこういう話が多いみたい。

硫黄島

841 :硫黄島1:2006/12/10(日) 00:20:15 ID:pnQeN2j0O
硫黄島からの土持ち込み禁止は、マイマイとかアリさんとか、
外来種持ち込み禁止にひっかかるから、が、正解らしいです……。
本土に帰る時、かなり厳しくブーツの底を洗わされました。

硫黄島(当時の読みにならって、いおうとうって読んで欲しい。)の話を
体験談含めいくつか知ってますので、書いてきます。
1)聞いた話
硫黄島勤務になった自衛官に、霊感が強い人がいました。
ある夜、その方がむくっ!と起き上がり、フラフラと外へ。
同室の方が声をかけるも反応無し、まるで夢遊病者のように歩き続け、
あるところでばったり!と倒れたそうです。
意識が回復してから、何があったのか尋ねると、
「誰かに呼ばれた気がする……。」と。
その方の霊感ぶりは有名だったこともあり、
倒れた場所を掘ったところ、遺骨が見つかったそうです。

その霊感青年以外にも「呼ばれた」隊員により、何柱かのご遺骨が見つかっています。


842 :硫黄島2:2006/12/10(日) 00:50:41 ID:pnQeN2j0O
2)経験談 硫黄島外来宿舎
外来宿舎に、金縛りやポルターガイスト等、必ず怪現象が起こる部屋があります。
私たちが行った時、人数の都合で、自分ともう一人がその部屋に泊まることになりました。
怖いのが嫌、というより、亡くなってまで苦しんでいるのではと思い、詳しい作法などは知りませんでしたが
きっと喉が乾いただろうな、甘いものが欲しかったかな、お酒が飲みたかった人もいたかな、と、本土から
ミニボトルの日本酒、六甲水のペットボトル、飴玉を持っていき、窓の下に盛り塩と一緒に供えて
「暫くこのお部屋をお貸しください。もしも、本土に戻られたい御魂がいらっしゃったら、
窮屈かと思いますが、この中にお入りください。皆様の故郷にお返しすることはできませんが
この半分を○○県の△川に流します、半分は、こちらに置いていきます。」
と、念じました。心配されていた、私の部屋では何も起こりませんでした。
が、夜中、隣の部屋から悲鳴とガターン!という騒音が。
聞くと、ベッドを下から蹴られたような感触があり、一瞬浮いたようだったとか。
明かりをつけると、ベッドの位置が、引きずった跡もなく、思い切りずれていました。
それから後、夜は何事もありませんでした……。


843 :硫黄島3:2006/12/10(日) 01:14:42 ID:pnQeN2j0O
3) 経験談 硫黄島医務科壕

医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。
入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、
硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、
満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。
医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。
(他の塹壕の殆どは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)
「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」等の説明を受けていた時、
足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。
「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」試しに尋ねてみたところ、
説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています。」と。
……下に降りる階段が見つからないのだそうです。今も。

他の壕では「平成○年○月、調査ここまで」と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。
遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。

あまり怖くない上に長文失礼しました。
硫黄島の他のお話、もし聞きたい方がいらっしゃったら、仰ってください。


846 :本当にあった怖い名無し:2006/12/10(日) 10:51:45 ID:Zx7ZQ8//0
おねがい もっと聞かせて っていうより
話してくれるのが英霊のためだと思うよ

おねがい


860 :本当にあった怖い名無し:2006/12/10(日) 20:43:57 ID:BrQb0fcB0
>>846
>おねがい もっと聞かせて っていうより
>話してくれるのが英霊のためだと思うよ

843さんじゃないけど、俺が聞いた話。
横須賀の教育隊に行たとき、所属していた隊の分隊士が語ってくれた。

分隊士の同期の人が硫黄島に行ったときね、お供え物の一品としてタバコが置かれて
あったんだって。そのタバコを、その同期の人は失敬してもらっちゃった。まぁ、まだ
硫黄島に着隊したばっかで間もないし、軽々しく考えてたんだろうね。

その夜、その同期と一緒の部屋で寝ていた隊員は、隣から聞こえる呻き声が
うるさくて目をさました。案の定、タバコを失敬した同期がうなされてる。

そいつを起こして何があったか聞いたところ、
「寝ていたら急に胸が重くなって、目を覚ました。そしたらさ、軍服を着た日本兵が
『俺のタバコを返せ』って口の中に手を入れてきた」と真っ青な顔で答えたとのこと。

戦地とは比べ物にならないけど、俺も山にこもって数ヶ月訓練してたから分かる。
異性の居ない山奥で、自由を剥奪されて体を酷使する毎日。嗜好品は唯一の慰めだね。

甘いもの。水分。本や写真。人によってそれぞれ。
俺は吸わなかったけど、煙草の一服を心の糧にしてた班員も居たよ(´・ω・`)

仏様

921 名前:本当にあった怖い名無し :2006/12/18(月) 15:39:27 ID:ic/ThPdY0
オカルト。有名な話なので既出かもしれんが。

戦時中、田舎の話。
その日、子供達は寺の本堂にあつまって勉強していた。
そして突然、空襲警報が鳴り響く。防空壕に逃げてる暇はない。
子供達はとっさに、仏像の前に置いてあったお供え物を置く卓の下に隠れた。
やがて敵機は去り、子供達は卓の下から出てきた。
しかし、そこで不思議なことに気付いたという。
とっさの事で気付かなかったが、卓は小さくてとても子供達全員が隠れる事は出来ない大きさだった。
実際に試したが、無理だった。
しかし、空襲の時には、確かに全員が卓の下にいたと記憶している。

不思議だが、仏様が子供達を匿ったのだろう。そう、村人は伝えあったという。

神様の将校

946 名前:本当にあった怖い名無し :2006/12/26(火) 18:29:14 ID:brehY/a60
中国戦線で連絡将校の代役(人員不足の非常措置、階級は軍曹)だった祖父の話。

夜中、中隊本部で命令を受け取るために宿舎を出て移動していると、なぜか
数十人の日本軍人が見慣れぬ将校に率いられ、歩いている。

「誰か! どこへ行くか!!」と聞いても返事は無い。焦れた祖父がピストルを
ぶっ放して再び聞くと、将校はクルリと振り返り、「日本へ」と答えるとスッと
暗闇に消えたという。

恐ろしくなって何度も転びつつ中隊本部に駆け込み、中隊長に話すと、「ああ」
と知っていたように微笑む中隊長。

話を聞くと「僕は神社の息子だから、ウチの隊の奴らが死んだとき日本に迷わず
帰れるようウチの神様にお願いしてきた」とのこと。

「俺は神様にピストルをぶっぱなしたのか!?」と愕然とした祖父は、しばらく
朝の二拍手一礼を欠かさなかったとか。

ゼロ戦を守ってくれた妖怪飛行隊

29 :本当にあった怖い名無し:2007/07/31(火) 13:23:05 ID:iA0YpZFF0
太平洋戦争中よく怪我をした妖怪が目撃されたらしい。
あとうちのじいさんから聞いたんだが、当時じいさんはゼロ戦闘機のパイロットだった。
んで特攻する戦闘機を援護する任務のとき敵艦からの反撃が激しくて特攻隊はほぼ全滅。
じいさんたち援護隊も被害が甚大でもう駄目だってときに、
いきなり天狗みたいな奴や化け物がどこからともなく空を飛んできて敵艦からの集中砲火を引きつけてくれたらしい。
じいさんいわく、そいつらのおかげでなんとか生きて帰ることができたらしい。

弟の戦死

22 :本当にあった怖い名無し:2007/07/31(火) 03:28:58 ID:+hwoj8Fx0
俺の爺さんの弟が、学徒出陣で南方へ出征したそうなんだが、
大人しいタイプってか物静かな性格だったんで、かなり心配してたんだと。

で・・・1945年の7月末頃、ものすごい土砂降りの日に、
うちの店先に薄汚れた兵士服を着た若者が突っ立ってたんだそうな。
小間使いの子供が「何やってんだあの人」と思って話しかけたら、
「ごめんなさい・・・」って小声で言って、そのまま雨の中を歩いていったそうだ。
その話を後で爺さんが聞いたら、なんかすごく嫌な気分になったんだと。

終戦後、弟の上官って人が汚い日の丸に包まれた小包を持って訪ねて来て、
「弟さんは名誉の戦死を遂げられました」って報告してくれたんだそうな。
小包の中には日記帳と戦地の海岸で拾ったらしい貝殻が幾つか入ってたそうだ。
海戦で戦闘機に乗ったまま撃墜され、爆発したもんだから遺骨もないんだとか。
だから墓にはその貝殻を弟の遺骨代わりに納めたんだと。

爺さんは、例の土砂降りの日に来た兵士は弟の生霊だと信じてたっけな。
弟は、おそらくあの日あの時間に撃墜されて死んだのだろうと。
用事で外出してたにしろ、あの時その兵士に会ってやれなかった事を、
爺さんは死ぬまで悔やんでたよ。

一体誰が...

134 :本当にあった怖い名無し:2007/08/04(土) 18:17:15 ID:hz2kT2J6O
海軍航空隊の少尉の話しだか、米艦隊の偵察に出掛けたんだと。偵察機は敵艦に発見されると撃墜される確率が非常に高いらしい。 と敵船団を発見したが、自分も見つかって集中砲火を浴びたらしい。これは駄目かなっと思った時、友軍機が一機傍らから敵艦に機銃掃射をしながら突っ込んでいったらしい。偵察機は速度を優先で弾薬を積んでないので、燃料ぎりぎりまで、追跡を避けるのにコースを変えながら帰艦したらしい。駆逐艦は狭いので別に偵察機が一機あっただけだが命令がなく誰かが発艦したらしく騒ぎになっていたそうな。後に乗員点呼を行っても誰も欠員がいないんだと、で誰が機に乗ったのかは結局わからずじまい。少尉はそのおかげで命拾いしたそうだ。後々までみな不思議がっていたそうだ。結局もう一機は帰ってこんかったとな。

敬礼

245 :軍事板某所よりコピペ:2007/08/07(火) 14:39:57 ID:pmo63sMc0
ちょっと悲しいはなしですが、、、、。
今から50数年前、日本がまだ戦争中だった頃にあったことです、、。
皆さんは航空母艦(空母)ってしってますよね?船から飛行機をとばす奴です。
ある日、敵と遭遇して空母から戦闘機が何十機も敵に向かっていったそうです。
そして、その殆どが撃墜されてしまったそうなんです。
それから何日かしてからの夜、格納庫に何人ものパイロットがやって来ました。
整備兵たちは「御苦労さまだなあ、、」と思って声をかけようとすると、そのパイロット達はみんなズブ濡れだったそうです。
「あ、これはイカン!」と思い整備兵たちは毛布やらなんやら持っていこうとしたんですが、そのとき整備兵の班長が「おまえら!まて!なにも するな!」といって直立不動で最敬礼をしたんです。
整備兵たちは訳もわからず班長をみると班長は敬礼したままボロボロと大粒の涙をこぼしてました。
「どうしたんですか?班長!」とある兵隊が聞くと
「お前たちわからんのか?あの方達はXX少尉とその小隊の方達だ!」と言いました。
「、、、!」それを聞いて兵隊たちもすぐさま全員整列をして敬礼をしたまま動きませんでした。
そうなんです、パイロット達は先日出撃して、みな撃墜された小隊の人達だったのです、、。
整備兵たちが格納庫の隅に全員並んで敬礼しているのに気づいたパイロット達は只だまって深々と頭をさげ、格納庫から消えていったそうです。
「班長、今のはいったい、、?」と兵隊がきくと班長はあふれる涙をぬぐいもせず、
「無念だったのだろう、敵艦隊に攻撃する前にみな撃ち落とされ、死んでも死にきれんのだろう。
そして、大事な機を壊し、一生懸命整備をした俺達に謝りに来たのだろう、、。」と言ったそうです、、。
パイロット達はみな18から25才くらいの若者だったそうです。

あの世からの友軍機

270 :本当にあった怖い名無し:2007/08/08(水) 00:56:43 ID:kk66GRZo0
じいさんから聞いた話
俺のじいさんは戦争中爆撃機で司令官を運ぶパイロットだった。
もちろん護衛に戦闘機を引き連れてだけど。
戦争で戦友が次々死んでいく中で、じいさんの一番親しい友達も死んでしまった。
戦局が悪化して護衛の戦闘機が乏しくなった中、護衛が1機という悲惨な状態に。
突然米軍の戦闘機2機に襲われた事があった。その時死んだ筈の友達の声で「オイ!!」
と聞こえて咄嗟に旋回してギリギリ銃撃をかわしたらしい。
米軍の1機は護衛機が追い払ったが、もう1機は、どこからきたのかわからない
友軍機が火を吹きながら追いかけて、米軍機は勝手にジャングルへ墜落した。
その後友軍機はじいさんと護衛機と並行して飛んでたんだが…
機体のナンバーが死んだ友達のものだった。
全てを察してじいさんが敬礼をすると友軍機は火を吹きながら上昇して
雲の中へ消えたそう…。じいさんは今でもその友達の墓参りに行ってる。

汝は生かされたんだぞ

64 :本当にあった怖い名無し:2007/08/02(木) 16:20:52 ID:oJBnd9aEO
知り合いのおじいちゃんの話。

その方は特攻隊の教官だったので、終戦後すぐ捕まって裁判受けるハメになり、
有罪となってシベリア抑留されたそうです。
あまりの寒さに仲間が毎日死んでゆく中、ある夜、こんな夢を見たんだそうです。
それは雲海からぽっかり頭を出した杉の木の先、そのバックには富士山の頂上付近。
なぜかハッと目が覚め
「大丈夫だ!俺達は全員日本へ帰れるぞ!」
とみんなを奮い起こしたそうです。
すると間もなく本当に生き残った全員揃って日本に無事帰国。
地元に戻って兄弟の経営していた会社に入り、寝食忘れてバリバリに働いていたそうです。
生きるために、禍まがしい記憶を吹き飛ばす為に、その頃は割りと荒々しい生き方をしてたそうです。
そんなある日静岡から山梨へ仕事で行ったとき、なぜかふと身延山に登りたくなったんだそうです。
信仰してる訳でもなく、なぜか富士山でも他の山でもなく、なぜか身延山へ。
その頂上まで登り着いたとき。
自分がシベリアで見た夢と同じ光景が目に飛び込んできたんだそうです。
雲海から一本にょっきり飛び出した杉の木の先っちょと、その向こうに富士山。
その時
「汝、判ったか?
汝は生かされたんだぞ」
と耳元で声がしたそうです。
その声で、初めて生きて帰って来れた事を痛感し、また、死んで逝った戦友や仲間、指揮官達を思って帰国後初めて声をあげてワンワン泣いたそうです。
それまで生きてきて後にも先にも「感謝」で号泣したのは、その時が最初だったそうです。
80歳超えた今でも大変にお元気な方で、リアルに戦争の話を知らない私達に会う度に
「自分が生きてるんじゃなかよ。
生かされとるんよ。
その事だけは絶対に忘れちゃいかんですよ」
と、優しく説いて下さいます。

こういう語り部の方々には、いつまでもお元気でいて戴きたいものです。

夢枕

371 :本当にあった怖い名無し:2007/08/10(金) 13:45:14 ID:PdMpIBBT0
大学の地元が長崎の友達から聞いた話。

その友達の祖父ちゃんは子供の頃に長崎原爆投下があったらしいのだが、
前日の晩寝てると一回り年が離れてて戦地に行ってるはずのお兄さんが夢枕に立って
夜が明けたらとにかく市内から逃げろと言って消えた。
確かにお兄さんだったしでも戦地に行ってるはずだしってどうなっているんだろうと
思いつつも祖父ちゃんは両親(友達の曽祖父曾祖母)に話した。
曽祖父曾祖母は祖父ちゃんの話を冷静に聞いた上で、翌朝早くに
親戚が居た有明の方に向かったそう。そしたら原爆投下。
両親や祖父ちゃんはお兄さんのお陰で命は助かったねなどと話をしていたのだが、
その肝心のお兄さんは祖父ちゃんの夢枕に立つより前に既に戦地で亡くなっていたらしい。

祖父ちゃんは今でもお兄さんに命救われたってよく話してて、
お墓参りとか欠かさずにやっているとの事。

機銃掃射

446 :本当にあった怖い名無し:2007/08/12(日) 19:36:14 ID:2x7dClGpO
婆ちゃんから聞いた話。

婆ちゃんは汽車に乗って行く用事があって、その汽車の時間に遅れそうで急いでいた。
途中駅まで数百メートルのところで不意に誰かに突き飛ばされた。
その自分を突き飛ばした人の方を見たが、太陽を背に立っていたため顔はあまり良く見えなかったらしいが、そこにいたのはたしかに日本兵の軍服を着た弟だったと言う。
今、陸軍に行っているはずの弟がなぜと思って必死に呼びかけたが、返事もせずに林の中に入り、消えるようにすぐ見えなくなった。
弟の事も気になったが大事な用事を思いだし、駅に向かったが汽車はすでに到着し、出発寸前。
その時、轟音が。
敵の戦闘機が飛んできて、駅と汽車に向けて機銃掃射したそうで、まさに蜂の巣状態になってしまったという。

数日後、弟は指の骨だけになって帰ってきた。立派な戦死だったそうだ。

捧げ銃

556 :軍事板某所よりコピペ:2007/08/19(日) 13:54:48 ID:zY+S4J4Z0
昭和19年11月14日の夜のこと
水戸歩兵第2連隊で突如営門が真一文字に開き、同時に進軍ラッパが遠くから響いてきた
衛兵が警戒して見ていると、一個連隊ほどの部隊が行進してくる
その先頭で連隊長の中川大佐が馬に乗り抜刀し、それに兵士が無言でついて来る
衛兵司令は直感的に「捧げ銃」を命令
衛兵が不動の姿勢で出迎えると、営庭の途中で部隊の姿が掻き消すように見えなくなった

その日は村井少将と中川大佐が自決 生き残りが最後の突撃を敢行 玉砕した日だった
この時点で玉砕は誰も知らされていなかった

陛下の御製

713 :本当にあった怖い名無し:2007/08/24(金) 23:10:20 ID:RlrS4SpB0
硫黄島では数々の幽霊話があるが、平成6年天皇の硫黄島ご訪問以来、その手の話は激減した。
それは、硫黄島で天皇皇后両陛下が硫黄島に散った兵士の霊に黙祷を奉げ、
栗林陸軍中将、市丸海軍少将の短歌に返歌をして礼を尽された為である。

・天皇陛下 平成6年2月硫黄島にて御製
 精根を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき
→・栗林忠道 陸軍中将
 国の為 重き勤めを果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

・皇后陛下 御歌
 慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 如何ばかり 君ら水を欲りけむ
→・市丸利之助 海軍少将の硫黄島での短歌
 スコールは 命の水ぞ 雲を待つ 島の心を 余人は知らじ

100人針

855 :本当にあった怖い名無し:2007/09/06(木) 12:25:11 ID:2N6R3Hlr0
俺の爺さんから聞いた話。
豊橋の13歩兵連隊に所属し、満州戦線で戦闘を行った時の事。
戦場を警戒しながら歩いてると、腹の辺りの皮膚に激痛が走ったんだと。
思わず前屈みになってしまったんだが、その刹那、頭上でガチーン!って音が!
狙撃されてたらしい。何とかその場から生きて生還したんだけど、
あの時前屈みになってなかったら側頭部を直撃されてたって言ってた。
ちなみにその激痛感じた腹部には嫁さん(つまり俺のばあちゃん)から貰った100人針があったそうな。
たいそうばあちゃんに感謝したらしいんだけど、晩年はよく喧嘩してたw

でも渾身の狙撃を避けられた支那狙撃兵はビビっったろうなw

お稲荷さん

864 :本当にあった怖い名無し:2007/09/07(金) 11:04:26 ID:VaCHb9us0
大戦中は陸軍の小隊長か中隊長かをやってた家のじじいの話なんだが。
じじいが消防のころ学校の裏山を少し登った広場でよくあそんだそうだ。
ある日その広場で日暮れまで遊んで、暗くなり始めたので帰ろうとする
と広場の縁に子狐が何匹か顔を出したそうだ、狐など珍しくも無い田舎
だが、とてもかわいいのでその時持っていた黒砂糖のカケラをやったそ
うだが、近かづくと逃げるので近くの石の上に置いたそうだ。
それから何度か似たような事が夕暮れにあり子狐も近くまで寄ってくる
ようにはなったが、決して手からは菓子などを食わなかったそうだ。
じじいも上の学校へ進学しその子狐のこともいつしか忘れてしまった。


865 :本当にあった怖い名無し:2007/09/07(金) 11:06:29 ID:VaCHb9us0
時は流れて、じじいは陸軍に入った、親類に陸軍の上層部の方がいたの
でかは知らないが出世は早かったそうだ。
そして中国へ、ある日小隊だか中隊を率いて川沿いに進軍していた時の
こと。 側面から明らかに優勢な敵の攻撃を受けて川と敵に挟まれるよ
うな状況になった。川上、川下にも敵に回り込まれ、川を渡って後退す
る以外道が無いが、川幅と水深が結構あるので、川を渡る際に狙い撃ち
となって全滅してしまう。 進退極まってしまった。
最初に頭に浮かんだ事とは、惨殺された見方の兵士の姿だったそうで、
全員決死の切り込みを考えたそうだ。
その時、敵の方を見ると、ちょうど敵味方の中央に狼が1匹こちらを向い
て、ちょこんと座っている。銃弾飛び交いとてもその様な状況の場所では
ないのに・・・ そして良く見るとそれは狼ではなく、金色の綺麗な狐だ
ったそうだ。 そして次の瞬間。


866 :本当にあった怖い名無し:2007/09/07(金) 11:14:05 ID:VaCHb9us0
その狐が2mほど跳ねたかと思うと、ぱッっと尾が数本の別れた。近くの
兵士もソレを見て「わあ~」っと騒ぎ出したそうだ。
狐は分かれた尾から大量の火の粉を振りまいて敵味方の間を走り始めたの
で、乾ききった枯れ草が凄い勢いで燃え始め煙と炎が一面埋め尽く
したそうだ。  これ幸いと、部下に渡河命令を出し、じじいはさいごに
軍曹と川を渡ったそうだ。 川を渡って追っ手を狙い撃ちにすることとし
たが敵はこなかったそうだ。 煙も薄れた対岸を双眼鏡でくまなく見るも
狐の姿はすでになく。 部下と、一体なんだったのかな?と。
この世の物とは思えなかったので、部下と対岸に手を合わせて心の中で礼
を言うと・・・ じじいの耳元でだれかささやいたそうだ、聞いたことの
無い若い女性の声で・・・・    「うまかったぞ」


867 :本当にあった怖い名無し:2007/09/07(金) 11:16:22 ID:VaCHb9us0
長文失礼

戦後その広場には小さな御稲荷さんが出来たとさ。

伍長あぶない

878 :本当にあった怖い名無し:2007/09/08(土) 00:55:49 ID:D9RvJRgu0
家のじいさんは元海軍兵。
徴兵された時に英語がしゃべれると嘘言って陸軍で言う伍長同等の階級で
とある駆逐艦にで働いていた。
年上の下っ端(たいていがREMF)をこき使いながら自分と同じ歳か年下の部下を
大切に楽をさせてたそうだ。
とある日じいさんが乗っていた駆逐艦が攻撃を受けた。
じいさんはなんとか助かったが自分が一番可愛がっていた年下の奴が戦死した。
大口径の銃弾が多数当たったらしく彼の死体はひどいもんだったそうだ。
じいさんはバラバラになった部下の死体を戦闘後に拾い集め埋葬したそうだ。
そして数カ月後アメリカ軍との戦闘に入り、艦内を移動中に
「伍長あぶない!」
との声と共に押し倒された。
彼が地面に付くと同時に彼の頭上に一発の弾痕が。
じいさんは自分の命を助けてくれた奴に感謝しようとしたが
じいさんの後ろには誰もいなかった

お神酒

274 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/21(月) 15:27:38.68 ID:L6YyoydF0
八甲田山の話。
陸上自衛隊の青森駐屯地では、毎冬に八甲田山で冬季雪中戦技演習を行っているが、
かならずお神酒を持っていくらしい。
戦闘訓練なのに酒を持っていくなんて非現実的だが、過去に現実主義の上官命令でお神酒を持っていかずに
冬季雪中演習を行った際、夜になるとテントの周りを大勢の人が歩く音が聞こえたらしい。
朝になって確認すると、テントの周りには無数の軍靴跡が残っていたとか。
それ以降、自衛隊は実施訓練にも関わらず、必ずお神酒を持っていくらしい

レイテ沖海戦

689 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/21(月) 18:27:04.35 ID:nf+Py0QY0
俺のばあちゃんの姉貴の話

ばあちゃんの姉貴は当時海軍の水兵さんとお付き合いをしてて、文通をやったりしていたらしい。そして最後に来た手紙に「これから日本の命運を左右する決戦に出撃します。おそらく帰ってはこられないと思います。」と書いてあった。

そしてある晩(昭和19年10月下旬ごろ)、ばあちゃんの姉貴は不思議な夢をみた。

その夢は、ばあちゃんの姉貴が海の上にいて、その下を何百という数の水兵が「助けてくれー!」と叫びながら溺れている夢だった。呆然としていると、その中にお付き合いしていた水兵の人を見つけた。ばあちゃんの姉貴は「今助けます」と言いながら手を握ったんだが、重くて持ち上げることができない。そして周りの兵隊は1人、また1人と沈んでいき、その水兵の人も沈んでいってしまった。

その数ヵ月後に、お付き合いしていた水兵の人がレイテ沖海戦で戦死したと連絡が来て、「あの夢は虫の知らせだったんだ」と思ったらしい。

いまでもその人の写真と手紙はちゃんと保管していると言ってた。

舟魂

54 :本当にあった怖い名無し:2008/07/23(水) 22:08:48 ID:w2c9k18g0
船には「舟魂(ふなだま)」という物が憑いていると信じられている。
その為、旧海軍では木をくりぬいて作った舟型の中に、ふなだまをかたどった紙の人形と、
五穣をはじ め供物を詰めて密封し、船室に祀っていた。
このふなだまは、船が沈没する前日に船から離れていくと言われている。
トラック諸島で日本海軍が壊滅的打撃を受けた後、
「そういえば、ゆうべ白い着物を着た女が船から出て行くのを見た」
と証言する乗組員が、あちこちの船で続出した。
ちなみに、この慣わしは今も続いていて、自衛隊の護衛艦にも神棚があり、なかにふなだまが
祀られている。見学などの際には、最新式の護衛艦の中に神棚があるアンバランスな光景を見れるとか

従兵

797 :本当にあった怖い名無し:2008/10/03(金) 16:53:22 ID:+Ei1TquPO
海軍出身の曾祖父の話し
寝ていた時に従兵に起こされた『あれ~この声は以前、従兵していた〇〇じゃないか?』と
不審思いながらドアを開けると、やっぱり〇〇が敬礼して立っている
『自分が亡くなったことと、従兵している時に世話になったこと』を話し終えるとスーと消えていったそうです
後で従兵の消息を調べてたら、訪問した時間は、従兵が乗っていた艦の沈没した時間とほぼ一致
戦中戦後、死者の訪問を受けたことは何度もあって
一番堪えたと語ってました

魔神

480 :本当にあった怖い名無し:2008/12/04(木) 13:59:37 ID:0NnMj6b6O
ではつぎ祖父のお話書きます。海とは関係ないが東京湾近郊の空での話

これは祖父が太平洋戦争時に体験したおはなしです
現在祖父は95歳で介護老人ホームに入所してます
このはなしを聞いたときにはすでにすこしボケはじめていたのを了承ください
祖父は当時、おそらく海軍の航空隊に所属しており夜間攻撃機の操縦士を勤めていた
はっきりは聞かなかったがおそらく「月光」という夜間攻撃機らしい
夜間に飛来するB29爆撃機を迎撃するのが主任務だったそうです


481 :本当にあった怖い名無し:2008/12/04(木) 14:18:11 ID:0NnMj6b6O
>>480つづき

たしか横須賀だったかに所属みたいなはなしをしてました
昭和19年のおわりくらいから首都圏も爆撃が盛んになってきて
あけた終戦の年の昭和20年3月10日(俗にいう東京大空襲)でした
前日の夜23時ころに空襲警報が発令されたがなぜか解除され呆けてると
日付も変わり午前0時半ばころ再び空襲警報と出撃命令が発令された


485 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 08:16:24 ID:pAo+nceMO
>>481つづき

祖父と電探士(レーダー操作のひと)ともう一人(なんのために乗ってるか不明)の三人で出撃
高度を上げ東京方面に機首を向けるとすでに東京は火の海だったそうです
空は火災の炎で真っ赤に染まり煙は高度何千メートルにもおよび
上昇気流が凄まじく首都圏上空は飛行困難でした
祖父は必死で操縦と目視による索敵をはじめ機首を西に向けたときです


486 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 08:28:23 ID:pAo+nceMO
>>485つづき

電探士がレーダーに感ありを祖父に告げました
電探士の誘導にて操縦すると首都圏からはなれ東京湾上空にでました
しばらくするとかなりの抵高度で機関銃の曳光弾(夜でも光の尾を引くたま)
を吐き出す機影を発見しました
どうやら戦闘中らしいが機影はその機体以外確認できない
祖父は敵味方識別のため接近をこころみた
あまり近づきすぎるとこちらが攻撃される可能性があるので少し間を置く
しかし妙な事に気がついた


487 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 08:39:06 ID:pAo+nceMO
>>486つづき

間違いなく敵機B29であるのは確かであった
四発あるエンジンのうち三発から煙を吐いている満身創痍のようだ
それよりおかしいのは機体中央部から機関銃を上空に向けて撃っている
そもそも敵機の上空には機影はない
それ以前にB29の機体中央部には機関銃の砲塔は存在しない
さらに接近を試みた
そして祖父は見た、見てしまったと話していました


489 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 09:32:41 ID:pAo+nceMO
>>487つづき

B29は機体中央部を激しく損傷しており天井装甲が剥離しており中はまる見えであった
おそらく旋回砲塔から取り外した機関銃を機内から米兵がなにかに向けて撃っている
銃口の先にはありえないものがいた
体は人間ににているが痩せこけて体毛は確認できない
肌は浅黒く顔はひととも獣ともつかない
耳はとがりまるで悪魔的な‥
背中には翼をはやしまるでコウモリのようだ
それよりおどろいたのはその大きさだった
目算(また?)で身長は約5m以上で翼を広げた幅は20mはあろうか‥
こいつは片手に首のない米兵の死体をぶらさげ片手で機体にとりつき
機内の米兵をねらっているようだった


493 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 14:25:54 ID:pAo+nceMO
>>489つづき

祖父は電探士に意見を仰ぐも信じられないの一辺倒もう一人の搭乗者はその位置からは確認できず
祖父は攻撃しようと(どっちを?)考えたが月光の機関砲は機体真上の前斜めに設置されており
攻撃は背面飛行でもしないかぎり不可能である
祖父はこれ以上関わるのは危険と判断し離脱を決心した
というより逃げ出したそうです
遠くに見えるB29はどんどん高度が下がるしかし米兵は戦闘をあきらめる
ことはないようで曳光弾の軌跡が上空に吐き出される‥
最後まで見届けることはでかなかったそうです
事後は都心部にむかい迎撃任務にもどるがこころここにあらず
早朝に基地に帰投したそうです


494 :本当にあった怖い名無し:2008/12/05(金) 14:44:01 ID:pAo+nceMO
>>493つづき

早朝帰投し報告を終える「戦果なし」例の件は報告できなかった
同乗者には口止めをした
話したところで信用されないしもの狂いと思われるのが関の山
祖父は墓場までこのはなしを持っていこうとおもっていたそうです
おれが小学生の夏休み宿題のため
祖父の戦時中のはなしを作文にするため
たまたま聞けたお話です
これは自分の家族や親戚にも話したことはありません
それは何のために日本上空で米軍機を襲っていたのか?
怖いというより疑問がのこります

おわり

長文清聴ありがとうございました まだネタはあるのでいつかまた違うスレで投下します

機上の声

702 :本当にあった怖い名無し:2009/04/15(水) 00:27:32 ID:35SXV93Z0
戦時中の飛行士は、切羽詰ったら幻の声が聞こえるらしいね。
坂井三郎氏の「起きなさい、三郎。そんなことぐらいで死ぬのか」と
機上で負傷したときに母の声が聞こえたのを皮切りに、
淵田美津雄氏が霧中で機位を見失ったとき「高度をとれ、とるんだ」と
神の声が聞こえたそうだし、黒江保彦氏も雲中突破しようとしたとき
「いったい、貴様は雲中の盲目飛行ができるのかね?」と悪魔の声が
聞こえたらしい。

小山進氏なんぞ、機上で気を失いかけたとき「金返せ、コノヤロー」って
神の声が聞こえたらしい。さすがにコレは怪しいが・・・。

おにぎり

707 :本当にあった怖い名無し:2009/04/15(水) 20:55:44 ID:etwcLXd20
高校生の時、国語教師が元陸軍パイロットだった。
戦時中の話になった時、南方戦線で聞いた話をしてくれたんだ。
敵機と空中戦になって、運悪く敵機が背後に回って、撃たれる直前に敵機に向かって
おにぎりを投げたんだそうだ。
すると、敵機の風防におにぎりが当たって、敵機が墜落したそうだ。
場所や時期が不明だけど、全く別の人からも聞いた事がある話だよ。
マンガでもそんな話を見た事があったけど、実話かどうか分かる人いる?

奇跡の生還

859 :本当にあった怖い名無し:2009/05/01(金) 14:46:54 ID:BZhiRtrrO
幼い頃亡くなった祖父から聞いた話なんで細かい所は覚えてないが…

戦中飛行機乗りだった祖父が基地だか戦艦だかを攻撃するために仲間と出撃したんだけど、
道中敵戦闘機と遭遇、戦闘となった。
敵は機体の性能も腕も祖父の部隊を上回り、仲間は次々と落とされ祖父も被弾したそうです。
機銃をメチャクチャに撃ち込まれ、祖父は右足を撃ち抜かれて機体は操縦不能で落ち始めた。
体の痛み(足はほぼ千切れて右手の指は3本もげた)より、ただ
「敵に一矢報いる事無く、仲間を助ける事も出来ずにいいようにやられた」
と悔しくて悔しくてただ泣きながら迫る地面を見つめていたそうです。
すると機体が急に体勢を持ち直し、勝手に自軍基地に向きを変えたそうです。

祖父の意識はそこで途切れ、次に意識を取り戻したのは基地の医務室でした。
基地の方に聞いた話では祖父の部隊は敵基地に辿り着く事無く全滅、
祖父の機体では交戦箇所からの帰還は不可能な位損傷していたそうです。

祖父は「自分は部隊では最年少で仲間から可愛がってもらっていた。
仲間達がせめて若い自分だけでもと助けてくれた。」
と嬉しそうに、けど寂しそうに語っていたのを覚えています。
祖父はその戦いで右足や指を欠損、体中に傷が残り、
その姿を幼い私は怖がって一緒に風呂入るのを嫌がったそうです。
じいちゃんごめん、俺じいちゃんの事大好きです。
俺が死んだらあの世で一緒に温泉でも入りながらもっと色んな話したいです。

硫黄島慰霊祭

359 :本当にあった怖い名無し:2009/07/09(木) 10:39:44 ID:GL1u/wKTO
私の祖父が、硫黄島慰霊祭に遺族として初めて参加した時に、式典の黙祷の最中に「勝雄、勝雄、勝雄…」って自分の名を呼ぶ声が聞こえたと言っていた。

初めはビックリしたが、それは確かに、祖父が八歳の時に、硫黄島で戦死した懐かしい自分の父の声。

「父さん、長きにわたり任務お勤めお疲れ様でした。やっと迎えに来ましたよ。日本に帰りましょう」
って心の中でゆっくり語りかけたそうだ。死んでからもずっと絶海の孤島で、日本への帰りを待ち続けてたんだろな。どんなに苦しかっただろうと、ずっと涙が止まらなかったと言っていた。

それ以降も、戦死した全将兵の冥福を祈る為に、慰霊祭には毎年欠かさずに行っている

兵隊の消える理由

473 :本当にあった怖い名無し:2009/07/23(木) 09:20:11 ID:q1HBZH/T0
大学の時の語学教授がマレー戦線へ通訳として従軍していたときの話。

マレーの人々が集まって、何か話をしながらいる。何をしているのかと思ったら
輪になって用を足しているのだな。煙草なんぞフカしながら雑談しながらしていたそうだ。
「なんだかなぁ~」と思いながらも大と小を同時に用足ししているのを見て、
「日本人には真似出来ねぇ」とかちょっと見下すような感じでいたそうな。

他の日本兵もどうやら同じように感じていたらしく、用足しはちょっとジャングルへ入ったところで
穴を掘って人目につかないようにしていたそうな。

そんな駐屯地で夜と云わず昼と言わず兵隊がいなくなる事件が続いた。
最初は夜営が居なくなったこともあり「脱走か?」という話で捜索が行われたが、
逃げ足が速かったのか見つからなかった。
そのうち昼間でさえ居なくなることが頻出したので、「このままでは軍の士気に関わる」ということで
徹底した捜索が行われた。

程なく兵隊は見つかった、内蔵をごっそり無くした姿で。

そんな中、ウチの教授がまた輪になって用を足している現地人の話を漏れ聞いていたところ、話題が
日本兵の失踪の話になったそうだ。

現地の人の云うには、「わざわざ一人になってジャングルに入っていく日本兵が信じられない」と。
人が固まっているからマレー虎は襲ってこないのであって、幾ら銃を持っていても近接するまで
物音一つ立てない虎相手に銃身の長い38式歩兵銃は役に立たない(虎を見つけたときは襲われているとき)し、なにより大小を別々にしている日本兵は用足しの時間が長すぎると。一番無防備な瞬間を晒しすぎると。

彼の居る隊ではその話を参考に、ジャングルで用を足すのはそのままだが穴を掘って便所の場所を固定し、必ず連れションをするようにという軍命が出たそうだ。

勇敢で高潔で、誰からも好かれた日本人

978 名前:既婚男性板よりコピペ :2005/07/22(金) 20:10:37 ID:T8+liFc/
…昔々、第二次世界大戦の頃、Mさんというインド人の若者がいました。Mさんは、インド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮)という軍人の下で訓練を受けたそうです。新藤氏は、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で「インド人に似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれていたそうです。また、Mさんたちからも、そのあだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれるようになったそうです。

新藤氏の訓練は厳しく、Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも日常茶飯事だったそうです。

しかし、訓練が終わると、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官だったそうです。そして、訓練も終わり、インパール作戦への開始。その時、Mさんたちは新藤氏の部下(?)として、作戦に参加することになったそうです。激戦の中、新藤氏の部隊は、強力なイギリス軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回してジャングルの中を進み、イギリス軍の背後を突くように、という命令を与えられました。

しかし、攻撃前にイギリス軍に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けたそうです。

気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名。みんな恐怖で 逃げ散ったためにかろうじて生き残った者ばかりだったそうです。イギリス軍に見つかれば殺される、と怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤氏が合流し「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げたのだそうです。

ですが、武器も食糧も水もろくになく、本隊がどこにいるのかもわからず、しかも敵兵がうようよいる中では、夜中にしか移動できません。そんな中でも、重傷の新藤氏は怯えるMさんたちを 励まし、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよったそうです。


979 名前:既婚男性板よりコピペ :2005/07/22(金) 20:11:29 ID:T8+liFc/
数日後、食糧も水も尽き、新藤氏の病状も悪化し、いよいよもうダメだ、とMさんが覚悟した時。最悪なことに10人ほどのイギリス軍の小部隊が近づいてくるのを発見します。新藤氏は、Mさんたちにこう告げます。

「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。だが、諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」

うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせた後、新藤氏は 「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、イギリス軍に向かって駆け出します。

しかし、何歩も行かないうちに、イギリス軍の機関銃に頭を撃たれ、鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れます。それでも、新藤氏は跳ね起き、小銃を構えてイギリス兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺したそうです。 なおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤氏に恐れをなしたイギリス兵は、武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていったそうです。

イギリス人が逃げ去って始めて、新藤氏はその場にばったりと倒れます 。敵兵が去った後、新藤氏に駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたためか、頭が半分無くなってしまった新藤氏の変わり果てた姿でした。


980 名前:既婚男性板よりコピペ :2005/07/22(金) 20:12:45 ID:T8+liFc/
Mさんたちは、新藤氏の遺体を囲んで泣き、日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは怯えて見ているだけだった。情けない。これからは勇敢に戦い、新藤氏が願ったように、生き延びてインドのために命がけで働こう、と誓ったそうです。

そして、新藤氏の遺品である銃やお守りを手に、イギリス軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、その場を離れます。新藤氏の死から、10日以上も山中をさまよった後、一行は小さな集落にたどり着き、その住民に助けてもらってようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できたのだそうです。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。

そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真… 新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真…が入っていたそうです。小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを守ってくれた新藤氏の勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。

そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は「私たちと一緒にいると、イギリス軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれたそうです。そして、「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げたそうです。


981 名前:既婚男性板よりコピペ :2005/07/22(金) 20:13:41 ID:T8+liFc/
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合い、新藤氏の最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働いたそうです。そして、Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を修めたそうです。

勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人。そんな日本人は今どこかにいるのだろうか。

でも、ほんの60年前。私の両親や祖父母の時代に、この国には確かにそんな立派な人間がいたという事実は、私にとって小さな誇りと、負けないように自分も頑張らないと、という目標を与えてくれたような気がします。

最後に。
今回の話は、もともとが古い時代の聞き語り。話した本人も、聞き覚えた人々も幼い頃の記憶に 頼っていますし、歴史や軍事に詳しい訳でもありません。また、この話をまとめた私自身も第二次大戦に関する知識に乏しいので、戦史に詳しい方から見れば首をかしげるような部分もあるかも知れません。

その点をご理解頂ければ幸いです。


982 名前:既婚男性板よりコピペ :2005/07/22(金) 20:14:32 ID:T8+liFc/
そうそう、この話にはちょっとオカルチック(?)な余談があります。

新藤氏が死んでMさんたちが山中をさまよっている時のこと。
疲労で見張りを立てる余裕もなく眠ってしまった5人全員の夢の中、新藤氏が出てきて「敵襲!」と叫んだそうです。そして、はっとして目覚め、跳ね起きて藪の中に身を潜めたMさんたちのすぐ近くを、イギリス兵の偵察部隊が通り過ぎていったそうです。

その後も何度か、Mさんたちの夢に新藤氏が現れて、敵が近くにいることを教えてくれたそうです。Mさんたちは、死んで霊になった新藤氏が自分たちを守ってくれていると信じ、夢の警告に従って、ひとりの死者を出すことなく生き延びることができたのだそうです。

しかも、戦後の独立運動の間も、その後の軍務の中でも、新藤氏は何度もMさんたちの夢に現れ、様々な危険を教えてくれたそうです。

…霊のお告げ、ってのは「Mさんたちの、疲労状態でも極限まで緊張しきった神経が、敵兵の近づくのに気づき、無意識のうちに便りにしていた新藤氏の姿を借りて警告を発した」合理的に考えることも出来ますが、やっぱり、これだけは、死者の魂が最後まで守っていてくれた、という説明の方がしっくりするような気がします。

さて、以上、インド人の知り合いから聞いた、昔々の英雄譚でございました。

UFO

632 :本当にあった怖い名無し:2009/07/28(火) 20:58:20 ID:hzVCBpNmO
戦時中、俺の祖父は艦上偵察機・彩雲の偵察員だったが、
物凄いスピードでパッパッと縦横無尽に飛行し、
こちらを観察してるだけで攻撃して来る様子が無いので、
追尾してみると瞬時に消え去る飛行物体を幾度も目撃したそうだ。
祖父達搭乗員は新型米軍機だと思ったそうで、
上官に「敵は恐ろしく高性能の偵察機を開発した模様であります」と報告したと言っていた。
終戦後もあの「新型米軍機」の正体が気になって、
長い間調べ続けたが、そんな飛行運動をする航空機は当時も今も存在しないらしい。
きっと、祖父が見たのはUFOじゃないかと俺は思う。

日本を頼んだぞ

120 :本当にあった怖い名無し:2009/09/08(火) 21:52:25 ID:mQps9ixj0
転載
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。

その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
 この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
 まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
 ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
 黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」
 
婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。

台湾のお母さん

656 本当にあった怖い名無し : 2012/10/25(木) 22:40:34.28 ID:hCQa0QHa0
今年大往生した母方の祖父ちゃんは、零戦乗りだった。
戦中予科上がりだけど、特乙や特丙よりも前に出たので、
それなりに操縦士の中でもエリート意識はあったらしく、飛行時間をよく自慢していた。
こっちから聞けば積極的に当時の話を聞かせてくれた。
その中で印象に残ったいる話を一つ。

1944年、祖父ちゃんは台湾海軍航空隊に所属していて、台湾に住んでいた。
本土から呼ばれて宿舎に空きがなかったので、基地近くの台湾人の人の家に下宿していた。
その家には台湾人の老夫婦が住んでいて、いつもとても良くしてくれるので、
小さい頃に母親を亡くしていた祖父ちゃんも嬉しくて、奥さんの方を「台湾のお母さん」と呼んで、
親孝行の真似事なんかもしていたらしい。


657 本当にあった怖い名無し : 2012/10/25(木) 22:44:41.42 ID:hCQa0QHa0
そしたら夏の暑い盛り、いつも元気なお母さんが寝込むようになった。
祖父ちゃんも心配して、薬を工面して渡していたりしたらしいんだが、なかなか回復しない。
ある日枕元に座っていたら、お母さんがこんなことを言った。
「実は飛曹(祖父ちゃんは他の人から○○飛曹と呼ばれてた)さんが撃ち落されて戦死する夢を見たことがあった。
夢見が悪いだけかとも思ったが、もし正夢だったら大変だ。折角できた息子が死んでしまう。
なので神様にお願いしたら、代わりがいると言われたので、私と代えてもらうようよくよく頼んだ。
私はもうすぐ死ぬが、これで飛曹さんは大丈夫だ」
祖父ちゃんは、きっと病気で気弱になったのだろうと思って、大丈夫ですよと答えたそうだ。
旦那さんに聞いてみると、
「『敵をたくさん撃墜できますように』のようなお願いの方が軍人さんらしいが、
うちの神様は『敵を殺したい』のような悪いお願いはしてはいけない。」と答えた。


658 本当にあった怖い名無し : 2012/10/25(木) 22:45:43.77 ID:hCQa0QHa0
そんで10月の台湾沖航空戦。台湾海軍航空隊も米軍迎撃のために出撃。
結果は知ってのとおり壊滅だ。祖父ちゃんの同期もほとんどが未帰還になった。
祖父ちゃんも撃墜されたが、機が火を噴かず落ちて、幸運にも着水脱出。
とはいえ、島影も見えない海のど真ん中にプカプカと浮かんでる状態で、
このまま漂流して死ぬのか、と思っていると、なんと台湾から出漁していた漁船が通りかかり、
「日本人だ! 助けてくれー!」と叫んで、引き上げてもらい、無事生還。
下宿に帰ってみると、お母さんは亡くなっていた。
旦那さんに尋ねると、ちょうど祖父ちゃんが出撃して飛んでいる時に亡くなったそうだ。
何の神様に祈ったのかは分からない。




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