【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

当サイト「怪談の森」は古今東西の洒落にならない怖い話~ほっこりする神様系の話まで集めています。 随時更新中!!

カテゴリ: 宮大工見習いシリーズ



お稲荷さま騒動から3年ほど経った晩秋の話。
宮大工の修行は厳しく、なかなか一人前まで続く者は居ない。
また、最近は元より、今から十年以上前の当時でも志願してくる若者は少なかった。
俺は、親方からそろそろ一本立ち出来る位の職人となったと言ってもらえたが、
まだまだ親方の足元にも及ばない事は自覚していたので、出来るだけ長く親方の下で働き、
勉強させてもらうと決めていた。



ある日、俺より2年遅れて弟子入りしたが、才覚をメキメキと発揮し、一年ほど前に独立した弟弟子のJが顔を見せた。
Jは仕事の腕はずば抜けた物を持っているし、本来悪いヤツではないのだが、実家の神社が大層なモノ持ちで恵まれている上に、ちょっとそれを鼻に掛ける小生意気な所があり、他の弟子たちからは疎まれていた。
しかしなぜか俺にだけは良く懐き、「兄(あに)さん、兄さん」と慕ってくれる可愛いやつだった。
「兄さん、ご無沙汰してました」
「おう、Jか!元気に仕事してるか?」
「ええ、お陰さまで。兄さんも相変わらず良い仕事してるそうで、噂は良く聞きますよ」
「よせやい。弟弟子のおめぇの方が先に一本立ちしといて歯ぁ浮くような世辞を言うない」
「あれ? なんでお世辞って解ったんですか?」
「このヤロウ!そういう事言いやがるのはその口かぁ!」
久しぶりの掛け合いだ。俺もJも大笑いしながら再会を喜んだ。
「で、どうしたい? 親方に用でも出来たか?」
「ええ、ちょっと…兄さんと親方にご相談が…」
「俺もか? だが親方はちょっと法事で出掛けてるから、夕方くらいに出直すか、それか上がって待ってろい。おカミさんにも挨拶してけや」
「あ、じゃあおカミさんに挨拶してから、また出直しますわ」
そう言ってヤツはおカミさんに土産を渡して挨拶し、一度帰って行った。
夕方過ぎに親方が帰って来るのを見計らったように一升瓶を提げてJもやってきた。
「親方、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
「おう、おめぇも良い面構えになったな。一本立ちしてから苦労も多かったろう?」
「はい、僕がどれほどお坊ちゃんだったか思い知らされましたよ。
あと、親方と兄さんの様な本当の意味での良い仕事が出来てなかった事も。
宮大工って仕事は、ただキッチリ美しく建てりゃ良いってモンじゃないんですね。
お客様だけじゃなく、神様仏様も満足してもらうような心掛けで仕事をしてなきゃダメなんですよね」
滔々と話すJに親方の顔も緩みっ放しだ。娘にしか恵まれなかった親方にとって、弟子たちは息子も同然だ。その息子が立派になって顔を出せば感慨無量だろう。
「で、親方と俺に相談ってのはなんなんだい?」
俺は気になっていた事を口に出した。

「はあ…それなんですが…」
Jにしては妙にまだるっこしい。また、その尋常ではない雰囲気を俺も親方も感じ取った。
「言ってみねえ。黙ってちゃ解らねえだろが」
親方が急かす。
「はい。実は…実は、Z神社の奥宮の修繕を引き受けてしまいまして…」
「「なにっ!」」
俺と親方の声がハモッた。
「おめぇ…そいつぁ…」
俺は滲み出る脂汗を感じながら呻いた。
「あの、Z神社かぃ? 間違げぇねえんだな…?」
親方でさえ、声が上ずっている。
「一体どういうワケなんでぇ…」
親方が手拭で汗を拭う。もう寒い時期だというのに、俺も上着を脱いだ。



Z神社。
蛇神様を奉っている小さな神社で、現在では神主は居らず自治体の管理化に置かれている。
そして、この界隈の寺社やその関係者の間でまことしやかに噂されている強力な祟り神だ。
麓の村に先宮があり、先宮から細い獣道を入り込んでいくと裏山の頂上付近に奥宮が存在する。
この神社には悲しい伝説がある。
かつて平家の落ち武者がとある姫君を守りつつここまで辿り着き、Z神社に身を寄せた。
だが、当時の村人は源氏の追及を恐れて奥宮に匿った平家の武者を眠っている間に惨殺し、また姫君を庇おうとした神主さえも殺してしまい、姫君を嬲り者にした挙句源氏に突き出そうとした。
しかし姫君は村人の目を縫い、自分を庇って殺された神主の骸を抱き抱え井戸に身を投げてしまったという。
そして、自らの代理である神主と動物好きな優しい姫を殺された事を怒った蛇神様が荒ぶる祟り神となってしまったそうだ。
その後、徳の高い神主さんが蛇神様の怒りを宥めて静まらせ、昭和中期まではその神主さんの家系が神社を守っていたそうだが、その家系は何故か絶え、その後いつの間にか祟り神に戻ってしまったという。
それから何人かの神主さんが着任したが、恐ろしい目に遭ってほうほうの態で逃げだすか、精神に異常を来たしてしまったものもいるらしい。

また、修繕工事を行なう際にも必ず何か災厄が降り掛かり、人死にが出てもいる。
ただ現場で死ぬことは無く、仕事中に何かに噛まれてそれが直らず一月後に死んだとか、ある朝首を縄のような物で絞められて窒息死しているのが見つかったとか、工事中に失踪してしまい、北海道で変死体となって見つかったなど、直接関係を見付け難い死に方なのでなんともしようが無い。
一時、取り壊そうという話が持ち上がったらしいが、その計画をしている時に関係者の変死・失踪が相次ぎ、結局お流れと成ってしまった経緯が有る。
偶然の一致としてしまえばそれまでだが、仕事柄こういう事には敏感なのでここしばらくは誰も手を付けずに荒れ放題となってしまっている。
「大丈夫か、J」
真っ青な顔をしてゼーゼー言っているJに声を掛ける。
「兄さんこそ、鼻血出てますよ…」
口の中も鉄の味だ。
とりあえず二人して顔を洗い、おカミさんに事情を説明する。
そしておカミさんの入れてくれた茶を啜りながら話を再開した。
「断る訳にはいかないのか」
「…僕の親父も、それならワシがお祓いしよう、とかいって、一緒になって受けちまって、もしこの期に及んで断ったりしたら…地元での一族の立場が…」
正直に答えるJ。ここで嘘や見栄を出さないのがコイツの良い所だ。

「しかし、なあ…」
「兄さんはオオカミ様の所、最近参って無いんですか?」
「いや、あれ以来三ヶ月に一遍は酒持って行ってるが…」
「それなら、守ってもらえませんかね?お稲荷様を簡単にノシてしまう方なんだから、蛇神様くらい…」
「しかしそれはあまりにも身勝手じゃないか?相手は神様だぞ。大体、あの時の事だって今じゃ自分でも信じられないんだから…」
それに、だ。確かに蛇神様はオオカミ様やお稲荷様よりも力は弱いと言われている。
異論は多々有るが。
しかし、伝説によれば源平の時代から荒ぶる祟り神として恐れられてきたZ神社の蛇神様は果たしてどうなんだ?
また、蛇神様は最も執念深く、恐ろしい神様であるとも言われている。
「…着工は何時からの予定なんだ?」
「もう今年は難しいので、来年からということで…」
「時間はあるな。とりあえず、なんとか手を考えてみよう。お前も出来る限り回避の方向で動いて見てくれ」
「はい…それじゃあとりあえず帰ります。親方にくれぐれもよろしく伝えてください」
「ああ、分かった」
その夜、回復した親方に一発ぶん殴られてから、Jの持ってきた酒を二人で酌み交わしつつ相談した。
「あのバカが…ちっとは殊勝な事言うようになったと思った俺がバカだったぜ。ふんとに…」
「まあ、出来の悪いヤツほど可愛いって言うじゃないですか」

「はっ!モノには限度があらあな!あれほどバカだとは…」
「親方。そういえばオオカミ様のお堂の保守を頼まれてましたね」
「ああ、おめぇの仕事が良いんで別に傷んじゃいねぇが、もう七年近く経つからなあ」
「それ、当然俺の仕事ですよね?」
「当たり前ぇだあ。神主さんは元より、オオカミ様もきっとおめぇをご指名だろうが」

「明日から行っても良いですかね?」
「おお、そりゃ構わねぇが…おめぇ、なんか企んでやがるな?」

「2~3日、お堂に泊り込んでみようかと…」
「おいおい、そんでもし出てきて下さったら蛇神様退治を頼もうってんじゃねえだろうな?」
「いやあ、万が一姿を見せて下さったら、Z神社の祟り神がどんなもんだか聞いて見ようかと…」
ふうう、と親方はため息をついた。
「まあ、好きにするさ。ただ、充分用心しろよ。相手は神様なんだからな」
「はい、肝に銘じておきます」
翌朝、俺は道具と材料と寝袋を持ち、食料を買い込んでオオカミ様のお堂へ向かった。
正直、自分でもほとんどヤケクソだった。
大体、この時代に神様だの祟りだの、普通の人なら笑い飛ばすか呆れるだけだ。

だが、俺たちのような仕事をしていれば確かに人外の力を感じることが多々有る。

祭りなどでは必ずといって良いほど、亡くなる人が出る。しかしそれで慌てる関係者は少ない。
皆、予定調和のように感じている。
「死人は、贄に選ばれちまっただけだ」と。
途中、街中でデパートに寄り、アクセサリー店を覗く。
昔、巫女さんに納めた銀細工の髪飾りを買った店だ。
作業衣姿のむさ苦しい男が昼間っからこんな所に来るのは珍しいのだろう。俺を覚えていた店員さんが声を掛けてきた。
「ご無沙汰してます。本日は何をお探しですか?」
「ああ、どうも。髪飾りの良いのが無いかと思って」
「前回も銀の髪飾りでしたね。奥様か恋人様はよほど綺麗な御髪をしてらっしゃるのですね」
まさか神様(に仕える巫女さん)にプレゼントするとは言えない。
「はは。まあ」
「こちらなどは如何ですか?」

24金の高そうな髪飾りを見せてくれる。

だが、神様やその眷属は金よりも、白金よりも銀を喜ぶと言われる。
それになにより、あの美しい黒髪に金細工はミスマッチだろう、と俺は思い
「いや、今回も銀細工が良いんです。それも出来れば古風なヤツが」
「はあ…う~ん、最近はあまり古いデザインが好まれないのであまり置いてないのですが…
そうだ!ウチの本店に骨董部門が有ります。其処ならば、古いデザイン、ではなく本当に古い物がありますよ。ただ…」
「ただ、何です?」
「いえ、骨董品だけにどんな謂れがあるか分からないモノも多いので…」
「う~ん、まあそういうことを気にする事は無いと思いますが…とりあえず見に行ってみますね」

「はい、それではお客様のことを連絡しておきます。場所は…」

場所は丁度オオカミ様のお堂を管理している神社からオオカミ様のお堂に行く道筋の途中だった。
どうせ神主さんにも聞きたいことが有ったので丁度良い、と思って車を走らせた。
まずは神主さんに挨拶し、今回の一件を説明する。
「えっ!Z神社!…う~ん…」
予想通り神主さんも絶句。心無しか怯えてもいる。
ここの神主さんは俺より10歳上でまだかなり若いが、とても熱心な方で既にこの周辺の神主さんの頭と成りつつある。

ちなみに、例の稲荷神社の神主さんはダメ親父で通っているが奥さんと娘さんがやり手で、最近、娘さんが婿さんを貰い跡取りとなり、大分持ち直しつつ有るようだ。
「…ご存知かもしれませんが、オオカミ様の社は便宜上ウチが管理しているだけで私がアソコの神主というワケでは有りません」
そう、この神社はこの地方では非常に珍しい犬神様を奉っている。
オオカミ様ではなく、イヌガミ様だ。
オオカミ様の社はもう遥か前から正式な神主さんは存在していない。

「ですから、あのオオカミ様が何時の時代から奉られており、どう言う謂れが有るのか、ハッキリしたことは解らないのです。

それに、私もまだココの神主となってようやく8年、まだまだ自分のお社についても勉強するコトだらけで、オオカミ様のことをちゃんと調べておりません。
しかし事情が事情ですから、バイトの巫女さんにも資料を探してもらって急いで調べましょう。
本日の夜までには何らかの答えを出せるようにしておくので、今晩はウチにお泊まりください」
と言ってくれたので、今日はオオカミ様の社には荷物を置きに行くだけとした。
最近はちょくちょく来ているのでそう懐かしい感じはしないが、やはり俺にとっては特別なお社である。

長い階段を上り、鳥居の足とお堂が見えてきた所で俺の脚は止まった。

お堂の前に巨大な白犬がこちらを向いて座っている。しかし、その姿は見慣れた犬のそれではない。
あれは…まさしく…オオカミ…?
「お、オオカ…ミ…様…?」
体が全く動かない。俺をみつめる精悍な顔、涼しげな目元。
「あっ!」
俺はそれを見つけ、思わず声を上げた。

ピンと立った左の耳元に銀色の髪飾りが光っていた。
オオカミは立ち上がると「わおーーーーーーん」と澄んだ声で一声吼え、お堂の裏手へと走り去った。
俺はヘナヘナとその場に崩れ、しばらくは立ち上がることが出来なかった。
どれほどへたり込んでいただろうか、俺はようやく立ち上がると、持ってきた酒を納め、お祈りを捧げた。
時間を見るともう夕方の4時。神主さんの所を出たのが昼前だったのに、いつの間にか日が傾き始めていた。
ふら付きながら車に戻り、俺は神主さんの所へと向かった。
神主さんは、既にできる限りの情報を集めてくれていた。
それによれば、オオカミ様の社は伊勢神宮を元とする神明神社の流れを汲んでいるらしいという事。

つまり、天照大神の関係眷属である可能性が高い。そして、起源は古く、恐らくこの辺り最古の物であると。

神主さんは、
「もしこれが事実ならば、Z神社の蛇神様よりも全てにおいて格上で有ると考えられます。
また、これほどの高位な神様では、あのお稲荷様はとんでもない方とコトを構えることになってしまい、びっくりどっきりオマケに真っ青だったと思いますよ」
俺は思わずプッと噴出し、Jの夢の事を話した。

神主さんは大笑いし、
「あのお稲荷様も決して低位なワケでは有りません。その彼女を踏み付け、その上に立ちニコニコしていられるとなればこれはもう相当高い位の神様でしょう」
と続けた
また、俺は先ほど社で逢った白狼のことを話した。

「う~ん、ただのでかい山犬かなんかという可能性もありますが、現世に姿を現したとすると何かを伝えたいのでしょう。
○○さん、やはり明日からはお堂に泊り込んでみると良いかもしれませんね」
俺は頷き、決意を固めた。そして、用意してもらった部屋で眠りに就いた。
俺は夢を見ていた。自分でもはっきり夢と自覚している、珍しい夢もあるものだなあと思いつつ回りを見回すと、10歳そこそこと思われる可愛らしい女の子が二人、子犬のように転げまわって遊んでいる。
その内一人が俺に気付き、もう一人と何事か相談すると二人揃ってこちらへトコトコと掛けてきた。
「おじちゃん、だあれ?」

良く見ると二人とも同じ顔。双子だろうかと思いながら俺は答えた。
「おじちゃんじゃないぞ、お兄ちゃんだぞ~」
「おじちゃん、○○さん?」
「だからおじちゃんじゃないって…なんでおじちゃんの名前知ってるんだい?」
「○○様だよね?」

「…うん、そうだよ」
「わー!やっぱり!」「お姉ちゃんの言ってた通りだね!」「うん!」
「だーかーらー、なんでおじちゃんの名前知って…」
「あのね、ナミお姉ちゃんが言ってたの。今日○○様が来るって」
「そうしたら、ナミは耳飾を所望しますって伝えてねって言ってたよ!」
「ナミお姉ちゃんって、誰だい?」

「とっても綺麗なのー!」「優しいのー!」「でね、○○様の事を…」「それは言っちゃダメー!」「あ、そうだっけ!」
「ちょっとキミたち…」
「それじゃねーおじさん!」
「さよならー!」

「おーい!ちょっと待って…」
「くれえ!」
…俺は布団の上に立ち上がり叫んでいた。
時計は午前6時を指している。

「なんなんだ今の夢は…」
妙に寝覚めが良いのを不思議に思いつつ、俺は寝床を後にした。
朝食を頂きながら、神主さんに夢の話をした。
神主さんは味噌汁の椀を持ったまま身じろぎもせずに聞き、そして話し出した。

「ウチの神社は犬神様をお奉りしているのは昨日お話しましたが、本来の姿は二頭の異形神なのです。
あなたの夢に出てきた双子の女の子は、恐らくこの神社の神様でしょう。
そして、彼女らが話したナミお姉ちゃんとはおそらくお宮のオオカミ様、そして、イザナミ神ではないかと」
「え、じゃあ黄泉比良坂の…?」
「まあ、この辺りの古事記由来の神様は未だはっきりと解ってはいませんが、イザナミ神は万物を生み出す創造神であり、また闘いの神でもあります。

黄泉比良坂の話は彼女の一部がクローズアップされただけですからね。しかし、イザナミ神だとすると伊勢神宮ではなく、出雲大社由来となるのだろうか…?」

「ふむう、なるほど…」

…ぷっ!俺と神主さんは同時に噴出した。
「あはははははは!」「わはははははっは!」
「いやー。神主さんも好きですねぇ」
「大学では結構オカルト博士で有名だったんですよ~」
「なかなか凝った背景で説得力ありますよー!」
「あははははは!」

ひとしきり笑った後、神主さんは突然真面目な顔に戻り、
「でも、この神社の奉神の話は本当です。ですから、信じなくても結構ですが、昨夜の夢に沿って行動するとよいと思います」
「はい、解ってます。それでは、オオカミ様のお宮の保守を行ないます」
「よろしくお願いします」
俺は途中でアクセサリー屋の本店に寄り、骨董の展示場を見せてもらった。

そこには謂わくありげな装飾品や刀剣、鎧兜が並んでいた。
しばらく眺めるうちに、ふと夢の事を思い出した。
…耳飾り、か。イヤリングなんてダメだろうなあ…等と考えていると、装飾品の中で鈍く光った物が目についた。
そちらを見ると、鈍い銀色の勾玉が二つ。
手に取ると意外に軽く、純銀では有るがどう造った物か中は空洞で有るようだ。しかし、繋ぎ合わせた跡も無い。
爪の部分に穴も開いており、其処にワンタッチの銀リングを通すと洒落た耳飾となった。

結構な高値だったが縁起物を値切りたくは無かったので言い値のまま買い求め、俺はオオカミ様の社に向かった。
お宮は神主さんによって良く清掃されており、保守と言っても各板の嵌め合わせがおかしくなってないか、どこか浮いてきている所がないかなど、殆どすることも無く基本的な点検だけで終わった。
最後に綺麗に清掃し、お堂の中に銀マットと寝袋を敷き、簡単に食事を済ませた。そして午後9時を回ったので、

「さて、鬼が出るか蛇が出るか…」
と不謹慎な言葉を呟き、俺は耳飾の入った化粧箱を握り締めながら、寝袋に包まり投光機の電源を落とした。
…しかし、結局何も出ず朝を向かえてしまった。
化粧箱も握り締めたまま。『あれええ?』と思いつつもまあ一晩目だからなあ、と思い起き上がる。

なんか頬っぺたが痛いのは床に何度か打ちつけたせいだろうか?
寝袋をたたみ、とりあえず外に出て大きく伸びをしていると神主さんが階段を上ってきた。
「おはようございます、早いですね」
「おはようございます、いやあやはり気になってしまって…うわっ!なんですかその頬っぺたは!」
「え?」

「こりゃすごい…呪文の準備までしてたとは思いませんでした…」
「はぁ? 一体何を言ってるんですか?」

「そりゃこっちのセリフです。頬っぺたに古代文字を書き込むなんて凝ってますねぇ。どうやって書いたんですか? っていうか、そりゃもしかして血じゃないんですか!?」
俺は急いで鏡を取り出して自分の顔を映し、絶句してしまった。左右の頬っぺたに古代文字のような物が書かれている。
しかも、おそらく鋭利な物で書かれたらしく、俺の血そのもので書かれているのだ。
だが、普通なら眠っているうちに血文字など崩れそうなモノだが、はっきり文字と解る形で残っている。
とりあえず顔を洗ってみると、血は取れたが薄っすらと古代文字のカタチにキズが残っていた。
「!」
俺はふと思い立ち、勾玉の耳飾が入っている化粧箱を見た。

開けた形跡は無い。
そっと振ってみる。
何か入っているが、明らかに勾玉とは違う物の様だ。俺は化粧箱の包装を解いて、開けてみた。
そこには勾玉の耳飾は無く、代わりに長さ五寸は有る白い牙が入っていた。
二人してしばらく絶句していたが、「ふっ」と神主さんが微笑んだ。
「おそらく、もうこれで問題無く蛇神様の奥宮の修繕は出来るでしょう。あなたがこの牙を持って工事に当たれば」
「…そうでしょうか?」
「ええ、間違いないと思います。それにしても、あなたは余程オオカミ様に気に入られたようですね。もしかすると、イザナギの尊の生まれ変わりじゃないんですか?」
「そんなバカな。もしそうならオオカミ様も気を使う必要は無いでしょう」

「そりゃそうですね」
「なんにしろ、度胸一発、年明けから工事を始めて見ますよ」
「お気をつけて」

そして俺は道具を片付け、オオカミ様のお宮を後にした。鳥居を潜り、ふと振り向くと白いオオカミがお堂の前に座っている。
その両耳に勾玉の鈍い光を見つけ、俺は「ふっ」と笑うと小さく「ナミさま、ありがとう。あと、工事の安全よろしく!」と呟いた。
俺のちょっと前を歩く神主さんが「なにか仰いましたか?」と聞いてくると同時に
「わおおおおおーーーーーーん!」と澄んだ遠吠えが聞こえ、驚いた神主さんは階段を踏み外し数段落っこちてしまった。

翌年明けから。
犬神様の神主さん、Jの実家の親父さん、例の稲荷神社の神主さんという異例の三社合同によりZ神社の修繕工事着工祈祷が行なわれ、ウチの職人総出で道具と材料を奥宮へと運び込み、工事が開始された。
親方と俺とJはレギュラーで仕事をし、何人かの弟子が入れ代わりでやってくるのだが、その内S村の地元職人さんが無償で手伝いに来るようになった。
また、近所の住人も差し入れを持ってきてくれたり、荷運びを手伝ってくれたりした。
「俺たちの村のお社を直すのを、アンタたちだけに苦労させるわけにはいかねえ」「昔の償いはしなきゃなぁ」

などと言う職人さん達にJが「今更何言ってんだか…」と嫌味を言いかけたところで、親方に数メートルぶっ飛ばされるなどハプニングもあったが、結局怪我人は親方にぶっ飛ばされたJだけという状況で工事は無事終了。
奉納と慰霊の儀も無事に終わり、打ち上げを迎えた。

S村の村長の計らいで、関係者が皆近所の温泉宿に招待され、大宴会となった。
その席で、何人もの職人さんや近所の人が
「でっけえ白犬を何度も見掛けた」
「おお、耳飾なんぞした洒落た犬だったな」
「大きな尻尾の狐もいたよな」
「子犬が二匹、コロコロウロウロしてて可愛かったなあ」
などと盛り上がっているのを聞きつつ、俺と親方と犬神様の神主さんは酒を酌み交わしていた。
ふと見ると、末席にしょぼんと座っているJがいる。

こっちに呼び、酒を飲ませながら「親方に怒られたからって何時までもくよくよすんなよ」と慰めると、
「ええ…それも有りますが、実は昨夜夢を見たんです…」
「お、またか。どんな夢だ?」
「昔話した夢で、巫女さんに踏んづけられてた切れ長の眼のおねえさんが僕に馬乗りになってビビビビと往復ビンタするんです…」
俺と親方と神主さんはブハッと酒を噴出した。
「周りには小さな女の子が二人いて、僕に『バーカ』とか『恥ずかし~』とか罵声を浴びせて…」
親方は相当ツボに入ったらしく、すげぇ勢いで咽ながら涙を流して笑っている。
「極めつけは、あの時の巫女さんがニコニコしながら僕の首をきゅうっと絞め、

『こ ん ど ○ ○ 様 を 困 ら せ た ら と て も 良 い 所 に お 連 れ し て 差 し 上 げ ま す わ』
って優しく言うんです…それで、朝起きたら…夜尿、してました…..」
「そ…そこっ!多分っ!黄泉っ!比良坂っっ!!」
神主さんが痙攣しながら叫ぶ。
大笑いしている親方と神主さんを見つつ、俺はペンダントにした白い牙を撫ぜながら、

「ナミ様、なんで俺の夢にはちゃんと出てこないんだよ…」
と不満を漏らし、徳利に直接口を付け一気に酒を飲み干した。




オカルトランキング



オオカミ様が代わられてから数年が経った。

俺も仕事を覚え数多くの現場をこなし、自分でも辛うじて一人前の仲間入りを果たす事が出来たと実感するようになった。
また、兄弟子たちも独立し、または職を変えるなどしていつの間にか俺が一番の古弟子となった。
弟弟子も多くの者が入れ替わり、古くからの奴は三人ほどとなった。
その中で、俺と一番息が合い、本当の兄弟のようになった晃は、かつてお狐様に憑かれて昏倒した男だ。
「でも、俺はお狐様を恨んではいないんですよ」
あの時の話になると、晃は必ずこう言う。

「確かに俺は憑かれたけれど、夢の中で見た彼女はとても寂しそうで、なんていうか、無理をしている感じだったんですよね。だから、護ってあげたくなると言うか……」
ちなみに、あの時神主さんの奥様とお嬢さんは酷い目に遭ったが、どちらも本当にお狐様の所為だったかは微妙である。
また、郵便受けに投げ込まれていた犬の耳と鼻は神主さんがすぐに処分してしまったが、一件落着した数日後、殺されたと思った飼い犬は無事に縁の下から発見された。
その後、俺もお狐様に憑かれそうになった事もあったが、オオカミ様の少年のお陰で事なきを得、その騒動の後で俺は神主さんの娘の優子さんと親しくなり、時々食事やドライブをしたりする様になった。

彼女は国立大学出の才媛であり、長い黒髪を持つ美人である。

頭の良い彼女との会話は楽しく勉強になる事ばかりで、優子さんと過ごす時間はとても楽しいものだった。


ある日、俺が事務所に帰ると優子さんが待っていた。
「お忙しいのにごめんなさい。ちょっと○○さんにご相談したい事があって……」
俺が書類をまとめるまで待ってほしいとお願いすると、親方とおかみさんにそんな事は明日でいいからとっととデエトに行け、とむりやり押し出されてしまった。
なぜか晃が拗ねた様だったのが気になったが俺たちは車に乗って走り出した。
しばらく走り、食事をしようと行きつけの和食屋へ入る。
料理が運ばれてきてから、彼女が話を始めた。

「実は、最近夢にあの女性が良く出てくるのです……」
「お狐様、ですか」
「はい……」
優子さんの話はこうだ。

ぽつん、と立っているお狐様をたくさんの鬼火や狐が囲んでいる。

そして、なにか罵倒するような言葉を彼女に投げていると。
余りにもたくさんの言葉が渦巻くために良く聞き取れないのだが、その中からなんとか拾い出した言葉は「恥曝し」だとか「名折れ」等の言葉で、どうも吊るし上げを喰らっているようだと。
また、明らかに低級な狐霊からもいいように罵られ、キツイ瞳に涙を一杯溜めながらもキッと歯を食い縛り耐えているそうだ。

それを見ている優子さん自身も悲しく昏い気持ちになって涙が流れ出す所になって目が覚め、枕を濡らしていると。
「……私には、彼女が悪い神様には思えないのです。元々、父が彼女のお社を放ったらかしていたのが原因で彼女が怒り、祟って来た訳だし……それに、だれか命を落とした訳でもないし」
優子さんの言いたい事は解るし、お社を修復していた時に現れた彼女の嬉しそうな様子を思い出すと、彼女はとても悪い神には思えない。
あの時、抱きついた彼女を振り払った自分に対して取った行動も、少々エキセントリックな人間の女性が好きな男に振られた際に取る様な程度ではないかと思える。
あのまま襲われた時のダメージは人間の女性とは比較にならないと思うが……。

「お父様にはお話したのですか?」

「はい……でも、どうすれば良いか解らないから様子を見るしかない、と」
俺は少々心当たりがあるので、少し時間を呉れる様優子さんにお願いをし、その後は他愛もない話をして楽しく食事をした。
優子さんと食事を終わらせ、彼女を送り届けるために車を走らせていた。

なんとなく静かになってしまった車内の空気を紛らわす為にカーステレオのラジオをつけようとした時、優子さんが口を開いた。
「今夜は、まだ帰りたくないな……」
俺は心臓が飛び跳ねる様な感触を抑えつつ、冷静を装って答えた。
「じゃあ、もう少し走りますか」
「はい!」
優子さんが嬉しそうに答える。

俺は、夜景が綺麗に見える峠を目指してハンドルを切った。
峠道を走り、夜景の見える展望台に辿り着く。

車を駐車場に停め、展望台へ向かう階段を上っているとき優子さんが俺に身を寄せて来た。
「寒くないですか?」

「少しだけ……」

俺は優子さんにジャンバーを貸そうと脱ぎかけたが、優子さんがそれを制して俺の手を握ってきた。

「○○さんの手、暖かいんですね」
絡めるように繋いだ優子さんの手がドキドキと脈打っているのが感じられる。
いや、俺の心臓の鼓動も激しくなっている。
階段を上りきると、目の前に広がる町の灯りは陳腐な表現だがまるで宝石箱の様だ。

「きれい……」
優子さんが呟く。

俺たちは手を繋ぎ、寄り添ったまましばらく無言で煌く宝石箱を眺めていた。

しばらくの静寂を破り、優子さんが口を開いた。
「○○さんは……想われてる方がいらっしゃるんですよね……?」
驚いた俺が顔を向けると、彼女は大きな瞳で俺を見つめていた。
「…そんな事、誰からお聞きになったんですか?」
「父から、聞きました。あと、晃さんからも」

俺は答えに窮して沈黙した。
優子さんは、手を繋いだまま俺の前に廻り込んで来た。
「でも、その方は人間じゃない……オオカミ様なのでしょう?」
まっすぐに見つめて来る彼女の瞳から目が離せない。
そして、彼女の瞳に涙が浮かんでいる事に気付いた。

空いていたもう片方の手も繋いでくる。
華奢な手はひんやりとしていた。
「……はい。俺は、オオカミ様の事を愛してしまったようです」

自嘲気味に呟く。
やはり、現実に存在するかどうかも解らない方を想っている、等と口にするのは憚られてしまう。
「そんなの、おかしいよ!」
突然優子さんが叫ぶ。大きな瞳から、涙の粒が零れ落ちている。

「だって、オオカミ様なんて、神様なんて現実に存在しない!もし存在したとしても、人間となんて結ばれる訳ない!なんで、そんな方の為に貴方が苦しまなきゃならないの!そんなの、お狐様にとり憑かれた晃さんと変わらないよ!」
俺の瞳をしっかりと見つめながら叫ぶ優子さん。
俺は驚きと、腹の底から湧き上って来る様な愛おしさに戸惑っていた。
「私は……私は○○さんが好き!初めて逢った時から、好きだった!だけど貴方は、貴方は……」
「あ~ん」と子供のように泣きじゃくり始めた彼女を両手で抱き締めた。
その瞬間は、彼女がこの世で最も大切な、護って上げたい存在だった。
泣き止み、しゃくり上げながら俺の顔を見つめる優子さん。
見つめ返すと、彼女はそっと目を瞑った。

俺は、彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
そっと唇を離すと、はにかむ様な、満面の彼女の微笑みがあった。
俺も恥かしくなり、彼女をぎゅっと抱き締める。
「えへへ……」

照れた様に笑い、彼女も俺の背中に廻した手に力を込めた。
その時、彼女の肩越しに誰かが立っているのを見つけた。
俺は優子さんを脅かさない様、抱き締めたまま人影に目を凝らした。
長い髪、切れ長の目、高い鼻梁、厚めの唇……。
あれは、お狐様!しかし、彼女は今までとは違う穏やかな微笑を浮かべていた。
まるで、俺達を見守るような、可愛らしいとさえ思える笑顔……。
その時、俺は気付いた。

お狐様の微笑みと、優子さんの微笑みがそっくりな事に。
瞳のキツさを除けば、まるで双子かと思うほど良く似ている。
そうだ、だから初めてお狐様に逢った時、優子さんの姉と名乗られても不審に思わなかったのだ。
「○○さん、どうなさったんですか……?」
優子さんが俺の腕の中で声を出す。

その瞬間、お狐様の姿はふうっと消え去った。
「いや、なんでもないです。そろそろ帰りましょうか」
「はい。ちょっと名残惜しいけど……」
俺は彼女の肩を抱きながら階段を降り始めた。


彼女を家に送り届け、泊まっていく様に薦めてくれる神主さんに明日仕事が早いのでと丁重に辞して家へ向かう。
日付変更線を超える直前に家に着くと、家の前の空き地に停まっていた車から誰かが降りてきた。
「こんばんは。兄さん、遅かったですね……」

「晃、か。どうした、こんな時間に」
「ちょっと、相談に乗っていただきたい事があって……」
俺はドアを開け、晃に入るように促した。
部屋に入り、灯りを点ける。
缶ビールを取り出し、口を開けて晃に渡す。

しかし、晃は今夜は帰るからと辞退した。
「で、相談ってのはなんだい?」
缶ビールをコップに注ぎながら問うと、晃が話し出した。
「実は、優子さんのことなんです……」
優子さんは前回の騒動以来、なんだかんだとウチの事務所に顔を出し、時々会計や帳簿つけの手伝いをしてくれるようになった。

また、親方やおかみさんもシャキシャキした気持ちの良い性格の優子さんをとても気に入っており、手伝ってくれた時にはバイト代もちゃんと払いなんだったら正式に就職してほしいとまで言っていた。
料理も上手く、よく気が利くので弟子達からも姉貴分として人気が高い。

「で、優子さんの素晴らしさは良く解ったし俺も知ってるが、結局何が言いたいんだ?」
優子さんの事を誉めるのは良いのだが、ちっとも相談事に入らない晃に業を煮やした俺は先を促した。

「……兄さんは、優子さんの事をどう想ってるんですか?」
突然の問いに、俺は口に含んだビールを噴出してしまった。
げほごほとむせる俺に台拭きを渡しながら、晃はこちらを見ている。
俺は平静を装いながら、逆に聞き返した。
「なぜ、そんな事を聞くんだ?お前には関係ないだろう」
少しの間を置き、晃が答えた。
「俺は……俺が、優子さんを好きだからです」
言われてみれば、心当たりが無い事は無かった。

優子さんが来ている時の晃の態度や、俺と優子さんが出かける時に何度か見せた。
ちょっと不貞腐れてるというか、拗ねているような態度。
そうか、こいつ……。
その時、先ほどまで一緒だった優子さんの姿がフラッシュバックした。
くちづけた時の柔らかな唇、抱き締めた時の感触と髪の甘い香りが鮮明に甦り、俺は気恥ずかしさと自分への苛立ちからつい語気を強めてしまった。
「お前が優子さんを好きだと言うのは解った。だが、それを俺に伝えてどうしようと言うんだ?
もし俺が優子さんと付き合っているなら、別れてくれとでも言うのか? それとも、そうだったら諦めようとでも思ってるのか?
それよりも、優子さんにお前の気持ちを伝えるのが先だろうが!」

晃はキッと俺を睨み、答えた。
「優子さんには気持ちを伝えました!そして、答えは貰いました……優子さんは兄さんが好きなんです……優子さんは、泣きながら俺に謝りました。どうしようもないくらい、兄さんが抄きなんだと……。

兄さんが想っているのがオオカミ様だと、とても敵わない方だと解ってるけど、でも死にそうな位好きなんだと……」

俺は返す言葉もなく晃をみつめた。

「だから、兄さん!お願いします!優子さんの……優子さんの気持ちに……」

最後は言葉にならない。晃は泣いていた。
その後、俺も晃も無言のまま、晃は帰って行った。
俺は今夜の自分の行動を思い起こし、自分の迂闊さを責めながら風呂に入り、寝床へと入った。
電気を消し、目を瞑るがまったく眠れない。
優子さんを愛おしく想ったのは勘違いなんかじゃない。

しかし、男女としての愛情であったのかは自信が無かった……。


結局眠れぬまま、窓の外が白んできた。
時間を見るとまだ午前五時前だ。
俺は起き出し、着替えるとヘルメットとグローブを掴んで外に出た。
バイクにキーを差込み、オオカミ様の社へと向かい薄暗い闇の中に滑り込んだ。
林道を走り、オオカミ様の階段下へ辿り着く。

その時、階段の上から誰かが降りてくるのが見えた。

『こんな時間に、一体……?』俺は不審に思いながらバイクから降り、人影に顔を向けるがまだ暗くて良く解らない。

しかし、靡く長い髪が認められた。
『まさか……オオカミ様!?』心臓がドクンと脈打つ。
俺は、逸る気持ちを抑えながら階段を上り始めた。
ハッキリとその顔が見えたとき、俺の全身に冷や汗が噴出した。
『あれは……お狐様!』

つい数時間前に見た、妖艶な姿がそこに在った。

足を止めた俺の所まで音もなく彼女が降りてくる。
そして、俺の横でピタリと止まった。
「久しぶり、ね。○○さん。逢いたかったわ……」
俺の目は彼女の切れ長の瞳に吸い付いたまま離せない。
しかし、やはりかつて感じた様な険は無い。

「ふふ、でもさっき逢ったばかりよね。貴方は優子と接吻してたけど」
紅い唇の端を上げ、妖艶に微笑う彼女。脳髄まで蕩かされそうな艶っぽさだ。
「優子は、良い娘よ。泣かしたりしないでね」
彼女は突然、固まったままの俺の頬に接吻した。

そして、そのまま階段を降り始めた。
「貴女は、誰なんですか!優子さんの、何なんですか!?」

俺の口から咄嗟に一体何を聞きたいのか解らない様な言葉が出た。
彼女は、少しだけ振り返りながら小声で答えた。
「私と優子は、○○○だから……」
「え……?」
肝心な所が良く聞こえず、聞き返す俺に目も呉れず彼女はふっと姿を消してしまった。
残された俺は呆然と立ち尽くしていたが、突然響き出した笛の音で我に返った。

振り返ると、階段の上にあの少年が立ち、笛を吹いていた。
少しの間、美しく響く笛の音に聞惚れていたがはっと我に返り、階段上の少年を見上げる。
俺を見つめながら吹いているようだが、薄暗さで表情は確認できない。
俺は意を決し、階段を上り始めた。
一段一段、しっかりと踏みしめながら上ってゆく。

少年の表情が確認できそうな位置まで来た途端、少年の姿が掻き消えた。
しかし、笛の音はまだ響いている。
階段を上り切ると、少年が社の前で笛を吹いている。
俺は一礼すると、鳥居を潜り社へと向かおうとした。
鳥居を潜ろうとした瞬間、俺の体はピタッと動かなくなった。

そして、俺の目の前に少年の顔があった。

オオカミ様と同じ、宇宙の深遠を思わせる漆黒の瞳に俺の目は奪われた。
息が掛かりそうなほどの距離で俺は少年と対峙している。
どれほどの時間が過ぎただろうか、少年の朗々とした声が響いた。
「迷いか、惑いか」
俺は意味が解らず、呆気に取られた。少年は繰り返した。
「迷いか、惑いか」

その時、いつか見た夢が甦った。
少年から手渡された髪飾りを抱きながら涙を流していたオオカミ様の姿。

そして、あの時の言葉。

「あのひとは……強い人です。迷う事はあれど、惑う事はありません」
全てが溶け去るようだった。
惑いも、迷いも。

俺は答えた。
「迷いも惑いも、今は無し」
少年の瞳に驚きの色が浮かんだようだった。

そして、オオカミ様とよく似た穏やかな微笑を浮かべ、すっと消えてしまった。
そのままへたり込み、俺は眠ってしまった。
目覚ましが鳴っている。俺はガバッと身を起こした。
辺りを見回すと、自分の部屋である。
まるで狐に摘まれた様で、何がなんだか解らない。
俺はバイクでオオカミ様の社に行った筈だったが……。
時間は六時半。いつも起きる時間だ。

夢、だったのか……?
まどろみながら見た、夢……?
昨夜からの出来事と、自分の迷いが見させた夢だったのか……?
釈然としないまま身支度をし、外に出る。
車に向かいながらバイクの脇を抜ける途中、マフラーに手が触れた。

熱い感触に驚き手を戻す。エンジンにも手を触れてみると、つい先ほどまで走っていたように熱を持っていた。


昼休み、優子さんの勤務先に電話をする。
優子さんに今夜時間を取ってもらうようお願いすると、電話の向こうで嬉しそうに了解してくれた。
今夜、彼女の喜びを壊す事になると思うと気が重かったが、このままでは彼女を更に苦しめてしまうと自分を叱咤した。
現場を早めに切り上げ、事務所に帰る。
そこには既に優子さんが到着し、おかみさんと談笑していた。

彼女の輝く様な笑顔は、昨夜の事があるからだろう。
俺を見つけると嬉しそうに駆け寄って来た。
「お疲れ様でした!」
無邪気な笑顔を見ていると胸が苦しい。

俺達が出掛ける寸前に晃が帰ってきた。
「デートですか。行ってらっしゃい」
晃は俺達を寂しそうに、しかし穏やかな微笑で見送った。

食事中も楽しそうに話をする彼女。

しかし、途中で俺の様子に気付き、心配そうに聞いてきた。
「どうしたんですか? 具合でも悪いの?」
なんでもないよ、と答える俺。
そして食事も終わり、彼女を送る為に車を走らせていると優子さんが頬を染め、はにかむ様にして微笑み、口を開いた。
「今夜は帰らないかも、って両親には言って来ました……。○○さん、今夜は、私……」
俺は申し訳無さで押し潰されそうだった。

ポケットの中に入っているお守りを握り締め、俺は口を開いた。
「……優子さん、ごめん。俺は、貴女の気持ちに応えられない……」
彼女は、微笑んだまま凝固した。
空気さえも固まった様な車内にどれほどの時間が流れただろうか。
「……え? ……ごめんなさい、意味が……解らない……よ?」

本当に混乱している。可愛らしい微笑を張り付かせたまま。
「俺は、貴女が好きだ。でも、それは親友として、妹の様な存在としてなんだ。男女の愛情ではないんだ」
俺の言葉は彼女の心を貫き、引き裂いた。
「……なんで……だって、昨夜……そんなの、ないよ…………」
彼女の表情から微笑が消える。

彼女は驚きと悲しみの表情を張り付かせたまま、黙り込んでしまった。
五分後、彼女の家の玄関に着く。

黙ったまま車から降り、ふら付きながら玄関へと向かう彼女を見送り、俺は車を出した。


翌日は重い気分のまま仕事に出たがやはり気が乗らず、仕事が遅々として進まない。
予定の半分程も進まないので弟子達は先に事務所に帰して俺は一人で遅くまで仕事したが結局捗らず、区切りを付けて事務所へと戻った。

ドアを開けると、真っ赤に泣きはらした顔の優子さんと晃が居た。
「……」

流石になんと言って良いか解らず、黙って自分の机に座る。
そして、業務日誌をつけながら口を開いた。
「優子さん、お話はちょっと待ってて下さい」
優子さんがこくんと頷くのを確認し、次は晃に聞く。
「親方は?」
「もう休みました……」
「そうか……」

しばらくは俺の鉛筆の音と時計の針の音だけが事務所に響いていた。

日誌を書き終わり、一つ深呼吸をしてから優子さんに声を掛ける。
「外に出ましょうか」
「いいえ、ここで良いです」

真っ赤な目で俺を見つめながら優子さんが答える。
俺は晃に帰宅するように促すと、晃は拒否した。
また、優子さんも晃に居て欲しいと言うので、俺は優子さんに向かって話し始めた。
俺は優子さんに再び詫びた。詫びるしか無かった。
優子さんの大ききな目から涙がポロポロと零れ落ちる。
しばらくの静寂の後、優子さんが嗚咽し始めると、晃が俺を睨みながら叫んだ。

「なんでなんです!優子さんをこんなに追い詰めて、悲しませてまでオオカミ様の事を想い続ける必要なんて無いでしょう!」

俺は晃に向かい、オオカミ様への想いの深さを語った。
それは、優子さんに聞かせるためでもあった。
しばらくの間晃と口論するうち、ふと優子さんの様子がおかしいのに気付いた。
下を向いたまま、何かぶつぶつと呟いている。
晃も異常に気付き、優子さんを見詰めた。
すう、と優子さんが顔を上げた。

その顔を見て、俺の背筋に冷たい汗が吹き出る。
同時に、晃が擦れた様な声でつぶやいた。
「お、お狐様……」
しかし、彼女は先日あった優しげな雰囲気は微塵も残していない。
それどころか、明らかに強烈な怒りの波動を持って顕現した。

「なぜ、泣かせたの……」

彼女の厚めな唇から、地獄から響いてくるような声が吐き出された。

すうっと椅子から立ち上がる。
俺も晃も、恐怖で半ば腰が抜けたようになってしまっていた。
「優子は、私の分身(わけみ)……貴方なら受け止められるのに……」

かっ、と目を開き、俺に近寄ってくる。
「赦せない……赦さない……優子の心を踏み躙ったお前を……」
その顔は徐々に獣のものへと代わりつつある。

背中を丸め、力を溜めるのが見て取れる。
俺も、晃もその顔から目を離す事も、動く事も出来ない。

「!?」
彼女が一瞬声にならない程の呻きをもらした。
瞬間、表情が優子さんのモノに戻る。
その一瞬、電光石火で晃が彼女を抱き絞めた。
「駄目だ!優子さん!目を覚まして!」

叫ぶ晃。

しかし彼女は暴れ出し、晃の肩にがっと歯を立て喰らい付いた。
晃の白いシャツが見る見る赤く染まる。
「晃!」

我に返った俺が駆け寄ろうとすると、晃が叫んだ。
「来ないで下さい!」

晃は暴れる彼女を抱き締め、押さえつける。
そして、彼女の耳元で叫んだ。

自分が優子さんをどれだけ愛しているかを。

「お狐様、俺は優子の為なら命だって惜しくない…俺を殺しても構わないから、優子を放してやって下さい!」
ふ、と彼女の体から力が抜けた。
晃の肩から口を離し、晃の血で染まった唇で彼女が俺に向かって問うた。

「お前は、あの方を想い続けるのか……」
「……はい、俺はオオカミ様だけを想い続けます」

「そう……」

怒ったような、優しい様な不思議な微笑みを見せ、彼女が呟く。
「もし、その言葉、違える事あれば、また逢いに来るわ……必ず、ね」
晃の腕の中でがく、と崩れる彼女。
既にその顔は優しげな優子さんの顔へと戻っていた。

ただ一つ、晃の血で塗れた紅い唇を除いて。

三日後、念の為に入院した優子さんが退院した。
晃は親方の許可を貰って付きっ切りで看病していた。
花束を持ってお祝いに行った俺に、二人は照れながら

「結婚、します」
と打ち明けてくれた。

俺は心から喜び、祝福した。

晃に促され、優子さんが俺の前に来た。
「○○さん、これからも、今までみたいに遊んでくれますか?」
「もちろん。俺達はいつまでも親友だよ」

優子さんはにこっと微笑むと、背伸びして俺の頬にキスをくれた。
「私、○○さんの恋を応援しますね!」

その笑顔は、少しだけ、お狐様の微笑と被って見えた。




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十年程前、親方の親友でやはり宮大工の棟梁であるKさんが病気で倒れてしまった時の事。

親方とおかみさんは急遽お見舞いに行き、俺は親方の代理で現場を取り仕切った。
三日程して親方達は帰ってきたが、Kさんの所の手が足りなくて非常に困っているので、俺が助っ人として行く様に親方から頼まれた。
俺は自分の仕切っている現場を親方と晃を中心に引き継いでもらい、地元から千キロ近く離れているKさんの所へと向かった。
Kさんは非常に古風な親方で、弟子達も常時ぶっ飛ばされたり小突かれたりして指導されているらしく、俺が事務所で挨拶した時にも皆おどおどした印象だった。

そして、Kさんから指示を受けているという弟子頭三人に仕事の現況を聞いても、今までずっと全てをKさん自身で決定してしまっていたので、弟子達はただ言われた事をやっているだけと言う状態で一向に埒が明かない。
結局俺は医者と看護婦に睨まれながら三日間、Kさんの病室に缶詰となり現在の仕事の状況とこれからの方向性を相談した。

三日間も仕事にならない状況が続いたので現場はてんやわんやとなってしまった。
俺はあちこちの現場を分刻みで飛び廻りながら指示をしたが、助かったのはK親方が弟子達に叩き込んだ技術が非常に優れている事で、指示さえすれば驚く程の正確さと技量で仕事をこなしていく。
また、基本が完璧なのですぐに応用が出来るようになり、メキメキと腕を上げていく。
俺は最初の頃、『厳しくも優しく仕事を教えてくれた自分の親方に比してK親方は頭が固くてちょっと困った方だ』と思っていたのだが、弟子達を見ていると、やはり本物の職人とは方向性を変えても間違いの無い指導をするものなのだと感銘を受けた。

俺も寝る間を惜しんで仕事をしていたので弟子達とはすぐに打ち解け、彼らも俺の事を慕ってくれるようになった。


俺が助っ人に来て二週間ほど経った土曜の夜。
現場から帰ってきて三人の弟子頭と酒を飲みつつ打ち合わせをしていると、二十歳になったばかりのA君が現場から帰ってきた。
「あれ? どうしたんだその顔は?」

A君の左目が腫れている。俺が問うと、彼は怯えたように答えた。
「いえ、何でもありません…。お先に上がります」

俺達を避ける様にA君は帰って行った。
A君はちょっと太目で動作が鈍く、他の弟子達から少々バカにされているが、K親方の目が行き届いているので職場での苛め等は無い。
また仕事は真面目で一生懸命であり、欄間の細工や彫細工が芸術的に上手いのでK親方も目を掛けているらしい。

心はとても優しく、非常に動物好きで、巣から落ちたツバメを育てて自然に帰したり、犬や猫が轢かれていると近場に埋めてあげたり、生きていれば自腹で
動物病院に連れて行きそのまま飼ったりし、今でも数匹の犬猫を飼っているとのことだ。

最近では一年程前に山の中の現場で仔猫を拾い、事務所から程近い自分の家で飼っているそうだ。
この猫も彼に非常に懐き、またすんなりとした姿の良い白猫で時々事務所にも姿を見せて、マスコットとして可愛がられている。

俺にも甘えるので抱き上げて可愛がっていても、A君の姿が見えるとさっさと彼の所に行ってしまうところが小憎らしいが。


俺はA君の顔の怪我が気になったので、弟子頭達に聞いてみた。
彼らは明らかに何かを迷っていたが、結局「知らない」と答えるのみだった。

俺は事務所の中にある空き部屋に借り住まいをしていて、弟子頭達が引き上げた後に布団を敷いていたらドアをノックする者がいる。
「開いてるよ」
俺が答えると「失礼します」と女の声がしてドアが開いた。
そこには、年の頃なら二十歳前後の透き通った白い肌の美女が立っていた。

「…どちら様?」
彼女から常人と違う気配を感じながら、俺は誰何した。
「私はAの彼女の舞と申します。○○さんにはいつもAがお世話になってます」
「…もうA君は帰りましたよ。自分の家でしょう」
「はい、分かっています。私は彼の家から来たのですから…あの、実は○○さんにご相談したい事があって…」


彼女の話はこうだ。
A君は高校を中退してここの弟子になったが、その原因の一つに高校での苛めがあったそうだ。

そして、当時A君を苛めていた不良グループが最近またA君に近づいてきて、金の無心をしたり彼を下僕の様に扱ったりしていると言う。
気の弱い彼は逆らえず、また他の弟子達も親方が居ないので、どうして良いか分からずに手を出し兼ねているとの事。

「…なるほど、それで俺にその不良を何とかしてくれ、と」
「いいえ、違います。それでは○○さんが居なくなったら元の木阿弥です。○○さんは古武道の達人っておかみさんに聞きましたので、彼を鍛えて上げて欲しいのです」
「なるほど。まあ、達人なんて程じゃないけどね。うーん…」

彼女はバッと三つ指を突きながら頭を下げ、
「お願いです。○○さんしか頼れる方が居ないのです…」
と瞳からポロポロと涙をこぼして訴えた。

「よし、解った。彼次第だと思うが、やってみるよ」
「ありがとうございます!ただ、私がお願いしたと言うのは彼に内緒にしてくださいませんか? 彼にも自尊心がありますので…」
俺が承知すると舞は俺に抱きついて礼を言った。

「もう遅いから送ろうか」と俺が言いながら外に出ると、数匹の犬猫が待っている。
「みんな、A君の飼っている子達なんです」
そう言うと舞は犬猫を引き連れて、何度も頭を下げながら帰って行った。

翌朝、俺はA君の家に行き、彼を叩き起こして稽古を始めた。
それから毎朝と仕事後に二時間程の稽古を行なうようになり、その内他の弟子達も稽古に参加するようになった。
初めは半泣きだったA君も、段々と面白くなってきたらしく進んで稽古するようになり、体も引き締まり、逞しくなって来た。

そして、K親方の退院の目処がようやくつき、俺が助っ人に来てから三ヶ月程が過ぎた頃。
A君が例の不良グループを追い払ったと言う話を弟子達から聞いた。
そして、翌日全身傷だらけにしたA君が俺にバッと頭を下げ

「ありがとうございました!」
と礼を言った。

そして、K親方退院の日。
俺の親方もお祝いにやってきた。

K親方は俺の手を握り、

「お前さんのお陰で、本当に助かった。ありがとう」
と深々と頭を下げてくれた。
そして俺の親方に向かって礼を述べ、二人の親方は涙ながらにガッチリと手を握り合った。


三日後、引き継ぎを終え盛大な送別会をしてもらった俺は、親方と一緒に帰途についた。
少し走ると、道端で女性が手を振っている。
車を止め、窓を開けるとそこには舞が立っていた。

「○○さん、本当にありがとうございました」
舞は涙ぐみながら礼を言った。

「また、遊びに来てくださいね!」
「ああ、また来るよ。元気でな」
俺は舞のキスを頬に受け、ちょっと照れながら車を出した。

ふとバックミラーに映る舞を見ると、そこには舞の姿は無く、一匹の白猫がしゃんと背を伸ばして座っている。
そして、その背後に犬と猫が数匹控えていた。

『ああ、やはりあいつだったか』と思いクスリと微笑う俺に、親方が質問のマシンガンを浴びせてきた。
「まあ、ゆっくり話しますよ」

親方に答えながら、俺はこの土地での充実した三ヶ月間を脳裏に思い返して




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とある休日、久しぶりにオオカミ様の社へと参りに出かけた。
途中、酒を買い求めて車を走らせる。
渓流釣りの解禁直後とあって、道には地元・県外ナンバーの四駆が沢山停まっている。

中には林道にはみ出して停めている車もあり、毎年の事ながらマナーの悪さに閉口しつつ、社へと上がる階段の前に辿り着いた。
小さな駐車スペースにも数台の車が停まっており、なんとか隙間に自分の車を滑り込ませて階段を上った。
すると、雪に覆われた境内に大きなテントが設置されていた。
また、水場には炊事用具やゴミが散らかっている。
流石に頭に来たが、当人たちは釣りに行き不在なので文句の言いようも無い。
こんな状況で心静かに祈れるわけもないので、取り敢えず散らかっているゴミと用具をまとめ、テントの中に放り込む。
そして、車に戻って木の板にマジックで
「ゴミはちゃんと片付けて帰って下さい。また、境内でのキャンプは禁止です」

と書き、テントの前に戻り立て掛けた。
そして、酒を捧げお祈りをしてから引き上げた。



しかし、家に戻ってからもどうも気持ちがスッキリしないので、夕方にもう一度お社へと出掛けてみた。
階段前には既に車は一台も無い。
そして、階段を上がってみると目を疑わんばかりの惨状が広がっていた。
俺の立て掛けた看板は二つに折られてゴミと共に燃やされており、ビールの空き缶とタバコの吸殻はあちこちに散乱している。
俺の納めた酒は瓶が叩き割られ、なんと水場には渓流魚を捌いた後のはらわたが大量に散乱している。

神のおわす場所で殺生を行うとは…。
俺は余りの事に頭が真っ白になったが、どこにも怒りをぶつけられずに震えるばかりだった。



なんとか片付け終わった頃には既に日は落ち、辺りは真っ暗である。
ため息をつきながらゴミ袋を抱えて立ち上がり、社に向かい一礼し頭を上げると、そこにはあの少年が背を向けて立っていた。
いつもの、穏やかな雰囲気は微塵も無い。

また、彼の体から蒼い炎のようなモノが吹き上がっている様にも見えた。
俺の口からカチカチと音が出ている。
恐怖の為に歯の根が合っていない事に気付くのにしばらく掛かった。
彼がこちらに向かってゆっくりと振り向こうとしている。

俺は『ヤバイ』と直感しバッとひれ伏し、頭を地面に着けて震えていた。

その一瞬の後、俺の横を熱い風が通り抜ける。
しばらくしてから体を起こすと、俺の横には一筋、雪が溶けて出来た道があった。


それから一ヶ月ほど経った後、恐ろしい夢を見た。
釣り人の格好をした見ず知らずの男四人が、雪溶け直後の大きな滝つぼで半ば溺れる様にして、真っ青な顔で震えながら必死で泳いでいる。
すると、そこに巨大な釣針が放り込まれ、男たちの首や体に突き刺さり宙吊りとなる。

そして宙吊りのまま、突然腹が割かれて臓器が湯気を立てながら零れ落ちる。
断末魔の絶叫を上げ動かなくなる男達。
しかし、また滝つぼに放り込まれると元に戻り泳ぎだす。
延々と繰り返される地獄絵図にたまらなくなり目を逸らすと、滝の上に誰か立っているのが見えた。
目を凝らし見つめると、それがあの少年の姿である事が分かった。

表情までは見えないが、いつもの微笑を浮かべている様だ。
しかしそこに慄然としたものを感じ、背筋が凍るような感覚に苛まれる内に目が覚めた。


後日、弟子の一人から県外から来た釣り人が四名行方不明になっているという話を聞いた。
それがあの男たちなのかどうかは確かめる術も無く、また必要も無いだろうと考え記憶の隅へと追いやった。





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晩秋の頃。

山奥の村の畑の畦に建つ社の建替えを請け負った。
親方は他の大きな現場で忙しく、他の弟子も親方の手伝いで手が離せない。
結局、俺はその仕事を一人で行うように指示された。
その社は寺社のような大掛かりな建物ではなく、小じんまりとした人一人が入るのがやっとの大きさで、中に親子の狐の石像が祭られている社だ。
一応稲荷と言えるが、地元の年寄りが掃除をする位の土着の社神である。

よく手入れはされているものの、ここ何十年以上も手が入っておらず痛みは激しい。
そこで、近所の農家のお年寄りがお金を出し合って建替える事にしたのだ。
小さいと言っても建替えとなればまとまったお金は要る。
農家のお年寄りが出せる精一杯の額だろうが、その額は材料代にも満たない額。
しかし親方は、「ようがす。これでやりましょう」と引き受けた。


馴染みの稲荷神社の神主さんにお願いし、祈祷をして貰った翌日。
車に道具と荷物を積み、現場へと向かう。
お社の前でお祈りをしてから社の中に入ってみると、仔狐を背中に乗せ、ちょこんと座っている可愛らしい親子の狐像が鎮座していた。
手を合わせ、

「お狐様、しばらく仮住まいに移って下さいませ」
とお願いし、弟弟子と一緒に丁寧に拭き上げ、そっと運び出す。
前もって造ってあるミニ社を畦道の片隅に置き、そっと親子狐様を安置した。
翌日からは俺一人で仕事に向かう。お社を丁寧に解体し、使える材料を選り分ける。
昼飯は近所のおばあちゃんが交代で弁当を持ってきてくれる。
昔ながらの田舎弁当が嬉しい。

十時と三時には漬物でお茶だ。ほっと一息つく、至福の時である。
ある日のお茶の時間、一人のおばあちゃんが
「○○ちゃん、わしらの出したおぜぜじゃあホントは足らんのじゃろう」

と言って来た。
「そんことは気にしなくて良いんですよ。親方がやる、と決めたんだから問題ないです」
「すまんのう、ただ働きみたいな事させちまって…」
「俺達は、ただ金の為にこの仕事してるんじゃありませんから心配しないで下さいね」
おばあちゃん達は涙ぐみながら、
「あんがとね、あんがとね」
と繰り返した。


そんな経緯もあり、俺の仕事に更に気合いが入った。
金や名誉より、人や神様仏様との触れ合いや心の繋がりこそがこの仕事の醍醐味なんだと改めて感じた。
そして、そろそろ初雪が来るだろうとおばあちゃんたちが話す中、お社は完成した。
その夜親方に完成報告をし、翌日同行して確認して貰える様お願いした。
翌朝起きると、とうとう降りて来た初雪で家の周りは一面の銀世界。

「ホントにギリギリだったな…」と呟き仕事場に向かう。
すると、親方が玄関の前にしゃがみ込んで首を傾げている。
「おはようございます。玄関先でしゃがみ込んでどうしたんですか」

「おう、おはよう。○○、こりゃなんだと思う?」
サクサクと雪を踏みしめながら玄関に向かう。

すると、親方の前には幅広の笹の葉に乗った古銭がじゃらっと置いてある。
「なんですか、こりゃ?」
「わかんねえ。朝起きたらあったんだ」
ふと周りを見回すと、獣の足跡が大小二つ、雪の上についている。
俺ははっとして、その足跡を追ってみると、お社のある村の方から続いている。
「親方、この足跡見てください」

足跡を見て、親方がはっとした顔をしてから顔を綻ばせた。

「おう、なるほどなぁ…義理堅い稲荷様だなぁ。こんなに貰っちゃあ、これ以上頂くワケにゃいかねえな」
親方は俺の顔を見て、にやっと笑う。

「さ。行くべか!」
「はい!」
俺達は車に乗り込むと、小さな足跡を追うように車を走らせた。






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