【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

実話怪談・都市伝説・未解決の闇・古今東西の洒落にならない怖い話。ネットの闇に埋もれた禁忌の話を日々発信中!!

カテゴリ: 海外系




418 :417:2001/06/07(木) 16:33
教えてだけでも何ですので、僕の怖かった話を一つ。

ドイツ郊外での話ですが、大学の夏休みに、友達二人と車で旅行に出かけました。
小さな民宿に泊って、その次の日は500キロくらい走行する予定だったので、皆で早めに床に就いたのですが、
夜中に友人がうなされて目を覚ましました。
どうしたのかと聞くと、
「すごい怖い夢を見た。クローゼットの中にオバケがいて、その奥の方の暗い部屋に俺を閉じ込めようとした」
僕は正直、いい歳こいてクローゼットのオバケってと呆れたのですが、
真剣に怯えているので、クローゼットを開けて、「ホラ何にもいないだろ」と安心させてやりました。

翌朝、宿の奥さんが朝食の時に、
「あなた達の泊ってる部屋に、大戦中ナチスから逃れるために作った隠し部屋があるんだけど、見せてあげるわ」
「それって、もしかしてクローゼットの奥ですか?」
「あら、知ってたの。でも、結局ここの住人だった人、見つかって収容所に入れられたんだって。
 悲しい話ねえ、戦争はもう懲り懲りよ」

ちなみに、その友人は半分ユダヤの血が入ってる奴で、その日は一日中ブルーでした。






5 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/06/22(金) 15:06
以前アメリカに住んでいた私の友人が体験した話です。

彼女は数年間、アメリカの企業で働いていたのですが、
その会社はかなり大きなオフィス街のビルに入っていました。
そのビルはほぼ正方形で、中央にエレベーターがついており、
東西南北どの方向にも出られる造りになっていたそうです。

ある日、友人はいつものように仕事を終え、帰宅する会社員やOLでいっぱいのエレベーターに乗りました。
1Fに降りた時、視線を感じてふと目をあげると、
こちらをじーっと見ている一人のお爺さんと目が合いました。
そのお爺さんはオフィスビルには不似合いなラフな格好で、
兵隊さんがかぶるような帽子をかぶっていたそうです。
その日は何か軍事的?な記念日だったらしく、
退役軍人のお年寄りでそんな帽子をかぶっている人を何人か見かけていたので、
友人は「なんでこんなとこにこんなお爺さんが?」と思ったくらいで、別に不審には思わなかったそうです。
目が合った時、お爺さんはにっこりと笑いました。
友人は「???」と思いましたが、無視するのも悪いと思ったので会釈をして通り過ぎ、
そのまま北側の出口から表に出たそうです。
お爺さんは西側の出口の方に歩いていきました。

※実は東西南北どの出口だったかまでは確認していなかったのですが、文章で説明する際、便利なので使わせて頂きます。


6 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/06/22(金) 15:07
友人はビルから出て、ビルの前の広い道路を横切りました。
すると驚いたことに、先ほどビルの中ですれ違ったお爺さんが向こうから歩いてくるのです。
相変わらず友人をじっと見つめながら。
西側の出口から出たお爺さんが、大きなビルをぐるっと回って北側までに戻り、
さらに道路の向こう側まで行ってこちらに戻ってくるのは時間的に不可能です。
(西側に行くフリをして友達の後ろからついていって、走って追い抜いたんじゃないの?と茶化してみましたが、大まじめに否定されました。
 
交通量の多い広い道路なので横断歩道を渡らなければならず、もし走って追い抜かれたならその時わかるはず、それにかなり向こうから歩いてきたもん、と言ってました)
友人は驚いて、初めてぞっとしました。
でも、もしかしたら自分の勘違いで、さっきのお爺さんとは別人かもしれません。
今度はさすがに怖かったので、視線を感じながらも目を合わせないようにしてうつむいて歩きました。
でも、すれ違いざまに、お爺さんに「また会いましたね・・・」と言われたそうです。

振り返らずに速攻逃げてきた、と友人は話してくれました。





16/09/08
中国主催の「人体の不思議展」に行った時は、心の中が修羅場だったな。

月齢(げつれい)の違う妊婦とか、タイミングを見て殺して●●を注入しないと作れないってその場で気が付いて、ずっと吐き気こらえていたよ。

その後中国共産党が法輪功(ほうりんこう)だっけか、そんな感じの宗派の人間を殺して、臓器移植の材料とか人体の不思議展の材料にしていたのを知ったわ。


810:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)19:07:07.64ID:5KBJhKfZ
>月齢の違う妊婦

ん?どういうこと?


811:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)19:12:49.29ID:UGa8lh2I
妊娠3ヶ月~臨月の妊婦の標本が胎児ごとに並んでたんだろ。


813:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)19:49:56.17ID:uneeUaWa
生きてる人間をそのまま標本にするから、ヨーロッパで一体一体すごく高値で取り引きされてた。

※プラスティネーション技術が中国へ伝わって、突然格安の人体標本が通信販売されるようになった。
※プラスティネーションとは、人間や動物の遺体、または遺体の一部(内臓など)に含まれる水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換えることで、それを保存可能にする技術のことである。
引用元:プラスティネーション-Wikipedia

しかも標本の体格、年齢、性別、子供だろうが、妊婦だろうが、何ヵ月の胎児のものだろうが、どんな注文にも自由自在に素早く答えてくる。

欧米の興行主もさすがに怖くなってきた。

生きたままの人間に薬品を注入しないと作成不可能な標本も多かったのだが、全て法輪功学者などの体だから問題ないとのこと。


814:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)20:31:28.59ID:xf/jJ1WE
問題ないって…人権もへったくれもありゃしないな


817:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)21:33:54.31ID:R2mKvq8e
ググったけど、オウムみたいなテロ行為も、新興宗教みたいに高額な物を売りつける詐欺もしない、太極拳みたいな気功やってる人たちだったんじゃないの…?

ただ中共が勝手に敵になるって恐れて弾圧したみたいなこと書かれてたけど。


818:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2016/09/08(木)21:39:02.99ID:6hR3Bvb2
敵を作らないとまとめられない中央政府だから


以下:法輪功-Wikipediaより引用

◎中国政府による法輪功への虐殺と人権侵害

1992年以降、爆発的に増え続けた法輪功学習者の数を警戒した江沢民(こう たくみん)が、「中南海事件」を契機に、1999年7月20日、彼自身の名により、おおやけに『邪教(じゃきょう)』であるとして、法輪功学習者への弾圧を開始したと各所から報じられた。

このとき彼は「当時、7千万人以上に及んでいた国内の学習者らが結託し、中国共産党を支持する人数を上回る大規模なグループとして、なんらかの政治的関与を行うのではないかと一方的に憶測し、恐れた」と言われている。

迫害の瞬間をとらえた画像や、国連や専門団体による調査書なども数多く存在している。

しかし、これまでに中国共産党の迫害により死亡した人数が、3397人に達したとする専門家の調査結果も出るなど、2011年現在も情報がさくそうし続けているのが現状であり、国際連合の専門機関は中国政府に詳細な調査をおこなうよう、現在も要求し続けている。

さらに2011年には、アメリカ連邦議会で迫害停止を求める605号決議案が可決されるなど、国家を挙げての大規模な迫害疑惑の波紋はさらに広がりつつある。

2011年現在は中国国内での存在がいっさい禁止されており、キーワード「法輪功」をネット検索する事や、おおやけの場で「転法輪」を読む、もしくは、同気功法を練習する等の行為は、公安から取締りの対象となる危険性がある。

駐日中国大使館は、法輪功をオウム真理教に例えており、法輪功は「人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団」であるとして、取り締まりを正当化している。


◎臓器狩り
2006年3月に、非法輪功“学習者”の中国人2人がワシントンD.C.にて、『法輪功学習者に対する臓器摘出が中国で行われている』といった内容の告発がなされた。

また、同時期に大紀元(だいきげん。メディア)も「瀋陽市(しんようし)近郊の蘇家屯(そかとん)地区に、法輪功学習者を殺して、不法に臓器摘出行為をおこなう収容所がある」と報じている。

その後、国際人権団体からの依頼を受けて、カナダの人権派弁護士デービッド・マタスと、カナダ国務省でアジア太平洋担当大臣を務めたデービッド・キルガーの二人からなる調査チームによって、詳しい調査が行われた。

その結果、52種類の証拠にもとづいて『法輪功という名の気功集団の学習者から臓器を摘出し、臓器移植に不正に利用している』という調査回答が入ってきたという。

この報告書によると、2001年から2005年に行われた臓器移植件数のうち、約4万件の臓器について出所が不明であるとされている。

その後、2006年8月11日に国連は不法臓器摘出行為についての申し立て書を中国政府に送付。

それから約5か月後の11月28日、中国政府は蘇家屯(そかとん)地区などをNHKなどの報道機関に取材させたことなどを証拠として挙げた上で国連に対して申し立て、それらの内容は事実無根だと主張した。

大紀元(メディア)は次のように報道している。

その後、マンフレッド・ノーワック国際連合拷問特別調査官は、「明らかに、中国国内の病院の臓器移植手術件数は、1999年から急激に上昇している。しかし、その数に相当するドナーは存在しない」と矛盾点を指摘し、これらの問題を解決するには中国政府の協力が不可欠であり、一日も早い調査を願うとした。

ちなみに、ノーワック自身も、2005年に中国国内で拷問調査を行っており、国連人権委員会に対し報告書を2部提出している。

そして、その報告書には「法輪功学習者たちは、心不全を起こす薬物を注射され、臓器を摘出されている間、あるいはその後に殺害されている」と記載されていた。

ノーワックは、「強制労働収容所に監禁されている人の大多数は法輪功学習者で、彼らは裁判を受ける権利も与えられない。また、法輪功学習者は国内の拷問被害者の約3分の2を占めている。これらの状況は、自分自身が中国から出た後も、まったく好転していない」と現在も訴え続けている。


以下:駐日中国大使館HPより引用

◆「法輪功」とは何か

「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志(り こうし)という人物です。

「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールをほどこすのです。

「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、健康になる」などとくどいて入門させます。

続いて彼の書いた「経書(けいしょ)」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばらまき、教祖のみが世界を救い、「人を済度(さいど)して天国に行かせる」ととなえ、信者たちを恐怖のどん底におとしいれて狂乱させます。

その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。

中国政府のこれまでの統計によりますと、「法輪功」の狂信者の中に、自殺或いは投薬や治療を拒否して死亡した者はすでに1600人を超え、精神に障害をきたした者は650余人に達したのです。また、殺人を犯した者は11人で、障害者となった者は144人にのぼります。

この中で、特に人を驚かせたのは、今年の1月23日、つまり中華民族が21世紀になって初めて迎える春節(旧正月)を前にして一家だんらんで過ごす大みそかに、7人の「法輪功」の狂信者が北京(ぺきん)の天安門(てんあんもん)広場で焼身自殺をはかる事件を起こしたのです。

その中の2人は未遂に終りましたが、4人がひどいヤケドを負って、顔形がまったく分からなくなり、1人がその場で焼死しました。ヤケドを負った4人の中になんと、12歳になったばかりの少女もいました。

彼女は「法輪功」に夢中になった母親に焼身自殺の現場に連れて来られたのでした。理性と母性愛をここまで失うとはと、人々を驚かせました。

事実が物語っているように、「法輪功」は日本国民に嫌われる「オウム真理教」と同様に、人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団そのものです。

中国政府は信教の自由を尊重します。しかし、他の国と同様に、カルト教団に対しては決して無視することは出来ません。

国民の強い要望に答え、法にもとづいてカルト教団である「法輪功」を取り締まり、厳しく打撃を与えることは、国民の生活と生命安全を守り、正常な社会秩序を維持するためなのです。







461 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/10/31(火) 02:09
女の子2人が韓国へ旅行に行った。


ブティックに入り、一人の女の子が試着室に入った。
だけど待てども待てどもいっこうに試着室から出てくる気配がない。 
カーテンを開けるとそこには誰もいなくなっていた。
店の人に警察に連絡してもら い、試着室、店内、近隣を捜索してもらったが結局見つからず、行方不明のままになる。
残された女の子は一人日本に帰った。 

そして3年後、別の友達と韓国へ旅行にいくと

「日本だるま」

という看板が目に付いた。
無性に胸騒ぎがしたその女の子はその看板がかけてある建物へとはいっていく。
そこは見世物小屋のようで薄暗い店内の奥の方に行方不明になっていた女の子が手足をもぎとられ日本だるまとして観客の前にさらされていた。
うっすらと開けた目が合ったとたん、その目をかっと見開き

「助けて!!」

とその女の子は叫んだ。 

今その女の子は、両親がマ〇ィアから高額な金額で買い戻し、日本に戻り、病院で過ごしているらしい。



626 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:2000/12/13(水) 23:51
>461 
だいぶ前の話題でアレなんだが、これに似た話を先日友人から聞いちゃったよ。 

なんでもその友人の知人が先月中国に行ったときに、森の中で迷子になりかけたと。 
そのときにどこか休憩できるところはないのかと探したところ、ふと「達屋」なる建物を見つけたそうです。
入り口には誰もいないので、真っ赤な壁に黒い天井の長い通路を進んでいったら日本人と思われる達磨が・・・ 
その中の一人が

「俺は○×大学の学生だが、3年前にやつらに捕まった・・」

などと話し始めたそうです。
隣の部屋から物音がするのに気づいた彼はさすがに怖くなり一目散に逃げ帰ったそうなのです。 
帰国後、興味と恐怖半々でその大学に問い合わせたところ実際に失踪した学生がいたそうな。 

達磨話をはじめて読んだのがここの461で、ただの都市伝説だそうなんで一安心したのですが、 
全然違う筋から同じ話を聞いてしまうとちょっと怖いです。
この手の話ってよくあるんですか?








938 :本当にあった怖い名無し:2007/03/08(木) 07:42:44 ID:+4G+OPd/0

メチャ長くなってしまいました。
長すぎるので、読むのめんどい人用に3行でまとめると、

ヨハネスで
あぼんぬされかけ

では本文。

 

以前務めていた会社は、海外の取引先が多かった。
自分は国内の取引先を担当しており、海外出張には無縁であった。
が、どうしても人員が不足し、「一度だけ海外出張してくれ」となった。
仕事でまた海外旅行に行ける、なんて甘い考えをこの時は持っていました。
で、場所はというと、取引先はロンドンにある企業であったが、
向こうの担当者が出張中であり、その出張先で落ち合う段取りとなっていた。
なんと、その場所とは南アフリカはヨハネスブルグ。
『リアル北斗の拳』『強盗遭遇率150%』『赤信号でも停まってはいけない街』
と、今ならヨハネスブルグの危険な情報は、ネット等で簡単に手に入る。
しかし、当時(1994年でした)はネットも普及してなく、
観光ガイドブックぐらいしか情報源がなかったのである。
それも、南アフリカとなると行く人が少ないからか、ガイドブックが少ない。
ようやく見つけた1冊を見ても、ヨハネスブルグについてはあまり書いていなかった。
後で知ったのだが、あまりに危険で観光に向いてないかららしい。
まぁとにかく、前情報をあまり得ることが出来ず出発。

 

 

939 :本当にあった怖い名無し:2007/03/08(木) 07:43:16 ID:+4G+OPd/0

クアラルンプール経由で、ヨハネスブルグ国際空港に降り立つ。
空港を出、サントン地区という白人居住地区へ向かい、仕事をこなす。
なんと、初日で商談が成立してしまい、残り2日間が暇になってしまった。
とりあえずその日は宿へチェックインし、明日以降の計画をたてるべく、宿の主人に相談してみた。
返ってきた答えは、「この地区の外へは出るな。本当はこの宿から1歩も出ないのが理想だ」というもの。
主人は「危ない」を連呼していたが、
海外は危なくて当然と、自分の物差しで測った“危なさ”ぐらいだろうと高を括っていた。
そして、変な怖いもの見たさみたいなのも手伝い、
「よし、明日はこの街を探検するぞ」と決心し床についた。

 

そして次の日の朝、宿の前でタクシーを拾い、目的地を地図で見た適当な地名を告げた。
すると、白人の運転手は「そこへは行けない」と言う。
「アジア人だからナメとるな」と思った。
その当時アパルトヘイトが廃止された直後であり、初日から白人の横柄さが目立っていたのだ。
「ダメだ行け」というと、運転手は泣きそうな顔になり、
「お願いします。途中までは行きますから」と言った。
ただ単にナメられてただけだと思っていたので、運転手のその反応は意外であった。
なんか可哀想になったので、「じゃあ途中までで良いよ」と告げた。
車は綺麗な建物が並ぶサントン地区を抜けた。
その途端、周りの建物が豹変する。
汚く、壊れた建物が多くなった。歩いてる人達も、白人から黒人に変わった。

 



 

940 :本当にあった怖い名無し:2007/03/08(木) 07:44:15 ID:+4G+OPd/0

とあるバス停の前でタクシーが停まった。「ここからバスに乗れば目的地に着ける」との事。
まぁその場所に行くのが目的ではなかった為、その周辺を歩いてみる事にした。
歩きだして5秒ほどで、周囲の視線に気付く。
刺すような視線。猛獣が獲物を見定めるかのような視線っていう類のモノだ。
『なんだかよくわからんが危険』
日本に住んでいてはあまり使われることのない、体のどこかに備わったセンサーがそう告げる。
汗腺から一気に汗が噴き出てきた。心臓の動きが急激に高まり、息が苦しくなった。

 

歩いている先に、身長190cmはあろうかという黒人が2人。
ただ単に、こちらに向かっているだけ。
しかし、何故か普通にすれ違うという想像が出来ない。
絶対に何かしらの接触をしかけてくる、それも良くない方向のもの、という事が何故か解ってしまう。
危険、危険、・・・体がサインを出す。
体が固まってしまい、歩けなくなってしまった。棒立ち。言うなればそういう表現が正しい。
しかし、その二人組が十数m先で、急に「やれやれ」みたいなジェスチャーを取った。
その刹那、頭に衝撃が・・・

 

気がつくと地面に横たわっていた。ズボンのポケットを何者かがまさぐっている。
その手はサイフを見つけ、何の躊躇いもなく引き抜いた。
中身を確認したらしく、上から「しけてやがる」みたいな声が聞こえた。
万が一を考えてカードは宿に隠してきて、現金50ドルほどを入れていただけだった。
気付かれないようにうっすらと目を開ける。顔が向いている方に一人立っていた。
背後にはもう一人の気配がある。どうやら二人組のようだ。

 

しばらく、気付いてはいるが、とにかく気を失っているふりを続けた。
すると、背後の一人がとんでもない一言を吐いた。
「殺してもいいよな?」
それを聞いたときに、汗腺がまた開いたのがわかった。
バっと立って思いっきり走るか・・・?
まず体が動くか確認した。二人に気が付いている事を悟られないように足、手、首をわずかに動かす。
体は大丈夫であった。そして、一気に立って走った。学生時代でもこんなに機敏に動いた事は無いと思う。
後ろでは何か叫んでやがる。だが、聞き取れない。
すると、後方から大きな音がした。
明らかに発砲の音である。3回ほど聞こえたが、無事当たらずにすんだ。

 

 

941 :本当にあった怖い名無し:2007/03/08(木) 07:44:52 ID:+4G+OPd/0

数百メートル走った所でしんどくなって止まり、後ろを確認すると追って来ている気配はない。
良かった・・・と思ったのもつかの間。
道路を挟んだ反対側の歩道にいる4人組が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。
その内の二人はなんと、拳銃を持っているではないか。しかも、道路を渡って来ようとしている。
こいつらに襲われたらもう逃げられない。
頭がパニックになりかけた時、タクシーが迫ってきていた。咄嗟に止める。
タクシーに無事乗り込み、すぐに出させ、一難は去った。

 

運転手に宿の名前を告げると、「わからない」と言う。
仕方ないので宿の近くにあったマーケットの名前を告げると、わかってくれた。
しかし、まだ緊張は解けない。
「何人だ?」
運転手が聞いてきた。日本人であることは悟られない方が良いと思い、「中国人だ」と答えた。
運転手は「Ha」と一言言うと黙ってしまった。なんかタクシーの運転手までもが怖く思える。
しかし、車はちゃんとサントン地区に向かってくれているようだ。
見覚えのあるビルが近づいてきていた。

 

20分ほどで目的地のマーケットに着いた。宿は目と鼻の先だ。
靴下の中に隠していた金を取り出し、多めに渡す。運転手は喜んでいた。
俺もなんとか帰って来られた事に小躍りしていた。生きているって素晴らしい。

 

 

942 :本当にあった怖い名無し:2007/03/08(木) 07:46:00 ID:+4G+OPd/0

宿に帰り、主人にその日の出来事を話すと、「運が良いなお前は」と言われた。
「いや、タクシーが来たのはいいけど他は最悪だろ」と言うと、
「そのタクシーの運転手は黒人だろ?
 黒人のタクシーで目的地に着けるかは運次第。それも、分が悪いギャンブルだ。
 それに普通なら、最初襲われた時に殺されててもおかしくない」などと言う。
しかしよく聞いてみると、俺の行ったエリアは危ないとは言え、ヨハネスブルグでは比較的安全なエリアらしい。
本当のダウンタウンに足を踏み入れてしまったら、まず外国人は生きては帰れないとか。

 

次の日は、空港に行くまで1歩も宿の外に出ることなく過ごした。
空港で出国手続きをし終えたところで、ようやく安堵感が得られた。
帰ってから上司に思いっきり文句を言い、焼肉を食べさせて貰った。

 

あの危機感は、日本に住んでいる限り絶対に味わうことのない物だ。
日本でもヤクザやギャングまがいの若者などは怖いし、殺人事件も多い。
しかし、あの“街全体が捕食者”みたいな感覚は絶対にないだろう。
今でも当時の夢を見て、飛び起きることがある。
もう絶対に忘れられない。

 

長文失礼しました。

 






650 :本当にあった怖い名無し:2012/05/11(金) 18:06:25.97 ID:N1yLwRLJ0
山というか密林だけども、
友達から伝え聞いた怖い話でも某国の田舎州の北西部は、未だに人類未踏の地が多々残る場所。
何故かというと、天候が酷いわ(1年で晴天の日は3日程度と言われるくらい)、
密林がうっそうと茂りすぎていて人が入れんわとすごい環境だから。
まぁチェンソーなどあれば入ろうとすれば入れるんだけどね、入ろうとしない。
というのも、監獄時代だったときに脱走した囚人が、
その地域で仲間の囚人を食べて生き延びたという、カニバリズムな実話があるから。
そしてその囚人の霊が彷徨っていて、それに見つかったらやっぱり食われるんだとさ。
田舎州で観光に依存してるところもあるから、表ざたにはならんけどね。
映画の元ネタにもなってるんで知ってる人はいるかも

652 :本当にあった怖い名無し:2012/05/11(金) 18:43:39.59 ID:D/GBlJjK0
>>650
アマゾン部族の食人土人(クリナ族)が数年前に人食べて逮捕されてたよw
特別指定区の住人だからすぐ釈放されたけど

山、遭難恐怖、食人映画と言えば『ALIVE"生きてこそ"』(※ウルグアイ空軍機571便遭難事故を題材にした映画)思い出すな


653 :本当にあった怖い名無し:2012/05/11(金) 18:55:54.32 ID:/AJTTXk00
絵描きの息子だっけかが、夢で草原みて助かるんだよね。
オカっぽいよね。

654 :本当にあった怖い名無し:2012/05/11(金) 19:06:08.69 ID:N1yLwRLJ0
>>653
アンデス山脈のやつだね。これも実話だったっけか

南米でまた思い出したが、
以前みたTV番組で、アマゾンに冒険に行ったヨーロッパ人のバックパッカー2人が、ジャングルの中で思いっきり迷ってしまった
何の幸運か、この周辺に詳しいと自称する白人と巡り合う
友人その1は白人を信用しまくり、友人その2は怪しいと感じるように
結局、その1は白人と行動をすることに、その2は川を下って自力で脱出しようと試みる
その2、なんとか無事に生還。しかし友人その1の行方は分からないまま……

TV番組では、その2が実際に出演していて、その1と別れた場所にテレビ局と行ってた
でも、全く手掛かりっぽいものは無かったらしい
ジャングル怖いよジャングル





920: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/07/14(火) 14:16:35 ID:nVeEJRTj0
先月、久しぶりに会った幼馴染Aから聞いた話。

Aは、とある事情でオランダに住んでいた。
先月ようやく帰国したんだけど、曰く、「逃げ帰ってきた」そうで。

俺はAとメッセンジャーでちょくちょく連絡取っていたので、
Aが何から「逃げた」のか、だいたいは知っていた。
ざっくばらんに言うと、家に住み着いたというゴーストだ。

そのゴーストは、黒装束を着ていて顔が見えない。
一匹ではなく、数匹居るようだ。
夜になるとAの周辺いたるところに現れて、好き勝手にふるまうそうだ。
斧で子供の腕のようなものをゴトン、と大根切りしている姿を見ただの
煮込んでいる鍋から手のひらが飛び出ていただの
庭に灰でおかしな図形が書かれていただの
あと道に小さなホネが撒かれてただの
Aはよくそんなことをメッセンジャーで伝えてきていた。

俺はAがストレスから精神を病んだのではと思った。
マジメに病院に行け、と何度か言ったことはあるんだけど、Aが言うには
「いや俺だけじゃない。近所中で黒装束がウワサになっている」と訴えてきた。
変な新興宗教か、あぶない黒魔術とかやってるんじゃないの?と言うと
「でも実体が無いんだ、ゴーストなんだよ」という不気味なレス。

で、Aはとうとうそのゴーストに負けて帰ってきたわけ。
Aが居たのはオランダのユトレーヒトって街の郊外です。
話によると、そこの通りに住んでいた住人たちも次々と家を後にしたそうな。
Aはむしろがんばって残っていた方だった。
こういうことってあるんですね。

944: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/07/14(火) 18:19:42 ID:esmMLWUV0
>>920
日本と違ってハリウッド的でいいなあ
斧で腕をゴトンとか、鍋から手のひらとか
アトラクションに使えそうじゃん?

アジアはなんかインザンで残虐

947: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/07/14(火) 19:10:21 ID:9xlHoD4mO
>>944
スパッグシャッズバッってのもいいけど
陰惨で残酷な湿った感じの日本的なのも好き









セレクトショップ勤務の俺は時々海外買い付けに走らされる。

有名どころのブランドでなく、誰も知らない良いものを世界から買い付けて日本に紹介するのが俺の仕事だ。

出張は主に欧州が中心だが、ある時オーナーの思いつきでアジア圏を旅しながら面白いアイテム探しをする事になった。

海外慣れしているとはいえアジア圏は欧州と違い、独特な街が多く、また風変わりなものを扱った店も数多くあった。

タイからベトナムへ渡る道中、某地方都市の散策中に日本語の看板が目に止まった。

日本語併記の看板自体はそう珍しくなく、目をこらせば結構見つける事が出来る。

しかしそれでも思い切り目を引いたのはその字面だ。

見世物あります

見世物なんて言葉、現代日本でもなかなか見やしない。

そういう店が日本にあったとしても倫理的な問題でソッコー潰されるだろう。

大いなる好奇心と一握りの怖さを胸に店内に入ると、そこは至ってフツーのシーシャ屋だった。

シーシャってのは水タバコね。

ぼんやりした髭面の店主はこちらを見つけると、何やら現地の言葉で嬉しそうに話ながら奥へ来るよう俺らの手を引いた。

奥からは濃いバニラの香りが漂ってくる。

天井から下がった、かつては美しかったであろう薄汚れた布をめくるとそこには五人ほどの痩せた人間が身を寄せ合い、体育座りをしていた。

全員腰布だけを身につけており上半身は裸。何より異様だったのはその頭部だ。

普通の人間の頭のサイズの3〜4倍はある。

汚い包帯でぐるぐるに巻かれているため顔の確認は出来ない。

黒く乾いた血のようなものがこびり付いた包帯は、もうずっと取り替えられていなさそうだ。

「うっ・・」

思わず声をあげると、そいつらは一斉にこちらを見た。

見た?と言っても顔が分からないんだが、とにかくこちらの気配に気づいたようだ。

立ち上がろうとするそいつらを尻目に、俺らはさっさと店を出て走って逃げた。

残念そうな声で何か喋ってる店主の声なんか気にしてる余裕も無かった。

オチも何もないけどこの話はこれで終わり。

店に残っていたら何を見る事が出来たんだろうか。

あの奥の部屋に充満していたバニラの香りを嗅ぐと、今でも脂汗が出てくる。









123 :本当にあった怖い名無し:2007/04/05(木) 19:10:10 ID:i8tvG8Q/0

私はある国で勤務している大使館員です。
もちろん、いまは海外からアクセスしています。

 

今年の夏、家族(妻、子供(5歳、3歳))を車にのせて、国境の山岳地帯に夏休みの旅行にでかけました。
世界でも有名な山の隣町です。
観光シーズンだったのですが、事前にホテルを予約していたので、何の問題もなく旅行を楽しんでいたのですが、明日そこを出発しようとする日、それは起こったのです。

 

 

123 :本当にあった怖い名無し:2007/04/05(木) 19:10:10 ID:i8tvG8Q/0

その日は午前中、ホテルの付近の山を散策していました。
昼になり、家内が突然「○○山(有名な山)を見に行きたい」と言い出しました。
その山はケーブルカーで山頂近くまでいけるのですが、
以前一度登ったことがあるので、私は乗り気ではありませんでした。
しかし、家内があまりにしつこく言うので、車を30分ほどとばしてその山まで行ったのです。

 

ケーブルカーを登っていると、途中から天候が荒れてきて視界が悪くなり、
ケーブルカーでも休憩所でも観光客は私達だけでした。
それでも、「こんなふうに山を独占できる機会はそうないね」と、
家族で写真をとったりしながら数時間を過ごし、山を下りてホテルに戻りました。

 

満車に近いホテルの駐車場に車を入れてすぐ、もっと良い場所が空いたので車を回そうとしたのですが、なぜだかエンジンが全くかかりません。うんともすんとも言わないのです。
もう夕方でその日はどうしようもなく、食事をして(最後の日になるはずの)ホテルでゆっくりとしていました。

 

ところが、どうにも部屋が気持ち悪いのです。
ベッドの上でいろいろと考えてみると、そういえばこのホテルに着いてから、妙に寝付きが悪いことを思い出しました。
毎日、毎日、人が死ぬ夢を見ているのです。
隣の家内にそれを話すと、「不思議だ、自分も同じだ」と言います。
家内が続けて言うには、
「このホテルに着いた初日、真っ赤な朝焼けで起きた。
 あんまり綺麗だったので、もう一度見ようと思い毎朝早く目を覚ましているのだが、
 今考えると、窓は北向きで不思議だ。
 遮光カーテンを通しても窓のサンが壁に映っていたが、そんなことってあるのだろうか…」
と言い出しました。
そこで、びくっとしました。不意に部屋の電話が鳴りだしたのです。とると無言電話でした。
時間は12時すぎです。
こわくなってきたので、もう寝ることにしました。

 

でも、やはり見た夢は人が死ぬ夢でした。
全身汗をかいて目が覚めると、時間は2時半ころ。
うつらうつらしながら考えました。
なぜ、毎日人が死ぬ夢ばかりみるんだろ。もしかしたら、誰かが本当に死んでいるのかも…
そう思った瞬間です。
全身がぞくぞくっとして(こんなことは初めてなのですが)、身体がいわゆる金縛りのようになり、
目の前が真っ白になりました。
そして光の中から、一人の男の顔がこちらに近づいてきたのです。
光が強くて輪郭だけしかわかりませんでしたが、30歳前の若い感じでした。
そして彼は私に話しかけるのです。
それが不思議なんですが、早送りの映画の字幕を見ているみたいというか、
イメージが目の前に溢れてくる感じでした。

 

 

123 :本当にあった怖い名無し:2007/04/05(木) 19:10:10 ID:i8tvG8Q/0

彼は言ったことをまとめれば、次のようでした。
「お前の車は動かない。
 しばらくウチには帰れないだろうが、すっとここにいなければいけなかった俺の気持ちが分かるか?
 俺はお前みたいに子供を持つこともできないうちに、こんなことになってしまったんだ」

 

書いているうちに、当時のことを思い出して身体が固くなってきたので、ゆっくりと書きます。
この話は、関係者の方もおられる話なので、公にするのは不謹慎かもしれせんが、
なぜだか多くの方にお話しすることが、自分の役割のような気がするのです。
決して事件を面白ろ可笑しく仕立てるつもりはありません。
また、関係者の方がもしこれを読んでおられたら、
本当に申し訳ありませんが、ご容赦のほどお願い申し上げます。

 

続けます。
そこまで彼が言い終わったとき、ふっと身体の固まりがとれました。
不思議とその直後は冷静で、隣にいた家内に声をかけました。
「起きている?今ものすごいことが起きた…」
そこまで話した時、ふと誰かが窓から見ている気がしました。
窓を見ると、完全には閉じていなかった遮光カーテンの隙間から、真っ赤な街灯が見えます。
街灯?それは狂ったように、窓の周りをぐるぐるとまわっています。ひとだま?
家内と窓を凝視したまま、身体が固まってしまいました。

 

恐る恐るカーテンをあけると、窓の外はうごめく赤い火の玉で一杯でした。
急にものすごい恐怖心に襲われました。
なぜだか喉が無性にかわいている自分に気付き、
置いておいた1リットル近いミネラルウオーターボトルを一気のみしました。
子供は大丈夫だろうか?
急に続き部屋に寝ている子供が急に心配になり、家内と二人で子供のベッドに走りました。

 

幸い、子供はすやすやと寝ていましたが、
もう自分のベッドに戻る気もしないので、そのまま添い寝をしようと寝ころんだ瞬間、二回目の金縛りにあい、光の中から再び彼が目の前に現れました。
彼は言いました。
「山に登る人間が、山で死ねば本望だというのは嘘だ。自分は早く日本に帰りたかったんだ」

 

 

123 :本当にあった怖い名無し:2007/04/05(木) 19:10:10 ID:i8tvG8Q/0

突然電話のベルが鳴り、私は正気に戻りました。
隣では家内の顔が恐怖でひきつっています。
電話をとると…やはり無言電話でした。

 

そして三回目の金縛りにあい、今度は彼は言いました。
「いろいろ迷惑をかけてすまないけど、僕(俺でなくて僕と言いました)は本当は悪い人間じゃないんだ」

 

金縛りが解けて、私は家内に言いました。
「悪い人じゃないって言っているよ…」
言った瞬間、ビシビシビシと部屋中から家鳴りがして、
家鳴りは朝まで続き、ほとんど眠れないまま家族で夜を明かしました。

 

翌朝になって、ホテルのフロント頼んで車の修理業者を呼んで貰いました。
一応念のためフロントに確認しましたが、やはり誰も私の部屋に電話しなかったということでした。

 

昼近くになっても車は直りません。
その日は午後にも出発し、次の目的地の海岸に行く予定でしたので、
修理業者に確認すると、故障している理由が判らないといいます。
ようやく夕方になって修理業者から電話があり、
車の鍵穴が壊れていてスターターが回りっぱなしになり焼き切れている、何か無理なことはしたのか?
部品を取り寄せるから修理には2日かかる、ということでした。
ホテルの方が、なぜだか私の次に同じ部屋に泊まる客が体調不良でキャンセルになったとのことで、
再び同じ部屋に泊まることになりました。

 

幸いその後の2日間は何もなく、車もどうにか直って、2日遅れで次の目的地の海岸街に着きました。
その街で、別途休暇を取っていた同僚一家と一緒になり、
食事を共にしながら2日前の出来事を話すと、彼は青くなって聞き返しました。
「それって何日のこと?君知らないの?
 その日、遭難していた日本人登山者の遺体が、30年ぶりに発見されたんだよ」
ちょうど家族でケーブルカーで登った山から、全く同じ時間に、
氷河の中から日本人登山者の遺体が発見されていました。
遺体は約30年かけて氷河とともに1000メートル下り、地元の警察に発見されたのでした。
その方のお名前は、私の長男の名前と同じでした。
同僚は強く言いました。
「今、地元の総領事官が遺族と連絡をとっているが、この話は担当者に話しておいた方がいいと思う。
 何だかそんな気がする」
しかし私は、こんな話を皆にすればするほど、何だか自分が馬鹿に思われそうで、
同僚の忠告を話し半分に聞いていました。
翌日、海岸で子供を遊ばせている頃には、その忠告のことはすっかり忘れていました。

 

予想外のトラブルがあったため、明日はもう休暇の最終日。海のバカンスはたった一日だけでした。
家族とホテルのテラスで夕食をとりながら、「それにしても不思議な旅だった」と振り返り、
でもまあ、あまり人に話すと変だと思われるから、地元の総領事館に電話するのはやめておこう、
と話しかけた瞬間、ズボンのポケットに入れておいたカメラが足下の砂浜に落ち、綺麗に真っ二つに割れました。
海の休暇の写真はダメになってしまいました。

 

おいおい、と思いながら夕食を終えてエレベーターに乗り込むと、
ボタンを押してもないのに動き出し、開いた扉の目の前には、山のホテルと同じ部屋番号がありました。
家内はすでにそうとう怯えていましたが、何とか気を取り直し、翌日出発しようと車の鍵を回すと…動きません。
何度やっても動きません。前と同じ症状です。いやもっと酷いようです。
ホテルを通じて修理業者を呼ぶと、
予想していたとおり、巨大な力で鍵穴がねじ曲がっていて、スターターが粉砕されている。
酷い状況なので修理には数日かかる、ということでした。
電車で家に戻ろうと駅に問い合わせても、翌日の便しかないとのこと。
どうしようもないと諦めて、職場の大使館の上司の許可をとり、休暇を一日延ばすことにしました。

 

 

123 :本当にあった怖い名無し:2007/04/05(木) 19:10:10 ID:i8tvG8Q/0

そしていろいろ考えるうちに、
もしかしたら総領事館の担当者に連絡を入れないから、いつまでもこんな目に巻き込まれているのかもしれない、
被害者は、遺族に自分のメッセージを伝えたいのかもしれない、
と思うようになりました。

 

翌朝一番で総領事館に電話をしました。
休暇中の職員が多い中で、残っている担当者はこの案件でてんてこ舞いのようでした。
幸い知り合いの領事が担当でした。
これまでの経緯を話したところ、相当驚いており、
「数日後に遺族の方がこちらに来るので話しておく」と言われました。

 

そして電車を使ってどうにか家へ戻りほっとしましたが、車は修理工場に置いてきたままです。
3日位で直るというはずが、何日たっても直りません。
毎日催促しているうちに、工場の担当者が、
「注文した部品が届いたが、みると箱の中が空だったので再注文している」などと言い出す始末です。

 

そんな中、総領事館の担当者から電話がかかってきました。
「2日後にご遺族がこちらにくることになったが、ご遺族は君と話したがっている。
 どうやらご遺族も、日本で不思議な体験をされているようだ」
との連絡を受けました。

 

そして、ご遺族が当地に来られる前の日のことです。
夜も12時になろうという時、一本の電話がかかってきました。
起きていた家内が電話をとり、しばらくして青い顔でやってきました。
何か変な電話。無言なんだけれど、電話の向こうからウチの中の音が聞こえる…。
私がかわって聞いてみると、たしかに、
ウチには変わった音のする時計があるのですが、その時計がなる音が電話の向こうからします。
しばらく家内が我慢比べのように電話を聞いていましたが、突然「ひやぁ」と素っ頓狂な声をあげました。
低い男の声で「さよなうなら」って言われて電話が切れた、というのです。

 

翌朝、修理工場から、車が直ったとの連絡がありました。
出来過ぎたような話ですが、電車に乗って取りに行くと、確かに直っていました。

 

その後、総領事館のはからいで、ご遺族の方と電話で話しました。
遭難者のご両親は既に亡くなり、弟さんと、当時一緒だったパーティーの方が来られていました。
遭難者は当時20歳代前半の方でした。
ご遺族の方に一通り体験したことをお話しすると、しばしの間のあと、
「今日は彼の言葉が聞けて本当によかった。自分たちがもう遺体を引き取って帰るのでご安心下さい」
とのことでした。

 

当時、浮き石に足を取られて滑落した被害者は、大きなクレパスに落ちたそうです。
クレパスは非常に危険なため、クレパス中に食料一式を落とし、救助活動は即日打ち切りとなったそうです。
一緒に滑落し、ロープに腕がひっかかって助かった当時一緒のパーティーの方は、
「今までなんともなかった腕が、今年の滑落した日から突然腫れ上がったが、
 ミイラ化した遺体と対面して、腫れがうそのように消えた」
とのことでした。
中には「夏頃日本に帰るから」と、本人が夢枕に立った方もおられました。

 

それからは、私の身の回りには何も起きていません。
なぜ自分がこのような目にあったかは良くわかりませんが、自分の“役目”は果たせたような気がしています。
長い時間おつきあい下さり、皆様本当にありがとうございました。








872: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/06/27(月) 00:04:13.20 ID:ZCbUv1Nu0
各国を旅していた時の話
とある国の奥地
普通では行っては行けない場所、寄れない場所
降りてから少しばかり歩くと村がある
村と言ってもかなり原始的な村だ
小高い崖に横穴を掘り柵を設け住居にしている

これだけ言えば分かる人には分かるだろう
そこに数日間滞在していた時の文明の機器を餌に仲良くなった髭長から聞いた話
色々と面白い話を聞かせてもらったが特に興味深い話をひとつ
崖の内部構造はビルのように1階2階とあり各層に部屋が数部屋あるが地下もある
地下の装飾した一室、そこの床下の木製扉を開けると更に下に地底へと続いているというのだ
どこまで続いているかは詳細不明

昔そこに入り込んだ者がいたが数日経っても戻って来ず死んだものとされている
他の村民が2人探しに行った事があるが内部はかなり険しく死体らしきものはなかった
途中で道が途切れたところで暗闇に光を向けるが何も見えないのでデカイ石を落としてみると遥か下で着水した音が聞こえる
その後、何かが近づいてくる音と共にこちらに迫るくらいの巨大な音がして怖くなり命からがら戻って穴を埋めたという
実際に行って木製の扉開けて見せてもらうと確かに埋め固められていた
嘘かどうかはわからないがとても印象深かった話






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