【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

実話怪談・都市伝説・未解決の闇・古今東西の洒落にならない怖い話。ネットの闇に埋もれた禁忌の話を日々発信中!!

カテゴリ: 風習&信仰




653: 案山子の肉 02/07/05 01:03
ガイシュツだったらごめんね。



大昔、まだ日本が貧しかったころ..。特に東北の地方では、その年の天候によって作物が獲れない事が多かった。
それでも人間、やることはやる。子供ばかり増える事に悩む若い夫婦がいた..。
『あんた、もう食べる物がないよ』ヒステリックな奥さんは今日も大声で怒鳴り散らしている。
気の弱い旦那はほとほと困り果てて『しかたない..子供を..間引くか..』と、最後の手段を心に決めた。
その夜、旦那は寝息を立てている一番小さい末っ子を揺り起こした。
『五郎..五郎..起きろ..お前の好きな餅を買ってきたぞ』くずる子供を無理矢理起こして、外に連れ出す。
しばらく無言で子供の手を引いて歩いていたが、とうとう村外れの池のほとりまで来た。『おとう、餅はいいから家に帰ろう?』不安になった子供が振り向くか早いか、旦那は手にしていた木の棒で息子の脳天を打ち付けた。
..翌日、旦那は子供の血がしみた木の棒を削り、人形を作った。供養のために子供に似せて..
これがコケシの起源である。子供を消すから子消し..コケシ..









会社の先輩からこんな誘いを受けました。
「年末年始は実家に帰るんだけど、よかったらうちで一緒に年越ししない?おもしろい行事があるのよ。一回見せてあげたいな~と思っててさ。」
その人は年齢も私より上でしたがとても気さくに接してくれる方で、入社した頃から何かと可愛がってくれていました。
仕事でもプライベートでも面倒見が良く、いろいろと連れていってもらったりしていたのですが、遠出の誘いはこれが初めてでした。
せっかくの帰省、ましてや年末年始にお邪魔するなんて悪いなという気持ちもありましたが、気にしないでおいでよ~と言われ、
私自身は実家に帰る予定もなかったので誘いを受けることにしました。
詳しく話を聞いてみると、12月の29~31日に先輩の町では行事があるようで、年越しがてらそれを見においでという事でした。
会社は29日で終わり、休みに入るのは30日からです。
行事について尋ねてみると
「私の町で毎年やってるんだけどね~町の人達の中から一人が選ばれて、その人のために行う行事なの。0時をまわってからやるから正確には30~元旦までの三日間になるわね。」

「深夜に?そんな時間に何をするんですか?」

「それは見てからのお楽しみ。今年は私のお母さんが選ばれて、もう私もお父さんも大喜びでさ。」

「そうなんですか。よくわからないですけど、そんな時に私がいたらやっぱりお邪魔じゃないですか?」

「いいのいいの、うちの家族は気にしないから。のんびりしたとこだし気軽においでよ。まぁ休みは30日からだから初日のは見れないけどさ。」

具体的な内容はわからなかったものの、何だか興味をそそる話でした。
私がその行事について気になってきたのを察すると
「もし最初から見たいなら、29日仕事終わりにそのまま行くって事でもいいよ。あたしとしても最初から見せてあげたいしね。
年一回しかないうえに、今年はやっとうちのお母さんが選ばれたからさ。」と言われました。
出来たらそうしたいとこでしたが、あまり甘えるのも悪いと思い結局30日に向かうことになりました。
先輩は少し残念そうでしたが了解してくれ、30日から1日まで私は先輩の実家で過ごすことになりました。

当日、朝9時頃から先輩の車で目的地へ向かいました。
先輩の実家がある町は、私達の住んでいるところから車で3時間ほどかかります。
道中はのんびりと会話しながら、どんな行事なんだろうとわくわくしていました。
しばらくして景色が変わってきた頃、先輩がこんな事を言いました。

「昨日、雨降ったよね。」

言葉のとおり、前日の29日は深夜まで雨が降っていました。
流れを切っての発言というわけでもなかったですし、何でもない話題なんですが、どこかに違和感があるような…そんな感じがしました。

「降りましたね。今日は止んでてよかったですよね。行事は雨が降っててもだいじょぶなんですか?」

「一応は平気。昨夜は予定どおり行われたよ。実はさぁ、あたし昨日から帰ってたからもう大変だったのよ。
会社からそのまま実家向かって夜中にそれやって終わったらまたこっち戻ってきてあんた迎えに行って…。今すっごい眠い。」

そう言って大欠伸する先輩には、先ほど感じた妙な違和感はありませんでした。
そうしてまた何でもない会話をしながら進んでいき、やがて目的地に到着します。
ちょうど12時になるぐらいの時間だったと思います。
車を降り、先輩の実家の方へ目をやった瞬間、ぎょっとしました。
先輩の実家は古いお屋敷みたいな広々とした家だったんですが、家の前の庭に水溜まりがありました。
鯉を飼ってる池のような大きさのです。
自然に出来るものでもそれぐらい大きくなるのかもしれませんが、そこにあったのはどう見ても不自然なものに思えました。
泥水をはった風呂場のような、そんな感じだったのです。
これは一体…と戸惑っていると、「これも行事に関係してるのよ~とりあえず落ちないように気を付けてね。結構深いから。」と言われ、
不思議に思いながらもひとまず家の中へ案内してもらいました。
中へ入ると、奥から女の人が駆け寄ってきました。
「遅かったね。あっ、この子がお客さん?」
先輩はそうだよと答えながら私の方を向き、その女の人が母の姉だと教えてくれました。
私が挨拶を済ませると、昼食が出来てるからと奥の方に案内され、お昼をごちそうになりました。
食後には居間にいた先輩の父とも挨拶を交わし、先輩が昔使っていた2階の部屋に案内されました。
部屋に入って一息つき、ふと窓から外を眺めるとある事に気付きました。
隣近所の家が何軒か見えるのですが、庭に大きな穴のある家がいくつかありました。
水溜まりではなく、ぽっかりと大きな穴があいているのです。
気になって先輩に聞くと
「あぁ、あれは選ばれるのを待ってるお宅って事なの。穴がない家は一度家族の誰かが選ばれたか、今は必要ありませんって事ね。
選ばれた家はさっき見たとおり、穴に水を入れて大きな水溜まりになるの。選ばれた人は大変なのよね~お母さんも今準備中だからうちにいないのよ。」
という事でした。
今思えば、この時から何だかおかしな空気が漂っていたような気がします。
先輩の説明を聞いても、何が行われるのか全く分からない。
当初はお祭り気分で楽しめるような行事だとばかり思っていたのが、何か異様なもののように感じ始めていました。
とはいえ、そんな失礼な事を言うわけにもいかず、私の考えすぎであることを願うばかりでした。

その日は行事が始まる時間までのんびりしてようという事で、前日ほとんど寝てなかった先輩は寝てしまい、私は先輩の叔母さんと話したりして過ごしました。
夜になって夕飯やお風呂を済ませ、あとは行事が始まるのをじっと待つだけとなりました。
この間、先輩のお母さんの姿は一度も見ていません。
11時を過ぎた頃、事態が動きだしました。
四人でたわいもない話をしていたところ、電話がなり叔母さんが出ました。
10分ほど話して電話を切り、先輩と先輩の父には「そろそろ用意だから行っておいで」と
私には「〇〇ちゃんはここにいよっか。私も一緒にいるから。」と言いました。
何も分からなかった私は「はい」と答えるしかなかったです。
すると、先輩がムッとしたような表情で叔母さんに近付いていきました。
そしてなぜか険悪なムードになり、突然二人の言い合いが始まりました。
「叔母さん、昨日も家に残ってたよね。なんで?」

「何年も前からさんざん言い続けてるでしょう?私は認めてない。どうしてもやるならあんた達だけでやりなさい…って。」

「やっとお母さんが選ばれたのにまだそんな事言うわけ?叔母さんだってしてもらったくせに。今日だってお母さんはずっと準備してるのに。」

「私はあんた達とは違うの。いいから早く行きなさい。」

私は状況が飲み込めずにおろおろするしかなく、昼間の不安がますます募っていきました。
しばらく二人の言い合いは続いていたのですが、先輩が時計を見て時間を気にしたのか口を閉じ、言い合いは終わりました。
黙ってみていた先輩の父は途中で先に出ていってしまい、苛立った様子の先輩はばたばたと出かける支度をし、玄関へ向かいました。
「昨日より気合い入るわ~これから何があるか、しっかり見ててよ!」
私にそう言うと先輩は出ていきました。
先輩の姿が見えなくなったその瞬間、いきなり叔母さんが玄関の鍵を急いで閉め、私の手を掴んで居間へ戻りました。
そして私の顔を見つめ、神妙な面持ちで話し始めました。
「〇〇ちゃん、今から私が話す事をよく聞いて。もう0時をまわったわね。この後1時になったら、ある事が始まるわ。このままだと、あなたは犠牲者になる。」
思わぬ言葉でした。
「えっ?…おっしゃってる意味が分かりません。どういう事なんですか?」

「詳しくは後で話すから!とにかく、今は解決するための話をするわ。こうなってしまった以上、あなたはその行事を見なければいけないの。
1時になったら2階に行って、部屋の窓から外を見なさい。何があっても、最後まで見なきゃダメよ。ただし、声をかけたりしてはダメ。ただ見て、聞くだけでいいの。」

「聞く?聞くって何をですか?一体何なんですか?」

「歌よ。あの子達が歌う歌を聞くの。必ず最後まで聞かなきゃダメよ。耳を塞いだりしないで最後まで。いいわね?」

もう何が何だか分からず、泣き出したい気持ちで一杯でした。
何かとんでもない事に巻き込まれてしまったのでは、どうしたらいいのか、と頭がぐるぐるしていました。
叔母さんは私の頭をそっと撫でながら、「大丈夫」と言ってくれましたが、何を信じていいのか分かりませんでした。
しかし、その間にもどんどん時間は迫ってくる。
結局、叔母さんに言われたとおりにするしかありませんでした。
時間が過ぎていくにつれ、私の心臓は破裂しそうな程バクバクしていました。
どうしよう…どうしよう…
そうこうしている内に1時が近付き、叔母さんに2階へ行くように促されました。
一緒に来てくれませんかとお願いしましたが、「私はここにいるから、歌が終わったらすぐに降りてらっしゃい。くれぐれもさっき言ったことをちゃんと守るようにね。」
が答えでした。
さぁ…と背中を押され、逃げ出したい気持ちで2階へ上がり、昼間にいた部屋へ入りました。
でも、窓の外を見ようとする事が出来ず、ただうずくまって震えていました。
もうやだ
怖い
それだけでした。
5分…10分…
どれくらいそうしてうずくまっていたかは覚えていません。
とても長い長い時間に思えました。
ふと、何かが聞こえてきている事に気付きました。
話し声?叫び声?
何かが聞こえる。
私は無意識に窓に近づき、外を見ました。
窓の外、あの水溜まりの周りにいつのまにか大勢の人が集まっていました。
子供も大人も、男も女も。
十代ぐらいの子や五~六歳ぐらいの子、熟年の方や高齢者の方…20人ぐらい、もっといたかもしれません。
その全員が、さっきまでずっと雨にでも打たれていたかのように、服も体もずぶ濡れでした。
ピクリとも動かず、全員が水溜まりを見つめています。
そして、何かを話している…?
怖さで固まったままその光景を見ていると、次第にはっきりと何かが聞こえてくるようになりました。
不気味に響くその声にすぐにでも耳を塞いでしまいたかったですが、叔母さんの言葉を信じ、必死で耐えていました。
やがて、それが何なのかがわかりました。
歌です。
叔母さんの言っていたとおり、確かに歌を歌っているように聞こえました。
何人もの声が入り交じり、気味の悪いメロディーで、ノイズのように頭に響いてくるのです。
何と言っているのか、聞こえたままの歌詞はこうでした。

かえれぬこはどこか
かえれぬこはいけのなか

かえれぬこはだれか
かえれぬこは〇〇〇
(誰かの名前?)

かえるのこはどこか
かえるのこはいけのそと

かえるのこはだれか
かえるのこは〇〇〇
(こっちは私の名前に聞こえた)

かえれぬこはどうしてる
かえれぬこはないている

かえるのこはどうしてる
かえるのこはないている

この歌詞が二度繰り返されました。
全員がずぶ濡れで水溜まりを見つめたままで歌っていました。
誰も大きな声を出しているような感じには見えず、私のいる部屋ともそれなりに距離があるはずなのに、その歌ははっきりと聞こえていました。
本当に例えようのない恐怖でした。
二度繰り返される間、ただがたがたと震えながらその光景を見つめ、その歌を聞き続けていました。

二度目の歌が終わった途端、静寂に包まれると同時に一人が顔を上げ、私の方を見ました。
それは満面の笑みを浮かべた先輩でした。
さっきまではあまりの恐怖で気付きませんでしたが、よく見ると先輩の父もそこにいました。
ただ一人、私を見上げ微笑んでいる先輩に、私は何の反応も示せませんでした。
しばらくそのままでいると、突然そっぽを向き、どこかへ歩いていってしまいました。
すると、周りの人達も一斉に動きだし、ぞろぞろと先輩の後へ続いていきました。
終わったんだ…
私はガクンとその場に座り込み、茫然としていました。
早く叔母さんのとこに戻りたい、でも体が動かない。
頭がぼーっとなり、意識を失いそうにフラフラとしていたところで、叔母さんが2階に上がってきてくれたのです。
「終わったね。怖かったでしょう。よく耐えたね。もう大丈夫よ。もう大丈夫。」
そう言いながら叔母さんに抱き締められ、私はせきをきったように泣きだしてしまいました。
何を思えばいいのか、本当に分かりませんでした。

少しして落ち着いた私は、叔母さんに抱えられながら居間に戻りました。
時間はもう2時を過ぎていました。
時間を確認すると
「〇〇ちゃん、ホッとしている時間はないの。あの子やあの子のお父さんは今日はもうここには戻ってこないけど、さっきのはもう一度行われるわ。」

「…えっ…?」

「今度は3時に。歌の内容もさっきとは少し違うものになるの。ここでぐずぐずしていると、またあの子達が水溜まりに集まってくるわ。
そうしたらもう取り返しがつかなくなる。」

「そんな、どうしたらいいんですか?私はどうしたら」

「落ち着いて。今から私の家に行くわ。この町を出て少し行ったとこにあるから。でも、あなたが持ってきたものとかは諦めてちょうだい。
持ち帰るとかえって危険だからね。詳しい話はそれからにしましょう。さぁ、すぐ行くわよ。」

言われるままに私と叔母さんは家を飛び出し、そこから少し離れた空き地にとめられていた叔母さんの車に乗り込み、その町を後にしました。
どこを走っても同じ景色に見え、迷路から抜け出そうとしているような気分でした。
1時間ぐらい走るとようやく叔母さんの家に着きました。
中に入り、ある部屋に案内されたのですが、その部屋の中を見て再び恐怖が全身に広がりました。
卓袱台しかないその部屋の壁一面、天井にまでお札がびっしりと貼られていたのです。
異常としか思えませんでした。
もしかして、私は騙されているのでは…
叔母さんも何かとんでもない事に加担している一人?
そんな考えが頭をよぎりました。
次々と意味の分からない状況が続き、自分以外の者に対して不信感が募っていたのかも知れません。
そんな私の心を見透かすように、叔母さんは言いました。
「いろいろと思うことはあるでしょうし、恐怖もあるでしょうけど、この部屋でなきゃ話は出来ないのよ。ごめんね。我慢してね。」
叔母さんは私をゆっくりと卓袱台の前に座らせ、自分は真向いに座りました。
そして、話してくれました。
ここからは叔母さんの話を中心に書きます。ほぼ、そのままです。
「何から話せばいいのかしらね…〇〇ちゃんはそもそもあの子から何て聞いて、どうしてあの町へ来たの?」

「毎年おもしろい行事があるから、見に来ないかって誘われたんです。町の中から一人が選ばれて、その人のために行われるものだって聞きました。それで今年はお母さんが選ばれた…って。」

「期間は三日間で、今日は二日目っていうのは聞いた?初日から来れないかって誘われなかった?」

「聞きました。初日から見せてあげたいからそうしようかっていう話もあったんですけど、私が断ったんです。あまりお世話になるのも悪いと思ったので…」

「そっか。あの子があなたに言ったことは全部そのままね。あれは毎年選ばれた人のために行われるもので、今年はあの子の母親が選ばれた。
一日目から見せたいと言ったのは、特別な意味があったから。」

「どういう事ですか?」

「〇〇ちゃん、今日一度でもあの子の母親の姿見た?見てないわよね?それどころか、どこで何をしてるのかもあの子は具体的に話さなかったでしょう?
当たり前なのよ。あの子の母親、つまり私の妹だけど、死んでるんだから。何年も前にね。」

「…えっ?…」

「あの子が学生の頃だったから、もうずいぶん前よ。だから、あなたが話を聞いた時も最初からあの子の母親はいなかったって事。」

「そんな、だって…それじゃ選ばれたっていうのは何なんですか?さっきの事は何なんですか?」

「あれは死人を生き返らせるためのもの。選ばれたというのは、生き返るチャンスを得たという事なの。
毎年、死んだ人間の中から一人がそのチャンスを得られる。ただし、それを家族が望んでいなければダメ。
望む場合は庭とかに大きな穴を掘って、その意志を示すの。」

「選ばれた場合、知らない間に穴に水が溜まっていって、大きな水溜まりが出来るの。これは1月2日から12月1までの間、
時間をかけて起こるわ。それによって選ばれた者の家族は29~31日(30~1日)の三日間、さっきのあれを行う。
そして1月2日から水がなくなり、また時間をかけて別の人が選ばれるのよ。」

「さっき、歌を聞いたわよね?最後まで聞いたわよね?どんな内容だったか言ってみてくれる?」

前述の歌詞を叔母さんに伝えました。
叔母さんの話ではこうなるそうです。

かえれぬ子はどこか
かえれぬ子は池の中

かえれぬ子はだれか
かえれぬ子は〇〇〇
(選ばれた死人の名前)

かえるの子はどこか
かえるの子は池の外

かえるの子はだれか
かえるの子は〇〇〇
(犠牲にする者の名前)

かえれぬ子はどうしてる
かえれぬ子は泣いている

かえるの子はどうしてる
かえるの子は鳴いている

「選ばれた死人を生き返らせるには、犠牲とする誰かに三日間歌を聞かせなきゃいけない。あの子が初日から見せたいと言ったのはそのためよ。
歌は1時から2時、3時から4時の間でそれぞれ内容が変わり、各2回ずつ歌われる。三日間で6つの内容の歌が計12回歌われるというわけ。
さっきあなたが聞いたのは3つ目の歌ね。」

「6つ目12回目の最後の歌を聞かせた後、その人をあの水溜まりに突き落とすの。はい上がってくるのはその人ではなく、選ばれた死人。
犠牲になった者は二度と帰ってこないわ。そうやって、生きていた誰かの代わりに死んだ誰かが戻ってくるのよ。」

「といっても、今の人達は弔いのつもりで形だけ行う事がほとんど。ここ何年かで本当に生き返らせようとしたのは今回だけ。
というより、あの子だけといった方が正しいかもね。あの子は母親に固執してる。何年経っても断ち切れないでいるの。」

「母親が選ばれたと分かった時から、あなたの話が出てたわ。どうしてあなたにしたのかは分からないけど、
あの子はあなたを犠牲にして母親を生き返らせるつもりだった。本来なら、二日目に来たという時点でこれは成立しないはずだったのよ。
三日間のどれが欠けてもダメだからね。でも、雨が降ったのがいけなかったわね。」

「歌も含め、これらの事はかえるのうたって呼ばれてるわ。元は昔から祀られている何かに関係するものなの。
死人を生き返らせるなんてぐらいだから、霊とかそんな次元じゃないのかもね。その何かは雨を好むって伝えられてる。
三日間のうち、一日でも雨が降っている中でかえるのうたを行うと…」
(ここだけはぐらかしてました。)

「とにかく昨日雨が降った事で、あなたが一日目にいなかったというのは意味を成さなくなったの。
本当なら、事が済んだ三日目に現われるはずのあの子の母親が、昨日の時点であの水溜まりにいたからね。
あなたが最初に見た時も、さっきの歌の時も、水溜まりからじっとあなたを見つめていたのよ。お母さんが準備してるっていうのは、そういう意味だったの。」

「たぶん、これからもあの子は諦めないわね。またいつか選ばれるのを待ち続ける。だから、あの家の水溜まりの穴が無くなる事はないでしょうね。」

ここでかえるのうたの話は終わりました。
話を聞いた事である疑問が浮かびましたが、聞けませんでした。
もしそうだったら…正気でいられないかもしれない。
そう思ったからです。
この夜は叔母さんの家に泊めてもらい、朝になって私の家まで送ってもらいました。
別れる際、叔母さんに言われました。
「明日から新年だけど、その一年間は雨に濡れないようにしなさい。雨の日は外出自体控えたほうがいいわ。
生活は大変になるでしょうけど、必ず守ってね。その一年を過ぎれば、もう大丈夫だから。
もし、どうしても何か心配な事があったら、私のところにおいで。怖い思いさせて本当にごめんね。元気でね。」

休みが明けた後、しばらく先輩は会社に出てきませんでした。
「お母さんが亡くなった」と連絡してきたそうです。
私はその年に会社を辞めました。
叔母さんに忠告されたとおり、雨の日には一切外に出なかったので、続けられなかったんです。
突然雨が降るかもわからないので、その一年間は実家で引きこもりでした。
なお、私が辞めるのと入れ違いで先輩は復帰なされて、今もその会社に勤めています。
とても会う気にはなれませんでした。

今、私は普通に暮らしてます。









1 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:34:40 ID:LxJ
悲しい



2 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:35:36 ID:z6z
感情なくしてたんやっけ
悲C



3 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:36:47 ID:LxJ
長男以外の人間は、結婚もできず、世間との交流すら許されず、死ぬまで家のために奴隷のごとく働かされる......。
いったい、いつの時代の、どこの国の話だと思われるかもしれない。しかしこれは、日本に20世紀まで実在した「おじろく・おばさ」という風習なのである。

 
国土の7割が山である日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)もその一つだ。

 
耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。そのため、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。

 
家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。
村祭りにも参加できず、他の村人と交際することも無かったため、そのほとんどが一生DT・処○のままだったと推測される。
将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。

 

そんな奴隷的な状況が、ある種の精神障害をもたらすのだろう。おじろく・おばさは無感動のロボットのような人格となり、言いつけられたこと以外の行動は出来なくなってしまう。
いつも無表情で、他人が話しかけても挨拶すら出来ない。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。



6 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/12/13(火)22:38:32 ID:zV5
>>3
これマジ?
長野怖スギィ!



4 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:38:17 ID:LxJ
16~17世紀頃から始まったとされる「おじろく・おばさ」制度だが、もちろん現在の神原では、このような制度は存在しない。
ただ明治5年でも190人、昭和40年代に入っても3人のおじろく・おばさが生きていたというから驚きだ。

 
この辺りの状況を報告しているのが、『精神医学』1964年6月号に掲載された近藤廉治のレポートである。近藤は現存していた男2人、女1人のおじろく・おばさを取材し、彼らの精神状態を診断している。
普段の彼らにいくら話しかけても無視されるため、催眠鎮静剤であるアミタールを投与して面接を行ったそうだ。すると固く無表情だった顔が徐々に柔らかくなり、ぽつりぽつりと質問に答えるようになったという。以下、その答えを抜粋してみよう。

「他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった」

「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」

「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

(『精神医学』1964年6月号・近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」)

 
なにごとにも無関心で感情が鈍く、自発性が無くなった様子がうかがえる。

 
この「おじろく・おばさ」の取材に先立ち、近藤は二つの推論を持っていたようだ。
一つは、もともと遺伝による精神障害が多い集落であり、そのような人々がおじろく・おばさになるのではという説。もう一つは、気概のある若者は村の外に出てしまい、結果、無気力な者だけが残ったという説。
しかしこの二つともが間違いであり、長年の慣習に縛られた環境要因によって、人格が変化してしまったのではというのが近藤の結論だ。
彼らの多くが子供時代には普通で、20代に入ってから性格が変わってしまうというのも、その裏づけとなるだろう。

 
今の我々からすれば非人間的にも思える「おじろく・おばさ」だが、一つの村社会を継続するためにやむをえない部分もあったのだろう。
現在の地点から善悪を断罪することは、ここでは差し控えよう。

 
ただもう一つ、この因習から読み取れるのは、疎外された環境が人格に影響を与えてしまうという点だ。
これについては、劣悪な労働状況によって精神を病んだり、ひきこもりによるコミュニケーション障害など、現在の日本社会につながる部分もあるのではないだろうか。

 

疎外された状況に置かれれば、それにやむなく適応するために人格も変化する。
例えばブラック企業の言うような「本人が納得して働いているのだから問題はない」というのは、視点がズレた言い訳にすぎない。

 
今は廃絶された「おじろく・おばさ」制度だが、社会が個人に影響を与える一つ例として着目してみれば、さまざまな示唆を与えてくれるだろう。



5 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:38:25 ID:z6z
これの何が凄いって、どの集落であったのかって随分細かい情報が出回ってること



8 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:40:08 ID:xBS
むかしの日本には現代人が見たら吐き気を催すような風習がいっぱいあったんやろなぁ・・・



11 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:41:44 ID:z6z
>>8
今の日本の労働環境も、昔の日本人が見たら吐き気催すちゃうかな…



9 名前: [] 投稿日:2016/12/13(火)22:40:08 ID:nAW
これが平均寿命下げてたんだな



10 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:40:36 ID:dnN
長男死んだらどうすんの?



14 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:45:41 ID:LxJ
>>10
一応婿入り嫁入りって希望はあるらしいで
働き者やと評判になっておじろく・おばさ脱出チャンスが上がるとか
問題は嫁婿入りの見込みが消えた高齢おじろく・おばさやろなあ



15 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:47:48 ID:z6z
>>14
結局、研究者が言いたいのは
「チャンスをものに出来ないロクデナシ、能無しだと思ったらそういう問題やなかった」
って話なんやろ?

ニートの理論武装に使えそう



17 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:50:46 ID:LxJ
>>15
「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

とかブラック社員も言いそうやね
この人ら感情失くした社畜に近いやろし



13 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:44:51 ID:zV5
言葉そのまま働き蟻みたいな扱われ方やったんやろなぁ



16 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:48:49 ID:xBS
へんな風習だと鹿児島のおっとい嫁じょ蛮族っぽくてすき
おっとい嫁じょとはいわゆる略奪婚の慣習であり、
「婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する」習慣のこと。



18 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:52:45 ID:LxJ
>>16
なぜか都市伝説扱いされることもあるが、実在した風習であり、昭和34年(1959年)に強姦致傷で男性が逮捕、有罪となったことから全国的に有名になった。

ヒェ...



19 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:53:20 ID:Uzt
>>16
これ、裁判でも昔からこういう風習やから強姦やないみたいな主張があったんよな
たしか地元民からその旨の嘆願書が出たとかなんとか



23 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)22:59:21 ID:vDj
>>16
先日クレージージャーニーでやっとったキルギスの誘拐結婚みたいやな



27 名前:■忍法帖【Lv=1,ギズモ,uY1】[] 投稿日:2016/12/13(火)23:03:14 ID:eAQ
>>23
ちなみに中央アジア諸国の誘拐結婚は「伝統」ではなく、ソ連時代の共産主義社会が生んだもの



21 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:58:00 ID:LxJ
おっといよめじょ調べてたらこういうの出てきた

京都府京都市左京区の田中部落では、1928年1月1日、朝田善之助が「あの娘すきや、ぜひ嫁にもらいたい」という知人男性の希望で拉致行為に手を貸し、警察に逮捕された。
このとき朝田らは娘が母親と連れ立って風呂に行くところを集団で待ち伏せ、やってきたところを羽織を脱がせて頭からかぶせ、集団で担
いで行ったが、当の娘が暴れて逃げたため未遂に終わったという。


日本の婚姻は闇が深いンゴねえ

22 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)22:59:10 ID:LxJ
しかもこの朝田善之助って後に有名な被差別部落解放運動家になったんやな
やっぱり部落の慣習なんやろか



24 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:01:02 ID:zV5
>>22
そこで生まれ育ったならそれが常識やから仕方ないんやろなぁ
部落なんて周辺との関わりも少ないんやろうし



25 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:01:48 ID:lJ0
こういうのよくインタビューできるな
仕事や生活に必要な言葉以外知らなそうなのに



30 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:12:05 ID:Uzt
昔は誰彼構わず年頃の女子に夜這いして
誰の子かわからなくても村の子として皆で育てる
みたいな部落もあったとか

本当かどうかは知らんが
とにかく子孫を残す人口を増やすという意味では割と合理的なやり方な気もする



31 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)23:14:37 ID:LxJ
>>30
歌垣と毛遊びとか言われるパーティも普通にしたらしいね
意外と武士以外は性風俗緩いんだよな



37 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:36:22 ID:Uzt
>>31
盆踊りがその場だったって説もあるらしいね
これに関しては今でもクラブだの合コンだのでそんなに変わらん気もするが



32 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:16:33 ID:1za
長野とかいう恐ろしいクソ田舎
都会っ子で良かったンゴねぇ



33 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:20:53 ID:h8l
長野県民やけど、名古屋並に運転マナー悪いで
ただでさえジッジとバヅバ多いからヒヤヒヤしながら運転しとるよ



34 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:23:50 ID:jMZ
怖いンゴ



35 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:26:20 ID:Uzt
まあ比較的最近まで日本には基本的人権なんて考え方はなかったからな
大政奉還後の西洋化と敗戦後の現行憲法導入が区切りで
それに付いていけなかった地域ではこういうことが起こると

見えてないだけで意外といまでも現在進行形なんかもな



36 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:26:50 ID:zV5
同じ日本の中でワイらの非常識が常識として捉えられとることにそこはかとない恐怖を感じるやで



38 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/13(火)23:42:46 ID:BIZ
イスラム圏の姦.淫罪とか名誉さつ人とかも闇深いやろ
あれをいまだにやっとる



39 名前:名無しさん@おーぷん[ ] 投稿日:2016/12/13(火)23:48:37 ID:LxJ
>>38
アシッドアタックこわい



40 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/12/14(水)01:11:35 ID:4RB
>>39
硫酸かけるんやっけ
助かっても悲惨よな








俺の祖父の体験談を一つ。

当時祖父が住んでいたのは、お約束っちゃーお約束だけど、へんぴな山麓の農村だった。
住んでる人が少ない上に、その村から外に出る事も無いから、村一つで1個の大きな家族みたいな感じだったんだな。
そこで当時小学生だった祖父は、肝試しとか鬼ごっことかして育っていった。

そんなある日、
祖父の親友(以下『甲』とする)の家に新しく弟か妹ができるみたいな話を、その甲から聞いたらしい。
祖父も喜んで、また『家族』が増えると心の底から祝ってやった。
甲の話だと、もう弟の場合も妹の場合も名前は決まってるらしい。
親にその名前の由来を聞いたら、「大きなしあわせを作るように」とかのもっともらしい事を言われた後に、
「ずーっと前から決まってたんじゃあ」みたいな事を言われたらしい。
当時の祖父はよくその意味がわからなかったらしいが、なんとなく幸せそうな雰囲気だって事は分かったらしくて、ただただ笑っていたらしい。

そんで、甲に下の子ができるって事が周知の事実になったある日、
甲が祖父とその親友(以下『乙』とする)に、神妙な顔で相談を持ちかけてきたらしい。
どういう事かというと、父ちゃんが毎晩遅くに何処かにフラフラ歩いてってしまう。
いくら聞いてもどこに行くのか教えてくれないし、すごく遅くに帰ってくる事もある。という内容だった。
祖父と乙は「お産が迫って色々忙しいんだろう」みたいな事を言ったが、
甲は必死な顔つきで泣きそうになりながらも、
「違う。なんだか行って帰ってくる時の父ちゃんは怖い。なんだかわからないけど凄く不気味なんだ。
 他の大人に話しても取り合ってくれないし」
と主張する。
事態はわかったけど、どうした物か祖父と甲が頭をひねらせていると、乙が突然思いついた様に言い出した。

「それなら夜俺らで集まって、甲の父ちゃんの後についてったらいいじゃん!」みたいな事を言ったらしい。
甲も祖父も「えっ…」って感じだったらしい。
夜に出歩くという事もさる事ながら、なんだか不気味な雰囲気が漂う提案である。
甲が返事に困っていると、
乙が「なんだ、怖いんか?今度お兄ちゃんになるんだろ?」という風に、『兄』というワードをちらつかせる。
すると甲はすぐに、「わかった!行きゃええんだろ!」と了承したらしい。
こうなると祖父もしぶしぶ参加せざるを得ない。

深夜。乙は祖父の家に、甲と祖父は乙の家に泊まりに行くと嘘をついて、甲の家の前に集まった。
しばらく三人が物陰から様子をうかがっていると、なるほど、甲の父がフラフラと何処かへ誘われていく。
すぐに三人は後ろに続きだした。

真夜中、月の他に灯りもない道をフラフラと歩く甲の父。
だんだん民家もまばらになり、やがて闇と無音が辺りを包んだ。
甲はもう泣きかけで、必死に祖父にしがみ付いて歩いている。
いつまで歩くんだ、俺らは家に無事に帰れるのだろうか。
そんな考えがだんだん濃くなり、祖父がとうとう『帰ろうや』と言おうとした時、
乙が小声で「隠れろ!」と叫んだ。
一番視力の良い乙に言わせると、甲の父は雑木林の中の物置のような小屋に入っていったらしい。
三人は岩陰から物置を見守る。
すぐに甲の父は物置から出てきて、またフラフラと帰途を辿っていった。

甲の父が完全に見えなくなったのを確認すると、
乙が立ち上がり、「よっしゃ、帰り道は覚えた。川二回渡って右だ」と言いながら、
持参した油と布切れとそこいらの枯葉を枝に巻きつけて、『小型たいまつ』みたいな物を作った。
それに着火すると、なかなか辺りは明るくなる。甲はいくぶん安心したようだ。
祖父も暗闇から開放されて安堵していると、すぐに乙が言った。
「ほれ、早くあの小屋覗くぞ。これすぐに火ぃ消えちまうから」
祖父も甲もその一言に相当びっくりして、首を横に振る。乙の神経が信じられなかったという。
しかし乙は、また「お兄ちゃんがそんな弱虫だと、下の子はかわいそうだな」みたいな事を言って甲を挑発する。
仕方なく甲も祖父も建物に入ることにした。


古い木材でできている軋む扉を開けて、中に入る。
そこには『穴』があったらしい。
小屋の広さはさほどしゃないが、床に一部分大きな穴が空いている。
木材が腐って空いたような穴じゃなく、完全な円形の穴だ。
床を貫いて、下の土にも穴は続いている。覗いてみると、深く、暗い。
この時点で甲も祖父も相当不気味な物を感じ取って、ただただ身をよせあって震えている。
すると、乙が突如大笑いしだした。
甲も祖父も状況が飲めずにいると、乙はなおも笑いながら言う。
「こいつは便所だ甲。四隅に紙が重ねてあるだろ?そいつで尻をふくんだ!」
祖父も始めはポカンとしていたが、やがて笑い出した。なんで便所をこんなに怖がっていたんだ、と。
甲はただボーッとしている。
乙が穴をまたいで糞をするジェスチャーをした途端、甲が口を開いた。
「違う、これ。便所じゃないよ。壁、おかしいもん…」
え?と祖父も乙も壁を振り返る。そして凍りついた。
壁にはびっしり紙が貼られていた。四方全部、所々隙間はあるが。
そしてそれには、それぞれ祖父の村の、村人の名前が書かれていた。
三人はただ壁を眺める。
不意に乙が「あっ」と声を漏らした。
乙が指差した紙をみると、そこには乙の名前が書かれていた。
乙より年下の子どもの紙が、僅かに乙の名前の紙に重なっている。
すぐに甲の紙も、祖父の紙も見つかった。甲の母の紙も。乙の父の紙も、全部。

立ち尽くしている祖父と乙をよそに、甲は隅の紙を手にとる。
少しの間、甲は紙の束をめくっていたが、やがて二枚の紙を見つけ出して抜き出した。
「これ…、俺の下の子につける予定の名前だ…」


その紙には、苗字のスペースは空白だったが、以前聞かされた弟、妹の名前が書かれている。
甲はその二枚を突き出したまま固まっている。
祖父が振り返って隅の紙の束を見る。そこにはやはりびっしりと、聞き覚えの無い名前があった。
「これ全部、これから生まれてくる子か…?」
びっしり名前が張り巡らされた四方の壁、床の真中の大きな穴、
そしてこれから産まれて来る子供の名前が書かれた紙の束…。
「ここに村がある…」
その時、フッと小型たいまつの火が消えた。突如真っ暗になる。
三人は弾かれたようにその小屋を出て、一目散に走り出した。
無我夢中で各々の家に帰ったと言う。

祖父はその何ヶ月か後に、関西の方に引っ越す事になる。
結局、何かタブーのような気がして、あの小屋が何だったのかは大人に聞けずじまいだった。
「例え教えてくれるという大人が居ても、決して詳しく聞く事はしなかっただろう」と祖父は言う。
祖父はこの奇妙な体験談を話し終えた最後に、布団の中でこう言った。

「あの紙の束には、当然産まれなかった子供らの名前が含まれる訳や。
 甲の家に産まれたのが弟だったら、妹用の名前はいらなくなるやろ。
 他の家族の子ォにその名前を使いまわす事も出切るけど、多分そうはせんかったと思う。
 多分、その使われなかった名前、というか産まれなかった子供らの名前を、
 その穴に捨ててたんとちゃうんかな。
 昔から長いことずーっと。

 多分、あの小屋が何となく恐ろしかったのは、真ん中の穴があったからちゃうんか。
 子供の名前を捨てつづけた穴。
 今やっても、ようあそこに行く気はせえへんわ。
 まあ、もうのうなって(無くなって)しまっとるやろうけど」

それだけ言うと、祖父は眠った。









79 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 10:22:20.38 ID:/NoY8Zxg0
以前、住んでた団地の敷地内を歩いていた時の話。

ふと地面に破り捨てられた紙が落ちていた。
元はハガキよりちょっと小さい位だったんじゃないか、というメッセージカードみたいな感じ。
そんなに細かくは破られてなく、何か書いてあるのが見える。
破られてるので完全には読めないが、
『⚪⚪ちゃん(子供の名前?)は天使にななったんだね』
『⚪⚪ちゃんはお空の上で幸せに暮らしてるんだね』
みたいな事が書いてあるようだった。

なんで破り捨てられてるのか、誰が誰に送ったのか。
ほんのりと怖くなった。


80 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 11:05:59.32 ID:zv07bvRJ0
>>79
拾ったの?

81 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 11:11:07.52 ID:/NoY8Zxg0
>>80
拾わなかったよ。覗きこんで見えた感じから文章を推察した。

82 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 11:13:03.40 ID:/NoY8Zxg0
いや、手に取ったかな?
ごめん、かなり前なのでその辺覚えないや。

85 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 11:57:46.83 ID:zv07bvRJ0
>>79
そういうのは拾わない方が良いよ。
昔中国で会った冥婚では、結婚せずに亡くなった娘の持ち元を路上において、拾った男を「夫」として婚礼を上げる風習があった。
(古代ではそのまま、冥界で添い遂げるために同じ墓に送られたらしい)
日本にも入ってきてて、こっちは形ばかりだけどね。

その死者の弔いの変化した物に「幼くして亡くなった子供の友達を見つけてあげる」ってのがある。
子供の玩具や、子供を想う文章を書いた物を割いて道にまく。
拾った人は「オトモダチになる」という訳だ。
撒いた方は物陰から見ていて、拾った人の家を突止めて、後日お願いに行く。
拾った本人には黙って死んだ子に「あの人が貴方のオトモダチだよ」って言い聞かせるだけの場合もある

87 :本当にあった怖い名無し:2019/10/07(月) 12:01:19.40 ID:zv07bvRJ0
>>79
>>82
それならよかった。

一応、死んだ子供にメッセージを届ける方法として、
想いを書いた紙を細かく切って川に流す、風で散らす。
と言う方法も江戸時代からあった。
水に早く解けたり、風で飛ぶと、思いが届いた。ってことになるので、
薄紙や浅草紙が使われる事が多かった。









234 :こわい:2009/08/12(水) 19:47:34 ID:qAhQANS0O
数年前の、まだ自分が学生だった頃のこわい話。

【前提】
私の地元だけなのかもしれないけど、
家を建て替える時に、自分がどうしても必要な家財道具等は建て替え中の仮住まいに持っていってもいいが、それ以外は隣近所の人たちに見てもらって、その人たちがいるものがあればあげる、
みたいな習慣があった。

ここからが本題↓
それまで近所が建て替えをしたこともなく、その習慣を知らなかった自分が学校から帰宅すると、
部屋にあったものがベッドから畳に至るまで綺麗になくなっていた。
もちろん、本棚や収納用のケースに入れていたマンガ、小説、ゲーム、……薄い本も全て、綺麗に。
一番ショックだったのが、
その当時の最愛ジャンルの神に描いてもらった、最愛キャラのイラストを額に入れたものがなくなっていたことだった。
必死になって家族に「誰が持って帰ったの!?」と泣きついたが誰も知らなくて、当時本気で泣いた。

で、つい昨日、そのイラストが家の郵便受けに梱包された状態で帰ってきた。
丁寧に梱包されてたけど、包みには切手も何も貼っていなかった。
が、なんか額の裏にお札?みたいなものが貼られていたんだ……
これは、剥がしちゃダメ、だよな……


236 :恐い:2009/08/12(水) 19:58:24 ID:fEVMaQwb0
それなんて膿家地帯?


237 :こわい:2009/08/12(水) 19:58:26 ID:Ns6ILzP10
その地元がKOEEEEEEEEEEEE
どんな部屋だろうと許可無く入られる恐怖と実質盗まれても何も文句言えない恐怖…
何?何でそんな通例があるの?誰も教えてくれなかったの?


240 :恐い:2009/08/12(水) 20:41:20 ID:2xZxiSGq0
これ、お金入ってる貯金箱とか通帳とか盗られても
状況的には犯人わかんないよな

札はむしろ剥がしても良い気がする
たぶん、持っていった人の所に>>234が無自覚に生霊飛ばして
「返して返して返して返して返してry」ってずっとやってたような気がする


242 :234:2009/08/12(水) 21:29:07 ID:qAhQANS0O
234ですが、レスありがとう…
>>236の通り、結構な田舎で、私の了承なくご近所さんを呼んだのは農業を営んでいる祖父母でした。
衣類や通帳、勉強道具等は、母が気付いて持ち出してくれ無事でした。
その横で、祖母は近所のおばさんにベッドの質がどうのとか話してたとか。
母も他県の街中からきた人なので、その習慣は全く知らなかったそうです。

先ほど、神兼彼氏が晩ごはんを食べにきて、昔のイラストを見てしばらく悶えていましたw
お札ですが、神がアルコールが入ったせいかハイテンションでお札を剥がして、
キャラの顔面に「悪霊退散!」とか言いながらふざけて貼り付けたりしています。
いただいたレスを見る限り大丈夫そうなので、神共々放置しておこうかと思います。
やっぱりこんな習慣、いくら田舎と言えどおかしいですよね…
レスありがとうございました。








271 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/08/30(土) 00:49:46.53 ID:jyP818hZ0.net

山陰地方だけど、米を作ると廃人が出る田がある。
被害に遭うのは地区内にいる田の所有者の血縁者のみ。
若い者ばかり皆精神を病む。
稲は必ず植えなければならないが、稲刈りをしてはならない。
春には枯れた稲を田にかき込む。

俺が小学生のころ、所有者が田の一角で赤米を作って収穫した。
その年の冬、高校生の兄妹が二人いっぺんにおかしくなった。
所有者の本家筋の長男長女だった。

山すそを開いて無理やり作ったいびつな田だから、毎年手間がかかって仕方がないようだ。
理由を知ってただろう地区の長老は、田植えを忘れないことだけを言い残して鬼籍に入った。

スレ違いだったらごめん。









420 :本当にあった怖い名無し:2013/03/04(月) 12:29:36.46 ID:ruk7gosq0
介護を担当していた爺さんに聞いた話。

爺さんの若い頃には、町の近くの山にも鹿や兎が住んでいて、仕事の傍ら猟師をしてる人が多かった。
猟ではいくつも決まりがあって、守らないと八分にされて大変な目にあったんだと。
その一つに、『山で殺した獣は必ず喰う』というのがあった。
その中でも蛇は絶対喰えと教えられていたそうだ。



420 :本当にあった怖い名無し:2013/03/04(月) 12:29:36.46 ID:ruk7gosq0

一口でも喰えば相手も諦めがつくが、無駄に殺されたと思わせれば返しが来るんだと。
「蛇は執念深くて恐ろしいからな」と、爺さんは言っていた。









511 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 11:31:58.25 ID:LCdS40vq0
愛知県某郡の超ド田舎出身なんだけど、
うちの字(あざ:昔は村単位だった場所)とお隣の字にだけ、ちょっと変わったお雛様の風習がある。
・息子しか産まれなかった家庭はそこで風習終了。とくに祟りなんかは無い。
・娘が産まれたら、お雛様とお内裏様の二つのお守り人形を作ることができる。
 生後どのタイミングで作ってもOK、遅いけど大人になってからでもOK。
・母親が「作る」行為自体で効果があるので、現物を祀ったり持ち歩いたりする必要は無し。
・お守り人形をもらった娘が結婚したら、お内裏様は夫となった人を自動的に守る。
 例えば離婚等して再婚したら、新しい夫を自動的に守り替える。
・お守りをもらった娘はそこそこ普通に幸せな子供時代を過ごせたあと、17歳以降は超絶な幸運が訪れる。
 効果は死ぬまで。
・お守りをもらった娘が母親になって、娘を産めばお守り人形を作ることができる。
 息子しか産まれなかったら、そこで終了。
・女児を産んだのに作らなかったりしても、とくに祟りなどは無し。

私の母は普通に外からきたお嫁さんなので、私はお守り人形もらってないです。
父の妹は娘(私から見て従姉妹)を産んだので作りました。
一番身近な従姉妹の超絶順風満帆な実例を少しあげます。
・高校まではすごく普通で、やや地味なくらいだった。
・難関国立大学合格、在学中にミスキャンパスに選ばれるほど美しくなった。
・とある専門分野の展覧会で何度か入賞して、大きい展覧会の副賞?で留学。
・とある会社の経営者と結婚。結婚後に旦那さんの会社が支社を4社増やす大躍進。現在超絶お金持ち。
・性格は超優しくて菩薩のよう。私と私の妹の受験勉強も熱心に教えてくれてました。
本人は、
「人形とか信じてないけど、ほんとに17歳から急に人生がパーッとひらけた気がする。
 メガネだったしデブだったし、足に生まれつきの大きい痣があったのに、
 17歳になったあと急に視力回復して、生活習慣変えてないのに綺麗に痩せて、
 成人式くらいには足の痣が完全に消えてた」
と言ってました。

風習と偶然と思い込みのコラボかなぁとも思うけど、喪女の私もお守り人形欲しかったよ・・・(´;ω;`)


513 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 12:14:10.86 ID:WjxPVbwx0
>>511
今からでも遅くないんじゃないの?


514 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 12:20:43.68 ID:LCdS40vq0
>>513
私の母は、遠方から嫁いできて実家の字出身ではないので、
母自身がお守り人形を作ってもらってない→娘を産んでも作れないのですよー(´・ω・`)
条件が揃わないのいけないから、人形作れる人がどんどん減ってるみたいです。
でも娘さんが遠くに嫁いでも、嫁ぎ先で女児産んで作るのはOKです。
なので、さっきの従姉妹の姉ちゃんも、女の子を出産したら嫁ぎ先で作ってOK。

偶然だしただの風習だと思うけど・・・
実家のお隣さんの娘さん(私の一個下)も作ってもらってて、
従姉妹の姉ちゃんと似たような華やか人生になってたので、
わかってはいるけどうらやましいす・・・(´・ω・`)


516 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 12:34:36.19 ID:mCM0VKE/P
>>511
興味深い風習ですね。
視点を変えると、従姉さんは17歳になるまでの間、視力や足の痣、太った体型などで、
本来の魅力や能力を封印されてきたという見方もできるね。
人形というのは本来、人間の身代わりとなって厄を溜める役割を持つ事から、
娘やその配偶者の一生分の災厄を人形に吸い取ってしまうのかな?と、ふと思った。

もし差し支えなければ、その地域出身の女性が亡くなった時に人形をどうするのか、書いてもらえますか?
納棺の時に一緒に入れるとか、お寺や神社などに納めて供養してもらうのかな?


518 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 13:01:34.79 ID:gDVOrk3SO
風習の由来は不明?


524 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 19:20:08.11 ID:LCdS40vq0
私はお守り人形を作ってもらえなかったので、聞いた話ばっかりで、
もしかしたら詳細が間違っているかもしれないですが。
ほとんどの話はおばあちゃん・おばさん・従姉妹・隣近所のおばちゃんたちに聞きました。

「お母さんが娘さんを想って心を込めて手作りする」という行為自体でお祈りが完了?するので、
作ってもらったはずだけど引越し等でなくしちゃったり捨てちゃったりしても、
OKってわけじゃないけど関係ないとのことです。
そのかわり職人さん等他の人に注文したら意味がなくて、
着物のハギレでも毛糸編みでもフェルトでも和紙でもなんでもいいので、お母さんが一人で作らないと駄目。
(材料は買ったものや余ってるものでもOK)

捨てるとか、もうボロボロになって置いておいてなくしたらいやだなーとなった人は、
うちから徒歩3,4分のとこにあるおみやさん(神社)で、
お正月の早朝にみんなで輪になってお餅を焼いて食べる風習があるので、
その時にいっしょに焼く場合もあるそうです。
うちのおばあちゃんは、かなり前におみやさんで焼いたって言ってました。
伊勢湾台風の後のお正月って言ってたんで、かなり前じゃないかな。
おばあちゃんは伊勢湾台風で家が流れたけど、家族全員無事で、
高価な家財道具を入れた箱が流されても届けてもらえて、一番大事なものが何もなくならなかったそうです。
家を前より大きく建て直して、それをキッカケに商売を始めたら繁盛したので、
建築した借金はあっとゆうまに返せたと言ってました。
おばあちゃんのお雛様はほとんど敷地から流されなかったけど、
びしょ濡れボロボロになってしまったから仕方なく焼いたそうです。
昔は一緒にお棺に入れてた人もいたのかなぁ・・・?知らないので今度聞いてみます。

「なんで17歳からなの?」と聞いたことがあるんですが、
おばあちゃんは「嫁にいける歳になるまでは別嬪さんじゃないほうがええが」と言ってました。
その時は、17歳までの青春も大事じゃん(;´ω`)と思っていたけど、
今思うと、昔はそうなのかな?と。

あと、同じ字のご近所はすごく大きい観光グランドホテルで、女将さんが入り婿をとってるので、
多分お守り人形もらってるんじゃないかなと思いました。
ちなみにとっても美熟女女将さんですw


526 :本当にあった怖い名無し:2011/09/08(木) 19:35:07.40 ID:LCdS40vq0
伊勢湾台風ってのはこれです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B9%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8
家が丸ごとなくなったといってたので、うちの実家は『流失家屋4,703棟』の中の一軒だったんだろうなと。
>全国被害状況集計において、犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)、
>うち愛知県で3,351人(うち名古屋市1,909人)、三重県1,211人[6]と、紀伊半島東岸の2県に集中。負傷者38,921人。
>全壊家屋36,135棟・半壊家屋113,052棟、流失家屋4,703棟、床上浸水157,858棟、船舶被害13,759隻。

うちの実家というか字は海に直面してる(家 国道 海 という配置)なので、
それでも家族全員助かるというのは、かなり運がいいんじゃないかなと思います。
当時避難したであろう奥の院(集落の奥にあるお寺さん)も、全部なんもなくなったか壊れたって言ってたので。
人形のおかげかわからないけど、すごいな。


551 :本当にあった怖い名無し:2011/09/11(日) 14:32:15.11 ID:fPDaCFNX0
>>518
実家にお米を貰うついでに、
お守り人形や神社の事をおばあちゃん方に聞いたり、人形を焼いたおみやさんで調べたりしました。

由来は古すぎてもう正確にはわからないそうですが、
社号標の歴史には、1186年(文治2年)に建てられたと書かれてるそうです。
多分その頃は神社がかかわる形でお雛様の風習があったんだけれども、
明治になってすぐに神社の名前を替えなきゃいけなくなって、
その時に神主さんが替わる(神様ごと換える?増やす?)という事があったそうです。
私も今回たまたま調べるまでは、今の普通の人名苗字みたいな神社名しか知らなかったんですが、
元は光の神様・天神様・神様の明かりをまつってたんだそうです。
それと、今の字(あざ)の名前も普通にありがちな地名に変わってますが、
昔は『神様がやってくる扉の入り口』という意味の地名だったそうです。
うちと隣の字が2つ合わさってその地名だったので、
明治に住所とか戸籍とかをちゃんと整備したときに変わったんじゃないかなーと言ってました。
今は全部で10の神様をまつってますが、どれも有名な見慣れた神様です。(コンピラさんとか)
お雛様に関係ありそうな神様の名前が見当たらないので、
本当にこれがなくなっていく最後の風習の名残なんじゃないかなと。

(´・ω・`)調べたら、ますますお雛様もらえなくてガックリしました・・・
オカ板独特の怖さも心霊現象もない報告ですいませぬ。








297 :本当にあった怖い名無し:2011/11/21(月) 05:15:40.60 ID:F1RHx2gi0
>>203さん、遅レスですみませんが、まとめサイト見て吹っ飛んできました。
役落としの儀式はぜんぜん違うけど、似たような経験したことある。こちらの風習は、一般的な厄年は氏神様のところで払ってもらい
それと別の日にやる厄年みたいなのがあるのですが、
米を落としながら、近くの関連する社に行き(人によって違う)、社を清めて夜を過ごすというものです。意味合いとしては、成長するに従って、身体のけがれが増えるので
(このけがれは、悪いものがつくとか罪で汚れるではなく、心が空になるとかいう意味)
それを満たしてもらい、次の成長にそなえるみたいな感じで、怖い感じのものではありません。
儀式の最中はいろいろと制約があり、特徴的なのは、>>203さんとおなじで
米を点々と落としながらお社に向かう途中、ぜったいに振り向いてはいけない、
話してはならない、日が沈む前にお社へつかなければならない、です。

他にも色々とあるのですが、自分はあまり信心深いほうではないので、
地域の人が用意してくれてるところだけ(儀式をやったかどうかバレるところだけ)
ちゃんとやろうと思って、こっそりメモを持って行きました。

夕方、米をもって、塩を口に含んでから家を出るのですが
晴天で、綺麗なゆうやけこやけだなぁと思ったときすでに、雷のような音というか、
地響きのようなものがゴロゴロ鳴っていました。
どこかで通り雨かなと思って気にせずに進んでいると、
いろいろと不可抗力な知り合いとの出会いとかで、さっそく儀式通りにはいきませんでした。

298 :本当にあった怖い名無し:2011/11/21(月) 05:48:42.11 ID:F1RHx2gi0
米だけはちゃんと適当に落して、振り向かずに歩いていたのですが
耳元で、パン!パン!パン!と手をたたく音がして、あれ、儀式の盛り上げ役(?)かなと、
誰かかついて来てるなら、さっそく制約破ったのバレたと思いつつ(誰もついてこない話しでしたが)先を急いでいると、やっぱり耳元で、パンパン手を叩く音がして、横を向くのですがなにもなく。
後ろ振り向いてみたのですが、道下の遠くの田んぼでで近所の子供が遊んでいるだけ。山間なので、隠れるとこはあるとはいえ、音の方向くらいだいたいわかるし
(響いてしまうとわからないけど)山を誰かついていたら、藪の音でわかるし
まだ明るかったので恐くはありませんが、気分的にやっぱり嫌な気分に…。
気持を盛り上げようと、脳内でずんどこぶしを歌っていたのに
サビにさしかかると、また、パンパンパン!って鳴ってサビ歌わせてくれないわ
雷のようなものはずっと鳴っていて、ずっと自分の後ろをついてくるような感じだわで
なんかどんどん落ち込んでしまい、仕方なく音を聴いて分析

雷というか地響きのような音や、手を打つ音とは別の感じで
空気が波打つような感じで、でんでんでんでんでんと一定の太鼓が鳴っていました。

それを聴いていると、からだががゆくなるような(振動するような)感じです。
雷の音は、遠くから響いてくる感じでしたが、
手をたたく音と、太鼓の音は、なにもない空間から鳴っている感じで
遠くまで響かないような感じなのに、不思議と耳元に届いているような。

しばらくまわりを見ていたのですが、音以外にはなにもなかったので
耳鳴りかと思い、お社に向かいました。

家に帰って寝るまで鳴っていて、耳をふさいでみると
耳をふさいだ時にザーッという音が流れるほかに、まだその太鼓と地響きがなっていて
その時になって怖くなったのを覚えています。

318 :本当にあった怖い名無し:2011/11/21(月) 22:23:18.07 ID:RZPFIUGEO
>>297
地方の風習や儀式はエニグマに遭遇しやすい…というか、異界と繋がりやすいってことかな。
319 :本当にあった怖い名無し:2011/11/21(月) 22:40:22.76 ID:zg26YV6r0
>>297
ケガレの語源は「汚れ」ではなく「気枯れ」だっていう説があって
気が枯れて弱ってる状態を祈祷などで保護してもらうっていう意味合いらしい
327 :本当にあった怖い名無し:2011/11/22(火) 01:07:40.71 ID:7699W9zs0
>>297です。
>>299さん >>318さん
私が聴いた音が、>>203さんと同じかどうかはわかりませんが
たぶん、かなり似ている音だと思います。

音がからだを圧迫するような感じと、妙な浮遊感があって
からだがふわぇ~あぇえ~と浮き上がりそうになるので、(もちろん実際には浮いてない)
どこかに、息苦しいなか、ふっと引きずりこまれるのではないかという感じは
怖い人は怖いと思います。

私は一晩、一人でお社にいましたが、息苦しさで一時脂汗というか冷や汗がありましたが
慣れたらもう、不思議な現象は音だけでした。

という具合で、私は怖い話しが大好きで、当時はすでに怖い慣れしてしまい
あの状況でも、だいぶ冷静に考えていました。
>>203さんの体験を読んで思ったのですが

制約がある儀式というのが、自己暗示や、脳の活性or減退に
繋がっている気がするので、段階を踏んで「禅」をやっているような
感じになっていたかもしれません。
出発時からあった、雷のようなゴロゴロの説明はつきませんけども。

>>319さん
きゃっ!元々そういう意味だったのですね、はずかしい!
厄年といえば、なんか悪いものがついて運がなくなる年だと思っていました。
ひとつ賢くなりました。





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