【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

当サイト「怪談の森」は古今東西の洒落にならない怖い話~ほっこりする神様系の話まで集めています。 随時更新中!!

カテゴリ: 石じじい




418 :本当にあった怖い名無し:2018/12/27(木) 00:05:46.47 ID:MLpuIQfv0.net
石じじいの話です。

じじいが子供の頃のことです。
「怖いことが書いてある石」が山中にあったそうです。
これはとてつもなく怖い。
それを読んで発狂した人もいました。
日本中がひっくり返るような内容だったと。
それは平たい石に彫られていた碑のようなもので、ずいぶん古いもののようだったそうです。
いつ頃からあり、何の目的で誰が作り、いつ頃から知られるようになったのかは不明でした。
じじいは見なかったそうです。
多くの人に読まれると危険だ(なぜ?)ということで、三人の人間で破壊することになりました。
そのような「石」があるということは伏せられていて少人数しか知らなかったのですが、少しづつ話が漏れてきていました。
じじいの友人はどうしてもそれを見てみたくて、夜家族が寝静まった時に一人で見にいったそうです。
その夜は月夜だったそうですが、子供が一人で山に登るのはかなりの度胸と言えるでしょう。
その子は無事に帰ってきたそうですが、翌日じじいたちが何が書かれていたのか?と尋ねてみても、
「暗ろうてようみえんかった」
だめです。
その子は昼間にも再びその石の場所を訪れたそうですが、「漢字ばっかりでようわからんかった」と。
しかし、その子がこっそり見たということが大人たちに知られて、こりゃ一刻の猶予もならんということで石はすぐに破壊されたとのこと。
叩き割って、岩屑を谷に捨てたそうです。
その後、破壊作業にあたった三人は老衰で死亡、病死、事故死となったそうです。
因果関係はわかりませんが、まあ普通の死に方でしょう。
二回も石を見たじじいの勇敢な友人は出征して戦死。

後日談があります。
戦後、ある人が山菜採りだか猟だかのために山に入った時に、「その石」を見つけたという話があったそうです。
その人は、当時珍しかったカメラでその「碑」の写真を撮影したということです。
じじいは写真は見ませんでしたが、見た人によるとよく撮れていたとのこと。
「何が彫られとったんかのう?たまげるような内容やったゆうんやけど。
 まあ、あの石は山のいろんなとこに出てくるのかもしれんのう。読んでもらうんを待っとるんよ」
写真の所在、撮影者のその後もメモにありませんでした。
どうも、見たら死ぬ、という存在ではないようです。





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139 :本当にあった怖い名無し:2019/12/09(月) 18:27:08.17 ID:kAMD7KY00.net
石じじいの話です。

この話は、聞き取りの末期に聞いた話です。
何回かに分けて聞いた話らしく、メモノートの最後の分冊のあちこちに分散していたものをまとめてみました。
この頃は、かなり聞き取りに慣れていたので、疑問点についてじじいに尋ねて答えをえていたらしく、全体としては長い詳しい(笑)ものとなっています。
ただし、その場で書きとったものではなく、家に帰って覚えていることだけを書き残したものでしょう。


皆さんは、『推背図』という書物をご存知ですか?
これは、昔の中国で著された予言書です。
ノストラダムスの予言書『百詩篇』も日本でブームになりました。
また、全ての個人の運命を記述したという『アガスティアの葉』というものも一部で有名になったようです。インチキらしいのですが。
そのようなことを彷彿とさせる話です。


140 :本当にあった怖い名無し:2019/12/09(月) 18:27:26.66 ID:kAMD7KY00.net
ある寺に、変な過去帳がありました。
その過去帳は非常に古いもので(江戸時代の初め頃から、とか)、保存が悪く虫食いだらけでした。
なんども災害に遭ったようで、水に濡れて乾いてでぼろぼろ。
その過去帳には、死ぬ人の名前、戒名、享年が非常に遠い未来まで記されていたそうです。
「予言過去帳」のページの途中からは元号の記入はなくなり、死ぬ人の名前その他が羅列されていました。
非常に多くの名前がのせられていて、書物は分厚く、また、3巻もあったそうです。
筆跡が異なった部分が含まれていたので、複数の人間が書いたのだろうと。
つまり、同じ筆跡で人名が続いて記入された後、次に異なった筆跡で記述が続く、また筆跡が変わる、と続く。
多くの人によって書き継がれていたのだろう、ということでした。


141 :本当にあった怖い名無し:2019/12/09(月) 18:27:51.81 ID:kAMD7KY00.net
では、どうしてその過去帳が未来の死亡者を予言しているということがわかるのか?
それは、現在までの実用されている過去帳と対照してみると、
双方に同じ名前が出てきて、予言過去帳に記されている享年、死亡年月日が一致するのです。
もちろん、他へ移住した人や他から移入してきた人もいるので、そのような人の名前は予言過去帳にはありません。

ある時、地元の郷土史家が、それをどうしても見て調べたいと言ってきましたが、
その寺の住職は、部外者に見せることを非常に嫌がりました。
予言過去帳にのっている人々のいわゆる「出自」が明らかになる、ことを恐れたのでしょう。
また、あまりに荒唐無稽なオカルト的なもので人の生活に害するものだ、という認識もあったのでしょう。
しかし、郷土史家はしつこく迫って、その予言過去帳を調べることとなったそうです。地元の有力者のつてをたよったとか。
彼は予言過去帳と実用過去帳とを比較して、
ある筆跡によって書かれた死んだ人の数と、その人々が死んだ年代の長さがだいたい比例することを発見しました。
つまり、三十年ほどの死亡者を一人(ひとつの筆跡)が予言しているのです。
こうして編年していくと、その調査時からさらに六十年ほど後の未来の死亡者を予言していることがわかりました。
じじいが言うには、最後の人名はだいたい昭和40年代頃に死ぬ人だったと。


142 :本当にあった怖い名無し:2019/12/09(月) 18:28:20.18 ID:kAMD7KY00.net
そして、その郷土史家は、その予言過去帳に自分の名前を見つけました。(このたぐいの話の定番ですね)
その時から数年後と思われる死亡年でした。
もちろん、彼はその予言通りに死にました。
その後、その予言過去帳は、箱にしまわれて厳重に封をされて寺に保管されることになったのです。
じじいがこの話を聞いた時、その寺の住職(もちろん、調査時の住職ではなく、のちの代の人)は、
「あんた、見てみるかな?自分の名前があるかもしれんで」と、じじいにいたすらっぽく言ったそうです。
そんなたいへんなものを他人に見せてもいいのか?今まで厳重にしまわれていたのに、とじじいは彼に尋ねたそうですが、
「かまうかい、もう、だいぶ時間が経っとるけんな。それに、この過去帳の予言が終わるのももうすぐやけんな」と。
しかし、じじいはその過去帳を読むことはありませんでした。
その後、その住職が山に山菜採り?に行って崖から落ちて死んだそうですが、それとこれとの関係はもちろん不明。

この話をじじいがしてくれたときは、その予言過去帳の予言期間が終わるかどうか、という時代だったと思います。
「なんで過去帳を見んかったん?おもしろいやん」
「そがいないなげなもん見て、もし自分の名前があったらおそろしかろう。
 そがいなったらな、その予言が当たるように生きていくはめになるかもしれんが」
その寺の名前はメモにはありません。
じじいが教えてくれたのに私が書き忘れたか、それとも教えてくれなかったのか?
その予言過去帳は、3巻目の綴りが一度ほどけてしまったらしく、最後の方のページは失われていたそうです。
実際は、もうすこし将来まで予言が書かれていたのでしょうか?
あるいは、「4巻目」などのように、つづきの巻があったのでしょうか?





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227 :本当にあった怖い名無し:2020/01/18(土) 22:00:45 ID:EnYb9QDk0.net
石じじいの話です。

じじいの話の聞き取り末期の記録です。詳しい内容になっています。

願いをかなえてくれる家があったそうです。
マヨイガのようですね。
その家は廃屋で山の中にあります。
奥の間に祭壇があって、その前で一心に祈ると自分の願い事が叶う、と。
その祭壇は仏壇でもなく神棚のようなものでもなかったそうです。
何もお供えをしなくても良い。
ただ行って、その前に伏して願えば良い。
願い事を口に出しても構わないし、念じるだけでも良い。
まあ、あやしい話なので、ほとんどの人は信用しませんでした。
ただ、ある男性は、それを行なって願いがかなったらしく、他人に熱心にその効能を吹聴していました。
彼が言うには、その家にまっすぐ行くのではなく、あるルートを巡って行かなければならない。
それは遠回りなのですが、そうしないといけないのだ。
この方法は、ある人が教えてくれた、ということでした。
しかし、教えてくれた人が誰か?また、その家に行く道順も教えてくれなかったので、他の人は全く信用しなかったのです。
当然でしょう。
変わり者の嘘つきだ、という悪い噂さえたったようです。


228 :本当にあった怖い名無し:2020/01/18(土) 22:01:04 ID:EnYb9QDk0.net
その村に女の子がいました。
彼女の母親が若くして亡くなり、少女はとても悲しみました。
ひどく落ち込んで外出もなかなかできない状態が続きました。
少女をかわいそうに思ったその男性は、少女にその家に行く方法を教えたのです。
そこに行ってお母さんに会えるように祈ってみては?ということだったそうです。
もうおわかりでしょう。
願い事がかなって、死んだお母さんが『魔物』となって少女のもとに帰ってくる、というペットセメタリー的な話で・・・
もう少し待ってください。
少女は教えられた通りの道順でその家に行って、一心に願いました。
お母さんに会わせてくれと、できれば生き返らせてくれと。
翌朝、少女の枕元にはたくさんのおもちゃが置かれていたそうです。欲しかったおもちゃが。
父親にずいぶん叱られたそうです。どこから盗んできたのか?友達の家か?店屋からか?
しかし、そんな高級な珍しいおもちゃを持っているともだちはいなかったし、
店屋など遠くて子供が容易にいけるはずもない。そんな田舎では売ってもいない。
父親はその少女を見守るようになりましたが、仕事があるのでいつもというわけにはいきません。
そのうち少女は、隙を見て再び家に行って祈りました。
「今度こそ、おかあちゃんに会わせてださい、もどしてください」
翌日、少女の枕元にはたくさんのおもちゃが置かれていました。前のものとは別の。


229 :本当にあった怖い名無し:2020/01/18(土) 22:01:26 ID:EnYb9QDk0.net
父親にさらに厳しく詰問されましたが、少女には答えるすべがありません。
その日から、少女はますます暗く鬱々と落ち込んでいきました。
そして二度、自殺をこころみたそうです。
家族の者たちは、少女を遠くの町の脳病院(ママ)に入れました。
一年ほどいて、少女は回復したそうです。
その後、少女は学校を終えるとすぐ、進学することなく、家族の反対を押し切って仏門に入りました。

「こわいことです、こわいことです」
老齢の庵主さまは、そう、じじいに言ったそうです。
「今の私が、あの家で、母を求めたら、何を得るのでしょうか?」
「こわいことです。あなたも、山を行かれる人ですから、その家に行き当たることもありましょうが。よくお考えください」






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250 :本当にあった怖い名無し:2018/10/30(火) 20:10:40.47 ID:S/Q+okd50.net
石じじいの話です。

死んだ人の魂が宿っている石があったそうです。
そのような石を見分けるには、初雪が降る前に、石を板の上にならべて外に放置しておきます。
雪が降ってその上に積もるのですが、積もった雪がすぐに溶けてしまう石がそれだ、ということでした。
石を上に並べる板の裏側には御札を貼っておくとベストだが、無くても良いと。
そのような石を見つけたらどうするか?
寺に持っていって供養してもらうのも良いが、寺に相手にしてもらえないことも多いので、黙って山奥に捨てておくのが良いと。
このように、じじいに語ってくれた人がいたそうです。

「だれの魂が入っとるかわからんけんね。置いとってもいけないねぇ」
じじいは、手持ちの石を試してみたことはない、と言っていました。






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61 :本当にあった怖い名無し:2018/09/19(水) 19:29:24.21 ID:SK5YB4GZ0.net
石じじいの話です。

満州国への旅行の話をしてくれたときのメモがあるので
そこから解読したものを。

(1)
モンゴル人の視力はとても良いとか。
「ほら、向こうから誰々が馬に乗ってやってくる」
とモンゴル人指差すのでその方向を見てみると、じじいには何も見えない。
それから数十分して馬に乗ったモンゴル人が現れたそうです。
視力5.0ちゅうやつですかいのう。

(2)
モンゴル人が言うには
「首の無い(頭の無い)遊牧民」に真っ昼間に出会うことがあるそうです。
また「頭の無い馬にのった頭のある遊牧民」
「頭の無い馬に乗った頭の無い遊牧民」に出会ってしまうこともあるそうです。
いずれも無視してかかわらないようにすると向こうから去っていくとか。

『首切れ馬みたいなもんよのう。』
今回調べてみたらばけ物としての「頭のない馬」は日本にもあるようです。
「首切れ馬」とか。

また「首なし騎士」についてのフォークロアは欧米にもあって
「スリーピー・ホロウ」などは有名ですね。
もうすぐハロウィンです。

(3)
「いつまでたっても近づいてこない灯り」が、夜出現することがあるそうです。
夜の草原に小さな明かりが遠くに見えていて
それがゆらゆらと揺れてだんだん明るくなってくる。
旅人がカンテラを下げてやってくるのだなと思って待っていると
いつまでたってもその明かりが近づかない。
でも明かりは見えていて動いている、と。

(4)
何度も出会うラクダの群れというのもいたとか。
馬に乗って旅をしているとラクダの群れに出会う。
そのうちの一頭のラクダにはコブの間に乗れるように鞍がおいてあるが人はない。
不思議なことよと思って通り過ぎると
あとでまた同じようなラクダの群れに会う。
よく見ると同じ鞍ののったラクダがいる。それに何度も行き会うのだと。

そういうときには、ラマ教のお経を唱えて行くと会うことはなくなるそうです。
これは欧米や日本にある都市伝説に似ていますね。






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