719 :幸せな名無しさん:2015/08/30(日) 22:32:37 ID:6CX2blgE0
初めて書き込みします。
「なる」 について何となく体感したので誰かのヒントになればと思って。
「なる」 について何となく体感したので誰かのヒントになればと思って。
「なる」 は簡単すぎて難しいのが分かります。
「なる」 に 「なれない」 のはどうしてなのか?に私もずっと悩んでました。
でも簡単なんです、本当に。
「なる」 の壁は現実を気にすると越えられません。
なる前 も なった後 も
現実は無視 です。
そこは分かってるんだけどなれないんだよ!
って私も何回も思いました。
で、そこを越えるには?ですが
記憶を消すこと です。
正確には記憶は消せませんが
意識して忘れていけばそのうち薄れて行き思い出さなくなります。
思い出さなくなって来たら簡単に認識変更できます。
なる にもすっとなれます。
前提も崩れます。
つまり私たちは未来を見てるようで、過去の記憶を見てるんですよ。
なる を体感できていたら
忘れるとか忘れないとかあまり考えなくなります。
なったんだった と思ってもいいし、なったことを忘れてもいい。
その辺は緩い方が分離という世界を選んでいないことになるんでいいんじゃないかな?
つまり 完璧 や 既に叶ってた世界 ですね。
私が忘れるって言ったのは、今までの自分の人生を忘れるということです。
記憶喪失のような感じでしょうか?いいことも悪いことも忘れていくんです。
つまり刺激をとっていきます。
1000万円稼ぐ私になった!
だけど現実を見てそれをすぐ取り下げてしまう。
これが なるの壁 ですよね。
今現在の現実を見て なる を取り下げてしまう。
今までの人生で自分がどういう経験をし、どういう能力を持ち、どういう行動を取るか?という判断から なる を取り下げてる場合が多いわけです。
だからそこの記憶を意識的に曖昧にしていく。
自分の事を1番よく知っているのは自分です。
でも なる を使うなら、自分の認識を変更しないと難しい。
ではその認識を邪魔してるものは?となった時、自分の記憶が多いに関係します。
自信満々の人生を送って来た人は、そもそも既に なる はできてるんです。
躓く人は何かしら自分の人生、つまり 自分の過去 に何かしらの拘りがある人でしょう、私がそうだったので。
これは私が体感したことなので、失礼であればすいません。
あなたは自分で何かしらの努力、つまり行動をしてきた
そこから自信と確信が出てきたんじゃないでしょうか?
だから なる とはまた違うアプローチなのかな?と思いました。
願いの叶え方は人それぞれなので、自分が体感して楽で心地よい が第一条件ですから、本当に何でもいいんだと思います。
ただ なる で行きたいのなら、刺激を求めず、前提を壊していき、それを捨て、認識を変更するしかないと思います。
子供のようにと潜在意識ではよく言われますが、子供はまだ色々な経験値がないため、目の前のことに夢中になれるし、さっと なる もできるんだと思うのです。
でも子供の頃を思い出すと、あまり刺激はなかったなぁーなんて思ったりします。
だから なる とは、穏やかだけど刺激はなく平凡かも知れませんね。
何もする気がない っていうのすごく良くわかります。
>忘れていくというのは何となく感覚で分かりますが、具体的にどのような感じで>>719さんはやっているんでしょうか?
記憶を消すことはできないので忘れていくという感じですが、どうやるかというと
現在の出来事 過去 未来 願望 を独立させました。
つまりお互いを関連付けをさせません。
これが起こったから願望実現は無理、あんなことを思ったからこれが今起こった、この過去があるから未来は不幸だ。
こういう考え方をできる限り無くしていきました。
色々なことは日々起こります。
それに記憶もありますから色々と思考します。
ですが どれも悪いことではありません。
問題なのは、関連付けを意識的にも無意識的にもしてしまうこと。
それぞれを独立したモノとして見ると、簡単に流せます。
本当は全ての出来事って関係ないんです。
その時湧いた感情はしっかりと味わう。
良いも悪いも判断せず感じ切りますが何にも絡めません。
すると殆どのことはその場でなくなっていきます。
記憶としてあまり留まりません。
そしてポイントとして ジャッジをしない があるんですが
それは自分に対してもです。
一般的に言う悪いことが起こった時、悪口 不甲斐なさ 愚痴 など自分の中から出てきますが、そう思う自分を完璧だ!と最後に 完璧 を付けると全ては統合されて分離しません。
分離させてしまうと重い記憶となるのでちょっと注意が必要です。
完璧と認識する事で自愛にもなります。
現実を満たされていない!という認識になるのも防げます。
今この文章を読んで そんなことできね~ 意味分からん
・・・と思うけどそんな自分も完璧!と認定し続けます。
記憶=心に残った事 ですから
敢えて心に残らないように軽くしていく作業をします。
でもできなくてもいいんです、できない自分も完璧!
これを繰り返ししていき習慣化してくると、本当に心の中にしこりが残る事が格段に減ります。
あとは文字通り嫌な思い出は忘れていきます。
特に叶えたい願望に関連するような事は思い出しません。
思い出した時は上記の作業をします。
>話の内容から 「 自分はこうだった こう考えている 思っている 」 というような一種のアイデンティティーみたいなところも薄れさせているように感じました。
なるとちょっとズレるかもですが、現実は内面の投影とよくいいます。
つまり 現実=自分 なわけです。
自分が死んだら本当に世界も一緒に終わります。
人間は科学の分野から見ても、自分の見たい物しか見ていません。
脳の中で処理をされた情報で世界が成り立っているなら、目の前の全ては脳が作り出したものになる。
つまり現実は脳が作ったものだから
他人=自分 になります。
するとここでも段々と 自分と他人 そして 世界の境界線 があやふやになります。
つまり自分は世界を作ってたんだ と確信できるわけです。
これは
自分が中心であり、現実に振り回される意味が無いんだ
と思い出すきっかけになります。
外で起こる事、内で起こる事を、まるでブラックホールのように吸収し統合していく自分になるので、アイデンティティーのない自分になってしまうように思いますがそんな事はない。
むしろ逆で、自分の事がよく分かるようになっていきます。
本当の望み、したい事、今の感情、などなどビックリするほど明快です。
簡単に言うと素直になります。
>書いていて特定の分野において集中して忘れてくのかな?とも思いました。
例えば収入だったら収入に関わる部分を薄れさせていく、とか。
少し突っ込んで言うと、>>708さんが言ってる通りなんですが
なる は ある世界 が前提となってないと成立しないんです。
収入の分野を 忘れる のではなく、そこは現実なので 無視 します。
そうではなくて、今までの蓄積されてきた常識を忘れるって言う感じです。
常識は個人個人で微妙に違いますが、それこそが自分の世界への認識であり前提であり自分なんです。
そこを壊すというのが 忘れちゃおう ということです。
記憶を忘れるとは 前提が壊れる ということです。
ではどんな前提を壊すのか?
ない世界から叶える という前提を壊し ある世界で既にあったことに気づく んです。
つまり、叶えるぞ!という立場からだと
なる は存在できないばかりか
叶えるぞ=今叶ってない=ない ところからの出発となって
叶ってない世界を支え続ける事になる。
現実を見ながら叶えたい!とするなら、なるにはなれない。
なる は なった=既にあった=叶ってた。
このように前提を変えるために、邪魔をしている記憶を捨ててしまえば良いという事です。
今までの常識を捨て、思い出を捨て、時間を捨てる=前提を変える。
すると満たされてるだけが残り、あるが世界でなるができます。