【閲覧注意】怪談の森【洒落コワ】

実話怪談・都市伝説・未解決の闇・古今東西の2ch洒落にならない怖い話。ネットの闇に埋もれた禁忌の話を日々発信中!!

カテゴリ: 英霊



792: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/08/02(日) 23:25:51 ID:wMheFiAS0
この間、靖国神社に御参りにいったんだ、その後に博物館を覗いたんけど、
あの博物館って、中に零戦とか人間魚雷桜花とかあって感銘深い物があるなぁ
って見学してた訳。
平日の昼間で誰も居ないしゆっくりと見ていたのよ
そうするとビデオを流してる場所があり、一人で椅子に座り見ていたら
何か後ろの方でざわざわする。
団体さんかなぁと最初は気にしてなかったんだが、何の気無しに後ろを見たら
誰も居なかった…
戦没者の皆さんだったのかな、終戦の内容だったので…



802: 本当にあった怖い名無し 投稿日:2009/08/03(月) 00:01:15 ID:bnt2Jo9s0
>>792
どうでもいいけど人間魚雷は回天な。
桜花は人間爆弾。







575 :本当にあった怖い名無し:2010/12/14(火) 23:33:37 ID:OHKK3zSV0
先日、曾祖父の七回忌があった時に、祖父から聞いた話です。
もしかしたら、よくある戦時中の話かもしれません。

第二次世界大戦が終戦する1年ほど前の話です。
代々うちの家は神主の家系で、免許みたいなのが出来るずっと前から神主を営んでたそうです。
平安時代の神祇官(?)ぐらいまでさかのぼるんだとか。(流石にこれは信じてませんけど)
そう言うわけですから、地元ではいわゆる名士の部類に入る家でした。
それを目に付けたのか、単に手近な神主だったからかは知りませんけど、
曾祖父は軍の従軍神主として招致されたそうです。

そんなこんなで数日経ったとき、曾祖父は作戦の成功祈願を行うために軍の飛行場へと呼ばれました。
何の成功祈願かは言うまでもなく特攻だったようです。
曾祖父は皇室を尊敬して陛下に忠誠を誓っていた右翼の様な人でした。
そんな曾祖父でも特攻には反対だったようで、
一応全身全霊を込めて祈願をしたそうですが、特攻に向かう若い兵に、
「怖かったら帰ってきてもいいんだよ」と小声で言ったそうです。
当時曾祖父は30代半ばぐらいでしょうか、
自分より若い前途ある青年を、死地に追いやるのが忍びなかったのでしょう。
その時特攻に赴いたのは三人だったらしく、全員に優しく諭すように言ったそうです。
ですが、結局翌日になっても、翌々日になっても、三人が帰ってくる事はありませんでした。



576 :本当にあった怖い名無し:2010/12/14(火) 23:34:36 ID:OHKK3zSV0
それから一カ月ほど経ったときの事、突然曾祖父が歩兵の中隊を率いる事になりました。
階級は低かったですが、(元々軍人じゃないから当然)
温厚な性格と、日ごろから兵たちに優しく接していたせいで慕われていたせいか、急に任命されたと聞きます。

それで出立の前日。いろいろ準備している最中に、ボロボロの服を着た兵士が歩いてきました。
見おぼえがある顔だと思って暫く眺めていると、一か月前に特攻した若い兵の一人だと気付いたそうです。
「よく帰って来た」と曾祖父が言うと、
「先生のおかげで帰ってこれました」と若い兵は言ったそうです。
(曾祖父は当時軍中で兵たちに先生と呼ばれていたそうです)
曾祖父はその後に九州へと派遣され、無事帰還する事が出来ました。

それから日本が戦争に負けて数年経った頃の話です。


にほんブログ村 2ちゃんねるブログ 2ちゃんねる(オカルト・怖い話)へ
にほんブログ村
人気ブログランキング
人気ブログランキング




656 :本当にあった怖い名無し:2023/11/19(日) 18:20:14.19 ID:LlvnStqB0.net
大戦中、ある軍医のところに重傷を負った兵士が運ばれてきた。ものの見事に歯が吹き飛ばされている。
もう物を食べることもしゃべることも難しいだろうと軍医は諦めていたが、数日して歯は元通りになった
驚いてそのことを指摘すると、神様が補ってくれたと言う
話は理解できなかったが、兵士は驚異的な早さで回復しまた戦場に出ていった
それから幾日か経ち、今度はその兵士が死体となって運ばれてきた
解剖しても異常な点は見つからなかったが、火葬したところ尾骨だけが綺麗さっぱりなくなっていた
軍医は神様の器は小さいものだと呆れたらしい



※管理人「神様は助けたつもりだったのでは」とも思いましたが、皆さんはどう思いますか?






262: 本当にあった怖い名無し[] 2009/04/29(水) 19:08:08 ID:jOh3QAv60
青森県の八甲田山で遭難した軍隊の銅像が立っている場所で不思議と
涙がこみ上げ、失礼とわかっていながら銅像の前でお酒とお線香を供え
させてもらった。

無意識にその銅像の前で敬礼をしていた。周囲の観光客は冷笑。
宿泊先で夜中にふと目を覚ましたら、軍服姿の集団がいて、なぜか俺に
姿勢を正した上で敬礼していた。そして隊長らしき人が

「御厚情感謝申し上げます!」

と告げてスーッと消えた。夢かなと思ったけどそんなに恐怖を感じる
ことはなかった。
帰りがけにもう一度銅像の前にお酒とお線香を供えて敬礼した。
心の中で「お疲れ様でした」と叫んだ。

以上、取りとめもない話でしたm(_ _)m




263: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/29(水) 19:13:53 ID:BwoDOhgB0
まあ、そりゃ冷笑するわな・・・



264: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/29(水) 19:25:10 ID:raGfsT9V0
>>262
素敵じゃないかジェントルマン



265: 本当にあった怖い名無し[] 2009/04/29(水) 19:45:20 ID:ZhdC8nE+0
>>262 >>264
本当に素敵な話だよね。


266: 本当にあった怖い名無し[] 2009/04/29(水) 20:03:20 ID:aFwl/pwi0
 >>262
いい話ですね。
目撃しても、俺ならば笑わない。逆に立派だなと思う。




267: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/29(水) 22:20:32 ID:seSio3Ph0
>>262
痛い軍オタと思われたのかも<敬礼

でも、亡くなった軍人さんたちが喜んでくれて良かったね。
いい話だと思う。



268: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/30(木) 03:17:07 ID:pYJlezOU0
>>262
いい話だ・・・




269: 本当にあった怖い名無し[] 2009/04/30(木) 06:26:59 ID:bPNnzwYfO
>>262
痛すぎるし、下手な作り話は読んでてすげぇ寒いわw
軍ヲタってやっぱりキモい…




270: 本当にあった怖い名無し[] 2009/04/30(木) 06:50:49 ID:zpdkCSHr0
>>262
( ;∀;) カンドーシタ




271: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/30(木) 07:07:37 ID:enwJSGmbO
なぜ線香と酒を持っていたのかと




272: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/04/30(木) 07:15:15 ID:RiY3N61s0
オカ板とか軍板ならその手の場所に行ったときの
酒携帯は必須だと思っていました。
線香までは火の関係で持っていかないけど。




275: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/05/01(金) 00:51:53 ID:b/bqpvWh0
262の古い親類縁者に関係者がいたか、262自身がその軍隊の中にいた軍人さん達の誰か
生まれ変わりか何かかもしれないんじゃない?
信じる・信じないは人それぞれだけど、なんか感動した。




276: 本当にあった怖い名無し[sage] 2009/05/01(金) 09:57:54 ID:1o03787x0
>>275
同じ事思った。
霊って、実体化して現れるのには凄い力が要るというから、
ただ共感して泣いただけの観光客?だったらわざわざ頑張って現れないだろうし…
親類縁者子孫にああしてお供え&敬礼までされたら、昔の人はそりゃあ律儀にお礼を言いたくなるんだろう…

関係無いけど、今年の夏もちゃんとお墓参り行こう。
何かそんな気になった。






海の話です。

バルチック爺さんの話です。

日本海海戦は御存知の通り
日本帝国連合艦隊の圧勝に終わったのですが、その人的被害は皆無ではありませんでした。

砲兵として働いた水兵たちは、敵弾による鉄片の飛散によって傷ついたものが多かったとか。
彼は多くの戦傷者を看護しながら日本の港に帰る途中で、海から変な音が流れてくるのを聞いたということでした。

それは甲高い「ヒュィーン」という音で、それを最初に聞いた時には
「ロシア艦隊からの魚雷か?!」と緊張したようですが、
そのような攻撃を加えることのできる敵水雷艇はその海域にはいない。

他の兵士も聞いたそうです。

それは海に広がる暗闇から聞こえてくる。

それが、すこしづつ低い音程に変わってきて
「うぅおーん」となり、それが続いてまた音程が高まる、という。

低い音程の時は、
まるで人の声のようにも聴こえたそうです。

それが高い音程になると、
悲鳴のようにも聞こえてきた。

音は近づくこともなく、
また遠ざかることもなく、
夜明け前には消えたそうです。

それを聞いた兵士の中には念仏を唱えるものもいたそうです。

佐世保に入港したのち負傷兵を上陸させたとき、
看護していた砲兵が
「帰路航海中、船室の中を白い人間が何人も歩き回っていた」
と述べたそうです。

重傷だったので幻影でも見たんだろうと思い、
病院への引き継ぎ作業をしました。

その砲兵が、爺さんに長い計算尺をくれたそうです。

おそらく弾道計算に用いるものだったのでしょう。

生前見せてくれたことがあります。

その負傷兵のその後は聞いていません。

ただ、その後、
戦艦三笠は停泊中に火薬の爆発によって港で沈没します。

司令官や爺さんたちは上陸していて何を逃れたそうですが、
300名以上の殉職者をだしました。

爺さんは
「何のために海戦で生きのびたのかわからない」と
苦い顔をして話していました。

その後、
連合艦隊は解散し、
爺さんは船をおります。





808 1/3 sage New! 2006/01/22(日) 01:18:36 ID:0xPCHD5z0
こわい思いをしていないからこのスレに。少し長いです。

子どもの頃、いつも知らない人が私を見ていた。
その人はヘルメットをかぶっていてえりあしに布がひらひらしてて、
緑色の作業服のような格好で、足にはほうたいが巻かれていた。
小学生になってわかったが、まさに兵隊の格好だった。

その兵隊さんは私が1人で遊んでいる時だけでなく、校庭で遊んでいる時や
母と買い物でスーパーに行った時、いつでも現れた。
少し離れたところで立って、私を見つめている。
自分以外には見えていないし、いつもいつの間にか消えている。
私も少しはこわがってもよさそうなものだったが、何せ物心ついた時から
そばにいるし、何よりその人から恐怖心を感じるようなことは全くなかった。
きりっとしてて優しげで、古き良き日本人の顔って感じだった。

809 2/3 sage New! 2006/01/22(日) 01:19:32 ID:0xPCHD5z0
やがて中学生になった。ある日いつもと違うことが起きた。
テストを控えた寒い日、夜遅くに私は台所でミロを作っていた。
ふと人の気配がしたので横を見ると、兵隊さんがいた。
けれどその日は手を伸ばせば触れるくらいそばにいた。
ぼけた私が思ったことは「意外と背低いんだな」くらいだった。
―それは何でしょうか?
体の中に声が響いたような感じだった。兵隊さんを見るとまじまじとミロの入った鍋を見ている。
ミロって言ってもわかんないよね・・・と思った私は「半分こしよう」と言って
ミロを半分にわけて、カップを兵隊さんに渡した。
― 失礼します。
そう声が響いて、両手にカップを持ってふうふうしながら兵隊さんはゆっくり飲んでいた。
その時の兵隊さんの顔は、柔らかくてすごくうれしそうだった。
飲み終わって、また声が響いた。
―こんなにうまいものがあるんですね。
少なくて悪いかな、と思った私は「おかわりする?」と聞いたが、
兵隊さんはカップを私に手渡して、敬礼してふっと消えてしまった。


10 3/3 sage New! 2006/01/22(日) 01:20:56 ID:0xPCHD5z0
別の日に1人で家にいる時、クッキーを作っていた。
焼きあがり、冷まそうとお皿に並べていたら、人の気配がしたので窓を見ると、
庭先に兵隊さんがいた。
私はおいでよ、と手招きをしたが、兵隊さんはにこっとして首を横に振った。
あれ?と思っていたら兵隊さんは敬礼して、ふわっと消えた。
ヘルメットから出てる布がふわりとしたことを覚えてる。
それきり、兵隊さんは私の前には現れなくなった。

今でも兵隊さんのことを思い出す。
美味しいものを食べた時や料理が美味しく出来た時、
兵隊さん、どこかで美味しいもの味わえているかなあと。







724本当にあった怖い名無し sage 2009/09/04(金) 14:31:38 ID:0U0ZTix/0

うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。

婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。

当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。

その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。

「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
 この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
 まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
 ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
 黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」

婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。






106 本当にあった怖い名無し 2006/04/23(日) 15:05:47 ID:gf0D3cTh0

ちょっといい話系。ガイシュツかもしれんが。

太平洋戦争の激戦地ペリリュー島で戦後戦没者の遺骨を捜索し、
弔っていた人がいました。
団長も高齢となり、資金も苦しくなり最後の活動といわれていた
際、団長が洞窟で足を滑らせ、転落し行方不明となってしまいました。

洞窟は海とつながっており、捜索作業は難航しました。
何日も経ち、最後の捜索をしていた際、海に目をやると
沖の方で鳥たちが何かを守るように旋回しています。
「まさか?」と思い、そこに近寄ると、今しがた生きていたような団長
の遺体がそこになりました。
ここの海域はサメが多く、遺体が完全な姿で見つかる事はありえない
ところです。

「英霊が守ってくれたんだ・・・」通訳がつぶやきます。
「自分たちを弔ってくれたお礼に、サメから守り、団長の遺体は
ここにあるぞ!と鳥たちを使わせたんだ・・・」





19本当にあった怖い名無し 2009/12/12(土) 13:18:19 ID:p7FkQ+SQ0

硫黄島が未だに、民間開放されてないのはなぜか。
社会常識としては、硫黄島が軍事上の重要拠点になってるから。
真相は単純。その原理は、旅館の開かずの間と同じだ。出るんだよ。
夥しい数の英霊が。それも、日米混合で。
硫黄島がベトナム戦争並みの激戦区だったのは、
戦後に左翼とかが頑張ったせいかあまり知られていない。
新しくて『密度』がハンパじゃない古戦場。しかも、出るのが英霊。
オカルトだけでなく、政治や軍人遺家族等が織り成す人間的要素が加味される。
それも、日米はもちろん東アジアからも詣でられる。
こういう離島は、硫黄島ほどじゃないけどアラスカ州のアリューシャン列島にもある。
こちらの方は、島の面積も広いし要所要所を米国側がきちんとしてて民間人も住んでる。
硫黄島の海みたいに、大きな戦艦の幽霊船みたいなのが出現したりしないしな。
もし、ゴム筏か何かであの艦船に近づいていったら今頃どうしてるところだったのかな。
だから、硫黄島から基地が移転することは無い。
何十年経っても、たとえ防衛省が民営化される日が来ようと
海運系の華僑や日本の漁師ですら移住できるかは微妙。

37本当にあった怖い名無し 2009/12/12(土) 21:35:58 ID:xiU7IPBD0

>>19
俺の姉の旦那が海自で2年間硫黄島に出張だったがかなりでるらしいな
なんか自衛隊でも幽霊対策のルールがあるんだってさ
寝る前は窓の外に水をいれたコップを置いておく
朝になるとコップは空っぽになるらしい
幽霊信じない若い奴がこれやらなかったら初日深夜に
「熱い~熱い~」と気が狂った様に部屋の壁叩いてたって
あと土掘るとすぐに人骨がでてくるらしい、これの回収も仕事
昼間誰もいないのに軍隊の行進の足音が迫ってくる事があるらしい
その時は上官が「撤収!」って叫んでみんな逃げるらしい
ちなみに戦艦の幽霊は見たことないって








156 :本当にあった怖い名無し:2008/08/16(土) 01:11:31 ID:vqJExp2m0

98 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/23(月) 21:49:09.85 ID:b2Dotx9UO
四国のなんとか狸は、人に化けて日露戦争に参加したらしい。
赤い軍服を着た決して倒れない兵士は、ロシアの兵隊をかなりビビらせたとか。




303 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/24(火) 00:45:46.91 ID:f7oQ0iQq0
>>98あたりで既に既出だけど再掲
軍隊狸
ttp://home4.highway.ne.jp/deadsoul/ka/guntaitanuki.html(※リンク切れ)
【軍隊狸】
○戦場に赴き、日本軍を影で支えた狸たちのこと。
○当時の日本軍、道理で強いわけです。なんというか、メンタル面で。



事例1 愛媛県周桑郡壬生川町 松谷みよ子氏の話
伊予の喜左衛門狸は日露戦争に出征した。
小豆に化けて大陸を渡り、上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと全軍に散り、赤い服を着て戦った。

敵将クロパトキンの手記には、
『日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現れて、この兵隊はいくら射撃してもいっこう平気で進んでくる。この兵隊を撃つと目がくらむという。赤い服には、○に喜の字のしるしがついていた』
と書かれている。



事例2 香川県高松市 室津源太郎氏の話
日露戦争の時、高松のじょうがん寺の狸の総指揮の元、狸たちが出征した。
兵隊に化けて山を作り、ロシア兵が登るなり山をひっくり返したりした。
凱旋の時には狸までが提灯行列をしたという。



事例3 中国上海中支派遣軍八一〇一部隊 松谷みよ子氏の話
昭和十五年冬。
柳橋という場所で、友軍の一個小隊が敵軍に包囲されて全滅に瀕しているという報告が入り、
K氏所属の一個小隊は待機を命じられた。
その後、Kさんと戦友三名が偵察の命を受けた。

小高い丘で動き回っている敵軍を発見し、報告に引き返そうとした途端に銃撃を受け、
気がついた時には、大陸の広野の果てしない暗闇の中に震えていた。
その時、一人の戦友が「あっ提灯」と叫んだ。
Kさんが振り向くと、目の前には懐かしい大三島神社の定紋入りの提灯の明かりがあった。
「五六だぬきや、五六さんが氏神さんの提灯持って迎えにきてくれたか」
そういって提灯の後をついて走り、無事に帰りつくことができた。

○いずれも『現代民話考(松谷みよ子 立風書房)』より





↑このページのトップヘ