【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

当サイト「怪談の森」は古今東西の洒落にならない怖い話~ほっこりする神様系の話まで集めています。 随時更新中!!

カテゴリ: ホラーテラー




中学時代の話だ。
その年の夏、私と、私の両親と、友人一人の計四人で、一泊二日のキャンプをしたことがあった。
場所は街を流れる川の上流。景観の良い湖のほとりにテントを立てた。
水神湖(みずがみこ)という少し変わった名前の湖。観光パンフレットにも載っていないので、周りに人は私たちだけだった。

事前の予定では、両親はいないはずだった。
普段は放任主義なのだが、さすがに子供二人だけでのキャンプは危険だと思ったのだろう。
いきなり自分たちも参加させろと言いだして、計画にもあれこれ勝手に手を加え始めた。
今ならその心配も十分に分かるのだが、当時は普通にウゼーと思っていたし、実際口にもした。
もっとも私よりも、まず友人に申し訳ないと思っていたのだが、彼は表向きはまるで気にしていないようで、私が親がついて来ると告げた時も、「うん。分かった」の一言だったし、行きの車の中でも、私の両親とえらく普通に会話をしており、私一人だけがいつまでもブーたれていた。

「やっぱりくらげちゃんは、誰かと違って礼儀正しくてしっかりしてるねぇ」
移動中の車内。母が声を大きくしたのはわざとだろう。

くらげとは友人のあだ名だ。
私がそう呼んでいるのを聞いて、親も真似をしてそう呼ぶ様になったのだった。
しかし、何が『くらげちゃんはしっかりしてるねぇ』だ。
いっそのこと、そのあだ名の由来を教えてやろうかとも思った。

友人は所謂『自称、見えるヒト』であり、幽霊の他にも、自宅の風呂に居るはずの無いくらげの姿が見えたりする。
だからあだ名がくらげなのだが。

口に出したい気持ちを、ぐっと呑みこむ。
くらげはその日、長袖のシャツに黒いジャージという出で立ちだった。
彼はあまり親しくない人の前で肌を見せるのを嫌う。つまりは、そういうことだった。
「まあ何ねこの子は、さっきからぶすーっとして」
うっせー。誰のせいだ。


細い山道を幾分上り、目的地に着いたのは午前十時頃だった。
人の手が入ってないからか、湖の水は隅々まで透き通っていた。
所々白い雲の浮かぶ空は青く、周りの緑がそよ風になびいてサラサラと音を立てている。
荷物を下ろし、今日のために休暇を取ったという父親が、はりきってテントを組み立てにかかった。
くらげがそれを手伝い、私は落ちてある石を集めて積み上げ簡素な竈を作った。
口は強いが身体の弱い母は木陰でクーラーボックスに腰かけ、皆の作業の様子を眺めていた。

テントが完成した後、母が私の作成したかまどで昼食をこしらえた。
野菜と一緒に煮込んで醤油とマヨネーズで味付けした、ぞんざいなスパゲッティ。
鰹節をふりかけて食べる。
見た目と同様に味もぞんざいだったが、美味かった。

「そう言えば、前にも一度ここに来たことがあってな」

食事中、ふとした拍子だった。パスタと共に昼間から酒に手を付け始めた父が、しみじみとした口調で言った。

「あの時は、こんなにゆっくりとは出来んかった」

私たちが生まれる前のことだという。
麓の街に住む一人の男が、山に入ったまま行方が分からなくなった。
次の日、家族の通報により捜索隊が組まれ、何日もかけて山中を探しまわったそうだ。
消防署に勤めている私の父も捜索に加わっていた。
そうして二日程たった頃。行方不明だった男はこの湖の近くで、見るも無残な姿で発見された。

「たった二日なのにミイラみたいになっててな、驚いた。腕は一本千切れて無かったし、動物の爪のあとやら、しかも腹にはどでかい穴が空いててな、内臓があらかた食われてた。熊じゃないかってことになって、そこからは皆大騒ぎだよ。猟友会も呼んで男の次は熊の捜索だ」

私とくらげは無言のまま顔を見合わせた。
隣の母が露骨に止めてくれというような顔をしていたが、私は構わず父に尋ねた。

「で?その熊は見つかったん」

「いや。見つからなかった。そもそも熊じゃないって話もあったな。猟友会の奴らが、これは絶対熊じゃないって言うんだ。傷がでかすぎるってな。まあ、確かにここらの山に熊が出るなんて、その頃でも聞かない話だったが。でも熊じゃないとしたら、じゃあ何なんだって話だよ」

「……そんなのが出るかもしれん山に、私らを連れてきたん?」

そう言って母が父を睨んだ。父はどこ吹く風で缶ビールを口に運ぶ。

「もう十何年も前の話だから心配ない。それに、どこの山だって死亡事故の一つや二つ起きてるもんだ。いちいちビクビクしてたら何も出来んだろ」

「それにしても、食事中にする話じゃなかろーが」

それでも美味そうにビールを飲む父に、母は「この酔っぱらいめ」と悪態をつく。
そんな夫婦のやり取りを見ながら、私の口の悪さは母譲りだなと改めて思う。

「ああそう、思い出した……。死体を見た専門家も、こいつは熊じゃないって言ってたな」

一本目の缶ビールを飲みほした父が、そのまま顎を上げ空を見上げた状態で、どこか独り言のようにそう言った。

「腹の傷辺りの内臓が、すっかり溶けてるとかなんとか」

「やめんと刺すぞ」

母が父に菜箸をつきつけ、この話は終わった。

昼食後は、日が暮れるまでそれぞれ好き勝手なことをして過ごした。
母は読書をしたり、傍に居たくらげを捕まえて話の相手をさせていた。
酔っぱらいは、わざわざ家から持ってきたハンモックを手ごろな木に吊るして、昼寝をしていた。
私はというと、もっぱら釣りをしていた。
餌はその辺の岩の下に居た小さな虫で、この湖で何が釣れるのかも知らなかったが、湖の景観は眺めていて飽きなかったし、ついでに何か釣れればいいな、くらいの心持ちだった。

小さな折りたたみ椅子に座りぼんやりしていると、ようやく母に解放されたらしいくらげがやって来て、私の隣に腰を下ろした。
しばらく二人共無言で湖を眺めた。
どこかで、ピィ、という鳥の鳴き声と一緒に、木々の擦れ合う音がして、小さなこげ茶色の影が数羽、私たちの頭の上を西から東へと横切っていった。

「さっきの親父の話さ、あれ本当だと思うか」

鳥の影が見えなくなった後、私は何となく尋ねてみた。
欠伸の最中だったらしいくらげは、両手首で涙をぬぐいながら、そのまま「んー」と伸びをした。

「僕は当事者でも何でもないし」

「まあ、そうだよな」

そして、くらげは地面に生えていた草を数本引きぬくと、湖に向かって投げた。

「……あのさ。これ、随分昔におばあちゃんに聞いた話なんだけど」
くらげが言った。

「この辺の山には、神さまが住んでるって」

「神さま?」

「そう。みずがみさま、っていうんだけどね」

くらげは湖を見つめながらそう言った。
みずがみさま。その名前は私に、今自分が釣り糸を垂らしている湖の名前を否応なく思い出させた。

「そのみずがみさまがどうかしたのか?それとも事件は、そいつのせいだって言うのかよ」
くらげは首を横に振った。

「かもしれないねって話。でも、この湖のそばで見つかったんでしょ?」

確かに男の死体はこの水神湖周辺で見つかったそうだが、だからといって、湖の神さまが犯人は突拍子過ぎるのではないか。
そんな私の考えを知らないくらげは、淡々と続ける。

「ふつう、神さまが見える人なんて滅多にいないし。見えない何かに危害を加えられたり、なんてことはあり得ないんだけど」そして、くらげは右腕を前に伸ばすと、シャツの裾を少しめくって見せた。
白くて細い腕の中に、赤い斑点が数ヶ所浮き出ている。

「見えない人には居ないも同然だけど。もしも『それ』が見える人なら、刺されたり噛まれたり、殺されることもあるんだよ」

それは、彼が自宅の風呂に出たくらげに刺されたという跡だった。
最初に見たのは小学校の頃の体育の授業だったが、それから数年経っても消えないで、未だ彼の身体に残っている。

ファントム・ペイン――幻肢痛。
そんな、どこかで聞いたような単語が頭に浮かぶ。

しかしあれは、すでに失った、あるはずの無い手足の痛みを感じる、というものだったはず。
この場合、幻傷と言った方がいいのかもしれない。

「……でもなあ。最近の神さまは、人を襲って内臓食うのかよ」

私が言うと、くらげは前を見たまま「どうだろうね」と少し首を傾げた。

「神さまなんて、善いとか悪いとか関係なしに、人が崇める対象のことだし。もしかしたら、生贄だと思ったんじゃないかな。僕らの街も昔は水害が多かったそうだから」

さらりと言って、くらげは再び欠伸をした。
それから後ろを振り向き、父が寝ているハンモックをどことなく羨ましそうに見やった。
その後、私は夕暮れまで粘ったが、結局一匹も釣れなかった。

夕飯はカレーだった。但し、ここで作ったものでは無い。
母が家から鍋ごと持ってきたのである。
しかも飯盒も米も無いので、別の鍋でうどんを茹でて、カレーうどんという体たらく。
何故キャンプに来て、昨日の残りのカレーを食べなければいけないのだ。何故白米が無いのだ。
ここでも結局、私のみがブーたれていた。

食事の後は、焚き火の光を目印に集まってきた虫達と一緒に、夜の景色を眺めたり、誰かと適当に話をしたり、父のウィスキーを少しなめさせてもらい、母に怒られたりした。
時間は驚くほどゆっくり流れ、夜空にはどこも欠けることのない満月と共に、今にも落ちてきそうな、もしくは逆にこちらが吸い込まれそうな、満天の星空が輝いていた。

酒のせいか、いつテントに入ったのかは覚えていない。
気がつけば、私は寝袋を敷布団にして仰向けに寝転がっていた。
右を見ると父と母が、左にはくらげが少し離れたテントの隅で、まるでカブトムシの幼虫の様に身体を丸めて眠っていた。
どうして目が覚めたんだろう。
外の焚き火は消えている様だった。辺りはしんと静まり返り、虫の鳴き声が唯一、静寂を一層際立てていた。
私は上半身を起こした。寝起きだというのに、何故か自分でも驚くほど目が冴えていた。
目だけじゃない。五感がこれ以上ない程にはっきりとしている。

何か居る。
ほとんど直感で、私はその存在を認識していた。テントの外に蠢く何かが居る。
直感に次いで、這いずる音が聞こえた。
その内、不意にテントの壁に大きな影が映った。私の背よりは大きくないが、横にかなりの幅がある。
そいつはテントの周りをのそのそと、入口の方まで移動してきた。
私は無意識の内に、テントの入り口に近寄っていた。
二重のチャックは二つとも閉じている。薄い布二枚隔てた向こうに何かが居る。
不思議と、熊かも知れないとは思わなかった。
そいつの足か、もしくは手がテントに触れた。でかい身体の割には随分と細い手足という印象だった。細くて、先が鋭い。
みずがみさま。

ガジガジガジガジ、とまるで錆びた金属同士をこすり合わせたような、そんな音がした。
鳴き声だろうか。そうだとしたら、そいつは熊ではあり得無い。
私は手探りでテントの中に転がっていた懐中電灯を見つけ出した。
片手に握りしめ、もう一方の手でゆっくりと出入り口のジッパーに手をかけた。
じりじりとジッパーを下ろしてゆく。片手が入る程の隙間。その隙間に、私は光のついていない懐中電灯を向けた。
スイッチを入れようとした。
その瞬間、突然後ろから肩を掴まれた。
驚く間もなく口を塞がれる。

「……静かに」

耳元でもようやく聞こえる程の小さな声。くらげの声だった。
いつの間に起きていたのだろうか。後頭部から彼の心臓の鼓動がはっきりと聞こえていた。自分の心臓の音も聞こえる。
いつの間にか懐中電灯が取り上げられていた。

「今は駄目だ。相手にもこっちが見えるから」
外の気配は相変わらず、すぐそこにあった。

「見えるってことを、知られちゃいけない。見えないふりをしないと」

小さく囁くその声が、僅かに震えているのが分かった。そこでようやく、私の頭の芯が冷えてきた。
私は鼻で大きく深呼吸を二回すると、くらげの膝を軽く二度叩いた。
くらげが私の口から手を離した。
星明かり月明かりのおかげで、テントの中でもそれ程暗くない。
テントに映る影。改めて見ると、影の高さは、膝を立てて座った時の私の目線とほぼ同じだった。
私が開いたジッパーの隙間から、その姿の一部分が見え隠れしている。但し、夜中だったせいか黒くしか見えない。

ガジガジガジガジ。あの音がする。不快な音だ。
どうして両親は起きないんだろうと思った。
もしかしたら、彼らには聞こえていないのかもしれない。私とくらげ、二人だけに聞こえている。
くらげと一緒に居ると、私にも常人には見えないものが見える時がある。それをくらげは、『病気がうつる』と表現していた。

見えてしまう病気。それは時には、見えてしまうがゆえに様々な症状を誘発する。
くらげから離れさえすればこの病気は治る。それでも私はくらげと友人でいた。
一度覗いてしまった非日常の世界を、簡単に手放すことは出来なかった。
しかし、この病気は悪化もするのだ。

どのくらい動かずに居ただろう。不意に、外に居るそいつが背を向けたのが分かった。気配がテントから離れていく。
暗闇の中、私とくらげは目を合わせた。「……ライトは駄目だよ」と、くらげが小声で言う。私は頷いた。
二人でそっとテントの出入り口に近づく。
手が一つ入る程だったジッパーの隙間を、もう少しだけ広げた。二人で片目ずつ、外を覗く。
息を飲んだ。
虫だ。
四本の足で這いながら、湖の方へと近づいて行く。
そいつはとてつもなく大きな、まるで私たちが小指大まで縮小してしまったのかと思う程大きな、昆虫だった。

枯れた水草のような色。その畳二畳分はあるだろう背中。
頭から横にはみ出した、車すら挟み潰してしまいそうな巨大な鎌状の前足が二本。

「……タガメだ」

くらげが小さく呟いた。
湖の傍まで来ると、そいつは突然立ち止まり、動かなくなった。
その背中がもぞもぞと動く。同時に、ガジガジガジ、とあの音がした。あれは虫が身体をこすり合わせる音だったのだ。
そう思った途端。いきなりその背中が二つに裂けた。身体の大きさが横方向に突如膨れ上がった様にも見えた。
羽を広げたのだ。
その四枚の羽根が目に見えない速さで振動する。ざあ、と風が吹いて、テントが揺れた。
飛ぶ。その大きな体がふわりと、地面から少しだけ浮いた。
水面に波紋が立つ。飛び上がるというよりは、水面を滑る様に。
徐々に上昇していって、あっという間に木々の向こうへと飛び去ってしまった。

湖はまた静かになった。
私はしばらくの間、動くことも声を発することも出来なかった。
くらげがジッパーを開いて外に出た。湖の方へと歩いて行き、先程あの巨大な虫が飛び立った場所で立ち止まった。

「やっぱり、みずがみさまは、タガメだった。おばあちゃんに聞いた通りだ……」

夜空に向かって、くらげは呟く様にそう言った。
その声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。
私も外に出てみる。見ると、焚き火をした後の灰の中に、未だ赤くくすぶっている薪があった。
あの虫は、この僅かな光につられてやってきたのだろうか。
ぶるり、と私は一つ震えた。

「……もし捕まってたら。どうなってたんだろな」

タガメに関する知識で、蜘蛛のように獲物の内臓溶かしながら少しずつ吸う性質がある、ということを私は思い出していた。

「もし捕まったら、僕らお供え物になってたね。きっと今年、このあたりで水害は起きなかったはずだよ」

私の傍に来てくらげがそう言った。
お供え物。私はくらげを見やって、思わず笑ってしまった。
すると、くらげは不思議そうな顔をした。どうやら冗談で言ったのではないらしい。
今年水害が起こったら、それは私たちのせいでもあるということか。

「あら……、二人共早起きやねぇ」

声のした方を向くと、母がテントから顔だけ出していた。私の笑い声で起こしてしまったようだ。
見ると、辺りが段々青白く明るんで来ていた。朝はもう、すぐ近くまで来ている。

「何しゆうんよ。二人で」

母の言葉に、私たちは顔を見合わせた。どう説明したらいいものかと一瞬悩んだが、私は本当のことを話すことにした。

「いや、あのさ、テントの外にでっかいタガメが居るの見つけて、ちょっと観察してたんだけど……」
嘘は何も言っていない。
母は目をぱちくりさせた後、小さく溜息を吐いた。

「ねぇくらげちゃん」

その時の母の笑顔は、私が今まで見たこともないようなものだった。

「ウチの子こんなに馬鹿なんだけど。これからもお願いね?」

するとくらげは、珍しく少し戸惑ったような表情をしてから、こう言った。

「あの、僕、ずっとは無理ですけど……、出来る限り、そうしたいと思ってます」

数秒の間を置いて母が笑った。
当のくらげはやっぱり不思議そうな顔をしていて、どうやらこれも冗談ではないようだ。
くらげの言葉。きっと母と私では、違う受け取り方をしただろう。
正直、おいおいおい、と思ったが、私は笑って流すことにした。









「なあ、お前ら『首あり地蔵』って知ってるか?」

数年前の話になる。僕らは当時大学三年生だった。
季節は夏。大学の食堂で三人、昼飯を食べていた時だ。

怪談好きなKが雑談の、ふとした合間に話しだしたのが、そもそもの始まりだった。

「首あり地蔵ってお前、そりゃ普通のお地蔵様だろ」

僕の隣に座って味噌汁をのんでいたSが馬鹿にしたように言う。KとSと僕。

Kはカレーの大盛りでSはシャケ定食で僕は醤油ラーメン。いつものメニュー、いつものメンバーだった。
でも確かに。『首なし地蔵』だったならば、はっきりとは思い出せないが、何かの怪談話で聞いたことがあるかもしれない。
話のネタにもなるだろう。しかし、Kは『首あり地蔵』と言ったのだ。
Sの言う通り、それは首のある普通のお地蔵様だ。

「ちげぇんだよ。あのな、その地蔵の周りにはもう五体地蔵があってな。『首あり地蔵』の一体以外は全部頭がねえんだってよ」

なるほど。だから『首あり地蔵』か。僕はその様子を想像してみた。
六体の地蔵の内、一体だけにしか首が無い。

「ねえ、何でそうなってんの?」

「それがな、その一体だけ首のある地蔵が、他の地蔵の首をチョンパしたっつう話なんだよ。これが」
そう言ってKは舌を出し、スプーンで自分の首を掻っ切る仕草をした。

「でも、そんなことして、地蔵に何の得があるんだよ」

「さあ?知らねえよ。お供えモン独り占めしたかったとかじゃね?」
Kがそう答えると、Sが、ごほっごほっ、と咳をした。それから
ポケットティッシュを取り出し口元を拭うと、

「……馬鹿野郎。喉につかえたじゃねーか」

「何だよ、俺のせいかよ」
不満げなKに、お前のせいだよ、とSが言う。
僕はというと、その地蔵に少し興味を抱き始めていた。

「で、Kさあ。その首あり地蔵については、他になんかないの?」

「ああ、あるぞ。なんてったって、『首あり地蔵』は人を襲う」
その瞬間、再びSが咳き込んだ。

「夜な夜な動き出してさ、人の首を刈り取って来るらしいぜ?『要らん首無いか……要らん首無いか』ってぶつぶつ言いながら。寺の回りを徘徊してんだとよ」

「……もうやめてくれ、今の俺は呼吸困難だ」
Sは、咳き込んだせいか涙目になっていた。

「何だよS。ロマンがねーな。俺の話が信じられねーのかよ」

「何がロマンだボケ。K、お前、すぐにでもその地蔵に謝ってこい」

「それだって!」
と、Kが大声を出したので、僕は驚いた拍子にむせたら、ラーメンの切れ端が鼻から出てきた。
久しぶりだこんなこと。

「今日の夜、行こうぜ?確かめるんだよ、俺たちで。噂が嘘なら何ぼでも謝ってやるからよ」
Kが言う。
Sは呆れたように天井を見上げた。
また始まった、と思ってるんだろう。


Kは、そういうスポットに行くことを好む、所謂肝試し好きなのだ。
今までだって、Kが発案し、僕が賛成し、Sが引っ張られる形でそういういわく付きの場所に足を運んだことが何度もある。
「んじゃあ、今日の夜は首あり地蔵で肝試しってことで、決まりな」
Kが強引に話を進める。Sが救いを求めるように僕の方を見た。
僕はラーメンをすすりながらSに向けてニンマリ笑って見せる。
Sは半笑いのまま力なく項垂れ、黙って首を横に振った。

「……というか、その地蔵近くにあるのかよ」

「おう。○○寺ってとこ」

その名前を聞いた時、うなだれていたSの首が少し上がり、眉毛がピクリと動いた。
そうしてから、隣に居た僕くらいにしか聞こえない程の声で、

「そうか。○○寺か……」
と呟いた。

僕は一体何だろうと思ったのだが、あいにくその時は口の中一杯にラーメンが詰まっていたので、それを聞くことは出来なかった。
その後は聞くタイミングを掴めぬまま、あれよあれよと言う間に具体的な集合場所と時間が決定した。
こういうときのKの手際の良さはすさまじいものがある。但し、普段はまるで発揮されないのが痛いところだ。
こうして、僕らはその日、○○寺の首あり地蔵の元へと、足を運ぶことになったのだ。
夜中、僕らはそれぞれ個別に、○○寺がある山のふもとで集合ということになっていた。
○○寺は、僕ら住む街を一望できる小高い山のてっぺんに、展望台と隣接する形で建っている。
寺までは、数百段の石段が続いており、僕は知らなかったのだが、目的の地蔵はその道中にあるそうだ。
集合時間は十一時。時間を守って来たのは僕だけだった。

十五分待って、バイトで送れたというKと、寝坊したというSがほぼ同時にやって来た。
熱帯夜だと言う蒸し暑い夏の夜。僕らは三人は懐中電灯を片手に汗だくになりながら、地蔵があるという場所まで。
特に僕は、日ごろの運動不足がたたってか、前を行く二人を追いかける形で、ひーこらひーこら言いながら石段を上っていた。
山の中腹を少し過ぎた頃だっただろうか。

「おーい、早く来いよ。あったぞー」
というKの声が、大分上から響いてきた。

僕が二人に追いつくと、そこは石段の脇が休憩のためのちょっとした広場になっており、地蔵は、その広場の端に六体、横一列に並んでいた。
僕は乱れた息を整えてから、地蔵をライトで照らす。
確かに、僕の腰よりちょっと背の低い地蔵たちは、右から二番目の一体を除いて、残りは全部首が無い。
これで、一つはっきりしたな。少なくとも、この地蔵は夜な夜な徘徊はしていない」
SがKに向けて、からかい半分の口調で言う。

「ごめーんちゃい!」
「くたばれ」

漫才コンビは今日も冴えている。

「っていうか何だ何だー。つまんねーな。夜は地蔵さん、鎌でも持ってんのかと思って期待してたのによー」

そりゃどこの死神だ。と思わず僕も突っ込みそうになった。

「でもよ、ホントに他の地蔵は首がねーんだな」

「何、K。お前ここ来たこと無かったの?」

今日の話しぶりからして、僕はKがここに何度も来たことがあるものだと思っていた。

「いんや。噂で聞いてただけ、面白そーだからさ。見に来てーなーとは思ってたけどよ。ちょっと拍子抜けだなー」

「……この地蔵はな。正式には、『撫で地蔵』っつうんだよ」

ふと、Sが、呟くように言った。

「なんだよ。お前この地蔵に詳しいの?」

「ん、ちょっとな。見ろ、この地蔵、頭テカってるだろ」

Sが懐中電灯の光で地蔵の頭を照らす。そう言われれば、この地蔵の古ぼけた身体に対して、頭だけは比較的小奇麗だった。

「触ってみりゃもっと良く分かるんだけどな。元々願掛けしながら撫でるとその願いが叶うって言われの地蔵だから、撫でられすぎて、そうなったんだ」

そうなのかと思った僕は、そっと、首あり地蔵のつるつる頭を撫でてみた。
何だかボーリングの玉を撫でている感じだ。撫で心地は中々いい。

「今でも、知ってる人は知ってるんだけどな。昔はもっと有名だったらしいな。○○寺の撫で地蔵って言えばな。けど、そのせいなんだよ」

Kも僕もSの話を黙って聞いていた。
何だか、昔話を語る様な話しぶりは、普段のSとは少しだけ違っている様な気がしたのだ。

「三十年くらい前の話らしい。六体全部の首だけが盗まれるって事件があった。犯人は分かってない。綺麗に首だけ取られてたんだってよ。ただの愉快犯か、それとも、撫で地蔵のご利益を独占したい輩でもいたんだろうな」

「……おいおいおい、ちょっと待てよ。じゃあ、この首は何なんだ」

Kが言う。それは僕も思った。当然の疑問だ。

「職人に頼んで、地蔵の首だけすげ替えたんだとよ」

僕は改めて地蔵を見てみた。
言われてみれば、首の辺りに多少のヒビがある様にも見える。
頭だけ小奇麗なのも、人々に撫でられるだけが理由じゃないということか。

「でも、修復したっていっても首の部分はやっぱり弱くなってたんだろうな。それ以降も、皆に撫でられ続けた地蔵の首は、一体ずつ取れていったんだ。二度目は寺の方も直す気が起きなかった。
……それにしても、まさに身を呈して民衆を救うか、地蔵の本懐だな」

そこまで聞いて、僕は少し不思議に思った。
Sのこの地蔵に関する知識に対してだ。
予め予習してきたにしても、知り過ぎてはいないだろうか。隣の鈍いKだって、そう思ってたに違いない。
そんな僕らの疑問を察したらしく。Sは若干バツが悪そうに頭を掻いた。

「俺が小さい頃はな、まだ二体は残ってたんだよ。首」
Sは言った。

「実はな。五体目の首もいだのって、俺なんだ」

意外な展開と言えばそうだったかもしれない。
でも、Sの語り口からはそんなに罪の告白だとか、そう言った重々しいものは感じられず、ただ単に、昔の失敗談を語っている様な、そんな口調だった。

「昔、家族とこの寺に来た時にな、地蔵の頭撫でたんだよ。願いながら撫でるとその願いが叶うっていう地蔵だろ?俺はひねくれたガキだったから、撫でながら言ったんだ」

「何て言ったんだ?」

Kが訊くと、Sは肩を竦めて、

「もげろ」

「……は?」

「『もげろ!』って叫んだんだ。撫でながら。そしたら、もげた。本当に」

Sの話によると、ごり、と音がして、手前の、Sの方に地蔵の首が落ちてきたのだそうだ。
その時はまるで地蔵が頷いた様に見えた。とSは言った。

「まあ、たまたま俺が撫でた時と、限界が重なっただけだろうけど。それでもあの時は本気で驚いた。これがご利益か、とか思ったよ。そのあと、上の寺から坊さんが来てさ。すげえ怒られたな」

言いながら、Sは地蔵の前にしゃがみこみ、その頭に手を置いた。
そうして、ゆっくりと地蔵の頭を撫でながら、叫ぶでもなく、呟くでもなく、全く自然にその言葉を口にした。
「こう……、『もげろ』ってな」

ぼり。
鈍い音がした。
次の瞬間には、地蔵の頭は、あるべき場所に収まっていなかった。どさり、と地面に重量のある物体が落ちる音。

「うわ、」
とは僕の声。

Sは、手を前に差し出したままの状態で地蔵を見つめていた。
「おおう! マジでもげやがった」

Kが感嘆の声を上げる。
「とまあ……、こんなこともある」

Sは、あくまで冷静を保っていた。Kが、落ちた首に近寄って「どーなってんだ?」とつついている。
僕は、この目の前で起きた現象をどうとらえればいいのか、イマイチ判断がつかずにいた。
今日という日の夜、S撫でられ限界を突破してしまったのか。それとも、地蔵がSの願いを聞き入れたのか。

「……帰るか」

ゆっくりとその場に立ち上がりながら、Sが唐突に呟いた。

「え、地蔵は、どうすんのさ?」

「どうにもならん」

「え、ええー……?」

Sは本当に、このまま帰るつもりだった。
かといって僕にもどうすることもできない。

弁償の件が頭をよぎるが、「触れただけでああだ。風が吹いただけでもげてたよ」と、Sがこちらの心理を見透かしたような発言をする。
しかし、となれば、このまますごすごと帰る以外の選択肢が僕にはない。
帰るか。

こうして、首あり地蔵は、首なし地蔵になったのだった。めでたし、めでたし。
とは、いかなかった。

僕とSが戻ろうとしたとき、Kだけは、まだ地蔵の首のところに居た。僕らはそれに気付かず、先に帰ろうとしていたのだが。
「……要らん首、無いか?」
声が聞こえた。

振り向くと、Kが、先ほど落ちた地蔵の首を両手に抱えて、無表情で立っていた。
「え、何?」

僕が聞き返すと、Kは、また言った。
「要らん首、無いかえ?」

その時のKの様子をどう表現すればいいのか。そんなハイレベルな冗談を言えるKではないし。それに、いつものKで無いことだけは分かった。

「あったら、もらうぞ?」

「え、いや、ってか……」

「おんしの首でも、ええぞ?」

「無い」

答えたのはSだった。

「少なくとも、俺らは要らん首は持ってない」

「……ほうか」

Kが地蔵の首を地面に落した。どずん、と音がした。
その瞬間、Kの体が、電気が走ったかのように、びくん、と震えた。

「……あれ……、何? んっ? え? 俺、寝てた!?」

Kは先ほどの自分の言動を、覚えてないのか。

「知るか。帰るぞ」

Sはそう言って、さっさと広場を抜け、階段を降りようとする。

「え、ちょっ、待てって! 何? 説明しろよ!」

Sの後を、慌ててKが付いていく。
僕は、しばらくその場にとどまって、ぼんやりと地面に落ちた地蔵の首を見つめていた。
不思議と、怖いという感情はこれっぽっちも沸いてはこなかった。
地蔵は、まだ働くつもりだったのだろうか。人々の願いをかなえるために。
そう言えば、さっき地蔵を撫でた時に、僕は何も願いを思い描いてなかった。
僕はふと思いいたって、地蔵の首を持ち上げた。重い。すげー重い。
切断面を確認し、僕は、地蔵の首を、元通りの位置に置いた。そして撫でた。

「く、くっつけよ~、くっつけよ~」

そっと手を離す。
首は、また落ちたりはしなかった。そろそろと後ずさり、僕は二人を追いかけてその場を後にした。
その後、しばらく経って、○○寺の地蔵が首のない地蔵が取り壊されたらしいぞ、とKから聞かされた。
それって何体? 
とは聞かないことにしておいた。









約5年前、私は26歳で結婚しました。
夫とは1年ほど同棲してから入籍をしたのですが、その頃から私は夫に呪われ始めました。
嫉妬深く、依存的で、私の行動を逐一把握したいようで、知らぬ間にメールを転送されたりしていました。

夫はデザインの仕事をしていましたが、ある会社に引き抜かれて主任を任されていました。
入籍をしてたったの半年で私は夫に対し、何か奇妙な気持ちを抱くようになったのです。

入籍をしてから引っ越しを繰り返す夫。
少しずつ、確実に引っ越し先は私の実家から遠くなっていきます。
ある日、夫と喧嘩になった時に、夫を睨み付けた私を見て、夫は怯えたようにこう言いました。
「みっちゃん(私)鏡見てきなよ…顔が笑っているよ…恐いよ」
私は激昂しているので、笑っている筈などありません。
自分の顔の筋肉の強張りようからしても。

しかし、夫はそれ以降、喧嘩をする度にそう言うのです。
更には「死ね!」と言われたので「何てことを言うの!」と言うと「幻聴じゃないの?」と言われました。

その繰り返しでした。
私は自分が幻聴を聴いたり、怒りながら顔がにやついていることを真に受けるようになりました。
私は徐々に精神的に参っていきました。
夫は私の行動を見張っているし、メールを転送されているのでうかつに友人にも愚痴れません。

私はある日家を飛び出し、つかまらないように民家の陰に隠れながら住宅街を抜け出し、道に出て夜中にタクシーで実家に逃げ帰りました。
母親から、忍耐力が足りない、あんたは我が儘だと言われましたが、兎に角私は恐怖で一杯で、母親から罵られても実家で暮らすようになりました。

数日後…夫は何の承諾もなしに大量の荷物や家具と共に私の実家に引っ越してきました。


私の両親は自営業をしており、ほとんど家にはいませんでした。
私は夫と一見普通に暮らしていました。
母親は夫のことを「みっちゃんより1つ年下なのにしっかりしている」などと話していました。

私の家族は全員仲が良かったのですが、夫が同居するようになってから、次第に仲が悪くなっていきました。
夫「みっちゃん、お母さんが悪口言ってるよ。みっちゃんにお金盗られたって言ってたよ」
私「え?お金なんて盗ってないよ。そんなことうちのお母さんが言うわけないよ」
しかし、内容は忘れましたがリアルに細かく母親の言動を言われ、私は夫の言葉を信じるようになり、母親と口を聞かなくなりました。
母親はいつも通りでしたが。

そんな毎日が1年近く続いたある日のことです。
私に何かが取り憑いていると近所のおばさんに言われました。
私は関西方面に友達もいないし、行ったこともないのですが、私が急にどすのきいた声の流暢な関西弁で怒鳴り出し、壁やドアを破壊したそうなのです。

私は咄嗟に「私は精神病なのでは」と思い、すぐに精神科を受診しました。
医師は「うーん…解離していたのかなあ」などと言っていました。
数種類の向精神薬を処方されましたが、私の奇行と謎の関西弁は治らなかったようです。

私はメールを転送されていたり、精神的に参っているだけだと思いましたが、夫の母親が変わったカトリック系の宗教の熱心な信者だということが気になりました。
夫の母親が宗教にのめり込み、家庭は夫が幼少の頃から崩壊寸前だったことも知っていました。
夫は近親相姦も体験したらしいです。
夫は私が3~4メートル離れると「死ね」と言い、私が「何よ」と返すと「また幻聴始まったよ(笑)」とよく言うのです。

ですが私は幻聴と言われても、夫の「死ね」以外は聴こえたこともありません。
自分が病気なのか、夫の嫌がらせなのかはわかりませんでした。
そしてまたある日、夫の車で喧嘩になった時に「みっちゃん、お母さんはみっちゃんのことが嫌いなんだろうね」と言われました。

「みっちゃんがお金を盗って行くから迷惑だって」と言われ、またかよ、盗ってもいないのに。と、半ば狂乱状態で私は車の助手席から電話を掛けようとしました。
夫は何故か鬼の形相で私の携帯を奪い取ろうとします。私は夫を突き飛ばします。夫は更に奇声をあげながら携帯を奪おうとします。

揉み合いになり、結局私は母親に電話をして問い詰めました。すると母親は
「○君はおかしい。誰を信じるか、間違えちゃ駄目だよ」とだけ言って電話を切られました。
私はその言葉に混乱し、もはや誰を信じれば良いのかもわからなくなりました。

私はある日、夫に、あなたの携帯電話を見せてくれと頼みました。
夫は普段から「俺は携帯にやましいことなんかないからいつでも見せられる」
と豪語していたのですが、携帯を見せてくれません。
部屋の中で揉み合いになり、夫が居間へ逃げました。私は追いかけました。
私の父も母も起きてきて、父は「携帯ぐらい見せられるだろう!」と言いました。
しかし夫は頑なに拒みます。

私は正気ではなくなりカウンターに置いてあった刺身包丁で右腹部を刺しました。
生温い血が吹き出しダラダラと流れます。
父や母は「携帯を見せなさい!」と夫に対して初めて怒鳴りました。
私は床に倒れたまま「携帯に何が入っている」と言いました。

救急車で搬送される時にやっと携帯を見ることができました。
私宛ての他愛もないメール(転送されている)に紛れていたのが浮気相手とのメールでした。
パチンコが嫌いな私に、交際前からパチンコなどしないと言っていた夫が、パチンコをしていることがわかっただけではなく複数の男性とも体の関係を持っていました。
出会い系サイトで男女両方と会っていたのです。
そして私は夫に呪われていたのです。

詳しくは書けませんが、呪いをかけていたことは把握できました。
救急指定病院で傷の深さを計る為に傷口に棒状の物を入れられ、再び生温い血が流れました。
レントゲン撮影もし、傷はあと少しで内臓に達するところでした。
私はそれ以来、夫と家庭内別居状態になり、母親と自室で寝るようになりました。
夫は物音も立てずに寝ているようだったので母親と、今後の話をしていました。

ふと、母親がトイレに行ってくると言い、ドアを開けたかと思いきや、再びドアを閉めて電気を点けだしました。
「お母さんどうしたの?」と私が言うと、深夜1時を過ぎているのに「部屋の掃除をしたくなった」と不自然に明るく振る舞い、部屋中の電気を点けました。
それから母はまんじりともせずに夜を明かしたようでした。

私は昼になり、夫がいない間に母親と話をしました。
母「あのさ、トイレに行こうとしてドアを開けたら○君が目の前、至近距離に死んだような顔をして立ってたの。殺される!と思って…」
それで母は深夜にもかかわらず家の電気を全て点けたらしいです。

母は夫に「お願いだからもうみっちゃんから離れてやって。新しい部屋が見つかるまではいいけど、見つかったら出ていってください」
と頼み込んでくれた。
私はやっと別れられると、ほっとした。

しかし既に私の家族も呪われていたのです。

ある日私にお祝い返しの贈り物が届き、嬉しくて開封していると父が急に発狂し、私に向かってきました。
父は何かに取り憑かれた顔をして私の自室まで追い掛けてきて、部屋にあったデザイナーが作ったプラスチックの大きな照明を投げ、私の背中を足で突き飛ばし、私の脛はその照明の破片で傷だらけになりました。

何が起きたのか全く解らないまま、私は靴下のまま冬の夜道に逃げました。
恐怖のあまり一週間実家に帰れず、ビジネスホテルに泊まりそのまま、家具の揃ったアパートに急遽引っ越しました。何故か夫も着いてきて善人ぶっていました。

父の奇行のことが頭から離れず、私は引きこもりました。
夫は嬉しそうに毎日のように豪華な食事をさせてくれたりしていました。
しかしやはり、夫が奇妙な作り笑顔をしているのが気になりました。やっと外出ができるようになってから、やはり私は夫の監視下におかれていることが恐くて結局逃げました。

何故なら、静まり返った住宅地にも関わらず、夜になるとカーテン越しでも明らかに複数の人間の気配を感じるのです。
以前、私が何かに取り憑いていると言っていたおばさんの言葉が気になり、恐くなり逃げて、アパートも解約し、夫には会わず5ヶ月が経過した頃にひょっこり、母親の元に離婚届を持った夫が来たらしいです。
夫は化粧をし、女装をしていたそうです。

離婚後は私の家族は今まで通りの明るく普通の家に戻りました。
ただ、私が独身時代に購入したROLEXの腕時計やゲーム機、アクセサリーなどお金になりそうな物は一切無くなっていました。
そして何故か夫の父親から私に慰謝料、と言って大金が送られてきました。

そう言えば思い出したのですが、披露宴でご祝儀を沢山いただき、数十万円黒字が出たのですが、夫が預金すると言ったので預けていたのに数日後に車内から盗まれたという騒ぎが以前ありました。
警察に届けることを頑なに拒否し、上司から穏便にと言われたからできないとの一点張りでした。
今は私は県外で新しい恋人と暮らしていますが、元夫は現在は女性として暮らしていると噂で聞きました。

また、元夫の元カノと偶然に連絡が取れたのですが、彼女も交際していた頃に精神を病み、引きこもりになり実家に逃げ帰ってから治ったそうです。
元夫は怨念の塊だと聞かされて、背筋が凍りつきました。
元カノは本当に病んで、気付いたら暗闇でリストカットをするほどだったそうです。
私も元カノも今ではあれは何だったのだろうと言うほど元気で普通に仕事をしています。
霊的な話ではありませんが、とても尋常ではない出来事が他にも沢山ありました。
生きている人間の妬みや怨みの力は、実際にあるのではと思い投稿しました。

長文駄文ですみません。
私は霊感が強いので、他にも話はありますが、今回は恐ろしかった人間との関わりを書きました。
元夫は現在は何故か破産をしており、男性に恋をして、追い回しているそうです。








季節は秋で、当時僕は大学一回生だった。
長い長い夏休みが終わって数週間が過ぎ、ようやく休みボケも回復してきたとある日のこと。
時刻は昼過ぎ一時前。
友人のKから『面白いもん手に入れたから来いよ』と電話があり、大学は休みの日でヒマだった僕は、深く考えずに一つ返事で、のこのこKの住んでいる大学近くの学生寮まで足を運んだのだった。

「よーよー、ま、入れや。Sも呼んであるからよ」

寮の玄関先で待っていたKに促され、中に入る。Kの部屋は二階の一番奥だ。
それにしても、階段を上りながら口笛など吹いて随分と機嫌が良いようだ。

「なあなあ、面白いもんって何なん?」

「まーそう急かすなって。ちゃんと見せてやるからよ」

そんなKの様子を見て僕はピンと来るものがあった。
Kの言う『面白いもの』とは、新作のDVDやゲームの類を想像していたのだけど、どうやらそうじゃないらしい。
Kは生粋のオカルトマニアだ。何か曰く付きのナニカを手に入れたのだな、と僕は当りを付けてみる。
部屋の前まで来ると、Kは僕に向かって「ちょっとここで待ってろ」と言って、自分だけ中に入って戸を閉めた。
僕は素直に指示に従う。

十数秒も待っていると、勢いよく戸が開いた。
すると目の前には一枚の紙。

「じゃんじゃかホイ!」と、僕の顔の前に紙をかざしたKが言う。
紙はB4程のサイズで、パッと見、五十音順にかな文字と、一から十までの数字の羅列。
よくよく見ればその他に、紙の上の方にはそれだけ赤色で描かれた神社の鳥居の様なマークがあり、鳥居の左には『はい』、 右に『いいえ』 と書かれている。
紙は若干黄ばんでいて、所々に茶色いシミも見えた。

「……何ぞこれ?」
僕の疑問に、Kは掲げた紙の横に、にゅっと顔を出して答える。

「ヴィジャ盤」

「ヴ……ヴィ、何?」

「ヴィー。ジャー。バーン。こっくりさん用のな。もっと言えば、こっくりさんをやる時に必要な下敷きってわけだ。そん中でもこれは特別だけどな」

そう言ってKは「うはは」と笑う。
とりあえず僕は部屋の中に入れてもらった。
Kにアダムスキー型の飛行物体を縦につぶした様な座布団を借り、足の短い丸テーブルの前に座って話の続きを聞く。

「こっくりさんって、アレでしょ?十円玉の上に数人が指を置いて、こっくりさんに色々教えてもらう遊び。で、これがその下敷きなんね」

丸テーブルの上には、そのヴィジャ盤とやらが広げられている。
あと、テーブルの端にビデオカメラ。どうやら何かしら撮影する気でいるらしい。

「まー、ざっくり言えばそんなとこだな」

「これKが書いたん?」

「ちげえ。とある筋から手に入れた。まー詳しくは言いたかねえけどさ。どうせやるなら、とびっきりのオプション付きでやりてえじゃねえか」

僕はそのKの言葉の意味が良く分からなかった。
やりたいって一体何をやるんだろう?オプションって何だ?
僕の頭上には幾つも?マークが浮かんでいたのだろう。

Kはヴィジャ盤を人差し指でトントンと叩き、
「このヴィジャ盤は、昔、ある中学校で女子学生が、こっくりさんをやった時に使ったものだ。有名な事件でよ。
そのこっくりさんに加わった女生徒、全員がおかしくなって、後日、まるごと駅のホームから飛び降りて、集団自殺を図ったんだとよ。
ほとんどが死んで、生き残った奴も、まともな精神は残って無かった。
で、これが駅のホームに残されてた」

トントントン、と紙の上からテーブルを叩く音。
話の途中からすでに『みーみーみーみー』と、耳の奥の方で危険を告げるエラー音が鳴っていた。これはマズイ流れだ。
僕は以前にも、この手の曰く付き物件にKと一緒に手を出して、非常に怖い思いをしたことがある。
それも一度や二度じゃなく。

「やろうぜ。こっくりさん」

それでも、気がつくと僕は頷いていた。
Kほどじゃないけども、僕もこういった類は好きな方だ。
十中八九怖い思いをすることが分かっていても。6・4で怖いけど見てみたい。分かるだろうかこの心理。

「でもこれ、元々女の子の遊びでしょうに。男二人でこっくりさんって言うのも、ぞっとしないねぇ」

「ゴチャゴチャ言うない。ほれ、十円だせよ」

「僕が出すのかよ」と愚痴りつつ、十円をヴィジャ盤の上に置く。
すると、Kがそれを紙の上部に描かれている鳥居の下にスライドさせた。どうやらそこがスタート地点らしい。

「あーそうだ。注意事項だ。最中は指離すなよ。失敗したら死ぬかもしれんしな」

Kが恐ろしいことをさらっと言ってくれる。
それでも幼児並みに好奇心旺盛な僕は、十円玉の端に人差し指をそっと乗せた。Kも同じよ
うに指を乗せる。

「……で、何質問する?」

「あー、それ考えて無かったな。まあ手始めに、Sがここにいつ頃来るか訊いてみるか」

Kは適当に思いついたことを言ったのだろうが、それは中々良い質問だなと僕は思う。二人ともに知りえない情報。
こっくりさんは果たしてどう答えるだろうか。

「でーはー、始めますか」
Kはそう言ってビデオカメラのスイッチを入れた。

「んじゃあ……はいっ。こっくりさん、こっくりさーん。Sはあと何分でここに来ますかねー?」

Kの間の抜けた質問の仕方が気になったけども、僕は邪念を振り払い十円玉に触れる指先に意識を集中させる。
と言っても肩の力は抜いて、極力力を込めないように。
十円玉はピクリとも動かない。
ふと、座布団に座る僕の腰に何かが触れた様な気がした。
視線を逸らすと、半開きの窓にかかるカーテンが僅かに揺れている。風だろうか。

「……おい」

Kの声。その真剣な口調に、僕ははっとして視線を戻す。けれども十円玉は赤い鳥居の下から動いていない。
Kを見ると、じっと自分の指先を凝視していた。

「……どうしたん?」

僕はゆっくりと尋ねる。

「なあ、この十円……ギザ十じゃね?」

「あ、ホントだ」

「こっくりさんに使った十円って、処分しなくちゃいけないんだぜ?もったいねー」
ふっ、と安堵の息が漏れる。十円玉は動かない。
それから少しギザ十の話になった。
コインショップに行けば三十円くらいで売れるとか、昭和33年のものにはプレミアが付いているとか。でも使えば十円だとか。
そんなくだらない話をしている時だった。
部屋の戸が叩かれ、「おーい、来てやったぞ」と声がする。Sの声だ。
そうしてSは、返事も待たずに戸を開けて部屋の中に入って来た。

「よー……って何やってんだ、お前ら?」
僕とKは顔を見合わせる。

「何って、見たら分かるだろうがよ」

「面白いもんがあると聞いてやって来てみれば、だ。お前ら、しょうもないことやってんなよ」

「おいこらSー。こっくりさんのドコがしょうもねえっつーんだよ」

「見る限りの全てだ」

そう言いきると、SはKの部屋にある本棚を一通り物色して一冊抜き出すと、「相も変わらず、お前んちロクな本がねえな」と言って、一人部屋の隅で読書を始めた。
僕とKはまた顔を見合わせる。Kは肩をすくめて、僕は少し笑う。
そうして僕はふと気付く。
十円玉の位置。さっきまでは、紙の上部の鳥居の下にあった。
数秒間、瞬きすら忘れていたと思う。
五十音順のかな文字の上に並んだ、一から十までの横の数列。その一番左。0の上に十円玉があった。
少しの間言葉が出なかった。Kも状況を察したようだ。
決して僕が故意に手を動かしたのではない。それどころか、何時そこまで動いたのか、僕は全く気付かなかった。
人差し指は変わらず十円玉の上に乗っていると言うのに。
僕はKを見やった。Kはあわてて首を横に振る。今度はKが何か言いたげな顔をしたので、僕も首を横に振った。
このままでは何もはっきりはしない。
僕はもう一度質問をしてみようと口を開いた。

「えーと……こっくりさん、こっくりさん。今十円玉を動かしたのは、あなたですか?」

その瞬間、十円玉が滑った。『はい』 の上。こんなに滑らかに動くものとは思いもしなかった。

「……あなたは、本当にこっくりさんですか?」

すると十円玉は、『はい』の上をぐるぐると円を描く様に動く。

「うおおおおお!SSSー、ちょっと来てみろよおい」

興奮したKが大声で呼んで、本から顔を上げたSが面倒くさそうにこっちに寄って来る。

「何だようるせーな」

「動いた動いた。動いてんだよ今!」

興奮して「動いた」しか言わないKの代わりに、僕が一通り今起きた流れを説明する。
Sは大して驚きもせず、「ふうん」と鼻から声を出した。

「あ、それとさ。このヴィジャ盤って言うの?この紙にもさ、言われがあるそうで。何か昔、コレでこっくりさんした中学生が集団自殺したとか」

それを聞いたSは、ふと何かを思い出すような仕草をして。

「ん……?こっくりさんの文字盤は、確か、一度使った後は、燃やすか破るかしないといけないんじゃなかったか?」

「え?」

そんな情報僕は知らない。Kを見やる。しかしKが答える前に、十円玉が『はい』の回りをまた何度も周回する。
それを見てKが「うっはっは」とヤケ気味に笑った。

「その通りらしい。二度同じものを使うとヤバいらしい。具体的に言うと、こっくりさんが帰ってくれなくなることがあるらしい」

「えっ、え、……はあ!?」

まさか、先程オプションと言ったのはそれのことか。
こっくりさんが帰ってくれないとどうなるのか。僕は怖々考えてみる。
そのまま取り憑かれるのか?その後は、まさか、話の中で自殺した中学生の様に……。
その思考の間も、十円玉は絶えず『はい』の回りをぐりぐり回っていた。しかも、徐々に動くスピードが速くなる。
それでも僕の人差し指は、十円玉に吸いつけられたように離れない。何なのだこれは。
その内、十円玉は『はい』を離れて、不規則に動き出した。そこら辺を素早く這いまわる害虫の様に。
いや、よく見るとその動きは不規則では無かった。何度も何度も繰り返し。それは言葉だった。
『ど、う、し、て、な、に、も、き、か、な、い、の』
Kの額に脂汗が滲んでいる。たぶん僕の額にも。どうしよう。どうしよう。
その時だった。Sが長い長い溜息を一つ吐いた。

「こっくりさんこっくりさん。365×785は、いくつだ?」

その言葉は、まるで砂漠に咲く一輪の花のように、不自然でかつ井然としていて。
ぴたり、と十円玉の動きが止まった。

「……時間切れだ。正解は286525。ちゃんと答えてくれないと困るな。まあ、いい。じゃあ、次の質問だ」
僕とKは両方ぽかんと口をあけてSを見ていた。

「ああ、その前に、お前ら二人。目え閉じろ。開けるなよ。薄目も駄目だ」
Sは一体何をする気なのか。分からないが、とりあえず僕は言われた通り目を瞑る。

「こっくりさんは、不覚筋動って言葉を知ってるか?」
暗闇の中で腕が動く感覚。

「そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってみてくれ」
十円玉は動いている。それは分かる。でも、つい先程に比べると、非常にゆっくりとしたペースだった。

「分かった。ああ、お前らも目開けていいぞ」
僕は目を開く。十円玉は、か行の『く』の場所で停まっていた。もう動かない。

見ると、いつの間にかSがテーブルの端に置いてあったビデオカメラを手に持っている。

「見てみろ」

撮影モードを一端止め、Kは今しがたまで撮っていた映像を僕らに見せる。
最初の部分は早送りで、場面はあれよあれよという間に、Sが僕らに目を瞑る様に指示したところまで進んだ。
『そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってくれ』
ビデオ中のSの指示通り十円玉は動き出す。
けれどもその移動はめちゃくちゃで、『ふかくきんどう』 の中のどの文字の上も通過することは無かった。

「これで分かっただろ」
ビデオカメラを止めてSが言う。

「こっくりさんなんてものは、人の無意識下における筋肉の運動かつ、無意識化のイメージがそうさせるんだ。さっきも言ったが、不覚筋動。もしくはオートマティスム、自動筆記とも言うな。つまりは、意識してないだけで、結局自分で動かしてんだ」

「俺は動かしてねーぞ」

「……ひ、と、の、は、な、し、を、聞けボケが。無意識下つったろうが。その証拠に、参加者の知りえない、もしくは想像しえない問題に関して、こっくりさんは何も答えられないんだよ。ビデオ見ただろ」

今、十円玉は動かない。
けれど、それでも僕とKの二人は指を離せないでいた。
こっくりさんでは指を離すと失敗となり。失敗すればどうなる、万が一……。そんな不安が胸の奥で根をはっているのだ。
そんな二人を見てSは心底呆れたように、もしくは馬鹿にしたように、「あーあーあー」と嘆いた。

「じゃあ訊くが、俺の記憶が正しければ、こっくりさんは漢字では狐に狗に狸と書く。その名の通り、こっくりさんで呼びだすのは、キツネやタヌキといった低級霊って話だが……。ここで問題だ。どうしてそんな畜生に、人間の文字が読める?文字を扱えるのは、死んでからも、人間以上のものでないと無理だと思うがな」
それは予想外の問いだった。と言うより、僕はこっくりさんで呼びだすのがキツネだとすら知らなかった。

「それは……、死んだ化けキツネだからじゃ。ほら、百年生きたキツネは妖怪になるって言うし……」

「お前は百年生きたら、キツネの言葉が完璧に理解できるようになるのか?」

「……無理です」

「それと、だ。こっくりさんの元になったものは、外国のテーブルターニングって言う降霊術らしい。が、そいつは完全に人間の勘違いだと、すでに証明されている」
そう言うと、Sは無造作にヴィジャ盤の上の十円玉に指を当てた。
そして、僕とKが『あ』っと言うより先にこう呟いた。

「こっくりさんこっくりさん。こっくりさんという現象は全部、馬鹿な人間の思い込み、勘違い、または根も葉もない噂話に過ぎない。はい、か、いいえ、か」

すると三人が指差した十円玉が、すっと動き、『はい』の上でピタリと止まった。
Sが僕とKを見やる。その顔は少しだけ笑っている様にも見えた。

「俺は何もしてないぜ?意識上はな」
そして十円玉から指を離し、彼はまた部屋の隅で一人、読書タイムに没頭し始めた。
僕とKは互いに顔を見合わせ、半笑いのままどちらからとも無く指を離した。

その日はこっくりさんに関してはそれでお開きとなり、三人で夕食を食べた後、僕はK宅からの帰りに自動販売機に立ち寄り、今日使用した十円玉を使って缶ジュースを一本買った。
それ以降、身体に異変が起きただの、無性に駅のホームに飛び込みたくなっただの、そういった害は今のところ無い。

ちなみに、Sがあれほどオカルトに詳しいのは、Kの部屋の家主も把握しきれてない程の蔵書を、「つまらん」と言いながらもほとんど読みつくしているからだ。

あと最後に一つ。あの日撮影したビデオカメラには映っていたのだ。
Sが計算問題を出すまでの間、僕とKの他に、もう二本の手が十円玉に触れていたことだけは付け加えておきたい。
Sが問題を出したとたん、朧げな手は、ひゅっと引っ込んだ。
それを見て僕は、やはりオカルトに対抗するのは学問なのだなあ、と思った。










その年の夏は、猛暑に加えて全国的に中々雨が降らず、そこらかしこで水不足に悩まされていた。
ダムの水が干上がって底に沈んでいた村役場が姿を見せたとか、地球温暖化に関するコラムだとか、
『このままではカタツムリが絶滅してしまう』と真剣に危惧する小学生の作文とか、四コマ漫画の『わたる君』の今日のネタは、『アイスクリームとソフトクリームはどちらが溶けるのが早いか』で、わたる君が目を離した隙に妹のチカちゃんが両方平らげてしまうという、そんなオチとか。

床に広げた今朝の新聞。
天気予報の欄に目を移すと、今後いつ雨が降るのかはまだ予想できないと書かれていた。
窓の外に目を向ける。確かに雨の予感は微塵も感じず、今日もうんざりするくらい晴れている。
「……なあなあ、ちょっとさ、休憩せん?」

「でーきーた。ほれよ、八百体目」

友人のKは僕の提案が聞こえなかった様で、数十体のティッシュペーパー人形が僕の目の前にどんと置かれる。
僕の仕事は、この人形たちの腰から下げてる糸の先にセロテープをつけて、一体ずつ天上から吊るすことなのだ。
すでに天上には七百体以上の人形が吊るされていて、まるで……と言っても形容できるようなシロモノではない。

この状況は、昨日の夜から今日の朝にかけて、僕とKが二人がかりで創り上げたのだ。
常識ある人が見ればギョッとするような光景だが、すでに僕の常識はマヒしているのだろう。
「Sも手伝ってくれりゃあ良いのになあ。途中で帰りやがって。冷てーやつだ、全くよぉ」
Sと言うのは僕ら二人の共通の友人だ。彼には常識があるし、間違っても徹夜で紙人形を作る様な人間では無い。

「まあバイトって言っても、この内容聞いたら普通は断るよ」

「おめーはやってんじゃん」

「内容訊かずに『うん』って言っちゃったからね」

もう分かっているかとは思うが、僕が言う人形とは、てるてる坊主のことだ。
しかもこの天上に吊るされている彼らは、皆一様にスカートを上に、頭を地面に向けている。
つまり逆さ。『ふれふれ坊主』だの、地方によっては『るてるて坊主』と呼んだりもするそうで、
Kは『ずうぼるてるて』 と呼んでいる。
普通のてるてる坊主が晴れを願って吊るされるものなら、『ずうぼるてるて』 はその逆、雨を願うものだ。

「さっき新聞で見たけど。今日からの週間天気予報じゃさ、雨が降る気配なんてこれっぽっちも無さそうなんだけど……」

「だから面白れーんじゃねーか。通常じゃありえねーことが起こるから、オカルトなんだよ。ったりめーだろ」
言いながらKは、二百枚入りのティッシュ箱を新たに開けて、一番上のティッシュ抜き出す。
ティッシュは薄い紙が二枚重なっているので、上手く剥がして一枚を二枚に分け、ちょいと人差し指を舐めてから、その薄い一枚をミートボールくらいに丸める。
その上にもう一枚を被せ、首の部分をねじってタコ糸を添えてセロテープで固定する。
その流れる様な一連の手捌きは、もはや素人の域では無い。

「でもさ。これでもし明日普通に晴れても、バイト代返せなんて言わんでよ」

「言わねーよたぶん」

「いやたぶんじゃなくて」


言い忘れていたが、現在僕が居るここはKの部屋だ。
僕がKに呼ばれて、この学生寮の二階の一番奥の部屋にやって来たのは、今現在から十五時間ほど遡った、昨日の午後四時が若干過ぎた頃だった。

大学でその日一日の講義が終わった後、
「このあと暇ならよー、ウチで簡単なバイトしねーか?」というKの誘いに乗ってしまい、オカルティックな趣味を持つKの実験に付き合わされることになった。

千体坊主。

全部Kから聞いたことになるけども、千羽鶴にも似たこのまじないは、千体のティッシュペーパー人形(別に紙なら何でも良い)を吊るすことで、明日の天候を人為的に変えてしまうというものだ。
人形の頭を上にすると晴れ。下にすると雨。

但し、条件が三つあるらしい。

■ まず一つは、人形を作る時に中に詰める方の紙を、自分の唾液(ホントは血液の方がいいらしいが)でほんの少し湿らせる。

■ 二つ目に、作っている人は千体坊主完成まで絶対に家の外に出ないこと。
この場合はKが作っている人になる。(僕は別に出ても良いらしい)
途中で出たらなんか悪いことが起きる、とのこと。

■ 三つ目は、人形を千体吊り終えたら、とある『うた』 を歌うこと。
千体坊主が完成し、無事うたを歌い終えれば、次の日の天候はその人の望んだものになる、らしい。

K自身も知ったのはネット上のとある掲示板だという話なので、あまり期待はしてないそうだけども。
僕もオカルトが嫌いではないので、興味はある。
給料も出るということなので、だからやってみようと思ったのだが、予想に反して時間が掛かる掛かる。
はっきり言って最後の方はかなり後悔していた。
ちなみに、最後に歌うといううたの内容は、三番まであって、晴れ用と雨用の二種類あると言う。
それ以上は教えてもらってない。
てるてる坊主の歌というと、僕が知るのは童謡くらいだけども、関係あるのだろうか。

そうこうしているうちに、八百体目の人形を天上に吊るし終えた。
もうKは九百体に王手をかけ、カウントダウンが始まるのもそう先のことではないだろう。
但し、ここまで来るのに相当長かった。正確に言えば、食事と休憩も入れて十六時間くらい。
「うーん……、眠たーい寝たーい夢見たーいー」

「さっきからうっせーな。ダイジョーブだって。人間三日くらい寝ずに働いたって、死にゃしねえんだからよ」

「一体三円って、絶対割に合わない気がしてきた……、自給にしたら二百円以下じゃん」

「今頃おせえよ」

しかし、Kだって昨日から寝てないはずなのに、明らかに僕より元気なのが不思議だ。

そうこうしている内に、天井に吊るされた『ずうぼるてるて』の総数が九百五十を越えた。残り五十。
頭上を埋め尽くす逆さに吊るされた白い人形。
下から見上げれば、まるで僕らの方が天井にへばりついているかのような錯覚を覚える。
錯覚してる間に残り十体だ。Kも一緒に天井に貼り付けながら、カウントダウンが始まる。
……997……998……999……、1000。

「おおー……!」
その瞬間、僕は思わず感動の声を上げていた。

消費ティッシュペーパー千と六枚(※途中鼻かんだから。最後で『六枚足りねえ』 ってなった)。タコ糸約三百メートル。
セロテープ丸々一個と半分。天上の消費面積、六畳間まんべんなく。総消費時間約十六時間と四十分。
千体坊主。完成。

「うわきめえー」

感動の千体坊主完成を経て、Kがまず発した言葉はそれだった。
僕はかなり本気で、バイト代要らないからぶん殴ってやろうかなこいつ、と思った。

「ま、何にせよ。後はうたを歌うだけってか。あー後は一人でやんよ。疲れただろ、ワリーなこんな時間までよ。……ほれ、バイト代」

そういってKはポケットから財布を取り出すと、ちょいと人差し指を舐めて、中から千円札を三枚取り出した。
もはや癖になっているようだが、やめれ。

「ってことで。今日は帰って、良く寝るこった」

「……今日一限目からあってだね。テストも近いから寝れん」
僕の言葉にKは「うはは」と笑う。

「マジかよー。でもまー、人間三日寝ずに働いたって死にゃしねえからさ。だから頑張れ若人よ……つーわけで俺は昼まで寝るわ。明日の天気を楽しみにしとけ。そんじゃ、おやすみ」

そう言ってKは部屋の隅に立ててあった折りたたみベットを広げると、その上に、バフン、と身を投げた。
ポーズじゃなくて本当に眠る気だったらしく、Kは十秒で死体の様に静かになった。
僕は最後に何か言ってやろうと思ったけど、結局、溜息だけをついて部屋を出る。
その際に、一度だけ振り返って再度部屋の様子を確認してみた。
千体の『ずうぼるてるて』 の下で気持ちよさげに眠るこの部屋の住人。
不思議と異様だとかは思わなかった。やっぱり、夜なべのせいで常識がどこかに転げ落ちたのだろうか。
僕は一限目の講義を受ける前に、せめてコーヒーを一杯飲んどこうと思った。瞼が重い。
学生寮から外に出ると、刺さる様な陽射しが出迎えてくれた。

この調子で本当に明日雨なんて降るのだろうか。講義中もふとそんなことを考える。
案の定その日の講義は、眠気と相まってさっぱり頭に入って来なかった。
昼からの講義で僕の隣に座ったSが、
「眠たげだな。まさかとは思うが……、一体何してたんだお前」
はい。てるてる坊主作ってました。ゴメンナサイ。

何とかノートを取ることだけに専念し、ようやく全部の講義が終了。
わき目も振らずに家に帰ると、ご飯も食べずシャワーも浴びずに即効でベッドに倒れこんだ。
完全に眠るまでに、三十秒もかかってないと思う。
その時見た夢は、今朝の新聞で見た四コマの『わたる君』 とまるで同じ場面だった。
妹のチカちゃんがアイスに手を伸ばそうとしている。
いけない。それは君のお兄さんが持つ知的好奇心から生まれた、素晴らしい実験装置なんだ。
何とか止めようとしたのだけれど、チカちゃん背に手を伸ばした瞬間に僕は目を覚ました。

携帯が鳴っている。
かなり身体がだるい。僕は壁に掛けてある時計に目を向ける。午前零時過ぎ。真夜中だ。
電話なんて無視しようかとも思ったけど、一応相手を確認する。
Kからだ。僕は無視することにした。
……止まない。
観念して電話に出る。文句を言ってやろうと思ったけど、それより相手の声の方が早かった。
『おい、雨が降ってるぞ!』
中途半端に起こされたので、まだ片足が夢の中だった。だから僕は中々Kの言葉の意味を掴むことが出来なかった。
そりゃ雨だって降るだろう、降らなきゃ困る。今年だってそれで困っている人がたくさんいるのだから。
そんなことをたっぷり数秒考えて、僕はやっとその意味に至った。

「え、ホント!?」

僕は慌ててカーテンの隙間から窓の向こうを見やる。
外は晴れていた。僕は目をこすってもう一度星空の下を注意深く見る。比較的明るい夜だ。紛れもなく空は晴れている。

「……晴れてんだけど」

こんなつまらない冗談のために起こされたのかと憤慨しかけるが、次いで聞こえたKの声は普段と違って割と真剣なものだった。

『すまん、聞こえねえ。もうちょいデカイ声で喋ってくれ』

「晴れてんだけど!」

『ああ、んなこた分かってる。それでも、雨が降ってんだ』
本格的に意味が分からない。晴れてるのに雨が降ってる。どんな状況だそれ。

「それって、キツネ雨ってこと?Kの寮の周りだけ?」

『は、キツネ雨?……違う。雨は降ってない』
少しイラっとくる。僕は眠たいのに。

「あんさあ、ちょっと意味が――」

『音だけなんだよ』
Kははっきりとそう言った。

『雨音だけが聞こえる。今外雨降ってないよな?だろ?なのに聞こえるんだぜ。耳ふさいでもまるで止まんねえし。最初は小雨程度だったけど、何かドンドン強くなってる気がするし。たぶんな、ちいとやべえよ、これ』

これは決して僕をからかっているのではない。これまでの付き合いから僕にはそれが分かった。Kは嘘をついていない。
本当に雨が降っているのだ。Kの中で。

『でさー。コレ非常に言いにくいんだけど、まー、頼みがあんだよ』

「……何?」

Kは本当に言い辛いのか、電話の向こうで数秒間を置いた。

『今からさ、バイトしねーか?材料はもう揃えたからよ』
その言葉で僕は全てを承知した。

「分かった……、行くよ」

電話を切り、そのまま家を出る。
そうして愛車のマウンテンバイクに跨る前に、僕は友人のSに電話をした。真夜中だがきっと起きてる。
予想通り電話に出たSに、僕は少し迷った挙句、正直にことの次第を話した。

「Kがバイト代も出すってさ」と言ったのが唯一の嘘だ。
しかしSは興味もなさげに一言、

『てるてる坊主のせいで幻聴が聞こえるとか、俺はそういった類は信じていない。あと今はテスト期間中だぞお前。二日も無駄にすんなよ』

僕は「そっか……。うん、分かった」と電話を切った。

僕はSとも付き合いが長いから分かる。そう言ってくるだろうとは思っていたんだ。

Kの寮に行く前に、コンビニ寄って食品とコーヒーを買う。
自転車を漕ぐ。大学までの坂道がしんどい。
それでもかなり飛ばして、いつもの通学より大分早い、コンビニから二十分程でKの住む学生寮に到着した。
Kの部屋は二階の一番奥。鍵は掛かっていなかった。僕は二回ノックして、部屋に入る。
入って最初に思ったのは、天井のアレが綺麗に無くなっていて、さっぱりしたなということだった。
部屋の中ではもう、新しいてるてる坊主が山の様に積まれていた。二百はあるだろうか。
Kは僕が部屋に入って来たことに気付いていない様だった。黙々とてるてる坊主を作っている。
Kの顔は酷く青ざめている様に見える。
作業台の前に来ると、Kはやっと僕に気がついた様だった。「よお」と言うKの声が酷く掠れたように聴こえた。
そうしてKは、部屋の棚から一冊のノートとペンを僕に差し出すと、自分の左の耳を二度指で叩いた。

「……さっきから土砂降りでよ。なんか台風見てーだわ。……ワリーけど、何か言う時はそのノートに書いてくれ」
僕は軽く驚きながらも、『了解』 とノートに書いて見せる。

つい最近千体もの数を作った時と同じ様に、Kがてるてる坊主を作り、僕が天井に張り付けていく。
しかし、今回のKの手の動きは鈍かった。
しきりに頭を横に振っている。その額には玉の様な汗が浮かんでいる。
『作るの代わろうか?』 と書いて訊いてみるが、Kは首を横に振る。
どうやらこの千人坊主は、人形自体は自分の手で作らなければならないらしい。しかしまだ人形は二百と少し。
僕は少し焦っていた。もう病院に行った方が良いのでは、という考えが一瞬よぎるが、この千人坊主のルールで、部屋を出てはいけないとあったのを思い出す。
悪いことが起こる。くそう、悪いことって具体的に何だよ。
その時、僕はふと雨音を聞いた気がした。
そんな馬鹿な。さっきまでは晴れてたのに。咄嗟に窓の外を見る。雨など降っていない。外は晴れている。
気のせいだろうか。いや、今もかすかだけど聞こえる。僕は一瞬、背筋が寒くなるのを感じた。
まさか僕も……?

しかし注意深く音の出ている方を探ると、それは僕の中ではなく、外から聞こえてくるものだと分かった。
Kだった。雨音はKの両耳の奥から洩れてきているのだ。
まるで他人のヘッドホンから音が漏れる様に、外に音が漏れるほどの激しい雨なのだ。
本人にとっては耳鳴りなどという生易しいものではないのかもしれない。
そこに至ったとき、僕は途端にどうすればいいのか分からなくなった。
見ると、Kは額だけでなく腕にも汗をかいている。部屋はクーラーが効いているのに。
僕はノートに『大丈夫?』 と書いて見せた。

Kはしばらくの間、ぼーっとその文字を見てから、「はは」と力なく笑い、「……やっべえ」と一言だけ呟いた。

初めて見るKのそうした姿だった。
僕は何も言うことが出来なくて、まあ例え口に出しても届かないのだけど、目を瞑って「とりあえず落ち着いて考えろ」と口に出し自身に言い聞かせる。
しかし考えは浮かばず、どうして良いのか分からない。
今、Kの手は動いていない。顔をしかめてじっと俯いている。
どうしよう。どうしたらいい。考えろ考えろ。
自分一人に、何ができる?
部屋のドアが開いた。

「あー、本当にやってんのな」
そこに立っていたのは友人のSだった。
とりあえず僕は長い息を吐いてから、「おっせえ」と言ってやった。
これまでの付き合いから、ぶつぶつ言いながらも来るというのは分かっていたんだけれど。

「仕方ないだろ。そんなことより、バイト代はほんとに出るんだろうな」
金に困ってない癖に、Sはそんなことを言った。




続きを読む




私が中学一年生だった頃の話だ。

十月上旬。その日は土曜日だった。
昼食を食べた後、私は自転車の荷台に竹ぼうきをくくりつけ、友人の家へと向かっていた。
自宅のある北地区から、町を東西に流れる地蔵川を越えて南地区へ。
思わず、快晴!と叫びたくなるほど真っ青な空の下、箒をくくりつけた自転車は、何だか空すら飛びそうな気がした。
もちろん、気がしただけだったが。

友人の家は、南側の住宅地を抜けた先の山の中腹辺りに、街を見下ろす形で建っている。
家の周りをぐるりと囲む塀の脇に自転車を停め、箒を持って門の傍に行くと、松葉杖をついた友人が門の外で待ってくれていた。

彼はくらげ。もちろんあだ名だ。
彼の左足には白いギプスが巻かれていた。確か何本か肋骨にもヒビが入っていたはずだ。
先月九月後半、台風がやってきた際の事故による怪我だった。

「別に家の中で待ってりゃいいのに」

私が言うと、くらげは自分で脇腹の折れた肋骨の辺りを軽くさすった。

「……そういうわけにもいかないよ。君は、お墓のある場所知らないでしょ」


今日私がここに来た理由は、彼の先祖の墓を掃除するためだ。
先月の、丁度秋彼岸の時期にやってきた台風により、墓の周辺が荒れてしまったのと、いつも掃除をしているくらげの祖母の体調が芳しくないため、急遽ピンチヒッターとして私が自ら名乗り出たのだった。

「そういえば、おばあちゃんまだ体調悪いのか?」

「そうだね……。自分では、『大分良くなってきた』って言っているけど、あまり良くないみたい」

くらげはそう言って、家の方を振り返った。
ちなみに、くらげは三人兄弟の末っ子で、長男は県外の大学に行っており、現在家には、くらげと祖母、大学教授の父親、高校生である次男の四人が住んでいる。
ただ、父親と次男には先祖の墓掃除をする気は無いようだ。
理由を聞いたが、くらげは教えてくれなかった。

本来なら家の者が掃除するべきなのだろうが、くらげと祖母は動けないし、あとの二人はそんな感じなので仕方がない。
他人の家の墓を掃除することが失礼に当たることは知っていたが、家の者に許可を貰っているから大丈夫だろう。
そもそも、くらげが怪我をした事故には私も少なからず関わっているので、責任を感じている部分もあった。

「そっか……。じゃ後で、『お大事に』って伝えといて」

「うん。分かった」

それから二人で墓のある家の裏手へと向かった。
裏手には山の斜面に沿った細い道があり、この道を上っていくと墓があるそうだ。
道も分かったので、くらげはここで待ってた方が良いと言ったのだが、彼は自分も行くと譲らなかった。

「君は僕の家の人間じゃないんだから、勘違いされたら、困るでしょ?」

『誰が何を勘違いするんだ』と言いかけて、私はその言葉を飲み込んだ。

言い忘れていたが、彼は『自称、見えるヒト』である。
ちなみに、くらげの祖母も見える人で、その力は彼の比ではないとか。他の兄弟と父親は見えないらしい。

くらげが転びやしないかと内心ひやひやしながら、緑に囲まれた細い道をしばらく登ると、墓が三段に並んでいる開けた場所に出た。
墓は確かにひどい有様だった。
折れた木の枝や葉がそこら中に散乱し、花入れは何本か地面から引っこ抜かれていて、その内のいくつかが地面に無造作に転がっている。
その有様を眺めながら、私はふと、違和感を覚えた。何かがおかしいような気がしたのだ。
けれども、これ程荒れているのだから、多少の違和感はあって当然なのかもしれない。
掃除して綺麗になれば、違和感も消えてなくなるだろう。と、その時は思った。
とりあえず、家から持ってきた箒で、目に付くゴミを片っ端から片付ける。
くらげも近くの雑草などを抜いて、出来る限り手伝おうとしてくれていた。

掃除をしている最中、ふと、一番新しそうな墓が目に留まった。
よくよく見てみると、側面に書かれている命日は、私の生まれた年だ。
墓石に刻まれた名前は女性のものだった。
だとすれば、これはくらげの母親の墓なのだろう。

彼の母は、彼を生んですぐに亡くなったと聞いたことがあった。
生まれてすぐに母親を亡くす。それが一体どういうことなのか、幸せな私には想像もつかない。
祖母が母親の代わりだったのだろうか。
余計な想像を、私は頭を振って振り落とした。

一時間ほど駆けずり回っただろうか。
もし私の母親が見ていたら、『自分の部屋の掃除もこれくらい真剣にしてくれればねぇ……』などと愚痴ってそうだ。
頑張った甲斐もあり、墓の周辺は随分綺麗になっていた。
その間、くらげは一度家に戻っており、ペットボトルのジュースやら水やら饅頭やらを家から持ってきていた。

「おつかれ様」

「おー、サンキュ」

一番上の段の草むらの上に腰を下ろし、くらげからジュースを一本と饅頭をひとつ貰う。
周りの木々が微かな風になびいてさわさわと音を立てた。
私の周りを、濃い緑の匂いと共に、何やらよく分からない小さな虫が飛び回っている。
ジュースを飲み、栗饅頭をかじりながら、私は今しがた自分が掃除した墓を見下ろした。
先程感じた違和感は消えてはいなかった。どころかそれは、墓が綺麗になったことで逆に強まっていた。
何ともいえない、『何かが違う』という感覚。
いくら考えてもその正体は見えず、私は隣に座るくらげに尋ねてみた。

「なあ、くらげさ。……気ぃ悪くしたらごめんだけど」

「何?」

「ここのお墓ってさ、なんか変じゃないか。上手くはいえないけど、どこかおかしいっていうか……」

「ああ、うん」

私は彼を見やる。その表情は何ら変わらず、いつもの彼のものだった。

「全部、おばあちゃんに聞いた話だけど……」とくらげは言った。

「この辺りにはね。昔から、人は死ぬと、その魂は海に還るって言い伝えがあるんだ」

街から現在私たちがいる山を一つ越えれば、その先には太平洋が広がっている。
街の人間にとって、海は昔から身近な存在だった。

「だから魂がちゃんと海に還れるように、この辺りのお墓はみんな、南を向いてる」

そこで私はようやく、違和感の正体にも気がついた。
確かにそうだった。私が今まで見てきた墓は、全部名が彫られた面を南向きにして建てられていた。
しかし、ここの墓は名前のある面が北に向いている。還るべき筈の海に背を向けているのだ。
おそらく無意識のうちに、『墓は南を向いている』という固定観念が私の中に出来ていたのだろう。
だから、初めて北を向いている墓を見て違和感を感じた。

「……村八分って言葉があるでしょ?」

くらげは淡々と話を続ける。

「あれって、死んだ後のことと、火事とか水害とか災害の時は助け合う、っていうのが二分で、あとの八分は一切のけ者にする。それが、村八分の意味らしいんだけど。
……僕らの家は、八分じゃなくて、村九分にされてたんだ。
……だから、お墓も逆向きに建てさせられた。死んだ後も、同じ場所には
いけないように」

私は何も言えなかった。彼はペットボトルのジュースをゆっくり口に含むと、ふう、と一息ついた。
彼の家が疎外されていた理由。それは、彼や彼の祖母が『見えるヒト』であることと、何か関係があるのだろうか。

「……でも、そんなことがあったのはずっと昔のことだから。今は、ご先祖様が皆あっち向いてるから、合わせなきゃいけない、っていう理由らしいけど」

そこまで言うと、くらげは饅頭と一緒に持ってきた袋と松葉杖を持って立ち上がった。
そして、一番端にある墓の前にしゃがみこむ。
袋に入っていたのは水と米だった。墓の上から水を掛け、米を供え手を合わせ、瞑想する。
それが終われば、隣の墓に移る。上の段から順々に。
しばらくその様子をぼんやり眺めていたが、はっとした私は、慌てて彼の後についてお参りをする。
そうして、一段目、二段目と供養を続け、一番下の段まで来た。
「これは、ひいおじいちゃん」
水を掛けながら、くらげが呟いた。

「……これは、ひいおばあちゃん」
次々と、その名前を呼びながら手を合わせてゆく。

「これが、おじいちゃん……」

くらげの祖父の墓。今まで一番長く手を合わせていた。
私はくらげの祖父に会ったことが無い。
けれども以前、彼の家で夕食をご馳走になったときのことだ。
死んだはずの祖父の席には料理と酒が置かれ、祖母は誰もいない空間に向かって嬉しそうに話しかけていた。
もちろん、私には祖父の姿は見えず、まるでパントマイムを見ているかのようだった。
くらげにも祖父の姿は見えないらしい。

「……なあ、くらげのおじいちゃんって、どんな人だったんだ」
祈り終え、顔を上げたくらげに私は尋ねる。

「怖い人だった」
くらげはそう答えた。

「医者だったからかな。幽霊なんて、全然信じてなかった……。だから、僕とかおばあちゃんがそういう話をするのが、すごく嫌だったみたい。
……殴られたこともあるよ。『正しい人になれ』って」

私はまた、あの夕食の席を思い出していた。
私にとってはただ一度きりだが、あの家では毎回、毎食、同じ光景が繰り返されているのだ。
もし、くらげの祖父が、生前自分が否定したモノになっていたとしたら、彼は今どんな気持ちでいるのだろう。

くらげが最後の墓に向かう。それは彼の母親の墓だった。
残り全ての水を注ぎ、米を供える。松葉杖を脇で支え、二拍手の後、くらげは目を閉じた。
私は想像してみる。
くらげの母のこと。一体どんな人物だったのだろうか。
しばらくして目を開けたくらげが、ちらりと私の方を見やった。そして何か感じ取ったのか、ゆっくりと首を横に振った。

「分からないよ。……何も、覚えていないから」

私はどうやら無言の質問をしていたらしい。対する彼の答えがそれだった。
私はその名前が刻まれた墓石を見やる。
母と過ごした記憶の無い彼に、目の前の石の塊はどう映っているのだろう。
「戻ろう」とくらげが言った。私は黙って頷いた。

墓を出ようとした時、一陣の強い風が吹いて、周りの木々をざわめかせた。
それはあまりに突然で、
墓を掃除した私に対するお礼だったのか、それとも、よそ者が余計なことをするなという怒りの声だったのか、
もしくはその両方か。
北向きの墓。
海に帰ることの出来なかった魂は、一体何処へ向かうのだろう。
そんなことをふと思う。

「今日は、ごめんね。休みなのに」
山を下りている最中、くらげがぽつりと呟いた。
実際、彼は人に仕事をさせて自分が楽しようというタイプではないので、今日私が作業している横で心苦しかったのかもしれない。
けれどもそれは、後からこうだったのかもしれないと考えたことだ。
その時の私は、彼の気持ちなどまるで思い至らなかった。

「ああ、それは別にいいんだけど……」
一つ、先ほどからずっと気になっていたこと。

「まさか……、勘違いされてないよな」

せっかく苦労して掃除したのに、当の墓の下で眠る方たちに、墓を荒らしに来たよそ者と思われたままでは、
頑張った甲斐がない。
私の言葉に彼は何度か目を瞬かせた後、不意に私から目を逸らし、何故か突然「くっ」と短く笑った。
笑ったことで肋骨に響いたらしく、身体を丸め、脇腹の辺りを押さえている。
「おい、何が可笑しいんだよ」
私が口を尖らすと、くらげはちらりとこちらを見やり、

「……されたかもしれないね。勘違い」
そう言って、また小さく笑い、「いたた……」と脇腹をさすっていた。








最近まで只の噂と思っていた怪談なのですが、とある口伝でこのような話を仕入れてしまいました。 自分だけ聞いておくにはまことに惜しい話なのでお伝えいたします。
それは、『牛の首』でございます。

牛の首の怪談とは、この世の中で一番怖く、また有名な怪談であるが、あまりの怖さ故に、語った者、聞いた者には死が訪れる。よってその話がどんなものかは誰も知らない、という話 。
私も長い間はこんなのは嘘だ出鱈目だ一人歩きした怪談話さと、鷹を括っていたんですが・・・ まあお聞きください。

明治初期、廃藩置県に伴って、全国の検地と人口調査が行われた。
これは地価に基づく定額金納制度と、徴兵による常備軍を確立するためであった。
東北地方において、廃墟となった村を調査した役人は、大木の根本に埋められた大量の人骨と牛の頭らしき動物の骨を発見した。調査台帳には特記事項としてその数を記し、検地を終えると、そこから一番近い南村へと調査を移した。
その南村での調査を終え、村はずれにある宿に泊まった役人は、この村に来る前に出くわした、不可解な骨のことを夕食の席で、宿の主人に尋ねた。
宿の主人は、関係あるかどうかは分からないが・・・と前置きをして次の話を語った。


以下はその言葉を書き取ったものであります。

天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。
当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく、食物を奪い合い、畜生道にも劣る」といった悲惨な状況であった。

天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。数人の村人がつかまえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、

「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」

と口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。
また、その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかった。

翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。
それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、近づく者もおらず、今は久しく、その名を呼ぶ者もいない。

重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。
役人はその場での解釈は避け、役所に戻り、調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。
先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。

大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、弱った者から食らったのであろう。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。
牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。

また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、この事が話されるのもはばかりあることであろう。
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、心の奥底にしまい込んだ。

日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。
この孫の中の一人が、自分である。

当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。
何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、食らったのが真実である。
そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・

それゆえ、牛の首の話は、繰り返されてはならない事だが、話されてもならない話であり、呪いの言葉が付くようになった。
誰の口にも上らず、内容も分からぬはずであるが、多くの人々が「牛の首」の話を知っている。
物事の本質をついた話は、それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものである。

・・・以上が『怪談牛の首』の顛末であります。








久しぶりに田舎の実家に帰ろうと思いたち、電話をかけてみた。
電話に出たのは父だった。
『おう、どうした?』
「明日明後日と急に休みになったから、帰ろうと思うんだけど」
『分かった。母さんにも言っておくよ。気を付けて帰っておいで』
こころなしか嬉しそうだった。

実家は三方を山で囲まれた場所にあり、車で片道一時間半の道程だ。
村の入口まで来た時に懐かしい顔が居た。幼なじみの友人だ。
「久しぶりだな、帰ってきたのか?」
「少し休みが取れたんだ。お前ん家近くだっけ?とりあえずウチまで乗ってくか?」
「ありがとう!わるいな」
村の入口から家までは五分ぐらいだが、その間に友人と思い出話等をしてた。

家に着いた。
「ただいまー!」
父が出てくる。でも何故か無表情。そして視線が定まってない。
「おかえり。早速だが、山の広場で祭りをするから行ってきなさい。友達も一緒に」
抑揚のない喋り方に違和感を覚えたが、友人が「行こうぜ行こうぜ」とウルサイのですぐ行くことにした。

あれ?でもあの広場は昔から「入るな!」と厳しく言われてたような…
と思いつつも山の麓へ着いた。
友人が駆け上っていき、俺も後を追った…
そして広場に到着した。
そこは林が開けたような場所で、一番奥には神社のような建物があった。
あたりは静まり返り、日が沈んできたのも相まって不気味だった。
「祭りなんてやってないじゃないか」なんて話していると、
目の前の神社のような建物から神主(?)が出てきた、と思ったら、
目を閉じながら大声で不可解な言葉を発しだした。
太鼓や笛の音も聞こえてきた。
それと同時に、木の影からゾロゾロと人影が現れる。
みな奇妙な仮面を付け、派手な衣裳を身にまとっている。
そいつらは俺達を囲むように輪になったと思ったら、
松明に火を灯し、踊りはじめた。早送りを見てるかのような奇妙な踊りを…
目の前の異様な光景に寒気を覚え、友人に「おい、帰るぞ!」と言ったが、
友人は目を輝かせながら踊りを楽しそうに観ている。
輪の一部が手薄な場所を発見。
友人に「おい走るぞ!」と声を掛け、そこ目がけてダッシュした。

一目散に走り、ようやく村まで戻ってきた。
友人は…付いてきていない…
助けに戻る勇気が無い俺は、父親に助けを求めに家まで走る。

家に着くと父が玄関先に立っていた。
「親父!大変だ!アイツが!アイツが!」
しかし父は、
「どうやら無事に終わったようだな」と笑顔を見せる
「…え?…何が?」
状況が理解出来ない俺に父が、
「そのアイツとやらの名前を言えるか?」
「………」
俺は答えられなかった。それどころか、さっきまで一緒だったのに顔すら思い出せない
父が続ける。
「アレはな…この土地に昔からいる神様みたいなもんだ。
 俺がさっき見た時は子供の容貌だった。必死に平然を装おうとしたが、不自然だったな…
 で、基本的には危害は無いのだが、お前みたいに外から村に入ってきた者にとり憑く」
更に話を続ける。
「奴が危害を加える条件が二つあってな。
 一つは、憑かれた者が憑かれている事に気付くこと。もう一つは、村の外へ出ること」
詳しくは分からないが、この村がある地形自体が結界になっているらしい。
そのどちらかをしてしまうと、神様とやらがいる向こうの世界に連れて行かれ、半永久的に遊び相手をやらされるらしい。
親父は俺が憑かれてると判断し、広場へと送り出した。
そしてそのすぐ後に神主さんに電話をし、引き剥がしの儀式をお願いしたそうだ。
「あいつ(神主)の家系は代々あの場所で、お前みたいに憑かれた者を助けてきた。あいつはかなりの怖がり屋なんだがな」
「だから目を瞑ってたのか」
「奴は祭りや賑やかなのが好きなんだ。だから太鼓や笛の音を流し誘き寄せる」
「あの奇妙な仮面の人達も、急いで準備してもらったの?」
「仮面の人達?あそこにはあいつ一人しかいなかったはずだが…」
あそこで起こった事を説明すると、
「恐らくその仮面達は、遊びに出た神様を連れ戻しに来たんだろう。
 どちらにしても、知らない方が良いこともある。あいつには内緒にしておこう。聞いたら発狂するだろう…ははは」

翌日。
俺は帰路に着いた。
村の入口の昨日『友人』が居た場所には、小さな地蔵があった。
心なしか悪戯な笑顔をしたように見えた。







ある年末でのことです。
会社の先輩からこんな誘いを受けました。
「年末年始は実家に帰るんだけど、よかったらうちで一緒に年越ししない?おもしろい行事があるのよ。
 一回見せてあげたいな~と思っててさ」
その人は年齢も私より上でしたがとても気さくに接してくれる方で、入社した頃から何かと可愛がってくれていました。
仕事でもプライベートでも面倒見が良く、いろいろと連れていってもらったりしていたのですが、
遠出の誘いはこれが初めてでした。
せっかくの帰省、ましてや年末年始にお邪魔するなんて悪いなという気持ちもありましたが、
「気にしないでおいでよ~」と言われ、私自身は実家に帰る予定もなかったので、誘いを受けることにしました。

詳しく話を聞いてみると、12月の29~31日に先輩の町では行事があるようで、
年越しがてらそれを見においでという事でした。
会社は29日で終わり、休みに入るのは30日からです。
行事について尋ねてみると、
「私の町で毎年やってるんだけどね~町の人達の中から一人が選ばれて、その人のために行う行事なの。
 0時をまわってからやるから、正確には30~元旦までの三日間になるわね」
「深夜に?そんな時間に何をするんですか?」
「それは見てからのお楽しみ。今年は私のお母さんが選ばれて、もう私もお父さんも大喜びでさ。」
「そうなんですか。よくわからないですけど、そんな時に私がいたらやっぱりお邪魔じゃないですか?」
「いいのいいの、うちの家族は気にしないから。のんびりしたとこだし気軽においでよ。
 まぁ休みは30日からだから、初日のは見れないけどさ」
具体的な内容はわからなかったものの、何だか興味をそそる話でした。

私がその行事について気になってきたのを察すると、
「もし最初から見たいなら、29日仕事終わりにそのまま行くって事でもいいよ。
 あたしとしても最初から見せてあげたいしね。
 年一回しかないうえに、今年はやっとうちのお母さんが選ばれたからさ」
と言われました。
出来たらそうしたいとこでしたが、あまり甘えるのも悪いと思い、結局30日に向かうことになりました。
先輩は少し残念そうでしたが了解してくれ、30日から1日まで私は先輩の実家で過ごすことになりました。

当日、朝9時頃から先輩の車で目的地へ向かいました。
先輩の実家がある町は、私達の住んでいるところから車で3時間ほどかかります。
道中はのんびりと会話しながら、どんな行事なんだろうとわくわくしていました。

しばらくして景色が変わってきた頃、先輩がこんな事を言いました。
「昨日、雨降ったよね」
言葉のとおり、前日の29日は深夜まで雨が降っていました。
流れを切っての発言というわけでもなかったですし、何でもない話題なんですが、
どこかに違和感があるような…そんな感じがしました。
「降りましたね。今日は止んでてよかったですよね。行事は雨が降っててもだいじょぶなんですか?」
「一応は平気。昨夜は予定どおり行われたよ。
 実はさぁ、あたし昨日から帰ってたからもう大変だったのよ。
 会社からそのまま実家向かって、夜中にそれやって、終わったらまたこっち戻ってきて、あんた迎えに行って…。
 今すっごい眠い」
そう言って大欠伸する先輩には、先ほど感じた妙な違和感はありませんでした。

そうしてまた何でもない会話をしながら進んでいき、やがて目的地に到着します。
ちょうど12時になるぐらいの時間だったと思います。
車を降り、先輩の実家の方へ目をやった瞬間、ぎょっとしました。
先輩の実家は古いお屋敷みたいな広々とした家だったんですが、家の前の庭に水溜まりがありました。
鯉を飼ってる池のような大きさのです。
自然に出来るものでもそれぐらい大きくなるのかもしれませんが、そこにあったのはどう見ても不自然なものに思えました。

泥水をはった風呂場のような、そんな感じだったのです。
これは一体…と戸惑っていると、
「これも行事に関係してるのよ~とりあえず落ちないように気を付けてね。結構深いから」と言われ、
不思議に思いながらも、ひとまず家の中へ案内してもらいました。
中へ入ると、奥から女の人が駆け寄ってきました。
「遅かったね。あっ、この子がお客さん?」
先輩は「そうだよ」と答えながら私の方を向き、その女の人が母の姉だと教えてくれました。
私が挨拶を済ませると、昼食が出来てるからと奥の方に案内され、お昼をごちそうになりました。
食後には居間にいた先輩の父とも挨拶を交わし、先輩が昔使っていた2階の部屋に案内されました。

部屋に入って一息つき、ふと窓から外を眺めるとある事に気付きました。
隣近所の家が何軒か見えるのですが、庭に大きな穴のある家がいくつかありました。
水溜まりではなく、ぽっかりと大きな穴があいているのです。
気になって先輩に聞くと
「あぁ、あれは選ばれるのを待ってるお宅って事なの。
 穴がない家は一度家族の誰かが選ばれたか、今は必要ありませんって事ね。
 選ばれた家はさっき見たとおり、穴に水を入れて大きな水溜まりになるの。
 選ばれた人は大変なのよね~お母さんも今準備中だからうちにいないのよ」
という事でした。

今思えば、この時から何だかおかしな空気が漂っていたような気がします。
先輩の説明を聞いても、何が行われるのか全く分からない。
当初はお祭り気分で楽しめるような行事だとばかり思っていたのが、何か異様なもののように感じ始めていました。

とはいえ、そんな失礼な事を言うわけにもいかず、私の考えすぎであることを願うばかりでした。

その日は行事が始まる時間までのんびりしてようという事で、
前日ほとんど寝てなかった先輩は寝てしまい、私は先輩の叔母さんと話したりして過ごしました。
夜になって夕飯やお風呂を済ませ、あとは行事が始まるのをじっと待つだけとなりました。
この間、先輩のお母さんの姿は一度も見ていません。

11時を過ぎた頃、事態が動きだしました。
四人でたわいもない話をしていたところ、電話が鳴り叔母さんが出ました。
10分ほど話して電話を切り、
先輩と先輩の父には「そろそろ用意だから行っておいで」と、
私には「○○ちゃんはここにいよっか。私も一緒にいるから」と言いました。

何も分からなかった私は、「はい」と答えるしかなかったです。
すると、先輩がムッとしたような表情で叔母さんに近付いていきました。
そしてなぜか険悪なムードになり、突然二人の言い合いが始まりました。
「叔母さん、昨日も家に残ってたよね。なんで?」
「何年も前からさんざん言い続けてるでしょう?
 私は認めてない。どうしてもやるならあんた達だけでやりなさい…って」
「やっとお母さんが選ばれたのに、まだそんな事言うわけ?叔母さんだってしてもらったくせに。
 今日だってお母さんはずっと準備してるのに」
「私はあんた達とは違うの。いいから早く行きなさい」

私は状況が飲み込めずにおろおろするしかなく、昼間の不安がますます募っていきました。

しばらく二人の言い合いは続いていたのですが、
先輩が時計を見て時間を気にしたのか口を閉じ、言い合いは終わりました。
黙ってみていた先輩の父は途中で先に出ていってしまい、
苛立った様子の先輩はばたばたと出かける支度をし、玄関へ向かいました。
「昨日より気合い入るわ~これから何があるか、しっかり見ててよ!」

私にそう言うと先輩は出ていきました。
先輩の姿が見えなくなったその瞬間、いきなり叔母さんが玄関の鍵を急いで閉め、私の手を掴んで居間へ戻りました。
そして私の顔を見つめ、神妙な面持ちで話し始めました。
「○○ちゃん、今から私が話す事をよく聞いて。
もう0時をまわったわね。この後1時になったら、ある事が始まるわ。このままだと、あなたは犠牲者になる」
思わぬ言葉でした。

「えっ?…おっしゃってる意味が分かりません。どういう事なんですか?」
「詳しくは後で話すから!とにかく、今は解決するための話をするわ。
こうなってしまった以上、あなたはその行事を見なければいけないの。
1時になったら2階に行って、部屋の窓から外を見なさい。何があっても、最後まで見なきゃダメよ。
ただし、声をかけたりしてはダメ。ただ見て、聞くだけでいいの」
「聞く?聞くって何をですか?一体何なんですか?」
「歌よ。あの子達が歌う歌を聞くの。必ず最後まで聞かなきゃダメよ。耳を塞いだりしないで最後まで。いいわね?」

もう何が何だか分からず、泣き出したい気持ちで一杯でした。
何かとんでもない事に巻き込まれてしまったのでは、どうしたらいいのか、と頭がぐるぐるしていました。
叔母さんは私の頭をそっと撫でながら「大丈夫」と言ってくれましたが、何を信じていいのか分かりませんでした。

しかし、その間にもどんどん時間は迫ってくる。
結局、叔母さんに言われたとおりにするしかありませんでした。
時間が過ぎていくにつれ、私の心臓は破裂しそうな程バクバクしていました。
どうしよう…どうしよう…

そうこうしている内に1時が近付き、叔母さんに2階へ行くように促されました。
「一緒に来てくれませんか」とお願いしましたが、
「私はここにいるから、歌が終わったらすぐに降りてらっしゃい。
くれぐれもさっき言ったことをちゃんと守るようにね」
が答えでした。

「さぁ…」と背中を押され、逃げ出したい気持ちで2階へ上がり、昼間にいた部屋へ入りました。
でも、窓の外を見ようとする事が出来ず、ただうずくまって震えていました。
もうやだ。怖い。
それだけでした。

5分…10分…
どれくらいそうしてうずくまっていたかは覚えていません。
とても長い長い時間に思えました。
ふと、何かが聞こえてきている事に気付きました。

話し声?叫び声?
何かが聞こえる。

私は無意識に窓に近づき、外を見ました。
窓の外、あの水溜まりの周りに、いつのまにか大勢の人が集まっていました。

子供も大人も、男も女も。
十代ぐらいの子や、五~六歳ぐらいの子、熟年の方や高齢者の方…20人ぐらい、もっといたかもしれません。

その全員が、さっきまでずっと雨にでも打たれていたかのように、服も体もずぶ濡れでした。
ピクリとも動かず、全員が水溜まりを見つめています。
そして、何かを話している…?

怖さで固まったままその光景を見ていると、次第にはっきりと何かが聞こえてくるようになりました。
不気味に響くその声にすぐにでも耳を塞いでしまいたかったですが、叔母さんの言葉を信じ、必死で耐えていました。

やがて、それが何なのかがわかりました。
歌です。
叔母さんの言っていたとおり、確かに歌を歌っているように聞こえました。
何人もの声が入り交じり、気味の悪いメロディーで、ノイズのように頭に響いてくるのです。
何と言っているのか、聞こえたままの歌詞はこうでした。

かえれぬこはどこか
かえれぬこはいけのなか

かえれぬこはだれか
かえれぬこは○○○
(誰かの名前?)

かえるのこはどこか
かえるのこはいけのそと

かえるのこはだれか
かえるのこは○○○
(こっちは私の名前に聞こえた)

かえれぬこはどうしてる
かえれぬこはないている

かえるのこはどうしてる
かえるのこはないている

この歌詞が二度繰り返されました。
全員がずぶ濡れで、水溜まりを見つめたままで歌っていました。
誰も大きな声を出しているような感じには見えず、
私のいる部屋ともそれなりに距離があるはずなのに、その歌ははっきりと聞こえていました。
本当に例えようのない恐怖でした。
二度繰り返される間、ただがたがたと震えながらその光景を見つめ、その歌を聞き続けていました。

二度目の歌が終わった途端、静寂に包まれると同時に一人が顔を上げ、私の方を見ました。
それは満面の笑みを浮かべた先輩でした。

さっきまではあまりの恐怖で気付きませんでしたが、よく見ると先輩の父もそこにいました。
ただ一人、私を見上げ微笑んでいる先輩に、私は何の反応も示せませんでした。

しばらくそのままでいると突然そっぽを向き、どこかへ歩いていってしまいました。
すると、周りの人達も一斉に動きだし、ぞろぞろと先輩の後へ続いていきました。
終わったんだ…

私はガクンとその場に座り込み、茫然としていました。
早く叔母さんのとこに戻りたい、でも体が動かない。
頭がぼーっとなり、意識を失いそうにフラフラとしていたところで、叔母さんが2階に上がってきてくれたのです。

「終わったね。怖かったでしょう。よく耐えたね。もう大丈夫よ。もう大丈夫」
そう言いながら叔母さんに抱き締められ、私はせきをきったように泣きだしてしまいました。
何を思えばいいのか、本当に分かりませんでした。

少しして落ち着いた私は、叔母さんに抱えられながら居間に戻りました。
時間はもう2時を過ぎていました。
時間を確認すると、

「○○ちゃん、ホッとしている時間はないの。
 あの子やあの子のお父さんは、今日はもうここには戻ってこないけど、さっきのはもう一度行われるわ」
「…えっ…?」
「今度は3時に。歌の内容もさっきとは少し違うものになるの。
 ここでぐずぐずしていると、またあの子達が水溜まりに集まってくるわ。そうしたらもう取り返しがつかなくなる」

「そんな、どうしたらいいんですか?私はどうしたら」

「落ち着いて。今から私の家に行くわ。この町を出て少し行ったとこにあるから。
 でも、あなたが持ってきたものとかは諦めてちょうだい。持ち帰るとかえって危険だからね。
 詳しい話はそれからにしましょう。さぁ、すぐ行くわよ」

言われるままに私と叔母さんは家を飛び出し、そこから少し離れた空き地にとめられていた叔母さんの車に乗り込み、
その町を後にしました。
どこを走っても同じ景色に見え、迷路から抜け出そうとしているような気分でした。

1時間ぐらい走ると、ようやく叔母さんの家に着きました。
中に入り、ある部屋に案内されたのですが、その部屋の中を見て再び恐怖が全身に広がりました。
卓袱台しかないその部屋の壁一面、天井にまでお札がびっしりと貼られていたのです。異常としか思えませんでした。

もしかして、私は騙されているのでは?
叔母さんも何かとんでもない事に加担している一人?
そんな考えが頭をよぎりました。

次々と意味の分からない状況が続き、自分以外の者に対して不信感が募っていたのかも知れません。
そんな私の心を見透かすように、叔母さんは言いました。

「いろいろと思うことはあるでしょうし、恐怖もあるでしょうけど、この部屋でなきゃ話は出来ないのよ。
 ごめんね。我慢してね」

叔母さんは私をゆっくりと卓袱台の前に座らせ、自分は真向いに座りました。
そして、話してくれました。

ここからは叔母さんの話を中心に書きます。ほぼ、そのままです。
「何から話せばいいのかしらね…
 ○○ちゃんはそもそも、あの子から何て聞いて、どうしてあの町へ来たの?」
「毎年おもしろい行事があるから、見に来ないかって誘われたんです。
 町の中から一人が選ばれて、その人のために行われるものだって聞きました。
 それで、今年はお母さんが選ばれた…って」
「期間は三日間で、今日は二日目っていうのは聞いた?初日から来れないかって誘われなかった?」
「聞きました。初日から見せてあげたいからそうしようかっていう話もあったんですけど、私が断ったんです。あまりお世話になるのも悪いと思ったので…」
「そっか。あの子があなたに言ったことは全部そのままね。
 あれは毎年選ばれた人のために行われるもので、今年はあの子の母親が選ばれた。
 一日目から見せたいと言ったのは、特別な意味があったから」

「どういう事ですか?」
「○○ちゃん、今日一度でもあの子の母親の姿見た?見てないわよね?
 それどころか、どこで何をしてるのかも、あの子は具体的に話さなかったでしょう?
 当たり前なのよ。あの子の母親、つまり私の妹だけど、死んでるんだから。何年も前にね」
「…えっ?…」
「あの子が学生の頃だったから、もうずいぶん前よ。
 だから、あなたが話を聞いた時も、最初からあの子の母親はいなかったって事」
「そんな、だって…それじゃ選ばれたっていうのは何なんですか?さっきの事は何なんですか?」

「あれは死人を生き返らせるためのもの。
 選ばれたというのは、生き返るチャンスを得たという事なの。
 毎年、死んだ人間の中から一人が、そのチャンスを得られる。
 ただし、それを家族が望んでいなければダメ。
 望む場合は庭とかに大きな穴を掘って、その意志を示すの。
 選ばれた場合、知らない間に穴に水が溜まっていって、大きな水溜まりが出来るの。
 これは1月2日から12月1までの間、時間をかけて起こるわ。
 それによって選ばれた者の家族は、29~31日(30~1日)の三日間、さっきのあれを行う。
 そして1月2日から水がなくなり、また時間をかけて別の人が選ばれるのよ。
 さっき、歌を聞いたわよね?最後まで聞いたわよね?どんな内容だったか言ってみてくれる?」

前述の歌詞を叔母さんに伝えました。
叔母さんの話ではこうなるそうです。

かえれぬ子はどこか
かえれぬ子は池の中

かえれぬ子はだれか
かえれぬ子は〇〇〇
(選ばれた死人の名前)

かえるの子はどこか
かえるの子は池の外

かえるの子はだれか
かえるの子は〇〇〇
(犠牲にする者の名前)

かえれぬ子はどうしてる
かえれぬ子は泣いている

かえるの子はどうしてる
かえるの子は鳴いている

「選ばれた死人を生き返らせるには、犠牲とする誰かに三日間歌を聞かせなきゃいけない。
 あの子が初日から見せたいと言ったのはそのためよ。
 歌は1時から2時、3時から4時の間でそれぞれ内容が変わり、各2回ずつ歌われる。
 三日間で6つの内容の歌が、計12回歌われるというわけ。
 さっきあなたが聞いたのは3つ目の歌ね。

 6つ目12回目の最後の歌を聞かせた後、その人をあの水溜まりに突き落とすの。
 はい上がってくるのはその人ではなく、選ばれた死人。
 犠牲になった者は二度と帰ってこないわ。

 そうやって、生きていた誰かの代わりに、死んだ誰かが戻ってくるのよ。
 といっても、今の人達は、弔いのつもりで形だけ行う事がほとんど。
ここ何年かで本当に生き返らせようとしたのは今回だけ。というより、あの子だけといった方が正しいかもね。

あの子は母親に固執してる。何年経っても断ち切れないでいるの。
母親が選ばれたと分かった時から、あなたの話が出てたわ。
どうしてあなたにしたのかは分からないけど、あの子はあなたを犠牲にして、母親を生き返らせるつもりだった。
本来なら、二日目に来たという時点で、これは成立しないはずだったのよ。三日間のどれが欠けてもダメだからね。
でも、雨が降ったのがいけなかったわね。
歌も含め、これらの事は『かえるのうた』って呼ばれてるわ。
元は、昔から祀られている何かに関係するものなの。
死人を生き返らせるなんてぐらいだから、霊とかそんな次元じゃないのかもね。
その何かは雨を好むって伝えられてる。

三日間のうち、一日でも雨が降っている中でかえるのうたを行うと…(ここだけはぐらかしてました)
とにかく、昨日雨が降った事で、あなたが一日目にいなかったというのは、意味を成さなくなったの。
本当なら、事が済んだ三日目に現われるはずのあの子の母親が、昨日の時点であの水溜まりにいたからね。
あなたが最初に見た時も、さっきの歌の時も、水溜まりからじっとあなたを見つめていたのよ。
お母さんが準備してるっていうのは、そういう意味だったの。
たぶん、これからもあの子は諦めないわね。またいつか選ばれるのを待ち続ける。
だから、あの家の水溜まりの穴が無くなる事はないでしょうね」

ここでかえるのうたの話は終わりました。
話を聞いた事である疑問が浮かびましたが、聞けませんでした。
もしそうだったら…正気でいられないかもしれない。そう思ったからです。

この夜は叔母さんの家に泊めてもらい、朝になって私の家まで送ってもらいました。
別れる際、叔母さんに言われました。

「明日から新年だけど、その一年間は雨に濡れないようにしなさい。雨の日は外出自体控えたほうがいいわ。生活は大変になるでしょうけど、必ず守ってね。
その一年を過ぎれば、もう大丈夫だから。
もし、どうしても何か心配な事があったら、私のところにおいで。
怖い思いさせて本当にごめんね。元気でね」

休みが明けた後、しばらく先輩は会社に出てきませんでした。
『お母さんが亡くなった』と連絡してきたそうです。

私はその年に会社を辞めました。
叔母さんに忠告されたとおり、雨の日には一切外に出なかったので、続けられなかったんです。
突然雨が降るかもわからないので、その一年間は実家で引きこもりでした。

なお、私が辞めるのと入れ違いで先輩は復帰なされて、今もその会社に勤めています。
とても会う気にはなれませんでした。

今、私は普通に暮らしてます。










 五年以上前に閉鎖しましたが、かつて僕が鬱病の総合サイトを運営してたときの話です。

開設当初は、僕が常連だった他の鬱病サイトで知り合った人達がゲストで訪れる程度で人数も少なく、
内輪でこじんまりやっている程度のサイトでした。
それが二年経ち、三年経ちと年月が経過すると、知り合いの知り合いとか、リンク先の常連なども集まるようになり、
チャットや掲示板も複数確保して、次第に大所帯になってきました。
そうなると、今度はサイトに付きもののトラブルも時々起きるようになりましたが、
そういう時には、力不足の僕に代わり、トゲの立たない問いかけなどを駆使して丸く収めてくれる、
古くからの常連で、かなりの人格者の方々がいらっしゃいました。
僕自身、人見知りが激しく、若干無気力気味な所があるので、オフとかもやったことがないのですが、
「こんな優しい方々が身近にいれば、さぞ心が安まるだろうなあ」と、いつも思っていました。

そんなある日から、何が発端か未だによくわからないのですが、僕のサイトで猛烈な荒しなどの悪戯が増えました。
自動でやっている事もあるらしく、無意味な長文が延々と貼り付けられたり、
鬱病の方同士で何か会話しようとすると、
『前のような社会的弱者は生きている資格ゼロ』とか、『クズだから鬱病なんかなるんだ自殺しろ』等々、
見るに耐えないような罵倒を繰り返すような人が張り付き、とても荒んだ状態になっていました。
過去の内容を見るに、どうやら二人の人が何か仲違いして罵倒合戦が起き、それが色々と波及しているようでした。
対策を取ろうにも、その人達はネットの高度な専門知識が豊富らしく、
ハッカーがどうとか、あまり聞き慣れない専門用語を並べて脅迫めいた事までする始末で、
正直、僕のような素人には全く太刀打ちできそうもありませんでした。(というか、怖くて干渉できませんでした)

それを見かねた古くからの常連の人は、
『ああいう方は放っておけば過ぎ去りますよ。』『構って欲しいだけなんだから相手にしないのが一番!』
とメールしてきて、僕を励まし続けていました。

ある時、サイトの設定に少し手を加えると、書き込んだ人のIPアドレスや、使ったパソコンの環境が判るようになると知り、
四苦八苦して設定を変えて、様子を見る事にしました。
すると、特定のIPアドレスの二人が延々と荒らしを行っているのがほぼ確認でき、
「本当にしょうがない人達だなあ…」と思いながら、
更にIPアドレスをログで見て行くと、人格者の常連二人と全く同じでした。
なにかの拍子に途中でアドレスが変わると、その直後の荒らしもアドレスが同じ物に変わっていたりして、
明らかに同一人物だと思います。

物は試しと思い、別人を装って、
『もしかしてあなた××さん?IP同じなんだけど…』と書き込んだら、
『うるせーよ!死ね!死ね!』と延々と連呼の書き込みがされる始末。
勇気を出して、その人格者(だった)方へ『人違いかもしれませんが…』と前置きして直接メールを出しても、
普段ならすぐ返信来るのに、何日経っても全く来ない事で、確証を得ました。

もうサイトを運営していく気が完全に失せて、特に何も言葉を残さず、サイトは閉鎖しました。
表面上はあんな人格者を演じていても、実際にはかなり荒んだ方がいらっしゃるんですね…。

そのお二人、普段は鬱病に悩む新顔の方へも優しくアドバイスしたり、
二人で親身になって鬱病の回復には何がよいかを平和に論じ合ったりしていて、
荒らしが酷かった時期にも、普段通り私や他の方とも会話されていました。
二人とも、お互いに荒らしの相手が誰なのかすぐ気付いていたのでしょうが、それにしても…。

メンタル系のサイトって、こんなケース多いのでしょうか…。






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