カテゴリ: 海にまつわる
【海にまつわる系】全然被害が無いでしょ?この集落はなぜか津波が来なかったんです。集落の入り口で津波が引いてったの。それはね、、、、
195 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/09/15(金) 22:41:36.40 ID:e0vvrCWm0.net
震災の一年後に石巻に仕事で行った時にさ、タクシーで大川小学校のあたりを通ったんだ。
津波で逃げ遅れて子供達がたくさん亡くなった小学校だ。
時間があったから、ちょっと降ろしてもらって手を合わさせてもらった。
まだまだ震災の被害が残っててそこかしこで工事してたな。
ビルがサイコロみたいに転がってたり。
そのあと中心部に戻ったんだけど、
大川小学校の近くに、全く被害受けてない集落があったんだ。
海岸の近くだし高台にあるわけでもなく、むしろ坂を下ったから窪地みたいなとこにある集落。
あんまり普通で、思わず運ちゃんに「ここは津波来なかったんですね?って尋ねたわけ。
そしたら、
「全然被害が無いでしょ?
この集落はなぜか津波が来なかったんです。集落の入り口で津波が引いてったの。
ここは熱心に菩薩様を祀ってるから、そのおかげですかね?」って。
その集落はあまりに平和で普通で、石巻の他の場所と比べると普通すぎるから、逆に異様に見えて少し怖かったな。
210 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/09/18(月) 23:14:42.73 ID:5JKkS/cK0.net
>>195
旧丸ビルの観音様エピソードみたいだね
空襲であたり一帯が焼けた時も、観音入りのビルはポツンと焼け残ったとかいう話
【海にまつわる系】おじさんはいったん仕掛けをあげて、 「ここにいる魚のうち、○○の好きなのを釣ってやる」って・・・
650 :634:2011/10/24(月) 02:37:24.73 ID:oF5WyRgS0
オレが釣りを始めた頃の話。
オレの祖母は離島出身で、夏休みは毎年その島に遊びに行ってた。
その島でオレは、祖母の弟っていうおじさんから釣りを習った。
幼稚園生になったかならないかの頃だから、複雑な仕掛けはムリ。
オレンジ色のでかいプラスチックの浮子つけて五目釣りだ。
どこまでも海の底が透き通って見える海に仕掛けを投げこむと、
いろんな魚がわらわらと寄ってくるのが見えて、すぐに釣れる。
チョウチョウウオだったり、ニザダイだったり、メジナだったり。
(方言名で書くと島を特定されそうなんで標準和名で・・・)
651 :634:2011/10/24(月) 02:50:41.83 ID:oF5WyRgS0
夢中になって釣ってると、
そのおじさんがニコニコしながら「○○(←オレの名前)は釣りが好きか?」って聞いたんだ。
「うん、好き。とっても楽しい」って答えたら、
「そうか~、じゃ、面白いもの見せてやる」って言う。
何かと思ったら、おじさんはいったん仕掛けをあげて、
「ここにいる魚のうち、○○の好きなのを釣ってやる」って・・・
オレは???って思ったけど、「じゃニザダイ」って言ったら、
「ほいよ」って、すぐにニザダイを釣り上げた。
「ヒラアジ」「ほいよ」
「ブダイ」「ほいよ」
???
「チョウチョウウオ」「ちっと難しいな、ほいよ」
??????
652 :634:2011/10/24(月) 03:21:14.38 ID:oF5WyRgS0
「何でそんなこと出来るの?」って聞いたら、
「○○も上手になったら出来るようになる」って笑う。
今思うと、あの仕掛けで換えられるのは浮き下くらい。
しかし、それで完璧に魚の釣り分けができるとは考えられない。
仕掛けを入れた途端にわらわら魚が群がるあの海で・・・
色んな釣りを一通りやり、多少は上手になったが、いまでもあの『リクエスト釣り』は出来る気がしない。
というより、上手になるほど出来る気がしなくなるんだ。
一体、どうやってたんだろうね。本当に不思議だよ。
そのおじさんは数年前にガンで他界した。
最後に見舞いに行ったとき、
「治ったらまた釣りに行こう、今度は魚の釣り分けの仕方、教えてくれよ」と言ったら、
「○○が上手になってたら教えてやる」って笑ってた。
多分あれは、オレには一生できないだろうな。
659 :本当にあった怖い名無し:2011/10/24(月) 15:53:44.63 ID:dtx9VYWs0
>>652
釣りに詳しくない自分は餌を変えれば出来るんじゃね?って思ってしまうんだけど、それでも不思議なおじさんだねー!
661 :634:2011/10/24(月) 21:32:50.93 ID:oF5WyRgS0
リクエスト釣りのエサは、塩で締めたサンマの切り身だった。
大きさは変えられてもエサの種類は変えられない。
だから余計不思議なんだな。
たぶん、チョウチョウウオを「ちっと難しいな」って言った所に鍵があるのかもしれない。
【海にまつわる系】父によるとその船は、『宝船』だったそうです。 少し霞む霧と霧の間にみえたものは、何やら前時代的な、昔話に出てくるような帆船で、形容するならば『宝船』だと
690 :オキ :03/02/11 07:45
私が小学校五年の時だったと思います。
五月に入り春がかったころですが、この時期父は鯛を釣りに出かけます。
朝五時頃出かけて、帰ってくる時間はまちまちです。(夕方四時頃もあれば夜10~11時頃もある)
父が出かける時、たいがい私は寝ているのですが、
たまに起きてしまうこともあり、一緒にコーヒーを飲んだりもしました。
だから、だいたい父がどんな感じで出かけていくのかを知っていました。
顔を洗って、歯を磨き、髭を剃り、コーヒーを飲んで、
握り飯を5~6つと、氷、水、酒をもって一人で出かけて行きます。
その日もいつもと同じように出かけたみたいでした。(私は寝ていた)
そしていつもの様に、特に待つこともなく母や弟と時間を過ごしていたのです。
691 :オキ :03/02/11 08:03
その日父は、11時をまわっても帰ってきませんでした。
母は、
「たまにこんなこともあるけん。もしかしたらもう帰ってきて、どっかいっちょるかもしれん」
と言っていましたが、やはり心配なので、
叔父に電話してから、眠そうな弟をおいて、叔父の車で船着き場まで見に行くことにしました。
船着き場に父の船はなく、父の車がきっと朝と同じようにおいてありました。
叔父と母が「事故かわからん」と話していたのを、ドキドキしながら泣きそうに聞いていました。
とりあえず今日は遅いので、明日にでも海上保安庁に行ってみよう、ということになりました。
父と違い、どちらかというと引っ込み思案な母は、一人で海上保安庁にいけず、
次の日どうしても外せない用事があった叔父を待ち、正午くらいに一緒に行こうという段取りになったようでした。
私は父が心配で一刻も早く父を探して欲しかったので、「私が行く!今から行く!」と駄々をこねたのですが、
その日は御されてしましました。
692 :オキ :03/02/11 08:22
もちろんその次の日、私は学校を休みました。
イライラしながら叔父を待っていたとき、家のドアが開き、父が帰ってきました。
開口一番、「水とラーメンとメシ!」。
はっきり言って間抜けですが、私はボロボロワァワァ泣きながら父に飛びつきました。
その時は気が付かなかったのですが・・・
気が付いたのは、母が黙ってラーメンを作り、それを父に差し出した時でした。
ひとまず泣くのを止めて、まじまじと父の顔をみたのです。
「???」
父の髭がやけに伸びているのです。
熊程ではありませんが、1日や2日剃らなかった様な感じではありません。
顔も妙に汚れている様に思えました。
「お父ちゃん。髭が伸びちょる」
私は旨そうにラーメンをすする父にそう言いました。
「うん。一週間は剃ってないけん」
ラーメンを食べ終わり、一息ついたふうの父。
ここから父の話が始まりました。
693 :オキ :03/02/11 08:44
あの日(父の話では一週間近く前)ふつうに海に出ると、まぁいつものように少し霧がかかっていたと。
昼過ぎになり、霧も晴れ、魚もまぁ釣れているので、もう少ししてから帰ろうと思っていたそうです。
しばらくして時計を見ると3~4時。
そろそろ帰ろうと思っていた時、急に霧が濃くなってきたそうです。
その霧は、前後左右何も見えない程に濃くなってきました。
私は船の機械に弱いので、よくは解らないのですが、
そんな霧でも計器や船の信号などがあるので、そう遠い場所でなけれは帰港するのにさほど差し支えはないそうです。
父は、「今日は濃霧注意報もなかったのに、帰る時間をあやまったかな?」程度にしか考えていなかったそうです。
そして帰ろうとしたとき、計器いっさいがイカれていたと。
父はあわててエンジンの様子を調べました。
エンジンだけが何故か生きていたそうです。
父は考えました。もう少し霧が晴れるのを待ってみるか。
694 :オキ :03/02/11 09:05
しかし、1時間たっても2時間たっても、霧が晴れる様子はありません。
救難信号を送るにも、計器いっさいがウンともスンともいわない。無線すら入らない。
父はここで腹を決めました。
無駄に動けば遭難する。
霧が晴れるのを待つ。
晴れた時にほかの船を探し近づく。
長丁場になるかもしれん。
油は無駄にできん。
そしてその日は、船上で夜を過ごしたそうです。
次の朝、目が覚めても、船は霧に包まれたままでした。
霧の間は魚を釣る事に専念したそうです。(もちろん、計器が復活するかときどき確かめますが、ダメです)
そして正午を過ぎた頃、かなり濃かった霧が少し薄れ、その先に一つの船影がみえたそうです。
とりあえず父は、エンジンを船が動ける状態にしたあと、一応大声で叫びましたが届くはずもなく、
もう少しその船影に近寄ろうとしました。
やや近づいた船影を見て、父はおや?とおもいました。
697 :オキ :03/02/11 09:32
船のカタチが普通でない事が、遠くからでも見てとれます。
父によるとその船は、『宝船』だったそうです。
少し霞む霧と霧の間にみえたものは、何やら前時代的な、昔話に出てくるような帆船で、形容するならば『宝船』だと。
その『宝船』は父が船の速度を上げても、一定の距離を保つようにつかず離れずで、はっきりとその姿を見ることは出来なかったそうです。
その状態で30分程度。
そして『宝船』は、再び濃くなった霧の中へと消えたそうです。
そして又次の日も、同じ様な時間にその船が現れ、それに付いていき、また霧が濃くなり・・・と。
父が釣れた魚をさばいて食べ、持ち込んだ水と酒を大切に飲み、そして昼頃現れる『宝船』に先導され・・・というのを一週間近く続けた、ある昼前頃でした。
いつものように霧が晴れていきました。
しかし、いつもと違ったのは、霧の間に見えたのが、陸の影だったことでした。
その後霧は嘘のように晴れ、目の前に懐かしい港が見えたそうです。と同時に、計器いっさいも復活。
父はエンジンを唸らせ、無事船着き場に帰ってくることができました。
699 :オキ :03/02/11 09:47
私は父の話を聞いた後、又オィオィ泣きました。
まだ小学生だったので、疑問や不思議は後回しに、
「お父ちゃんが帰ってこれてよかった!」と素直に思いました。
今思うとホントに怖いです。不思議です。
その『宝船』は何だったのでしょう。
その霧は何だったのでしょう。
(最初に父が語るように、父が出かけた日、帰って来た日に、そんな濃霧注意報はなかったし、近海には発生していなかったもよう)
父は、どこに行っていたのでしょう。
「お父さんには恵比寿さんがついちょる!」←弁天さんじゃないか、とつっこんだ。
と豪語して、それからも元気に海に出ている父を、私は尊敬しています。
ただ、それ以来父は、船に醤油をつむのを忘れません。
【海にまつわる系】海の底で仏さんを見つけた時、その仏さんが立って(いるように浮いて)いたら、気づかない振りをして放っておけ。 なぜなら、、、、
19 :本当にあった怖い名無し :2007/04/15(日) 03:19:36 ID:4fAns4i10
海の底で仏さんを見つけた時、その仏さんが立って(いるように浮いて)いたら、気づかない振りをして放っておけ。
なぜなら、立ってる仏さんは強い無念を残して死んだから、
同情して引き上げようとした人だろうと、構わず取り憑いてくるからだ。
この話はダイバーにとっては常識らしいっと、なぜか山に詳しい父が語ってくれました。
横になってるのは良いんだって。本当かな?
23 :本当にあった怖い名無し :2007/04/15(日) 21:14:22 ID:7aVyLZjw0
>>19
うろ覚えだが、似たような話で、
ダイビング中に、立ったように浮遊している水死体に追いかけられ、命からがら逃げ帰ったが、
地元の人に「一度死霊に見入られたら必ず命を取られるから、もうこの海には来るな」と言われて、
全く海に行かなくなったダイバーの話を聞いた事がある。
24 :本当にあった怖い名無し :2007/04/15(日) 21:21:19 ID:gIEELyvIO
>>23
俺もあるな。超怖だったかな。
で、「履き物を貸せ」と言われて、渡したら海に放り投げて、
「これで良い。あれがお前の代わりになってくれたから」てな話だったと思う。
ただのビーサンが、重いものみたいにどぶんと沈んだ…というくだりが怖かった。
25 :本当にあった怖い名無し :2007/04/15(日) 21:38:20 ID:M9RmlqtO0
>>23
俺もそれに似た話で、週刊プレイボーイだったかな、読んだ事ある。
水中スクーターで海中散歩をしていたら、海中の向こうに数人の人影らしきものが。
ちかづいて見ると、海の中を歩いている死体だった。
そしてその死体に気づかれ、追いかけられながらも命からがら逃げてきた。
ダイビングショップのマスターに話すと、
「残念だが、これから一生海には近づくな。引き込まれるぞ」
そして寺?に匿われて、お札を張りめくらした部屋で一晩過ごして、なんとか助かるって。話
【海にまつわる系】現在、航海中に船員がなくなった場合、伝染病等でない限り、食料用の冷凍庫で保存でしょうね
811 :796:2006/10/24(火) 17:26:07 ID:vWyJ5S20
>>806 私は下っ端の航海士だったので、船長ではありませんが…。
現在、航海中に船員がなくなった場合、伝染病等でない限り、食料用の冷凍庫で保存でしょうね。
船には船舶衛生管理士という資格を持った乗組員がいて、
こういった場合、横浜にある船員病院とFAXで連絡を取りながら、検死を行ったりするそうです。
ただ、冷凍庫に遺体を安置しておくと、
未明に朝食の準備をしたりする賄いが、怖くて近寄れなくなったりするそうです。
812 :796:2006/10/24(火) 17:27:10 ID:vWyJ5S20
811の続き
私が学生の時聞いた話ですが、
昔、学生を乗せた練習船の機関長が、日本から豪州へ向かう航海の途中、
夜間に急死してしまったことがありました。
日本と豪州を行き来する航路は、私も何度も通りましたが、あまり他船に会うことはありません。
ただ、その機関長が亡くなった時刻は、たまたま、日本の方向に向けて走る船とすれ違うところだったと。
その瞬間、その日本へ向けて走る船に向かって、練習船から人魂が飛んだそうです。
夜間航海中は、周囲の小さな漁船の明かりでも見逃すことの無いように、
操舵室内は真っ暗であり、船内からも明かりが漏れないようにしますので、
当時操舵室にいた乗組員や実習生が、みな人魂を目撃したとのことです。
「きっとあの機関長の魂は、日本に帰りたかったんだろう。めったに他船に会わない豪州航路で、たまたますれ違ったあの船に乗って、日本に帰ろうとしたんだ」
と、あとになって機関長が亡くなったと聞いた目撃者は、皆そう思ったそうです。
【海にまつわる系】辛いんだ……、いろんなことが、いまでも辛いんだよ……!!
433 社員旅行の怖い話1 ◆WatDT1.QjM sage New! 2006/11/14(火) 23:27:32 ID:MQDditEn0
これから書くお話は、伝聞です(事実として聞きましたが不明です)。
このお話をしてくれた方は、仮にG氏とします。
社員慰安旅行の最中、G氏のかつての友人T氏が語ってくれたという、生々しい体験です。
社員慰安旅行で某所に行ったG氏一行は、地酒を買い込み、夜を間って酒盛りをはじめました。
最初のうちは上司のグチや仲間のことなど、職場の話から。
だんだんと各々のシュミの話になり、その中のひとりが『おばけが怖い』と言い出しました。
それを機に、みないっせいに怪談話に向けて盛り上がりかけたんですが……、
『ばかやろう!怪談なんかやめろ!』
突然T氏が憤慨して立ち上がり、自分の部屋にさっさと行ってしまいました。
G氏は慌てて後を追い、フォローしました。
『ごめん、おまえ、そんなに怖い話が苦手だったっけ……。』
『……。』
T氏はしばらく落ち着かないようにそわそわした後、意を決したように自分のカバンの奥底から小さな黒っぽい巾着を取り出し、みんなが集まっているG氏の部屋に小走りで戻っていきました。
T氏は巾着から木の箱を取り出し、それをみんなの前において、語りだしました。
『誰にも言わないでくれ……おまえらにだけ、話す。』
(続く)
434 社員旅行の怖い話2 ◆WatDT1.QjM sage New! 2006/11/14(火) 23:28:10 ID:MQDditEn0
みな、とりあえず頷き、T氏の話を聞き始めました……。
毎年夏になると、T氏はなじみの民宿に宿を取り、家族で海水浴に行きました。
数年前の、その夏もそうでした。
ダイビングでもなく、海釣りでもなく、ただ泳ぐのが好きだったT氏は、ときどきブイの外の沖まで泳いだり、流れの速い場所にいったりしていました。
そこでたまたま潮の荒い場所に入り込んでしまい、波に飲まれてしまいました。
一瞬にして海中に引き込まれ、上下の感覚を失ってしまったのです。
(まずい、溺れるっ!)
そう思ったのもつかの間、もがく体になにかが絡み付いてきました。
海草です。巻きつかれたら体の自由を失ってしまうかもしれません。
一層の危険を感じたT氏は激しくもがきましたが、海草は千切れもせず、外れもせず、T氏の体になおも絡みついてきます。
時間とともに体全体を絡めとられるように自由を奪われ、肉に食い込むように締め付けが強くなりました。
(このままだと死んでしまう!!)
(続く)
435 社員旅行の怖い話3 ◆WatDT1.QjM sage New! 2006/11/14(火) 23:28:50 ID:MQDditEn0
死を覚悟した瞬間、足がなにか硬いものに当たりました。
流木か? いや、岩だ!!
T氏は、その小さい岩を、思い切り蹴りました。何度も何度も蹴りました。
水面に見える光が少しずつ近づくような気がしました。
ブチブチという衝撃が体に伝わり、体の自由が徐々に回復してきます。
T氏は、残り少ない力を振り絞り、懸命にその岩を蹴り続けました。
そして……ようやく水面に生還しました。
精も根も尽き果てたT氏を海から救い上げたのは、T氏の弟さんでした。
『あのときは、夢中だったんだ……!』
T氏を浜まで連れてきた弟さんは、T氏の全身を改めて見て、背筋が凍りました。
海草だと思っていたのは、長い長い髪の毛でした。
大量の長い髪の毛が、T氏を絡め取るように纏わり付いていたのです。
T氏の家族は、そのまま海を後にしました。
その数日後、顛末の一部を聞いていた例のなじみの民宿から、弟さんに連絡がありました。
地元新聞の記事によると、T氏が溺れた現場の近くで、女性の水死体が上がったと。
そして、そのご遺体には、髪の毛がまったくなかったと。
まるで、頭からすべての頭髪を乱暴にむしり取られたかのように……。
(続く)
436 社員旅行の怖い話4(完結) ◆WatDT1.QjM sage New! 2006/11/14(火) 23:29:35 ID:MQDditEn0
『あのとき俺が蹴ったのは、本当に【岩】だったのか……!』
T氏は、いつのまにか泣いていたそうです。
『あのときの感触は、いまでも残ってる。忘れられないんだ。』
『流木のように足に当たったのは、腕かもしれない。』
『俺が蹴り続けたのは、頭かもしれない。』
『俺は、道連れにされそうになったのかもしれない……』
『だけど、俺が彼女の最期の希望だったのかもしれない!!』
T氏は、泣きながら木の箱をあけました。
そこには、……きれいに束ねられた髪の毛が入っていました。
『辛いんだ……、いろんなことが、いまでも辛いんだよ……!!』
T氏は、箱を抱えて号泣してしまいました。
誰も声をかけられなかったそうです……。
それからまもなく、G氏は子会社出向となり、T氏とは疎遠になったそうです。
しかし、あのときのT氏と、束ねられた髪は、忘れられないそうです。
(終了)
【海にまつわる系】うちの船長は信心深く引き上げた後、お神酒、お塩、どこかの神社の湧き水などを用いて 船、水没者を清めます
969 :水没者回収業 :03/03/16 13:37
はじめてドザエモンを見た時の話を
夏になると漁港の堤防から、ザブーンと飛び込むのが実に楽しかった。
最初は怖いものの(2mh程度)慣れればへっちゃら、怖くておどおどしていると
同じ遊びをしていた工房DQNから放り出されることもあった。
ここらへんは潟なので透明度はあまり無く、海の色で深さを診ることが出来ない
堤防の土台が見えていなければ着地することはない・・というのが漁師の子らの定説ですた。
お盆前のこと、都会から帰省した連中か見慣れない連中が、俺らの定位置で飛び込んでいやがる。
ちょっと不愉快に思いながらちょっと離れた場所で遊び始めました。しかし都会の奴の
飛び込みっぷりはスマートでしばし見惚れておりましたら、華麗に飛び込んだ野師が一向に
上がってこない?これは一大事、大騒ぎになりました。何人か飛び込んで潜ったりしていますが手探り。
俺は飛び込んだ位置をみていたので飛び込んだのです。皆が海底の潟をかき回したおかげで
視界はほとんど無く手探り。手を動かしながら探っていましたが手掛かりなし、
浮上しようと上体を起こした時足に何か触れました。息が持たなくなったので一回浮上し、
ここになんかある!と言って再度潜りました。
潟に手が届くまで潜ってからまた手探り・・で何かを掴みました、人肌のような?引き寄ってみると
人そのもの、びっくりして息を吐いてしまい溺れて、ミイラ取りがミイラになるところでした。
見た感じは、皮膚は白く見え髪の毛はフワッとしたようで、体勢はえび反った感じです。
掴んだのは肩、表情は見たのかもしれませんが記憶に無いです。
結局レスキューと消防団が来て引き上げましたが、即に死亡。
両太腿まで潟に抜かって(刺さって)いました。俺ら田舎者とちがって飛び込み方に
原因があったのだろうということに。抵抗がない分そのまま着底した・・潟にはまった経験のある人なら理解できるとおもいまつ。多分彼も相当慌てたとおもいます、勢いよく抜かったんだろうからなぁ
因果なもんで、いまはドザエモン様を回収する機会が多いところで働いていまつ。現実の話でスマヌ
973 :水没者回収業 :03/03/16 14:17
海流に乗って来た水没者
ほかの水没者の話も書いてみます、職場がばれるとイヤなので大まかに書きますが
プレジャーボートからの情報で、人のようなものが流れている。"ようなもの"だから死んだウミガメとか
そういうのも結構ありまして、それに近海ではこれといって事故も発生していませんでした。
現場海域へ到着後、通報のあった時間と潮流/風を考えて双眼鏡などで検索します。
通報から3時間後に水没者を発見しました、遠目にはウミガメの死骸にみえましたが寄ってみると
確かに人らしき形をしています、お腹が今にも張り裂けんばかりの状況です。魚に突っつかれた痕も
あったり欠損している部位もあってかなりグロテスクですが、引き上げなくてはいけません。
鉤のついた棒では無理なので、船員お手製の網で引き上げ甲板に降ろします。
うちの船長は信心深く引き上げた後、お神酒、お塩、どこかの神社の湧き水などを用いて
船、水没者を清めます。これは事務的な話になってしまいましたスマヌ よってsage
【海にまつわる系】女房の祖父が昔、貨物船の船乗りで、おもしろい話をいくつか聞いています。 そのひとつ、『肉』というやつを‥‥
121 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/06 16:04
女房の祖父が昔、貨物船の船乗りで、おもしろい話をいくつか聞いています。
そのひとつ、『肉』というやつを‥‥
その名の通り、肉の塊らしいんですけれども、直径3~5メートルぐらいで、
表面に毛がびっしりと生えていることもあれば、象かカバのような皮膚のようなこともある。
顔も何も無く、ただの円形の肉布団のようなこともあれば、
顔のようなものがついていて、1メートル近い長い鼻がついていることもある。
ただ波間に漂っていることもあれば、明らかに意思を持って泳いでいたりする。
祖父はパナマやキューバの方で、10回ぐらい見たことがあるそうです。
121 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/12/06 16:04
もうひとつ、『ブヨブヨ』というのも聞きました。
これは半透明のブヨブヨした感じの物体で、空に浮かんでいるそうです。
大きさはコンビニ袋ぐらいのものから、直径2メートルぐらいまで色々。
夜だと、ほんのりと光っていることもあるそうで。
これまた、何をするわけでもないんだそうですが、
祖父は一度つかまえようとして触れてみましたが、
プヨプヨとした触感だけで、ツルンと逃げられてしまったそうです。
【海にまつわる系】おまえはなんと憎いことよ。我々の申し出を断るとは。それほどなら返してやる。しかし、今後お前が幸福を感じたら、お前の幸福の源(家族でしょうね)を断つぞ
623 :本当にあった怖い名無し:2013/11/16(土) 13:17:16.17 ID:YZSjF0lb0
海の話です。
浦島太郎は有名な竜宮伝説の一つですが、似たような話があります。
漁村の若者、茂吉さんは、とても快活な好青年でした。
結婚して娘が一人いて、夫婦仲もよく、若いながら村でも信望を集めていて、いろいろと世話役としても信頼されていました。
ある日、茂吉さんが漁にでたまま帰らないことがありました。夜になっても帰らない。
村人が船を出したり、海岸を歩いてさがしたところ、彼の漁船(小さな船)が無人で漂っていたのが発見されました。
茂吉さんは見つからない。
二日後の朝、茂吉さんは海岸で座りこんでいるのを発見されました。
健康に問題はありませんでしたが、彼は人が変わったように無口で陰気な感じになっていました。
家族に対しても愛想が悪く、人とほとんど口を聞きません。「ああ、うぅ、」というばかりでした。
記憶喪失か?というとそうでもなく、自分の家のこと、村のこと、仕事のことなどは覚えていて、問題なくこなします。
ただ、無口でよそよそしい。
遭難して少し頭がおかしくなったのか?とも村人たちは思いましたが、字も書けるし計算もできる。
茂吉さんの両親や妻は、彼の変貌ぶりに当惑し悲しみましたが、本人は気にしていない様子。
624 :本当にあった怖い名無し:2013/11/16(土) 13:22:15.78 ID:YZSjF0lb0
それで何年かたった時、茂吉さんは徴兵されて支那へ。
彼の戦死通達が届きましたが、それと同じくらいの時に、茂吉さんから家族に向けての手紙も届きました。
手紙には、時候の挨拶と現地(支那)が自分の漁村とどんなに違うか、
ということの他に、次のようなことが書かれていました。
自分が漁で遭難して帰ってから無口になり、あまり家族と良く接しなかったのはわけがある。
茂吉さんは、突風によって回転した帆にあたって海に落ちました。
それくらいは何のことはありません。
すぐに船に上がろうとしましたが、後ろから何者かによって海に引きずり込まれたそうです。
手足や肩を掴んでくる者を水中で蹴って振り払おうとしましたができず、気を失いました。
気がついた時には、大きな屋敷の広い座敷に寝ていたそうです。
助かったと思っていると、数名の男が一人の少女をつれてふすまを開けてやってきました。
そのなかの一人が言うには、
「おまえは、この少女と夫婦になって、ここで暮らせと」
それだけを言うと男たちは退室し、10歳ほどの少女だけが残されました。
625 :本当にあった怖い名無し:2013/11/16(土) 13:23:58.71 ID:YZSjF0lb0
茂吉さんは当惑しましたが、気丈さを取り戻し、
少女にここはどこだ?彼らは何者だ?と尋ねましたが、少女は何も言いません。
どのくらい時間がたったのかわかりませんが、再び一人の男が食事をもってきました。
その時、茂吉さんはその男に、
早く自分の家に返してくれ、ここで住むつもりもない、この少女と夫婦となる気もない、と強く言いました。
男は無関心に退室しましたが、今度はその少女が口を開きました。
「おまえはなんと憎いことよ。我々の申し出を断るとは。
それほどなら返してやる。しかし、今後お前が幸福を感じたら、お前の幸福の源(家族でしょうね)を断つぞ」
と大人びた口調で言ったそうです。
その後の記憶は茂吉さんにはなく、気がつくと海岸で村人に保護されていたと。
その後、少女の話が気になって、家族のもとに帰っても無愛想で無関心な態度を貫いたのだとのことでした。
家族に対して、そのような態度をとって悲しませたことを申し訳ない、と述べてあったそうです。
普通は、あまり細かいことを書いた手紙は軍の検閲に引っかかってしまうのですが、
この手紙はそのまま届いた(と思われる)そうです。
戦争が終わって、茂吉さんと同じ隊にいた兵士が訪ねてきたそうですが、
彼によると、軍隊での茂吉さんはとても快活で他人にも親切で、勇敢に戦って戦死したとのこと。
その姿は遭難する前の茂吉さんであったと、家族には感じられたそうです。