【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

当サイト「怪談の森」は古今東西の洒落にならない怖い話~ほっこりする神様系の話まで集めています。 随時更新中!!

カテゴリ: 後味が悪い




769 :本当にあった怖い名無し:2013/09/13(金) 00:59:57.42 ID:dtK4G+qz0

私の読んでいる専門雑誌に載っていた話です。
専門用語が多かったのでなるべく簡単に書きます。

ある小児科(そこの医者をBとする)に、ある親子(親をA、子をA子とする)が診察に訪れた。
A子は生後数か月なのに、生後2ヶ月の体重よりも軽く体もアトピーだらけ。
また、検査の結果、栄養状態がかなり悪くなっていたため即入院となった。
入院中BはA子のレントゲン検査を何度もAに勧めたが、Aが拒否したためできなかった。
MRIについても、
「電磁波を当てるなんて、将来の副作用を考えると出来ない」
「検査で発達の遅れが分かっても、治療法があるわけじゃないので無意味」
と拒否。
また、ぬり薬やアレルギー用の人工乳が必要なのに拒み、離乳食を食べさせるよう強く要求した。

 

 

770 :本当にあった怖い名無し:2013/09/13(金) 01:01:30.86 ID:dtK4G+qz0

最終的になんとか治療に同意し、2ヶ月後にA子は退院。
しかし、その後もA子の発育は悪く、
BがAに食事内容について質問したところAが怒り出したため、結局詳細を聞くことが出来なかった。

そしてA子2歳の時、骨が変形し始めた。
Bは栄養不足からかかる骨の病気『くる病』を疑い、全身のレントゲン検査を勧めたがAが拒否。
足だけどうにか検査し『くる病』と分かった。
通院期間中、Aは何度もA子の診察予約をキャンセルし、Bが入院の必要性を話してもなかなか耳を傾けなかった。

半年後、ようやくA子入院。
入院後A子が何度も嘔吐し、
その原因がおそらくAが持ち込んだ離乳食と考えられたため、Bはアレルギー用の牛乳を勧めたがAがやはり拒否。
また、Bが入院中にいくつかの検査を受けるよう説得したにも関わらずAが拒否したため、
A子は必要な時期に検査が受けられなかった。

 



 

771 :本当にあった怖い名無し:2013/09/13(金) 01:03:37.81 ID:dtK4G+qz0

「入院の意味が全く理解できない」
「食事療法なら家で出来るし、家の方がたくさん食べさせられるから明日退院させて」
とAは退院の旨を申し出たが、同時にA子の治療薬について別のものと混同している発言をしていた。
また、A子の病状から薬の増量が必要だったがなかなか同意せず、Bの長時間の説得によりやっと同意した。

これまでの経過からBは、
Aが適切な栄養を与えなかったためA子が病気にかかった可能性が高く、ネグレクトの可能性が高いと児相に通告。
1ヶ月後、A子の一時保護が決定しA子は施設で保護された。
しかし、その後A子は施設で誤って出されたアレルギー源を食べ、アナフィラキシーで死亡した。

記事の主題は医療訴訟で、
その後AがBが虚偽の事実で児相に通告したと損害賠償を起こしたが棄却されたと続くのだが、
ネグレクトの親からやっと保護され一安心と思ったら、
次の行で『A子アナフィラキシーで死亡』と後味の悪い結果ですごくショックだった。

 

 

773 :本当にあった怖い名無し:2013/09/13(金) 01:09:01.23 ID:dtK4G+qz0

ちなみに完全に余談ですが、必要な医療を子供に受けさせないのも医療ネグレクトという虐待です。
子供を守るべき親が子供の健康を損なってまで一体何がしたかったのか、本当に理解に苦しみます。








127 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/25 13:31
高校生の男の子なんだが、ある時突然、視界を妙なものが横切るのを見た。
それ以来、時折、黒い影や光のようなものを見ることが多くなった。
家族に訴えたが、だれも相手にしてくれない。
それどころか、母親などは叱りつけたらしい。
というのも、この男の子は日頃からオカルトっぽいものが大好きで、心霊番組なんかもマメにチェックしていたらしい。
だから母親は、
「あんな下らないものばっか見てるから、変なこと考えるようになるのよ!」って怒ったわけだ。

そのうち彼は、変な頭痛や体のだるさを感じるようになった。
母親はますます怒った。
「馬鹿なことばっか言って、グズグズ怠けようとして。もっとちゃんとしなさい!」
そんで、彼のコレクションをムリヤリ棄てて、毎日たたき出すようにして学校に送りだした。

ところが、その後しばらくして、男の子は学校で倒れて病院に運ばれた。
診察の結果、脳腫瘍が発見されたそうだ。
医者に、
「息子さんは、変調を訴えてはいなかったのですか?なぜもっと早く、病院に連れてこなかったのですか?」
と言われた母親は、号泣していたそうだが。

日頃からオカルトな言動をしていた息子が悪いのか。
子供の話をちゃんと聞かなかった母親が悪いのか・・・








※過激な描写があります。自己責任にてお読みください

1 : 或る阿呆 :03/08/14(木) 07:20
私は現在26歳の大学院生、男です。
私は少年院に通っていました。

2 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:21
スレタイは通ってましたの方が良かったかもしれませんね。
今でも昨日の事のように思い出されます。

3 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:24
中学一年の頃、私は虐めにあいました。
初めて受けた屈辱に自分の弱さが大嫌いになりました。

小学生の頃、私は勉強も出来るほうでスポーツもかなり得意でした。
そのためか割りと友達も多く順風満帆といった感じの生活を送っていました。

4 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:29
その頃から理論物理に非常に関心を持っていたため将来は大学教授になるのが夢でした。
親にもよく話をしていました。すると親は、
「そんな勉強したいなら中学も受験したら?」
と言いました。私はあんまり考えもせず「受験」という言葉に惹かれて私立の受験を決意
してしまったのです。
小学6年の7月のことでした。

5 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:36
小学生最後の夏休み私は大手の進学塾に通いよく勉強しました。
そこの塾は皆優秀で同じ私立中学を目指す友達も多くいました。
7月から入塾したためなかなか話し相手が見つからず、休み時間は静かなものでした。
周りの話し声を遠くに聞きながら机の上でよく社会の年表をみて過ごしたものです。

学校の知り合いは一人もいません。
夏休みの或る日全国模擬テストが開催されました。

9 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:15
「努力の甲斐あってか塾内では3位という好成績をとることが出来ました。
塾では一気に有名になり、これを機に多くの友達も増えました。

母親はどちらかと言うと甘い人で昔から若干親馬鹿といった感じでしょうか、この時も
異様なまで私を褒めちぎるのです。私もとても嬉しく次も頑張ろうと思いました。
一方父親は寡黙な人で褒めることなんてありません。

10 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:31
翌日から塾では休み時間に友達と弁当を食べたり話したり出来るようになり塾でも学校でも
本当に楽しい日が続きました。

そして中学受験。倍率は7.8倍とかなり高かったのですが何とか合格出来たのです。
家ではお祝いもし、私はこれから始まる中学生活は希望で満ち溢れていました。

中学ではやはり塾と同じように知り合いは見当たりません。
小学校からエスカレーターであがってきた生徒が多く校区出身の生徒はあまりいません。
私のような校区出身者は静かに席に座っている人が多かったです。

11 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:44
でも私は皆とお喋りをしたりするのが大好きなので何回も自分から友達を作ろうと話しかけたりも
しました。でもそう上手くはいかず、約1ヶ月半そのような状態が続きました。
そして最初の中間テスト。
各教科の担当の先生は成績優秀者を上から数名挙げる人が多く私は理科と数学で名を挙げられ
ました。顔には出せませんが心の中では本当に万歳でした。
塾の時と同じようにこれでまた友達が出来るのではないか」
とも思いました。
その翌日からです。すべてが狂い始めたのは。



22 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:32
私はいつものように席に座ります。しかしいつもと何か違う。
机の中の教科書が一冊もありません。
そればかりかロッカーの中の体操服も。
それからというものやたら物が無くなっていきました。
小学時代は全てが上手くいき何も問題なく過ごしてきたのでまさか虐めなどとは思いもしませんでした。
しかしそんな私でも実際に暴力を受ければ気付きます。
最初のうちは頭をうしろからしばかれる程度でした。
段々度が増してきて背後から膝で背中を蹴られたりし呼吸が出来なくなる事もありました。
私は学校が嫌いになりました。

23 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:50
でも親はいつものように親馬鹿ぶりを見せるのでまさか虐めなんて事は言えません。
なるべく家では明るく振り舞うように努力しました。
一学期が終わりになる頃、私はとうとう虐められているグループ(10人ほど)に呼び出されました。
こうして対面して何かを話すのは初めてです。今度は何をされるのかと怖さ故に足がガクガクしました。

24 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:20
虐めグループ「これからお前はクラスで一番下の位になれ。」

私はそれを聞いた時、正直ホッとしました。これで済むのなら何てこと無いなと思ったからです。

私「うん、わかった。」
虐めグループ「あとこれを読め」

そう言って一枚の紙を手渡し去っていきました。
私は脱力感に見舞われその場に座ってしまい、手渡された紙に目を通しました。
私は目を疑いました。紙には次のような事が書かれてありました。

25 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:46
1・毎日必ず上納金を渡す。
2・サンドバックは抵抗してはならない。
3・誰の言うことにも「はい。」と返事をしろ。
4・タメ口を使うな。
5・弁当を食べてはいけない。
6・自分から話しかけてはいけない。
7・召使として精一杯努力しろ。
8・口外するな。
9・前を通るときは失礼しますと言え。
10・以上の事を守れなければ即処刑。

最後の「処刑」という言葉に私は恐怖を感じた

29 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:23
次の日から受ける虐めは強くなりました。
今まではどちらかと言うと無視や物を盗られるのが多かったんですがそれからは、
あからさまに殴られるようになりました。
朝教室に入ると髪を掴まれトイレで袋にされたり水をかけられたり鼻や口からよく
血を出したものです。顔は目立つからと言ってわき腹を殴られることが多く、何度も
地面に倒れ呼吸困難になりながら上から蹴りをくらいました。

夏休みに入り勉強合宿というのが始まりました。
そこは学校とは違い皆開放された感じで虐めも酷くなりました。

30 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:25
食堂のような所でも虐めを受けました。私のご飯は茶碗に半分の白飯だけです。
二日間で食べたご飯は約茶碗3杯程度。流石に空腹に耐え切れず食堂の係員さん
に頼んで残り物のご飯を頂きました。
当然合宿先で風呂に入れてくれません。私は雑用係を任され片付けや掃除をよくしました。
寝る時も床です。しかし硬い床でもゆっくり休めるので本当に落ち着ける貴重な時間でした。

二学期が始まってもいっこう酷くなりました。

32 : 190 :03/08/14(木) 19:55
>>30 そこまでいったら・・・私があなたなら親に言います(なんと言われようが貴方には非はないので)

33 : 練無 ◆W0NERINAjk :03/08/14(木) 20:04
親に心配させたくないから、言わないって気持ちも解る。
男って、そういう妙なプライドみたいなのあるから。
辛い時には、そういうのは放り出して良いんだけどね、本当は。

34 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:19
或る日の弁当の時間のこと。
母親は毎日きちんと弁当を作ってくれているのですがいつものように食べさせてはくれません。
しかしその日はいつも以上でした。
弁当を机の上にひっくり返されその上に牛乳を撒かれ髪を掴まれ顔をその上に叩きつけられました。
しかし驚いたのはその後の事です。
一部始終見ていた担任が発した言葉です。

「おいOO(私の苗字)。ちゃんと雑巾で拭いとけよ。」

37 : 190 :03/08/14(木) 20:30
>>34 います。います。います。います。特にそういった進学校には。
偏差値良ければ後はどうでもいい教師が。
その環境におかれて、未発達な子供が人間的におかしい奴になるんだよ

38 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:33
私は全てから見放されホントに絶望を感じました。
そしてこの頃からでしょうか、私の心の中に憎しみがこみ上げてきたのは。

教師とは全く何の力にはなってくれませんね。
別に助けを借りようなんて思いませんがこの人格を問いたくなります。
今までは虐めグループに対し恐怖の念しかありませんでしたが、段々仕返しという気持ちに変わって
いくのです。

43 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 21:55
二学期も終わりを迎え大分、虐めにも慣れてきました。
が私の怒りは決して風化することはありません。

そんな鬱憤たまったある日、いつものように私は痣が残るまで輪にされ暴行を受けていました。
そして虐めグループの副リーダーがある事を口走ったのです。

「こいつの弟もボコボコにしちゃおうか?えっ?」

私はこの一言で「こいつを殺らなければ弟がやられる。」と思いました。

44 : ななし :03/08/14(木) 22:05
>>43
それで?
副リーダーをやったの?

46 :   :03/08/14(木) 22:11
もしそうなら殺された方は自業自得。

50 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:29
しかし身体の大きい人ばかりのグループだったのでまさか正々堂々戦えるわけがありません。
その週の土曜、私は少し離れた街へでかけバタフライナイフとスタンガンを購入しました。
後から、何故思いとどまることが出来なかったか何度も自問しましたが、このときは弟を巻き添えにしようとした、あいつが憎くて仕方なく無我夢中でした。

二日後の月曜、朝っぱらから私はリンチに遭いました。(体育館の倉庫の中です)
約5~6分でしょうか、暴行され続け、私は今しかないと思いました。

55 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:46
ポケットに入れていたスタンガンで輪を作っている4人全員に反撃しました。
物凄い音とその場に倒れる虐めグループに戸惑いはしましたが中途半端にすると後が怖いので思うがままにしました。
3人は痙攣し、指や足先がピクピクしていたのを覚えています。しかしあと一人は上手く当たりませんでした。私は義務感とも言うべきか逃げ腰のその一人の首を目掛けて失神するまでスタンガンを当て続けました。
しかし本当の戦いはここからです。私は覚悟を決め体育館入り口にいるリーダーと副リーダーに制裁を加えようと思い、倉庫を出ました。しかし倉庫内の音は外にはなかなか漏れないようでターゲットの二人は、気づいていないようでした。

57 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:56
私はズボンのポケットに入れていたバタフライナイフを出し、まずリーダーに襲い掛かりました。
逃げられたらいけないと思い、太ももを切りつけました。
リーダーの叫び声が響き渡ります。と同時に登校してきた女子生徒の悲鳴も聞こえたような気がします。
人が集まる前にやらなければと(冷静でした)思い足を切りつけた後、胸板から腰にかけてナイフで
約50cmほどシャットやりました。血が滲み出てきてリーダーは喘いでいました。
とそのとき形相を変えた副リーダーが背後から肘鉄で背骨を攻撃してきたのです。
私は激しい痛みと意識が飛びそうになるのを耐えてカウンター気味に両手でしっかり持ったナイフで腹部を
思いっきり刺しました。ナイフが刺さったままそいつの口から血が出てきてその場に倒れました。
思っていたよりナイフは簡単に刺さりました。副リーダーは運良く冬服を着ていなかったからでしょう。
そのあともがく副リーダーの意識を飛ばすために1秒ほどスタンガンをあて私は倉庫へ逃げました。

58 : age男 :03/08/14(木) 23:00
>>57
すげぇなオイ

60 :   :03/08/14(木) 23:01
マヂカヨ・・・・

65 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:26
3分ほどの出来事でした。倉庫へ戻った私は今までされた事と、弟を狙おうとした憎しみを倉庫に居る
虐めグループにぶつけ何度も何度も泣きながらのしかかって殴りつけました。

そして少しして私は誰かから口頭部を殴られました。体育教師でした。

その後はもうほとんど記憶はありません。
何日も何日も調書作成のためにしつこく質問されて私はもうその学校の生徒ではなくなり、鑑別所に入れられ幾多と精神分析をされ少年院に入れられました。

66 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:28
母親は倒れ精神科へ通院が必要となり半年起きに面会に来る父親はもうほとんど口を聞いてはくれません。

リーダーは全治1.5ヶ月で副リーダーは内臓からによる出血多量で意識不明の重体で一週間後に亡くなったそうです。

私は13歳にして人殺しになりました。

少年院の中で私は静かに暮らしていました。
プールの授業などは本当に楽しかったです。学校では顔を水の中に押し付けられ多くの水を飲まされ吐くこともありました。ここではそんな事はありません。



72 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:50
何人か友達も出来ました。しかし皆、決して自分の過去について話すことはありませんでした。
でもその友達は喧嘩をして何度も反省室に入れさせられていました。

(反省室とはほとんど光が入らず寝るスペースしかなく猫が出入りするような小さな小窓から時間が来れば
飯が出てくるだけ、というまさに静寂と孤独の空間でした。一週間居れさせられます。)

一年半が経ち私は外の世界に出ることが出来ました。
私は人殺しという荷を背負ってこれ以上親族に迷惑をかけないよう独りで上京し遅れながら高校へ進学しました。

75 : 190 :03/08/15(金) 00:13
進学したんですね 高校行くの恐かったでしょうね・・・・・・

77 : マジレス :03/08/15(金) 00:14
結果はどうであれ、その行動力に感動!

78 : もんち :03/08/15(金) 00:15
そうだな・・・まじで。

80 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 00:20
父に学費を払っていただいたがやはり生活できないため朝昼は仕事、夜は学校という生活を続けました。

しかし、定時制の授業だけあってなかなか大学に合格できるだけの授業はしてくれません。
私は独学ながら頑張って勉強しました。

高校3年になろうかと言う頃、夜学校から帰りポストを覗くと珍しく手紙が一通入っていました。
父親からの手紙でした。

94 : _ :03/08/15(金) 01:08
そうだいな釣りだな

96 : _ :03/08/15(金) 01:34
>>94
イジメを受けた者にしかこのような出来事は信じられないもんなんだよ。

102 : ◆Cq/wVCujDM :03/08/15(金) 02:35
もし人生に勝ち負けがあるなら
>>1は勝利者だな

弟は守れたわけだし
自分も少年法適用の年代にケジメつけて
実力で進学までしたってことなんだし

世の中のイジメ被害者にも
犯罪はすすめられないが
勇気をもってほしいと思うぞ

103 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 07:14
「いきなりですまない。
嫌がらずに最後まで読んでくれ。

昔から勉強もよく出来て何も習わさずにいたがスポーツも優秀でそんな息子を俺は何よりも誇りにしていた。俺はお前を叱った記憶はほとんどいない。それも信用をしていたためだ。
言わずもがな。お前は物分りが良かったから敢えて俺は何も言う必要はなかった。
母さんはあの日勉強を頑張るお前のためにと年末旅行を計画していた。
しかし連行されたお前の話を聞いた母さんは倒れ入院した。
もう何日も寝込んでやっとまともに話が出来るようになったのだが精神がいかれてしまい今度は精神病院へ行った。
この時、俺は正直お前が憎かった。我が子ながら俺の愛する母さんにこんな目を遭わせたお前が憎かった。

104 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:01
しかし警察の調査によって段々俺にも報告が来るようになった。
俺はそれを聞いたとき涙が止まらなかった。
もし俺がお前だとしても、やはり家族にそんなかっこ悪いとこ見せられないだろうからいえなかったと思う。
そんなお前に気づいてやれない俺には父親の資格はない。そんな事は今更という感じだが、何度も何度も面会のときに謝ろうとしたんだが、情けない俺は何も言えずにただただお前の話を聴くだけしかできなかった。面会が終わり部屋を出ると俺は崩れ落ち餓鬼のように泣いた。
地面に拳をぶつけ悔しさと辛さで居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
自分の息子をこんな形でしか気持ちを伝えられない俺は本当に駄目な親だと思っている。
しかし、俺は今お前に会う勇気はない。俺は、かいまお前を憎みさえした。
見す見す息子が暴行受けているのを見逃す親だ。お前も会いたくはなかろう。

109 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:45
すまなかった。
金銭面だけしか援助してやれないが俺を許してくれ。
お前ときちんと会話したのはもう4年以上も前だ。
これだけ愛する我が子なのに会うことが出来ないのは本当につらい。
ひょっとしたらもう一生話すことが出来ないかもしれない。
しかし俺はお前を世界で一番の自慢の息子だと誇りを持って言える。
どんな事があっても自慢の息子だ。

雑筆で長くなってすまんかった。じゃぁ健康に気をつけて頑張ってくれな。」

父親の手紙は涙で所々ボールペンの字で滲んでいました。
私もその手紙を読みながら夜通し泣き続けました。
今までで一番父親を側に感じることが出来た瞬間かもしれません。
何度も何度も私はこんな息子を愛してくれている父親にお礼を言いました。



110 : ||||| :03/08/15(金) 09:07
読んでいる方も泣けてきちゃったよ。

111 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:17
それから二年が経ち一浪し旧帝国大学に何とか合格することが出来ました。

大学では割りと自由に行動でき、充実していました。
家庭教師をしながらボロアパートで友達と同居していました。
そんなある日、私はポロッと前科があることを友達に口外しました。
あまり隠しておきたくはなかったんですが無意識の内に喋ってしまい私も同居している友人も一瞬、戸惑いはしましたが、そのまま会話は続き内心ホッとしていました。

翌日は日曜で特に用事も無く私はここぞとばかりに昼近くまで眠っていました。
少し寝すぎたと思いながらふと目をサマストいつもは狭いと感じていたアパートの一室が妙に広いのです。

112 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:18
辺りを見回すと一枚の紙切れと一か月分の家賃が置かれてありました。同居している友人からでした。

私の前科のことは触れていませんでしたが、明らかにそのことで出て行ったのでしょう。
一人の大切な友人を失いはしたのですが私はそれでいいと思います。
このように自分に対してしっかり気持ちを伝えてくれる友達が居たことは嬉しかったです。

それから半年が経った冬の日、故郷の病院から電話がありました。
私は新幹線に乗って雪の降る中急いで帰省しました。

もう病院へ着いたときは集中治療室で面会謝絶でした。脳・心臓疾患だそうです。

113 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
数日後、父は過労死で他界しました。結局手紙の通り父との会話は小学6年生の時が最後でした。

通夜、葬儀は速やかに行われました。
葬儀が終わりようやく一段落し、弟とゆっくり話す機会が出来たのです。
本当に久しぶりで色々謝らなければならない事もありこれからの事も話し合おうと思い声をかけようとした時、弟から、

「もう縁を切ってくれ。あと3ヵ月後結婚をするんだが呼ぶつもりはない。」

と言われました。私はこの一言でこの世の唯一の家族を失ったのでした。

114 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
仕方ないことかもしれません。犯罪者が同じ家族に居ればどれだけの迷惑がかかるかしれません。
弟のためとはいえ人を殺した事実は変わらないので私は素直に弟に従いました。
「迷惑をかけて申し訳なかった」
と言い、私はその場を去りました。
もう親戚も私に関わることありませんでした。

しばらく父の遺産と家庭教師のアルバイトと夜中の土方仕事で学費を払っていたのですが、流石に将来の不安もあり故郷の実家にかかる固定資産税も馬鹿にならないので親不孝と思いつつ取り壊すことに決めました。

115 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:32
久しぶりに実家に戻るとポストの中には「死ね」「犯罪者」「魔物一族」などの書かれた紙で溢れていました。
私にはいつ何処でも犯罪者というものを回帰させてくれるものがあります。

部屋に入るとひんやりした空気が私の肌を刺激しました。
昔、私が生活していた空間を目の当たりにしながら家族の笑い声が耳の中でこだまします。
昭和の頃から使われていた円い円卓は変わらず堂々と居間に座っています。

全て私が家族と過ごした最後の日と変わっていませんでした。

116 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:35
私は思わず泣き崩れました。
あの幸せな日々は一体何処へ行ってしまったのだろうか。
もう一度だけこの円卓で家族と夕飯を囲みたい。
幸せだった小学生の頃・・・。
後悔の念が込み上げてきてやっと離れていった家族を実感してきました。
独りだけどやっていけるなんて強がっているふりをしていましたが、私は今でも家族が好きだ。

私のせいで母は精神が滅入ってしまい衰弱死。
私のせいで父に心配をかけ無理をして過労死。
そして犯罪者の弟とレッテル張られ楽しい生活を失った弟。

みんな私の責任です。私は自分の大切な物を自分の手によって失ったのです。

117 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:48
私は決して戻らない家族と離れることが嫌で仕方ありませんでした。
その家族と語りつくせないほどの多くの思い出が詰まるこの家が恋しくて2、3日此処で生活していました。

しかし自業自得。私は家族と気持ちの上でも別れる決意をしました。
もうお別れです。生前全くお礼を言うことが出来なかった父に深くお礼を言い、私の事を本当に大事にしてくれて可愛がってくれた母に感謝の気持ちをこめたお礼をし、何も兄らしい事をしてやれず更に一生迷惑をかけてしまった弟にも謝罪をし、その家をあとにしました。

家は取り壊され、そこは草一本生えていない空き地と化しました。もう何も残ってはいません。

120 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:56

今、私には家族も親戚もいない。友達もいない。恋人もいない。
あるのは履歴書に残る前科と未だ消えることのない、いや一生消えることのない人殺しという代名詞。
自分の手によって決断したあの若き頃の事件。それも永久に私に付き纏うだろう。

私は中学生にして人を殺した。

院(大学院)の研究室でそれを知る者は私以外にはいない。
知る必要もない。私は一生独りで生きていくからだ。
家族の幸せと同級生の人生を破壊した私に命があるだけまだ神に感謝すべきである。
何も贅沢は言わない。勿論結婚などはしない。

私は凶悪犯罪者であり殺人者だ。

私は本来なら世のため弟のため遺族のため死ぬべきなのかもしれない。
自分でも誰のために生きているのか解からない。

もし後世があるのなら、私は家族の温かみを一生の宝物にするつもりだ。
もう家族の笑顔を失いたくはない。

123 : みみじゅ :03/08/15(金) 10:09
幸せになってよ・・・

124 : へたれ :03/08/15(金) 10:09
俺もいじめられっ子だったから1の気持ちは分かる。
何度いじめっ子を殺そうと思ったか分からない。
その結果として家族にどれだけの迷惑をかけるかと思うとできなかった。
たが、今でもやってしまえばよかったのではないかと時々思う。

126 :   :03/08/15(金) 10:15
>>1
その事件てニュースになったの?

128 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 10:18
>>126
地元では新聞に載りました。
おそらくお気づきの方もおられると思うので心辺りのある方も
ソッとして欲しいと思います。










694 :本当にあった怖い名無し:2006/03/15(水) 11:46:24 ID:CMPRxcjw0

中学生の頃、飼い猫のミャーを昼間は外に自由に出していた。
今なら問題ありかも知れないけど、当時はそれが当然みたいな感じだったな。

694 :本当にあった怖い名無し:2006/03/15(水) 11:46:24 ID:CMPRxcjw0

で、ある日そのミャーが帰ってきたら、首輪になにやらコヨリが結びつけてあって、開いてみると、
『この猫ちゃんは毎日うちに来てくれてとても可愛いですね。お名前は何ていうのですか?』
みたいな好意的な文面。
冗談で『名前はミャーです。ご迷惑をかけていませんか?』なんて返信をつけて外に出したら、また返事がきて・・と、
断続的にだけど、ちょっと文通みたいなやり取りになった。

何度かのやり取りで、こちらの居場所があちらに判っているみたいだったけど、
こちらは一体ミャーがどこに行っているのか皆目判らなかった。
(出かけるのは私が登校している間だし、母親はミャーの後をつけるにはデブ杉_| ̄|○ )



694 :本当にあった怖い名無し:2006/03/15(水) 11:46:24 ID:CMPRxcjw0

このままだったら微笑ましい文通で終わったかも知れないが、
そのうち我が家は転勤が決まり、引越しの1ヶ月前くらいに、
『今度引越します。長い間ミャーを可愛がってくれてありがとうございました』
と挨拶の手紙をミャーにつけて放したら・・・
その日からミャーは戻ってこなくなった。(それまで外出はしても、夜帰ってこないなんて一度も無かったのに)

引越しまで必死で探したよ。張り紙もした。
猫の行動範囲から考えても文通相手?は近所の家のはずだから張り紙も見たと思うのに、何処からも連絡がなかった。

ミャーは、偶然連絡をした日に事故か何かに遭ってしまったのか、引越しを知った相手に盗まれたのか、
未だに判らなくて気持ちが悪いよ。








188 1 sage 2005/06/08(水) 15:12:30 ID:T8/BXARX0

2年ほど前のことです。
いつものようにデートのあと、付き合っているM君に下宿まで送ってもらっていました。
M君は自称霊が見える人で、当時私はあまり信じていなかったと言いますか、そのことについて深く考えたこともありませんでした。

しかしいつもそのことを思い出してしまうのが、この帰り道です。
実は帰り道の途中には彼がどうしても通るのを嫌がる道があり、そのためいつもその道を迂回して送ってもらっていました。
彼いわく、その道には何かありえないようなものが憑いているので近づきたくもないそうです。

でもその日のデートはかなり遠出したこともあり、私はものすごく疲れていて少しでも早く家に帰りたいと思っていました。
この道を迂回すると、ものすごい遠回りをしなければ私の家には帰れません。
だからこの道を通って帰ろうとM君に提案したんですが、彼は頑なに反対。

結果ほとんど言い争いのようになってしまいました。(というか、私が一方的に怒っていて彼が必死に止めようとしていただけかも。ごめんM!)
最終的には私がひとりでもこの道を通って帰ると主張すると、M君もひとりで行かせるくらいならと、ついてきてくれることになりました。

その道に入ると、M君は目に見えて怯えていて、顔は真っ青でした。
時間は23時くらいでしたが、街灯もあって真っ暗というわけでもなく、私からすると普通の道。
私もやはり気になって訊いてみても、「今はまだ大丈夫」ということでした。

少し進むとY字路になっていて、私の家に帰るには左の方の道です。
このあたりになるとM君も少し落ち着いてきていて、私も安心して何の躊躇いもなくY字路の左側の道に入りました。

左側の道に足を踏み入れた瞬間、何か急にあたりの雰囲気が変わりました。
物音が一切しなくなって、心もち明かりが暗くなりました。(M君がいうには、本能的に目の前のものに集中したため視界が狭まっただけということです)
足が寒いところにずっと立っていたあとのように痺れて引きつり、上手く歩けません。
力も入らないのでその場に座り込んでいてもおかしくなかったのですが、なぜかその引きつった足が体を支えていて、私はその場に立ち尽くしました。


189 2 sage 2005/06/08(水) 15:12:49 ID:T8/BXARX0

いきなり前方からゴッと突風のようなものがきました。
感覚としては、すぐ横を電車や大型車が通過したときのあの感じです。
そしてその瞬間

「サリョ(鎖虜?左路?)じゃ!サリョじゃ!」

という大小の声があたりに鳴り響きました。
近いものは私のすぐ耳元で聞こえました。

突風のようなものが過ぎ去ったあと、私は呆然と立ったままでした。
M君は先ほどまでとは比べ物にならないくらい血の気のない顔をしていましたが、急に私のほうにやってきたかと思うと、ものすごく必死に私の足を何度も何度も平手で叩きました。
あとで赤く腫れ上がるくらい力を入れて叩かれたのですが、このときは足の感覚がなく、全く痛みを感じませんでした。
でもすぐにやっぱり痛くなってきて、同時に足に感覚が戻って私は地面に崩れ落ちました。

横を見るとM君も地面に座り込んで、相変わらず顔色は悪いのですが「もう大丈夫だから」と息を切らせていました。
M君によると、左の道に入った瞬間前の方から黒いモヤモヤしたものが雪崩のように流れてきて、私たちの体を包み込むように吹き抜けて行ったそうです。
私の足にはその黒いモヤモヤから出てきた無数の手が絡みついていたそうで、それを払い落としていたのだとか。

そのあとM君は泣いている私を背負って下宿まで送ってくれて、朝まで一緒にいてくれました。愛だね。
その後私は怖くてその道に近寄ることはなかったのですが、半年ほどたって恐怖が薄れてきたころ、昼間だったら大丈夫だと思って見に行ってみました。
以前に何度か通ったことのある道だったのですが、注意して見てみると愕然としました。

190 3 sage 2005/06/08(水) 15:13:05 ID:T8/BXARX0

まず、なんとそのたかだか50メートルほどの道(Yの字になっていますが)に、小さな祠やお地蔵さまが計7つも密集しているんです。
そしてその道に面した家の玄関のほぼ全てに盛り塩がしてありました。
中にはお酒が置いてあったり、何枚ものお札がベタベタ貼ってある家も。
そしてこの周辺ではありえないくらい、廃屋と化した空き家が目立ちました。

そういえば最初のほうで書いた「この道を迂回すると、ものすごい遠回りをしなければならない」というのもおかしな話です。
区画整備された町並みで、この一画だけ、周囲の車道は大きく迂回するかそこで行き止まりになるかしているんです。
唯一このY字路と、そこから分かれた毛細血管のような複雑な小道だけが、そこの交通手段となっています。

気味が悪いので地元の人間である学校の先輩に訊いたところ、この一画には昔、いわゆる部落があったそうです。
それだけではなく戦時中に何か忌まわしい事件があったらしく、部落自体は終戦前になくなったのだとか(その事件の内容はタブーとされているらしく、先輩も知りませんでした)。

しかし地元の人間も忌諱して、その後もずっとその土地には手をつけず、20年になってようやく外から来た人間が住み始めたのだとか。

いったい部落で何があったのか。
「サリョ」というのは何なのか。
気になりますが、先輩やM君の忠告もあり私はそれ以上調べることを止めました。
みなさんも、もし兵庫県の某有名暴力団本部のある都市に行かれることがあれば、気をつけてください。
何故か主な車道が途切れたり迂回しているからと言って、むやみに近道しないように。


209 本当にあった怖い名無し sage 2005/06/08(水) 19:13:07ID:Fv+k0VGi0

>>188
……もしかしてその部落、朝鮮系じゃないか?
「サルリョジョ(助けて)」という韓国語があるんだが、ルの発音が日本語に比べて弱いためか「サリョじゃ」とも聞こえるんだこれが……

((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル









535 :本当にあった怖い名無し:2018/08/08(水) 09:06:46.82 ID:aVCWAS/A0.net
俺の職場の上司が九州の小さな島出身なんだけど、その島で起こったっていう気味が悪くなる話。

島民運動会があった日の夜に一人のおばあちゃんが行方不明になったらしく、島民みんなで探す事になった。
三日間必死に捜索してもいなくて、こんな小さな島で三日間探していないんなら海中転落だろうってことで捜索はいったん打ち切りにしてたんだけど、
行方不明になってから一週間後におばあちゃんが見つかった。
ありえないことに、道路走ってたらすぐ気付くような畑にちょこんと座ってたみたいで、
発見者が「おばあちゃん!?」っていうと「おーーい」ってな感じで、精神に異常がある感じでもなく全然普通だったみたい。
とりあえず近所の人を何人か呼んで、一応病院に連れていこうって事になった。
病院に行く車中で「あんなに探したのにおかしいなあ」「おばあちゃんどこ行ってた?」って聞くと、
おばあちゃんが言うには、運動会のあと家に帰ろうとしてたら見たことない小さい女の子がいて、
おばあちゃんに「ご馳走があるからついてきて」と言ってきたらしく、言われるがままについていくと、
「はい!ご馳走だよ!」って言って皿みたいなのを持ってきたんだけど、よく見るとミミズがスパゲティみたいに盛り付けられてたらしい。
そっから発見されるまであんまり記憶がなく、気付いたらあの畑にいたんだって。
そして病院に着き、検査してる途中おばあちゃんが気分悪いって言い出して、ついには嘔吐しちまったらしんだけど、
医者がその嘔吐物を見てみたら、大量のミミズだったらしい。







401 :本当にあった怖い名無し:2006/02/22(水) 13:53:51 ID:hGrRDnNZ0
仲居君と鶴瓶が司会のテレビで紹介されていた、ドイツの実話。


『娘の命をかけたSOS』

ある日突然娘が失踪。
家族や友人の元に、
『お金持ちでやさしい人と一緒に暮らしている。とても幸せよ、心配しないで。』という内容の手紙が届く。
しかし彼女は高収入のキャリアウーマン。
最愛の恋人にプロポーズされたばかりだ。
手紙のような理由で失踪する事は考えられないし、そんな非常識な行動をする性格ではない。
同じような手紙が家族や友人の元に届けられるが、
母は事件に巻き込まれていると思い、警察に捜索願いを出す。
しかし娘の会社宛に『退職願い』が届き、
さらに『私は自分の意思で家を出た。捜索願いは取り消して。』と手紙が届き、警察は捜索を打ち切ってしまう。

打ちひしがれる母。
それを慰める娘の男友達、ルッツ。
しかし犯人はそのルッツだった。
顔見知りなのをいい事に、彼女を自分の車に乗せ、そのまま自宅の地下に拉致監禁。
目当ては彼女のお金である。
そして疑われないように彼女に手紙を書かせていた。
彼女は彼の目の前で手紙を書かされるが、
ルッツに気づかれないよう、手紙に暗号を書いた。


402 :本当にあった怖い名無し:2006/02/22(水) 13:54:23 ID:hGrRDnNZ0
一見すると何の変哲もない文章だが、よく見ると他の字より太い線で書かれたアルファベットがある。
それを順序よく繋げると、ドイツ語で『助けて』になる。
さらに犯人の名前『ルッツ』の文字も暗号にたくしてあった。
しかし母や娘の友達は誰ひとりその暗号に気づかなかった。

そして娘の失踪から4年の歳月が過ぎ、ルッツが別の誘拐事件で逮捕される。
その誘拐事件の被害者の証言で、ルッツが娘を誘拐し、殺害した犯人である事を知る母。


事件の内容だけでも十分後味が悪い。
しかもこの再現VTRは『手紙の暗号』に焦点をあてて作られているので、
見ている方は『暗号が解かれて娘が助かる』と予想してしまい、オチに唖然としてしまう。
暗号の発見に至った経緯も全然説明されていない。(おそらく犯人逮捕後に専門家が発見したのかな?)
何より、娘のSOSを娘の死後に知らされた母の気持ちを思うと、やりきれない。
あと、娘の死体は塩酸で溶かされて庭に埋められていた、といのも猟奇的で後味わる。


412 :本当にあった怖い名無し:2006/02/22(水) 16:50:38 ID:CafyFwIa0
>401それ私も観た。
娘の死後に手紙の暗号を知らされるなら、いっそ最後まで気づかないほうがよかった…と思った。
しかも娘は、犯人にあらゆる暴行を加えられた上で殺されているんだよね。
生爪はがされたり、顔の形が変わるまで殴られたり。

犯人のルッツは自転車屋で働いているんだけど、逮捕のきっかけになった誘拐事件の被害者は、そこの店長の恋人。
この恋人がルッツの隙をついて逃げて、事件が発覚。
逮捕後に判明したことだけど、実はルッツは似たような事件を過去に何度も起こしていて、
自転車屋の店長は、昔同じ手口で妻をルッツに誘拐・殺害されていた。
自分の妻を殺した相手を、それと知らずにずっと雇い続けていた店長のことを考えると、これもやっぱり後味悪い。







1 :名無し:22/07/17(日) 10:40:07 ID:b66q1
99jr49


2:名無し:22/07/17(日) 10:41:05 ID:GN6R2
なるほど


3:名無し:22/07/17(日) 10:42:34 ID:GN6R1
でも全部別事件だから当然っちゃー当然だわな


30:名無し:22/07/17(日) 11:13:58 ID:rXAs3
2回目を8年で出すな
1回目より短いておかしいやろ






4:名無し:22/07/17(日) 10:43:20 ID:b66q3

99jr50


5:名無し:22/07/17(日) 10:46:55 ID:GN6R2
永山基準って3人だっけ


6:名無し:22/07/17(日) 10:47:33 ID:b66q3
>>5
一般的には被害者数が1人なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン


7:名無し:22/07/17(日) 10:47:59 ID:b66q4
でも永山基準は法律の明文あるものではないから
事案の事情によっては1人でも死刑はある


8:名無し:22/07/17(日) 10:50:08 ID:GN6R5
精神疾患で刑が軽くなるのが理解できない


9:名無し:22/07/17(日) 10:52:58 ID:b66q4
>>8
自分のやってる行為について理解できなければ法的非難できないから
まあ動物は裁判で裁けないし


10:名無し:22/07/17(日) 10:53:50 ID:a6em1
六人ぐらい殺して無期懲役の人もいたはず
老人二人と四人家族の一家の妻一人と子供二人
確か子供の方は一人性的暴行もされてる


12:名無し:22/07/17(日) 10:55:25 ID:b66q1
>>10
こいつだな

99jq1


20:名無し:22/07/17(日) 10:58:20 ID:a6em1
>>12
こいつやな
娘と妻を殺されたお父さんが嘆いてたな


21:名無し:22/07/17(日) 10:58:36 ID:gi1d2
>>12
六人も殺して無期って異様だな


11:名無し:22/07/17(日) 10:54:37 ID:lSML4
人殺したら問答無用で死刑でええやん


13:名無し:22/07/17(日) 10:56:14 ID:Bvsw1
>>11
まあそれが一番面倒なくてわかりやすいわね


16:名無し:22/07/17(日) 10:57:03 ID:a6em1
>>11

NID2022071514502
これとかわいも死刑でええやんと思う


22:名無し:22/07/17(日) 11:00:12 ID:Bvsw6
>>16
他の国は知らんけど日本は被害者やその家族が刑を決める訳ちゃうからなー
全く事件には関係ない第三者が過去の判例やら何やらを用いて被害者感情無視して刑決める


14:名無し:22/07/17(日) 10:56:53 ID:YFea1
無期懲役(実質終身刑)やないの


34:名無し:22/07/17(日) 11:22:53 ID:b66q
>>14
今はほぼそうらしいね


18:名無し:22/07/17(日) 10:57:46 ID:a6em1
>>14
昔は15年ぐらいで出れたとかきくな
だからそこからまた殺人を犯して死刑になった奴もいたはず


15:名無し:22/07/17(日) 10:56:59 ID:u7SR2
交通事故で死刑になった奴おらんよな
うっかりミス装って殺せば死刑回避できるよな


17:名無し:22/07/17(日) 10:57:44 ID:4EZc3
>>15
秋葉原無差別とかそれでしょ
過失致死と車を用いた殺人は違う


19:名無し:22/07/17(日) 10:58:17 ID:fcFP4
サカキバラとかどう考えてもおかしい


23:名無し:22/07/17(日) 11:04:10 ID:GN6R1
さすがに山上は死刑とはならんやろね
明らかに統失の気がある青葉もどうなるか


25:名無し:22/07/17(日) 11:07:15 ID:a6em1
一人殺して死刑になった事件
・三島・女子短大生暴行焼殺事件 暴行したあと生きたまま灯油をかけて焼殺
・奈良・小学女子児童誘拐殺人事件 殺害後遺族に向かって遺体写真を送信、次は妹を狙うとメール、猥褻目的で遺体を損壊
・闇サイト殺人事件 命乞いする被害者をハンマーで殺害
・岡山派遣社員殺人事件 元同僚を性的暴行後命乞いする被害者を刺殺、遺体も破損


26:名無し:22/07/17(日) 11:10:51 ID:2hvQ1
>>25
猥褻目的で遺体を損壊
何をやらかしたんこれ?


29:名無し:22/07/17(日) 11:13:18 ID:a6em1
>>26
wikiに載ってる詳細を見てほしい



31:名無し:22/07/17(日) 11:14:34 ID:2hvQ7
>>29
おっかないわー


32:名無し:22/07/17(日) 11:15:15 ID:a6em1
長崎県の市長射殺した人もそういえば一人やけど死刑にならんかった?


37:名無し:22/07/17(日) 11:33:21 ID:b66q
>>32
あれは結局無期だったな
犯人は何年か前に獄中で病死してる


33:名無し:22/07/17(日) 11:21:57 ID:p4NY5
結局裁判官様の感想次第と来てるからなぁ
ぐちゃぐちゃと分かり難い長文のくせにガバガバすぎんだよ


35:名無し:22/07/17(日) 11:27:35 ID:EMh81
6人殺害で無期懲役の異常性よ
金田一少年ワールドばりの仇討ち事案か何かやったん?


38:名無し:22/07/17(日) 12:02:34 ID:GN6R
やっぱり死刑って必要だわ


40:名無し:22/07/17(日) 12:06:29 ID:b66q
ワイが言いたいのは死刑判決が出たらちゃんと執行してほしいということ
なんで判決が出てるのに執行されないで何年も生きのびてる奴がいんのよ
んで病死とかで寿命で死んでいくやつも多い
もう死刑じゃないやんけそれ








360 名前:ある体験者 投稿日:02/09/03 03:15

みなさん、オフ会は充分お気をつけて行って下さい。

そして、楽しい一時を味わって下さい。
私はある事情で行けませんが、以前に行った時の不思議な体験話をさせて頂こうと思います。

平成12年9月5日のことです。

登山仲間4名で、青木ケ原樹海へキャンプに出かける話が持ち上がり、2泊3日の計画を立て、楽しい時を過ごせるものと思っていました。

我々は風穴という観光名所にある駐車場に車を停め、そこから樹海へ入って行きました。

この樹海への入り口は、一般の観光客からは分からないような場所にあり、しかも道が狭いので、一列でしか進むことが出来ません。

道の入り口近くには、

「命を大切にしよう」

というようなことが書かれた看板が立っており、相談センターの電話番号も記載されていました。

入山したのが、お昼過ぎだった為、しかもいつもの登山とは異なるので、心にも余裕があり、明るい内は木々の写真を撮りながら、ゆっくりと目的の場所へ歩いて行きました。

目的地というのは、テントが立てられるだけのスペースがある地図で調べただけの平らな場所で、周りは木々一色というところです。

かなりペースを落としていたので、その目的地についたのが、夕方頃になっていました。

まだ明るいうちにテントを立てたり、夕食の準備に取りかかったりし、やがて、PM7時くらいで辺りは暗闇となりました。

ランタンを焚き、皆で食事をしながら、談話を楽しみました。
初日は準備や移動で疲れた為、その日はPM10時くらいに就寝することになり、二つ立てたテントに2名ずつ別れ、就寝したのです。

それまでは、一時も恐怖というものは無く、テントの中でも談話していましたが、やがて、時刻はAM12時頃を指し、眠くなり始めた時のことです。

「ドサッ」と我々のテントの後方から音が鳴ったのです。

361 名前:ある体験者 投稿日:02/09/03 03:16

私ともう一人の相方は、その音に気付き、3分間ほど沈黙し、その後の音から何であるかを耳だけで探ろうと必死でした。

が、結局、その後は何も音がせず、原因は分からなかったのですが、それは何か重いものが地に落ちたような音でした。

二つのテントは1m程度の間隔で隣り合わせに立てていたので、テント越しに、

「今の音何?」

と隣のテントに問い合わせてみましたが、向こうの二人も聞こえたようで、

「分からない」

と答えが返って来ました。

我々は多少の恐怖を体験してきましたが、今回のキャンプ地は、樹海とあって、これまでに経験の無い恐怖を感じていたので、音が鳴った場所を確認するといった行動には出られず、やがて、AM2時近くになろうとしていました。

その時です。

「ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・」

と遠くのほうから、足音らしきものが聞こえたのです。
しかも、その音はだんだんとテントのほうへ近づいてくるのでした。

おそらく、テントから2~3mほどのところで、その足音がピタリと止み、もう、この時点で全員が恐怖のピークになり、隣のテント仲間の一人が、

「ああ、誰ですか!」

と叫んだのです。
が、返事は返って来ません。



361 名前:ある体験者 投稿日:02/09/03 03:16

私は体中震えていましたが、それは恐怖というよりも寒さで震えているような不思議な感覚に陥っており、しかも身動きが取れなかったのです。

それから、2分近く経った時でしょうか。

その足音は、先ほど物が落ちたような音がした場所へ向かって行きました。
その時、テントの裏側のほうから、

「ああああ、誰がこんなことをさせたんだーーー!くそーーーー!」

その声がした途端、隣のテントの仲間二人が、私のテントに来て、

「おい、早く、逃げるぞっ!」

と呼びかけ、私は考えもままならない状態で、それに応じ、4人全員がその場所を全速力で走り逃げ去ったのです。

途中、恐怖にも関わらず私は見てしまったのです。

テントの方角を。
白っぽい礼服のような衣服を着た人間の様なものが木にぶら下がっているのを

それ以来、私は絶対に樹海へは行かないことを誓いました。









73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/04(水) 15:51:07.93 ID:Oa1L5Ck50

書き溜めてきたから投下すっか
怖いっつーか胸糞かもしれん
俺が中学3年だった時の話

実家の庭に離れを建ててもらって1部屋は俺の部屋、
もう1部屋はふすま1枚隔てて寝たきりの爺ちゃんが寝てた
母ちゃんが爺ちゃんの世話のために出入りしてて毎日ガタガタしてたけど、
出入りは掃きだし窓からしてくれてて
俺の部屋を通ることもなかったし、俺は自分の部屋が出来て嬉しかった

爺ちゃんは完全な寝たきりで糞尿垂れ流し、飯も流動食で「あうあうあー」状態だった
たまにその声がふすまの向こう側から聞こえることがあって、俺を呼んでたのかもしれないけど
思春期の俺は完全無視のクズだった

爺ちゃんがいるおかげで家族で出かける事も出来なくなったり、母ちゃんの負担が大きくていつも疲れてて
それを父ちゃんに当たるもんだから喧嘩が増えたりして
爺ちゃんが来てから家族の空気は最悪だった

74: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/04(水) 15:52:48.80 ID:Oa1L5Ck50

続き
ある日の夜、母屋から父ちゃんと母ちゃんが喧嘩してる声が聞こえた いつもにも増して激しかった
原因はいつもの通り爺ちゃん
俺は受験生だったしいい加減にしてくれ・・・って感じで、心の中で
「早く爺ちゃん死んでくれねえかなあ」と初めて思っちゃったんだ。 
そんなことばっかり考えてたら「あうあうあー」が隣りから聞こえたんだけど

「知るかよ死ね」って思って布団かぶって無視した

次の日の朝 母ちゃんの叫び声で目が覚めた
俺のすぐ隣り、ふすま1枚向こうで爺ちゃんが死んでた

75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/04(水) 15:54:55.83 ID:Oa1L5Ck50

続き
一応警察と監察医が来て、離れに居たのは俺だけで、
すぐ隣りだし何も気づかないわけがないだろ?!と責められ質問攻めにされた
結局病死扱いになったけど、ウチの家族が揉めてたのは近所にも知られてたし
俺が母ちゃんの為に殺したんじゃないかって噂が立って
葬式でも視線が痛かった

その葬式の最中、いざ出棺って時に俺は気分が悪くなりぶっ倒れた 
白目剥いて痙攣してたらしい
でも俺は意識がなんとなくあるんだよ 周りの声が聞こえるの

母ちゃんが「○○(俺)を連れてかないで!」って泣き叫んでるのが聞こえた

でもその声に混ざって
「やっぱりねぇ・・・バチが当たるのよね」
「あの子が殺ったんでしょ?いいきみだわ」 

って近所のババアのコソコソ声が聞こえるわけ
あとで聞いたらその場でそんなこと言ってる人がいるわけないでしょ!って怒られたけどな
で、救急車が来る音が聞こえ始めたなあと思ってたら最後にさ・・・

77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/04(水) 15:56:51.34 ID:Oa1L5Ck50

続き
「お前も一緒に逝こうや」ってはっきり聞こえたんだ

爺ちゃんの声だった

結局俺は病院に運ばれて爺ちゃんの骨は拾えなかった

数日経って納骨の日、墓に着いてマイクロバスから降りる時に
父ちゃんから「ちょっとだけ持ってくれ」って爺ちゃんの遺骨を手渡された 
それを抱えた俺がバスを降りようとしたら扉がガチャンって勝手に閉まって俺の手が挟まれた
指が半分ちぎれかけて爪が吹き飛び、爺ちゃんの遺骨の白い袋に俺の血が飛び散った
血だらけの遺骨抱えてる姿はシュールだったろうな

死んで欲しいって願った俺を、あの夜苦しかったかもしれない爺ちゃんを無視した俺を
恨みながら死んでったのかなぁって今でも思う
爺ちゃんごめんな

81: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/04(水) 17:24:31.83 ID:JAbPsUDJ0
>>77
気味悪いけど、いろいろ考えさせられるな・・・






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