【閲覧注意】怪談の森【怖い話】

実話怪談・都市伝説・未解決の闇・古今東西の洒落にならない怖い話。ネットの闇に埋もれた禁忌の話を日々発信中!!

カテゴリ: 師匠




69 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:30:55 ID:lY9MF+tv0
大学1回生の秋。
オカルト系ネット仲間の京介さんの部屋に、借りていた魔除けのタリスマンを返しに行ったことがあった。
京介さんは女性で、俺より少し年上のフリーターだった。
黒魔術などが好きな人だったが、少しも陰鬱なところがなく、
無愛想な面もあったが、その清潔感のある性格は一緒にいて気持ちが良かった。
その日は、買ったばかりの愛車をガードレールに引っ掛けた、という間抜けぶりを冷やかしたりしていたのだが、
これから風呂に入ってバイトに行くから、という理由であっさりと追い払われた。
このところオフ会でも会わないし、なんだか寂しかったが仕方がない。
目の前でドアを閉められる時、何度かお邪魔したこともある部屋の中にわずかな違和感を感じたのは、
気のせいではなかったと思う。
なにか忘れているような。そんなぼんやりとした不安があった。

それから1週間はなにごともなかった。
自堕落な生活ですっかり曜日の感覚がなくなっていた俺が、
めずらしく朝イチから大学の授業に出ようと思い、家を出た日のこと。
講義棟の前に鈴なりのはずの自転車が、数えるほどしかなかったあたりから予感はされていたことだが、
掲示板の前で角南さんという友達に会い、「今日は祝日だぞ」とバカにされた。
「だったらそっちもなんで来てるんだよ」と突っ込むと笑っていたが、
急に耳に顔を寄せて、「昨日歩いてたのだれ?やるじゃん」と囁いてきた。
なんのことかわからなかったので、「どこで?」と言ってみると、「うわーこいつ」と肘打ちを喰らい、
意味のわからないまま彼女は去っていった。
俺は首を捻りながら講義棟を出た。


71 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:33:54 ID:lY9MF+tv0
昨日はたしか駅の地下街を歩いたはずだ。
角南さんはそのあたりの店でバイトしているはずなので、そこで見られたようだ。
しかし、昨日俺は一人だった。だれかと歩いていたはずなんてない。
たまたま同じ方向に進んでいた人を連れだと思われたのか。
なぜか急に背筋が寒くなってきて振り返ったが、閑散としたキャンパスが広がっているだけだった。
俺は自転車をとばして、逃げるようにアパートへ引き返した。
そのあいだ後ろからだれかがついて来ているような気がして、ときどき振り向きながらペダルをこいだ。
なぜかだれともすれ違わなかった。
俺のアパートは学校から近いとはいえ、その途中に通行人の一人もいないなんてなんだか薄気味が悪い。

駐輪場に自転車を止め、階段を登り、アパートの部屋のドアを開ける。
学生向けのたいして広くもない部屋は、玄関からリビングの奥まで見通せるつくりになっていた。
はずだった。のに。
キッチンに俺がいた。
俺は無表情でこちらに目も向けずトイレのドアを開けると、スッと中に消えた。
パタンとドアが閉まる。
現実感がない。
玄関で俺は靴も脱がず立ち尽くしていた。そして今見たものを反芻する。
鏡ではもちろんない。生きて動いている俺がトイレのドアを開けて中に入った。という、それだけのことだ。
それを俺自身が見ているという、異常な事態でさえなければ。


72 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:37:14 ID:lY9MF+tv0
怖い。
この怖さをわかってもらえるだろうか。
思わず時計を見た。まだ朝のうちだ。部屋の窓のカーテン越しに射す太陽の光が眩しいくらいだ。
だからこそこの逃げようのない圧迫感があるのだろう。
夜の怖さは明かりをつけることで。あるいは、夜が明けることで克服されるかも知れない。
しかし、朝の部屋が怖ければ、どこに救いがあるというのか。

部屋にはなんの音もない。
トイレからもなんの気配も感じられない。
おそらく俺は10分くらい同じ格好で動けなかった。
そして、今のはなんだろう今のはなんだろうと、呪文のように頭の中で繰り返し続けた。
見なかったことにして、とりあえずコンビニでも行こうかとどれほど思ったか。
でも逃げないほうがいい。なぜかそう決めた。
たぶん、幻覚だからだ。
というか、幻覚じゃないと困る。
俺はオラァと大きな声を出すとズカズカと部屋の中へ進み、躊躇なくトイレのドアを開け放った。
開ける瞬間にもオラァとわけのわからない掛け声をあげた。
中にはだれもいなかった。
ほっとした、というよりオッシャアと思った。
念のためにトイレの中に入ろうとしたとき、視線の端で何かが動いた気がした。
閉めたはずの玄関のドアが開いていて、その隙間から俺の顔が覗いていた。

再び自転車を駆って休日の道を急ぐ。
今日は朝イチで大学の講義に出て、清清しい気持ちになっているはずだったのに、なんでこんな目にあっているのだろう。


74 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:39:56 ID:lY9MF+tv0
俺はさっきまで自分の部屋のトイレに立てこもっていた。
中から鍵を掛けてノブをしっかり握っていた。俺が玄関から入ってきたらどうしよう。
オラァとかいう声が外から聞こえたら失神していたかも知れない。
どれほど中にいたのかわからないが、とにかく俺はついにトイレからビクビクと出てきて電話をした。
こういう時にはやたら頼りになるオカルト道の師匠にだ。
しかし出ない。携帯にもつながらない。
焦った俺は次に京介さんへ電話をした。
『はい』という声が聞こえたときは心底嬉しかった。
そして、つい1週間まえにも通った道を数倍の速度で飛ばした。

京介さんは、住んでいるマンションのそばにある喫茶店にいるということだった。
店のガラス越し、窓際の席にその姿を見つけたときには、俺は生まれたばかりの小動物のような気持ちになっていた。
ガランガランという喫茶店のドアの音に振り向いた京介さんが、「ヨオ」と手をあげる席に走って行き、
俺は今日あったことをとにかく捲くし立てた。
「ドッペルゲンガーだな」
あっさりと京介さんは言った。
「自分とそっくりな人間を見る現象だ。
 まあほとんどは勘違いのレベルだろうが、本物に会うと死期が近いとか言われるな」
ドッペルゲンガー。
もちろん聞いたことがある。そうか。そう言われればドッペルゲンガーじゃん。
不思議なもので、正体不明のモノでも名前を知っただけで奇妙な安心感が生まれる。
むしろそのために、人間は怪異に名前をつけるのではないだろうか。


76 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:41:55 ID:lY9MF+tv0
「おまえのはどうだろうな。白昼夢でも見たんじゃないのか」
そうであってほしい。あんなものにうろちょろされたら心臓に悪すぎる。
「しかし気になるのは、その女友達が見たというおまえだ。
 おまえとドッペルゲンガーの二人を見たような感じでもない。
 話しぶりからすると、おまえと一緒に歩いていたのは女だな。本当に心あたりがないのか」
頷く。
「じゃあ、ドッペルガンガーがだれか女と歩いていたのか。おまえの知らないところで」
「今度聞いておきます。角南さんがどこで俺を見たのか」
俺は注文したオレンジジュースを飲みながらそう言った。
そう言いながら、京介さんの様子がいつもと違うのを訝しく思っていた。
あの飄々とした感じがない。
逼迫感とでもいうのか、声がうわずるような気配さえある。
『ドッペルゲンガーだな』と言ったその言葉からしてそうだった。
「どうしたんですか」
とうとう口にした。
京介さんは「うん?」と言って目を少し伏せた。
そして溜息をついて、「らしくないな」と話し始めた。


77 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:44:31 ID:lY9MF+tv0
京介さんがもう一人の自分に気づいたのは、小学生のときだった。
はじめは、ふとした拍子に視線の端に映る人間の顔を見て、オバケだと思ったという。
視界のいちばん隅。そこを意識して見ようとしても見えない。
なにかいると思ったのは、あるいはもっと昔からだったかも知れない。
でも、視線の端の白っぽいそれが人の顔だとわかり、オバケだと思ったすぐあと、
「あ、自分の顔だ」と気づいてしまった。
それは無表情だった。立体感もなかった。そこにいるような存在感もなかった。
顔をそちらに向けると、自然とそれも視線に合わせて移動した。まるで逃げるように。
いつもいるわけではなかった。
けれど疲れたときや、なにか不安を抱えているときにはよく見えた。
怖くはなかった。

中学生のとき、ドッペルゲンガーという名前を知った。
その本には、ドッペルゲンガーを見た人は死ぬと書いてあった。
そんなのは嘘っぱちだと思った。
そのころには、それは顔だけではなかった。トルソーのように上半身まで見えた。
ただ、その日着ている自分の服と同じではなかったように思う。
どうしてそんなものが見えるのか不思議に思ったけれど、だれかに話そうとは思わなかった。
自分と、自分だけの秘密。

高校生のとき、自己像幻視という病気を知った。精神の病気らしい。
嘘っぱちだとは思わなかった。
ドッペルゲンガーにしても、自己像幻視にしても、結局自分にしか見えないなら同じことだ。
そういう病気だとしても同じことなのだった。


78 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:47:06 ID:lY9MF+tv0
そのころには全身が見えていた。
視線の隅にひっそりと立つ自分。
表情はなく、固まっているように動かない。
そして、それがいる場所をだれか他の人が通ると、
まるでホログラムのように透過してしまい、揺らぎもなく、またそのままそこに立っているのだった。
全身が見えるようになると、それからは特に変化はないようだった。
相変わらず疲れたときや、精神的にピンチのときにはよく見えた。
だからといってどうとも思わない。ただそういうものなのだと思うだけだった。

それがである。
最近になって変化があらわれた。
ある日を境に、それの『そこにいる感じ』が強くなった。
ともすればモノクロにも見えたそれが、急に鮮やかな色を持つようになった。そしてその立体感も増した。
だれかがそこを通ると、『あ。ぶつかる』と一瞬思ってしまうほどだった。
ただ、やはり他の人には触れないし、見えないのであった。

ところが、ある日部屋でジーンズを履こうとしたとき、それが動いた。
ジーンズを履こうとする仕草ではなく、意味不明の動きではあったが、確かにそれの手が動いていた。
それから、それはしばしば動作を見せるようになった。
けっして自分自身と同じ動きをするわけではないが、
なにかこう、もう一人の自分として完全なものなろうとしているような、そんな意思のようなものを感じて気味が悪くなった。
相変わらず無表情で、自分にしか認識できなくて、自分ではあるけれど少し若いようにも見えるそれが、
はじめて怖くなったという。


79 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:52:31 ID:lY9MF+tv0
京介さんの独白を聞き終えて、俺はなんとも言えない追い詰められたような気分になっていた。
逃げてきた先が行き止まりだったような。そんな気分。
「ある日を境にって、いつですか」
なにげなく聞いたつもりだった。
「あの日だ」
「あの日っていつですか」
京介さんはグーで俺の頭を殴り、「またそれを言わせるのかこいつ」と言った。
俺はそれですべてを理解し、「すみません」と言ったあとガクガクと震えた。
「どう考えても、無関係じゃないな」
おまえのも含めて。

京介さんは最後のトーストを口に放り込み、コーヒーで流し込んだ。
俺はそのときには、京介さんの部屋へタリスマンを返しに行った時の違和感の正体に気がついてしまっていた。
「部屋の四隅にあった置物はどうしたんです」
あの日、結界だと言った4つの鉄製の物体。
それが1週間前には部屋の中に見当たらなかった。
「壊れた」
その一言で、俺の蚤の心臓はどうにかなりそうだった。
「それって、」
しゃくり上げるように俺が口走ろうとしたその言葉を、京介さんが手で無理やり塞いだ。
「こんなところでその名前を出すな」
俺は震えながら頷く。
「ドッペルゲンガーっていうのは、大きくわけて2種類ある。自分にしか見えないものと、他人にも見えるもの。
 前者は精神疾患によるものがほとんどだ。あるいは一過性の幻視か。
 そして後者はただの似てる人物か、あるいは生霊のような超常現象か。
 どちらにしても、異常な現象にしては合理的な逃げ道がある。
 私が前者でおまえが後者だが、それが同じ出来事に触れた二人に現れたというのは、
 しかし、偶然にしては出来すぎだ」


80 :ドッペルゲンガー  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:55:20 ID:lY9MF+tv0
つまり、あの人なわけですね。
俺は頭の中でさえ、その名前を想起しないように意識を上手く散らした。
「甘く見ていたわけじゃないんだが、まずいなこれは」
京介さんは眉間に皺を寄せて、テーブルを指でトントンと叩いた。
俺は生きた心地もせず、ようやくぼそりと呟いた。
「こんなことならタリスマン、返すんじゃなかった」
その瞬間、京介さんが俺の胸倉を掴んだ。
「今なんて言った」
「だ、だから、あの魔除けのなんとかいうタリスマンを返したのは失敗だった、って言ったんですよ。
 また貸してくれませんか」
なぜか京介さんは、珍しく険しい形相で強く言った。
「なに言ってるんだ、おまえはタリスマンを返してないぞ」
俺はなにを言われているのかわからず、うろたえながら答える。
「先週返しにいったじゃないですか、ほら風呂入るから帰れって言われた日ですよ」
「まだ持ってろって言ったろ?!あれをどうしたんだ」
「だから返したじゃないですか。だから今はないですよ」
京介さんは俺の胸元を触って確かめた。
「どこで無くした」
「返しましたって。受け取ったじゃないですか」
「どうしたっていうんだ。おまえは返してない」
会話が噛み合わなかった。
俺は返したと言い、京介さんは返してないと言う。
嘘なんか言ってない。俺の記憶では間違いなく京介さんにタリスマンを返している。
そして少なくとも、いま俺が魔除けの類をなにも持っていないのは確かだった。


81 :ドッペルゲンガー ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:57:56 ID:lY9MF+tv0
京介さんはいきなり自分のシャツの胸元に手を突っ込むと、三角形が絡み合った図案のペンダントを取り出した。
「これを持っていろ」
それはたしか、京介さん以外の人が触ると力が失せるとか言っていたものではなかったか。
「よく見ろ。あれは六芒星で、これは五芒星」
そう言われればそうだ。
「とりあえずはこれで、もう一人のおまえにどうこうされることはないだろう。
 だがなにが起こるかわからない。しばらく慎重に行動しろ。なにかあったら私か……」
そこで京介さんは言葉を切り、真剣な表情で続けた。
「あの変態に連絡しろ」
あの変態とは、俺のオカルト道の師匠のことだ。京介さんは師匠とやたら反目している。はずだった。
「まったく」と言って、京介さんは喫茶店の椅子に深く沈んだ。
そして「ドッペルゲンガーは」と繋いだ。
「死期が近づいた人間の前に現れるっていうのはさ、嘘っぱちだと思ってた。
 ずっと前から見えてたのに、今まで生きてたわけだし。でも、違うのかも知れない。
 ただの幻が、いまドッペルゲンガーになろうとしているのかも知れない」
俺は死にたくない。まだ彼女もいない。●貞のまま死ぬなんて生き物として失格な気がする。
「その、もう一人の京介さんは今もいますか」
うつむき加減にそう聞くと、京介さんは頷いて長い指でスーッと側方の一点を指し示した。
そこにはなにも見えなかった。
京介さんの指先は店内の一つの席をはっきり指していたのに、そこにはだれも座っていなかった。
店内はランチタイムで混み始め、ほとんどの席が埋まってしまっているというのに、
そこにはだれも座っていないのだった。





53 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 20:49:55 ID:lY9MF+tv0
その噂をはじめに聞いたのはネット上だったと思う。
地元系のフォーラムに出入りしていると、虚々実々の噂話をたくさん頭に叩きこまれる。どれもこれもくだらない。
その中に埋もれて『黒い手』の噂はあった。

黒い手に出会えたら願いがかなう
そのためには黒い手を1週間持っていないといけない
たとえどんなことがあっても

「バッカじゃないの」
上記の噂を話したところのある人の評である。
オカルト道の師匠にそんなあっさり言われるとがっかりする。
「まあ不幸の手紙の亜種だな。
 どんなことがあってもって念押ししてるってことは、1週間のあいだになにか起こりますよってことだろ」
チェーンメールが流行りはじめた頃だったが、
『××しないと不幸になる』というテンプレートなものとは少し毛色が違う気がして、僕の印象に残っていたのだが、
師匠はこういうのはあまり好きではないようだった。
しかし、しばらくのあいだ、僕の頭の片隅に『黒い手』という単語がこびりついていた。
ありがちなチェーンメールと一線を画すのは、そのスタート契機だ。
『このメールを読んだら』ではなく、『黒い手に出会えたら』。
つまり、話を聞いた時点で強制的にルールの遵守を求められるのではなく、契機が別に設定されているのだ。
怖がろうにもその契機に会えない。
『黒い手に出会えたら』
僕は出会いたかった。


54 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 20:53:18 ID:lY9MF+tv0
『黒い手を手に入れた』という一文をあるスレッドで見たとき、僕の心は逸った。
普段は行かない部屋に出入りしていたのは、『地元の噂』を語る場所だったから。
『黒い手』の噂を聞けるかも知れない、という可能性のためだ。
マニアックなオカルト系フォーラムにどっぷり浸っていた僕には、少し程度が低すぎる気がして敬遠していたのだが……
『見せて見せて』というレスがつき、しばらくして『いーよ』という返事があった。
その音響というハンドルネームの人物は、何度かオフ会を仕切ってるような行動派らしく、
『じゃ、明日の土曜日にいつものトコで』という書き込みで、『黒い手オフ』が決定した。
新参者の僕は慌てて過去ログを読み返し、いつものトコが市内のファミレスであることを確認すると、
『初めてですけど行ってもいいですか』と書き込んだ。

当日は、まだこういうオフ会というものにあまり慣れていないせいもあって緊張した。
遅れてしまってダッシュで店内に入ると、目印だという黒系の帽子で統一された一団が奥のスペースに陣取っていた。
「ちーす」という挨拶に、「すみません」と返して席につくと、
テーブルの周囲に居並ぶ面々に対して妙な気まずさを感じた。
ネット上の書き込みを見ていた時から想像はついていたが、やはり若い。
たぶん全員、中学生から高校生くらいだろう。
僕もついこのあいだまで高校生だったとはいえ、1コ下2コ下となると別の生き物のような気がする。
先輩風を吹かしたりというのは苦手なので、ここでは年上だとバレないようにしようと心に決めた。
「で、これなんだけど」
そう言って全身黒でキメた16,7と思しき女の子が、足元から箱のようなものを出してきてテーブルに乗せた。


55 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 20:55:00 ID:lY9MF+tv0
「おおー」という声があがる。
音響というHNのその子は、もったいぶりもせずテーブルの真ん中まで箱を押し出した。
「ガッコの先輩にもらったんだけど、なんか、持ってるだけで願いがかなうってさ。誰かいらない?」
え?くれるのかよ。
他の連中も顔を見回している。
「黒い手って、ほんとに黒いの?ミイラとか?」
軽い調子で中の一人が箱の蓋を取ろうとした。
その瞬間、僕の右隣に座っていた面長の三つ編み女が、その手を凄い勢いで掴んだ。
「やめて。これヤバイよ」
真剣な目で首を振っている。
「ッたいわね、なにマジになってんの」
掴まれた手を振りほどいて睨みつけると、乗り出した体を引っ込める。
それからなんとなく沈黙が訪れた。
「霊が通った」
誰かが呟いて、「えー、天使が通ったって言わない?」という反応があり、
しばらく箱から目をそむけるように『霊VS天使』論争が続いたあと、音響が言った。
「で、誰かいらない?」
またシーンとする。
こんなのが大好きな連中が集まっているはずなのに、なんだこの体たらくは。


56 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 20:56:52 ID:lY9MF+tv0
黒い手に出会えたら願いがかなう
そのためには黒い手を1週間持っていないといけない
たとえどんなことがあっても

この噂の意味がわからないほどバカではない、ということか。
ただそれも、この噂が本物で、かつこの箱の中身が本物だったらという前提条件つきだ。
根性なしどもめ。僕は違う。
なぜ山に登るのかといえば、当然そこに山があるからだった。
「僕がもらっていいですか」
全員がこっちを見て、それから音響を見る。
「いいよ。かっくいー。ちなみに箱ごとね。開けたら駄目らしいから」
音響は僕の方に箱を押し出し、ニッと笑った。
「1週間持ってないといけないんだって。でも、結婚指輪でも買ってやればそんなにかかんないかもよ」
その後は普通のオフ会らしく、くだらなくて怠惰で無意味な時間をファミレスで過ごした。
誰も箱のことには触れなかった。それが目的で来た連中のはずなのに。

解散になったとき、箱を抱えて店を出ようとした僕にさっきの三つ編み女がすり寄ってきた。
「ねえ、やめたほうがいいよ。それほんとやばいよ」
なんだこの女。霊感少女きどりなのか。
引き気味の僕の耳元に、強引に耳を寄せてささやく。
「わたし、人に指差されたらわかるんだよね。たとえ見えてない後ろからでも。そんな感覚たまにない? 
 わたしの場合、嫌な人に指差されたら、それだけ嫌な感じがする。
 そんでさっき箱が出てきたとき、半端なくゾワゾワ来た。こんな感じ、今までもなかった」


57 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 20:58:49 ID:lY9MF+tv0
そういえば、縦長の箱が置かれたとき、その片方の端がこの女の方を向いていた。
箱の中で黒い手が指を差しているというのだろうか。
そう思っていると、女の妙に冷たい息が耳に流れ込んできた。
「それがね、指差されてるのは箱からじゃないのよ。背中から、誰かに」
そこまで言うと三つ編み女は息を詰まらせて、逃げるように去っていた。
店の中で一人残された僕は、箱を抱えたまま棒立ちになっていた。
コト、という乾いた音がして、箱の中身の位置がずれた。
僕は生唾を飲み込んだ。
なにこの空気。もしかして、あとで後悔したりする?
ふと視線を感じると、店の外からガラス越しに、黒のワンピース姿の音響がこっちを見ていた。

アパートの部屋に帰り着き、箱をあらためて見ていると、気味の悪い感覚に襲われる。
黒い手の噂はつい最近始まったはずなのに、この箱は古い。古すぎる。
煤けたような木の箱で、裏に銘が彫ってあってもおかしくないた佇まいである。
この中に本当に黒い手が入っているのだろうか。
だいたい噂には、箱に入ってるなんて話はなかった。
音響と名乗るあの少女に担がれたような気もする。
でも可愛かったなぁ。と、思わず顔がにやける。
たぶん今日はオカルト好きが集まったのではなくて、
少なくとも男どもは音響目当てで参加したのではないか、という勘繰りをしてしまう。
そうでなければ、開けろコールくらい起きるだろう。黒い手が見たくて集まったはずならば。
僕は箱の蓋に手をかけた。
その瞬間に、さまざまな思いやら感情やらが交錯する。
まあ、今でなくてもいいんじゃない。1週間あるんだし。
僕はつまり逃げたのだった。
そして箱を本棚の上に置くと、読みかけの漫画を開いた。


58 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:03:01 ID:lY9MF+tv0
それから2日間はなにごともなく過ぎた。

3日目、師匠と心霊スポットに行って、またゲンナリするような怖い目にあって帰って来た時、
部屋の扉を開けると、テーブルの上に箱が乗っていた。
これは反則だ。
部屋は安全地帯。このルールを守ってもらわないと、心霊スポット巡りなんてできない。
ドキドキしながら、昨日本棚からテーブルの上に箱を移したかどうか思い出そうとする。
無意識にやったならともかくそんな記憶はない。
平静を装いながら僕は箱を本棚の上に戻した。深く考えない方がいいような気がした。

4日目の夜。
ちょっと熱っぽくて早々に布団に入って寝ていると、不思議な感覚に襲われた。
極大のイメージと極小のイメージが交互にやってくるような、凄く遠くて凄く近いような、
それでいて、主体と客体がなんなのかわからないような。
子供の頃、熱が出るたび感じていたあの奇妙な感覚だった。
そんなトリップ中に、顔の一部がひんやりする感じがして現実に引き戻された。
目を開けて天井を見ながら右の頬を撫でてみる。
そこだけアイスクリームを当てられたように温度が低い気がした。
冷え性だが、頬が冷えるというのはあまり経験がない。
痒いような気がしてしきりにそこを撫でていると、その温度の低い部分が、ある特徴的な形をしていることに気づいた。
いびつな5角形に棒状のものが5本。
僕は布団を跳ね飛ばして起き上がった。
キョロキョロと周囲を見回し箱の位置を確認する。


59 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:05:16 ID:lY9MF+tv0
箱の位置を確認するのにどうして見回さなければならないのか、その時はおかしいと思わなかった。
本棚の上にあった。置いた時のままの状態で。
けれど、僕の頬に触ったのは手だった。それもひどく冷たい手の平だった。
思わず箱の蓋に手をかける。そしてそのままの姿勢で固まった。
昔から『開けてはいけない』と言われたものを、開けてしまう子供ではなかった。
触らぬ神に祟りなしとは至言だと思う。
でも、そんな殻を破りたくて、師匠の後ろをついていってるのじゃないか。
そうだ。それに箱を開けたらダメだとか、そんなことは噂にはなかった。音響が言っているだけじゃないか。
そんなことを考えていると、ある言葉が脳裏に浮かんだ。
僕はそれを思い出したとたんに、躊躇なく箱の蓋を取り払った。
中にはガサガサした紙があり、それにつつまれるように黒い手が1本横たわっている。
マネキンの手だった。
ハハハハと思わず笑いがこみ上げてくる。こんなものを有難がっていたなんて。
手にとってかざしてみる。
なんの変哲もない黒いマネキンの手だ。
左手で、それも指の爪が長めに作られているところを見ると、女性用だ。案の定だった。
あの時、音響は確かに言った。
「結婚指輪でも買ってやれば……」
つまり、左手で、女性なのだった。
『開けるな』と言っておきながら、音響自身は箱を開けて中を見ている。そう確信したから僕も開けられた。
なんだこのインチキは。


61 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:06:53 ID:lY9MF+tv0
僕はマネキンの手を放り出してパソコンを立ち上げた。
今頃あのスレッドでは、担がれた僕を笑っているだろうか。
ムカムカしながらスレッド名をクリックすると、予想外にも黒い手の話は全然出てきてなかった。
すでに彼らの興味は次の噂に移っていた。
音響はなんと言っているだろうと思って探しても、書き込みはない。
過去ログを見ても、あれから一度も書き込んでないようだ。
逃げたのかとも思ったが、なにも彼女に逃げる理由はない。
俺に追及されても、『バーカバーカ』とでも書けばいいだけのことだ。
それに、もともと音響は常連の中でも出現頻度が高くない。
週に1回か、多くても2回程度の書き込みペースなのだ。
あれから4日しかたっていないので、現れてなくても当然といえば当然なのだった。
ふいにマウスを持つ手が固まった。
週に1回か2回の書き込み。
心臓がドキドキしてきた。
去っていった恐怖がもう一度戻ってくるような、そんな悪寒がする。
気のせいか、耳鳴りがするような錯覚さえある。
過去ログをめくる。

『黒い手を手に入れた』日曜日

僕が目に留めた音響の書き込みだ。
そしてその次の音響の書き込みは・・・・・・

『いーよ』金曜日

5日開いている。
ちょうどそんなペースなのだ。だから、おかしい。
その翌日の土曜日に音響は黒い手を僕にくれた。
だから、おかしい。
音響が黒い手を手に入れてから、その土曜日で6日目なのだ。


62 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:12:27 ID:lY9MF+tv0
黒い手に出会えたら願いがかなう
そのためには黒い手を1週間持っていないといけない
たとえどんなことがあっても

信じてないなら持っていてもいいはずだ。あとたった1日なんだから。
それでなにも起きなければ、『やっぱあれ、ただの噂だった』と言えるのだから。
信じているなら、持っていなければならないはずだ。あとたった1日なんだから。
それで願いがかなうなら。
どうしてあとたったの1日、持っていられなかったんだろう。
頭の中に、箱を持った僕をファミレスのガラス越しにじっと見ていた音響の姿が浮かぶ。
当時、そんなジャンルの存在すら知らなかったゴシックロリータ調の格好で、確かにこっちを見ていた。
その人形のような顔が不安げに。
ただのマネキンの腕なのに。
僕は知らず知らずのうちに触っていた右頬にギクリとする。
忘れそうになっていたが、さっきの冷たい手の感覚はなんなのだ。
振り返ると箱はテーブルの上にあった。黒い手は箱の中に、そして蓋の下に。
一瞬びくっとする。
僕はゾクゾクしながら思い出そうとする。
『放り出した』というのはもちろんレトリックで、適当に置いたというのが正しいのだが、
僕は果たして黒い手を箱に戻したのだったか。
箱はぴっちりと蓋がされて、当たり前のようにテーブルに横たわっている。
思い出せない。無意識に蓋をしたのかも知れない。
でも確かなことは、僕にはもうあの蓋を開けられないということだ。
徐々に冷たさが薄れかけている頬を撫でながら生唾を飲んだ。5角形と5本の棒。
1本だけ太くて、5角形の辺1つに丸々面している。親指の位置が分かればどっちかくらいは分かる。
その頬の冷たい部分は右手の形をしていた。


63 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:14:58 ID:lY9MF+tv0
次の日、つまり5日目。
僕は師匠の家へ向かった。
音響は5日目までは持っていた。正確には6日目までだが、少なくとも5日目までは持っていられた。
僕はこれから起こることが恐ろしかった。
多分、箱の位置が変わったり、頬を撫でられたりといったことは、文字通り触りに過ぎないのではないかという予感がする。
こんなものはあの人に押し付けるに限る。
師匠の下宿のドアをノックすると、「開いてるよ」という間の抜けた声がしたので、
「知ってますよ」と言いながら箱を持って中に入る。
胡坐を組んでひげを抜いていた師匠がこちらを振り向いた。
「かえせよ」
「え?」
何を言われたかよくわからなくて聞き返すと、師匠は「俺いまなにか言ったか?」と逆に聞いてくる。
よくわからないが、とりあえず黒い手の入った箱を師匠の前に置く。
なにも言わないでいると、師匠は「はは~ん」とわざとらしく呟いた。
「これかぁ」
さすが師匠。勘が鋭い。
しかし、続けて予想外のことを言う。
「俺の彼女が、『逃げろ』って言ってたんだが、このことか」
その時はなんのことかわからなかったが、後に知る師匠の彼女は異常に勘が鋭い変な人だった。
「で、なにこれ」と言うので、一から説明をした。なにも隠さずに。
普通は隠すからこそ次の人に渡せるのだろう。
しかし、この人だけは、隠さないほうが受け取ってくれる可能性が高いのだった。


64 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:19:14 ID:lY9MF+tv0
ところが、ここまでのことを全部話し終えると師匠は言った。
「俺、逃げていい?」
そして腰を浮かしかけた。
僕は焦って、「ちょっと、ちょっと待ってください」と止めに入る。
この人にまで見捨てられたら、僕はどうなってしまうのか。
「だけどさぁ、これはやばすぎるぜ」
「お払いでもなんでもして、なんとかしてくださいよ」
「俺は坊さんじゃないんだから……」

そんな問答の末、師匠はようやく「わかった」と言った。
そして「もったいないなあ」と言いながら、押入れに首をつっこんでゴソゴソと探る。
「お払いなんてご大層なことはできんから、効果があるかどうかは保障しないし、荒療治だからなにか起こっても知らんぞ」
そんなもったいぶったことを言いながら、手には朽ちた縄が握られていた。
「それ、神社とかで結界につかう注連縄ですか」と問いかけるが、首を振られた。
「むしろ逆」
そう言いながら、師匠は黒い手のおさまった箱をその縄でぐるぐると縛り始めた。
「富士山の麓にはさぁ。樹海っていう自殺スポットていうかゾーンがあるだろ。
 そこでどうやって死ぬかっていったら、まあ大方は首吊りだ。
 何年も、へたしたら何十年も経って、死体が首吊り縄から落ちて野ざらしになってると、
 そのまま風化して、遺骨もコナゴナになってどっかいっちまうことがある。
 でも縄だけは、ぶらぶら揺れてんだよ。いつまで経っても。
 これから首を吊ろうって人間が、しっかりした木のしっかりした枝を選ぶからだろうな」


65 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:22:05 ID:lY9MF+tv0
聞きながら僕は膝が笑い始めた。
なに言ってるの、この人。
「一本じゃ足りないなあ」
また押入れから同じような縄を出してくる。
キーンという耳鳴りがした。
「どうやって手に入れたかは聞くなよ」
こちらを見てニヤっと笑いながら、師匠は箱を見事なまでにぐるぐる巻きにしていった。
そのあいだ中、師匠の部屋の窓ガラスをコンコンと叩く音がしていた。
絶対に生身の人間じゃないというのは、師匠に聞くまでもなくわかる。
わーんわーんという羽虫の群れるような音も、天井のあたりからしていた。
師匠はなにも言わず黙々と作業を続ける。
そのうちドアをドンドンと叩く音が加わり、電話まで鳴り始めた。
僕は一歩も動けず、信じられない出来事に気を失いそうになっていた。
師匠が今しようとしていることに触発されて、騒々しいものたちが集まってきているような、そんな気がする。
耳を塞いでも無駄だった。
ギィギィというドアが開いたり閉まったりするような音が加わったが、恐る恐る見てもドアは開いてはいない。
「うるせぇな」
師匠がボソリと言った。
「おい、なにか喋ってろ。なんでもいいから。こんなのは静かにしてるからうるせぇんだ。
 静寂が耳に痛いってあるだろう。あれと同じだ」
それを聞いて僕は「そうですね」と答えたあと、何故か九九を暗唱した。
とっさに出たのだがそれだったわけだが、いんいちがいちいんにがに……と口に出していると、
不思議なことに、さっきまであんなに存在感のあった異音たちが、一瞬で世界を隔てて遠のいていくようだった。


66 :黒い手  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:24:23 ID:lY9MF+tv0
しかしその中で、何故か電話は甲高く鳴り響き続けていた。
「これは本物じゃないですか」と言って俺が慌てて取ろうとすると、師匠が「出るな」と強い口調で制した。
その瞬間に電話は鳴り止んだ。
俺は受話器を上げようとした格好のままで固まり、冷や汗が額から流れ落ちた。
「さあ、できたぞ。どこに捨てるかな」
箱は縄で完全にがんじがらめにされ、ところどころに珍しい形の結び目ができている。
思案した結果、師匠の軽四で近くの池まで行くことにした。

僕が助手席で箱を抱えてガタガタと揺られながら、
「南無阿弥陀仏」やら「南無妙法蓮華経」やら、知っているお経をでたらめに唱えていると、あっという間に池についた。
そこで不快な色をした濁った水の中に、二人してせぇのと勢いをつけて投げ入れた。ボチャンと、一番深そうな所へ。
石を巻きつけていたので、箱はゴボゴボと空気を吐き出しながら沈んでいった。
その石も耳を塞ぎたくなるような逸話を持っていたらしいが、僕はあえて聞かなかった。
すべてを終えて、パンパンと手を払いながら師匠が言った。
「問題はもう1本の手だけど、まあ本体はやっつけた方みたいだから、大丈夫だろう」
自動車のエンジンをかけながら、「それにしても」と続ける。
「都市伝説が実体を持ってたら反則だよなぁ。正体がわからないから怖いんじゃないか」
僕にはあの箱の意味も黒い手の意味もわからなかったので、なにも言えなかった。
「まあこれで都市伝説としては完成だ。実存が止揚してメタレベルへ至ったわけだ。
 黒い手に出会えたら、か。確かにちょっとクールだな。ところで」


67 :黒い手 ラスト  ◆oJUBn2VTGE:2006/10/15(日) 21:26:52 ID:lY9MF+tv0
師匠がこっちを見た。
「おまえはなにが願いだったんだ」
あ、と思った。

黒い手に出会えたら願いがかなう

全然意識してなかった。ひたすら巻き込まれた感が強くて、そんな前提を忘れていた。
「もう関係ないですよ」
そう言うと師匠は「ふーん」と鼻で応えて前を向いた。

それからちょうど1週間目の夜。
『そういえばあれ、どうなった?』という書き込みが例のスレッドにあった。
『まだ生きてるかー?』との問いかけに、『なんとか』と書き込んでみる。
『願いはかなった?』
『なんにも起きないよ』
音響は現れない。
『だれか箱いる?』
『だってガセねたじゃん』
……
もうこのスレッドに来ることもないだろうと思う。
ウインドウを閉じようとすると、
『ほんとに、ほんとになにもなかった?』
しつこく聞いてくるやつがいた。
僕に警告してくれた三つ編み女だろうと思われる。
『知りたかったら、黒い手に出会えばいい』
そう書いて窓を閉じた。

それから、ただの一度も黒い手の噂を聞かなかった。







43 :病院  ◆oJUBn2VTGE :2006/10/15(日) 20:35:54 ID:lY9MF+tv0

大学2回生時9単位。3回生時0単位。すべて優良可の良。俺の成績だ。
そのころ子猫をアパートで飼っていたのであるが、いわゆる部屋飼いで一切外には出さずに育てていて、
こんなことを語りかけていた。
「おまえはデカなるで。この部屋の半分くらい。食わんでや俺」 
しかしそんな教育の甲斐なく、子猫はぴったり猫サイズで成長を止めた。 
そのころ、まったく正しく猫は猫になり。犬は犬になり。春は夏になった。
しかしながら、俺の大学生活は迷走を続けて、いったい何になるのやら向かう先が見えないのだった。 

その夏である。大学2回生だった。 
俺の迷走の原因となっている先輩の紹介で、俺は病院でバイトをしていた。 
その先輩とは、俺をオカルト道へ引きずり込んだ元凶のお方だ。 
いや、そのお方は端緒にすぎず、結局は自分の本能のままに俺は俺になったのかもしれない。 
「師匠、なんかいいバイトないですかね」
その一言が、その夏もオカルト一色に染め上げる元になったのは確かだ。 

病院のバイトとは言っても、正確に言うと『訪問看護ステーション』という医療機関の事務だ。 
訪問看護ステーションとは、在宅療養する人間の看護やリハビリのために、 
看護師(ナース)や理学療法士(PT)、作業療法士(OT)が出向いてその行為をする小さな機関だ。 
ナース3人にPT・OT1人ずつ。そして事務1人の計6人。 
この6人がいる職場が病院の中にあった。 
もちろん経営母体は同一だったから、ナースやPTなどもその病院の出身で、 
独立した医療機関とはいえ、ただの病院の一部署みたいな感覚だった。 
その事務担当の職員が病欠で休んでしまって、
復帰するまでの間にレセプト請求の処理をするには、どうしても人手が足りないということで、
俺にお声がかかったのだった。
ナースの一人が所長を兼ねていて、彼女が師匠とは知り合いらしい。 
60近かったがキビキビした人で、もともとこの病院の婦長(今は師長というらしい)をしていたという。 
その所長が言う。
「夜は早く帰りなさいね」 
あたりまえだ。大体シフトからして17時30分までのバイトなんだから。 
なんでも、ステーションのある4階は、もともと入院のための病床が並んでいたが、経営縮小期のおりに廃床され、
その後ほかの使い道もないまま放置されてきたのだという。
今はナースステーションがあったという一室を改良して、事務所として使っていた。
そのためその階では、ステーションの事務所以外は一切使われておらず、
一歩外に出ると昼間でも暗い廊下が、人気もなくずーっと続いているという、
なんとも薄気味悪い雰囲気を醸し出しているのだった。 
それだけではない。
ナースたちが囁くことには、この病棟は末期の患者のベッドが多く、昔からおかしなことがよく起こったというのだ。
だからナースたちも、夜は残りたくないという。
勤務経験のある人のその怖がり様は、ある種の説得力を持っていた。 

絶対早く帰るぞ。そう心に決めた。が、これが甘かった。 
元凶は、毎月の頭にあるレセプト請求である。
一応の引継ぎ書はあるにはあるが、医療事務の資格もなにもない素人には難しすぎた。
特に訪問看護を受けるような人は、ややこしい制度の対象になっている場合が多く、
いったい何割をどこに請求して、残りをどこに請求すればいいのやら、さっぱりわからなかった。 
頭を抱えながらなんとか頑張ってはいたが、3日目あたりから残業しないと無理だということに気づき、
締め切りである10日までには仕上がるようにと、毎日の帰宅時間が延びていった。 

「大変ねえ」と言いながら仕事を終えて帰るナースたちに愛想笑いで応えたあと、誰もいない事務所には俺だけが残される。
とっくに陽は暮れて、窓からは涼しげな夜風が入り込んでくる。 
静かな部屋で、電卓を叩く音だけが響く。 
ああ。いやだ。いやだ。
昔はこの部屋で夜中、ナースコールがよく鳴ったそうだ。 
すぐにすぐにかけつけると、先日亡くなったばかりの患者の部屋だったりしたとか……
そんな話を昼間に聞かされた。
一時期完全に無人になっていたはずの4階で、真夜中に呼び出し音が鳴ったこともあるとか。
ナースコールの機器なんて、とっくに外されていたにもかかわらず。 
確かに病院は怪談話の宝庫だ。でも現場で聞くのはいやだ。 
俺はやっつけ仕事でなんとかその日のノルマを終えて、事務所を出ようとする。 
恐る恐るドアを開くと、しーんと静まり返った廊下がどこまでも伸びている。 

事務所のすぐ前の電灯が点いているだけで、それもやたらに光量が少ない。 
どけちめ。だから病院はきらいだ。 
廊下を少し進んで階段を降りる。 
1階まで着くと人心地つくのだが、裏口から出ようとすると最後の関門がある。 
途中で霊安室の前を通るのだ。 
もっとこう、地下室とか廊下の一番奥とか、そんなところにあることをイメージしていた俺には意外だったが、
あるものは仕方がない。
『霊安室』とだけ書かれたプレートのドアの前を通り過ぎていると、どうしても摺りガラスの向こうに目をやってしまう。 
中を見せたいのか見せたくないのか、どっちなんだと突っ込みたくなる。 
中は暗がりなので、もちろんなにも見えない。なにかが蠢いていても、きっと外からはわからないだろう。 
そんな自分の発想自体に怯えて、俺は足早に通り過ぎるのだった。 

そんなある日、レセプト請求も追い込みに入った頃に、夕方の訪問を終えたナースの一人が事務所に帰ってきた。
ドアを開けた瞬間、俺は思わず目を瞑った。なぜかわからないが、見ないほうがいい気がしたのだ。 
そのまま俯いて生唾を飲む俺の前をナースは通り過ぎ、所長の席まで行くと、
沈んだ声で「××さんが亡くなりました」と言った。 
所長は「そう」と言うと、落ち着いた声でナースを労った。
そしてその人の最期の様子を聞き、手を合わせる気配のあとで、「お疲れさまでした」と一言いった。 
PTやOTというリハビリ中心の訪問業務と違い、ナースは末期の患者を訪問することが多い。
病院での死よりも、自分の家での死を家族が、あるいは自分が選択した人たちだ。
多ければ年に10件以上の死に立ち会うこともある。 
そんなことがあると、今更ながら病院は人の死を扱う場所なのだと気づく。
複数回訪問の多さから薄々予感されたことではあったが、
ついさっきまでその人のレセプトを仕上げていたばかりの俺には、ショックが大きかった。

そして、いま目が開けられないのは、そこにその人がいるからだった。 
その頃は異様に霊感が高まっていた時期で、
けっして望んでいるわけでもないのに、死んだ人が見えてしまうことがよくあった。
高校時代まではそれほどでもなかったのに、大学に入ってから霊感の強い人に近づきすぎたせいだろうか。 
「じゃあ、これで失礼します。お疲れ様でした」 
ナースが帰り支度をするのを音だけで聞いていた。
そして、蝿が唸っているような耳鳴りが去るのをじっと待った。 
二つの気配がドアを抜けて廊下へ消えていった。 
俺はようやく深い息を吐くと汗を拭った。 
たぶんさっきのは、とり憑いたというわけでもないのだろう。ただ『残っている』だけだ。 
明日にはもう連れて来ることはないだろう。
俺はここに『残らなかった』ことを心底安堵していた。その日も夜遅くまで残業しなければならなかったから。 

その次の日、もう終業間近という頃。 
不謹慎な気がして死んだ人のことをあれこれ聞けないでいると、所長の方から話しかけてきた。 
「あなた見えるんでしょう」 
ドキっとした。事務所には俺と所長しかいなかった。 
「私はね、見えるわけじゃないけど、そこにいるってことは感じる」
所長は優しい声で言った。 
そういえば、この人はあの師匠の知り合いなのだった。
「じゃあ、昨日手を合わせていたのは」 
「ええ。でもあれはいつでもする私の癖ね」
そう言って、そっと手を合わせる仕草をした。 

俺は不味いかなと思いつつも、どうしても聞きたかったことを口にした。 
「あの、夜中に人のいないベッドからナースコールが鳴るって、本当にあったんですか」 
所長は溜息をついたあと答えてくれた。
「あった。仲間からも聞いたし。私自身も何度もあるわ。でもそのすべてがおかしいわけでもないと思う。
 計器の接触不良で鳴ってしまうことも確かにあったから。でもすべてが故障というわけでもないのも確かね」 
「じゃ、じゃあこれは?」と、所長の口が閉じてしまわないうちに、俺は今までに聞いた噂話をあげていった。 
所長は苦笑しながらも、一々「それは違うわね」「それはあると思う」と丁寧に答えてくれた。 
今考えれば、こんな興味本位なだけの下世話で失礼な質問を、よく並べられたものだと思う。
しかしたぶん所長は、師匠から俺を紹介された時、なにか師匠に含められていたのではないだろうか。 

ところが、ある質問をしたときに所長の声色が変わった。 
「それは誰から聞いたの?」 
俺は驚いて思わず「済みません」と謝ってしまった。 
「謝ることはないけど、誰がそんなことを言ったの」
所長に強い口調でそう言われたけれど、俺は答えられなかった。 
どんな質問だったのかはっきり思い出せないのだが、この病棟に関する怪奇じみた噂話だったことは確かだ。 
不思議なことに、その訪問看護ステーションのバイトを止めてすぐに、この噂についての記憶が定かでなくなった。
だが、その時ははっきり覚えていたはずなのだ。ついさっき自分でした質問なのだから当たり前であるが。
しかし、誰からその噂を聞いたのかは、その時も思い出せなかった。
ナースの誰かだったか。それともPTか、OTか。病院の職員か……

所長は穏やかではあるが強い口調で「忘れなさい」と言うと、帰り支度を始めた。 
俺は一人残された事務所で、いよいよ切羽詰ったレセプト請求の仕上げと格闘しなければならなかった。
やたらと浮き足立ってしまった心のままで。
泣きそうになりながら、減らない書類の山に向かってひたすら手を動かす。 

夜蝉も鳴き止んだ静けさの中で一人、なにかとても恐ろしい幻想がやってくるのを必死で振り払っていた。 
よりによって次の日は10日の締め切りだった。どんなに遅くなってもレセプトを終わらせなくてはならない。 
チッチッチッという時計の音だけが部屋に満ちて、俺はその短針の位置を確認するのが怖かった。
多分日付変わってるなぁと思いながら、段々脳みその働きが鈍くなっていくのを感じていた。 

いつのまにウトウトしていたのか、俺はガクンという衝撃で目を覚ました。 
意識が鮮明になり、そして部屋には張り詰めたような空気があった。 
なぜかわからないがとっさに窓を見た。 
その向こうには闇と、遠くに見える民家の明かりがぽつりぽつりと偏在しているだけだった。 
次にドアを見た。なにかが去っていく気配があった気がした。 
そして俺の頭の中には、今日所長に質問した中にはなかった、奇怪な噂が新たに入り込んでいた。 
遠くから蝿の呻くような音がする。
『誰に聞いたのか』とはそういうことなのか。 
『誰も言うはずがない話』
あるいは、
『所長以外、誰も知っているはずがない話』 
たとえば、所長が最期を看取った人の話……

そんな話を俺がしたら、今日のような態度になるだろうか。 
そんな噂話を俺にしたのは誰だろう。今、闇に消えたような気配の主だろうか。 
生々しい、そしてついさっきまでは知らなかったはずの奇怪な噂が、頭の中で渦を巻いている。 
俺はここから去りたかった。でも絶対無理だ。 
今あのドアを開けて、暗い廊下に出て、人の居ない病室を通り、狭い階段を降り、霊安室の前を行くのは。 
俺はブルブルと震えながら、このバイトを引き受けたことを後悔していた。 
廊下の闇の中に、なにかを囁きあうような気配の残滓が漂っているような気がする。 

それからどれくらい経ったのか。 
ふいに静寂を切り裂くような電話のベルが鳴った。 
心臓に悪い音だった。
でも、生きている人間側の音だという、そんな意味不明の確信にすがりつくように受話器をとった。 
「もしもし」 
『よかったー。まだいた。ねえ、そこに○○さんのカルテない?』
聞き覚えのある声がした。ステーションのナースの一人だった。 
『すっごく悪いんだけど、今○○さんの家から連絡があって、危篤らしいから、
 ほんと悪いんだけど、今すぐカルテ持って○○さんの家に来てくれない?  
 私もすぐ行くけど、そっち寄ってたら時間かかりそうだから』
俺は「はい」と言って、すぐにカルテを持って駆け出した。 
ドアを開けて、廊下を抜けて、階段を降りて、霊安室の前を通って、生暖かい夜風の吹く空の下へ飛び出した。 

所詮は臨時の事務職だ。
でもその日、人の命に関わる仕事をしたという確かな感触があった。 
鬱々と下を向いてばかりでなくてよかった。 
人の死を興味本位で語るばかりじゃなくてよかった。 
こんな夜の緊急訪問はよくあることらしい。でも俺にとって特別な意味がある気がした。 
だから、カルテを届けたあとまた事務所に帰って、レセプト請求をすべて完成させるのに全精力を傾けられたのだろう。 

次の日、あまり寝てない瞼をこすりながら出勤すると、
所長が「お疲れ様。昨日は大変だったわね」と話しかけて来た。 
俺は「いえ、このくらい」と答えたが、
所長は首を振って「やっぱりあなたには向いてない職場かもね」と優しい声で言うのだった。 

俺はそのあと2週間くらいでそのバイトを止めた。 
いい経験になったとは思う。 
でも、人の死をあれほど受け止めなければならない職場は、やはり俺には向いてないのだろう。 
俺があの夜、カルテを届けた人はその日の朝に亡くなった。 
そしてその死を看取ったナースは、すぐに次の訪問先へ向かった。
またその肩に死者の一部を残したままで。







813 :血  後日談:2006/08/28(月) 22:09:47 ID:9j0TgqFm0

大学1回生の秋。 
借りたままになっていたタリスマンを返しに、京介さんの家に行った。 
「まだ持ってろよ」という思いもかけない真剣な調子に、ありがたくご好意に従うことにする。 
「そういえば、聞きましたよ」
愛車のインプレッサをガードレールに引っ掛けたという噂が、俺の耳まで流れてきていた。 
京介さんはブスッとして頷くだけだった。 
「初心者マークが無茶な運転してるからですよ」 
バイクの腕には自信があるらしいから、スピードを出さないと物足りないのだろう。 
「でもどうして急に、車の免許なんか取ったんですか」 
バイカーだった京介さんだが、短期集中コースでいつのまにか車の免許を取り、
中古のスポーツカーなんかをローンで購入していた。 
「あいつが、バイクに乗り始めたのかも知れないな」 
不思議な答えが返されてきた。 
あいつというのは、間崎京子のことだろうと察しがついた。 
だがどういうことだろう。 
「双子ってさ、本人が望もうが望むまいがお互いがお互いに似てくるし、それが一生つきまとうだろう。
 それが運命ならしかたないけど。双子でない人間が、相手に似てくることを怖れたらどうすると思う」 
それは間崎京子と京介さんのことらしい。 

「昔からなんだ。
 あいつが父親をパパなんて呼ぶから、私はオヤジと呼ぶようになった。
 あいつがコカコーラを飲むから私はペプシ。
 わかってるんだ。そんな表面的な抵抗、意味ないと思っていても、自然と体があいつと違う行動をとる。
 違うって、ホントに姉妹なんていうオチはない。  
 とにかく嫌なんだよ。なんていうか、魂のレベルで。
 高校卒業するころ髪を切ったのも、あいつが伸ばしはじめたからだ」
ショートカットの頭に手のひらを乗せて言った。
「今でもわかる。
 なにかをしようとしていても、その先にあいつがいる時は、わかるんだ。 
 離れていても同じ場所が痛むという、双子の不思議な感覚とは逆の力みたいだ。 
 でも逆ってことは、結局同じってことだろう」
京介さんは独り言のように呟く。
「変な顔で見るな。おまえだってそうだろう」 
指をさされた。 
「最近、態度が横柄になってきたと思ってたら、そういうことか」 
一人で納得している。
どういうことだろう。
「おまえ、いつから俺なんて言うようになったんだ」 
ドクン、と心臓が大きな音を立てた気がした。 
「あの変態が、僕なんて言い出したからだろう」 
そうだ。 
自分では気づいていなかったけれど。 
そうなのかも知れない。 

「おまえ、あの変態からは離れた方がいいんじゃないか」 
嫌な汗が出る。 
じっと黙って俺の顔を見ている。 
「ま、いいけど。用がないならもう帰れ。今から風呂に入るんだ」 
俺はなんとも言えない気分で、足取りも重く玄関に向かおうとした。 
ふと思いついて、気になっていたことを口にする。 
「どうして『京介』なんていうハンドルネームなんですか」 
聞くまでもないことかと思っていた。 
たぶん全然ベクトルが違う名前にはできないのだろう。京子と京介。正反対で同じもの。
それを魂が選択してしまうのだ。
ところが京介さんは顔の表情をひきつらせてボソボソと言った。 
「ファンなんだ」
信じられないことに、それは照れている顔らしい。 
「え?」と聞き返すと、 
「BOφWYの、ファンなんだ」 
俺は思わず吹いた。いや、なにもおかしくはない。一番自然なハンドルネームの付け方だ。 
けれど、京介さんは顔をひきつらせたまま付け加える。 
「B'zも好きなんだがな。『稲葉』にしなかったのは……やっぱりノー・フェイトなのかも知れない」
そう呟き、そして帰れと俺に手のひらを振るのだった。 

829 :血 について:2006/08/28(月) 22:42:27 ID:9j0TgqFm0
この話は夏から秋にかけてのものだ。 
そのため秋の時点の『俺』に一人称を統一していたが、本編の時点ではやはり『僕』と書くべきだった気がする。
師匠の『僕』も間違い。








795 :血 後編:2006/08/28(月) 21:37:35 ID:9j0TgqFm0
はじまりはただの占いだったという。 
女の子であれば、小学生や中学生のときにハマッた経験はあるだろう。
高校になっても占いに凝っている子となれば、占いの方法もマニアックなものになり、ちょっと傍目にはキモいと言われたりする。
京介さんもそのキモい子の1人で、タロットを主に使ったシンプルな占いを、休み時間のたびにしていたそうだ。
やがて校内で一過性の占いブームが起きて、あちこちで占いグループが生まれた。 
子どもの頃から占い好きだった京介さんはその知識も豊富で、多くの生徒に慕われるようになった。 
タロットやトランプ占いから、ホロスコープやカバラなどを使う凝ったグループも出てきはじめた。 
その中で、黒魔術系と言っていいような、陰湿なことをする集団が現れる。 
そのボスが、間崎京子という生徒だった。
京介さんと間崎京子はお互いに認め合い、また牽制しあった。
仲が良かったとも言えるし、憎みあっていたとも言える、一言では表せない関係だったそうだ。 
そんなある日、京介さんはあるクラスメートの手首に傷があるのに気がついた。 

問いただすと、間崎京子に占ってもらうのに必要だったという。 
間崎京子本人のところに飛んでいくと、「血で占うのよ」と涼しい顔でいうのだった。 
指先や手首をカミソリなどで切って、紙の上に血をたらし、その模様の意味を読み解くのだそうだ。 
「そんなの占いとは認めない」と言ったが、取り巻きたちに「あなたのは古いのよ」とあしらわれた。 

その後、手首や指先などに傷を残す生徒はいなくなったが、血液占いは続いているようだった。
ようするに、目立つところから血を採らなくなった、というだけのことだ。 
これだけ占いが流行ると、他の子とは違うことをしたいという自意識が生まれ、よりディープなものを求めた結果、
それに応えてくれる間崎京子という重力源に、次々と吸い込まれていくかのようだった。 
学校内での間崎京子の存在感は、ある種のカルト教祖的であり、その言動は畏怖の対象ですらあった。 
「名前を出しただけで呪われる」という噂は、単に彼女の地獄耳を怖れたものではなく、
実際に彼女の周辺で不可解な事故が多発している事実からきていたそうだ。 

血液占いのことを京介さんが把握してから数週間が経ったある日。
休み時間中にクラスメートの一人が急に倒れた。 
そばにいた京介さんが抱き起こすと、その子は「大丈夫、大丈夫。ちょっと立ちくらみ」と言って、
何事もなかったかのように立ち去ろうとする。
「大丈夫じゃないだろう」と言う京介さんの手を、彼女は強い力で振り払った。 
「放っておいてよ」と言われても、放っておけるものでもなかった。その子は間崎京子信者だったから。 

その日の放課後、京介さんは第二理科室へ向かった。 
そこは間崎京子が名目上部長を務める生物クラブの部室にもなっていたのだが、
生徒たちは誰もがその一角には足を踏み入れたがらなかった。
時に夜遅くまで人影が窓に映っているにも関わらず、
生物クラブとしての活動などそこでは行われてはいないことを、誰しも薄々知っていたから。 
第二理科室に近づくごとに、異様な威圧感が薄暗い廊下の空間を歪ませているような錯覚を感じる。
おそらくこれは教員たちにはわからない、生徒だけの感覚なのだろう。 
「京子、入るぞ」
そんな部屋のドアを、京介さんは無造作に開け放った。 
暗幕が窓に下ろされた暗い室内で、
短い髪をさらにヘアバンドで上げた女生徒が、煮沸されるフラスコを覗き込んでいた。 
「あら、珍しいわね」 
「一人か」 
奥のテーブルへ向かう足が一瞬止まる。 
この匂いは。 
「おい、何を煮てる」 
「ホムンクルス」 
あっさり言い放つ間崎京子に、京介さんは眉をしかめる。 
「血液と精液をまぜることで人間を発生させようなんて、どこのバカが言い出したのかしら」 
間崎京子は唇だけで笑って火を止めた。
「冗談よ」 
「冗談なものか、この匂いは」 
京介さんはテーブルの前に立ちはだかった。 

「占い好きの連中に聞いた。おまえ、集めた血をどうしてるんだ」 
今日目の前で倒れた女生徒は、左手の肘の裏に注射針の跡があった。静脈から血を抜いた痕跡だ。
それも針の跡は一箇所ではなかった。とても占いとやらで必要な量とは思えない。 
間崎京子は切れ長の目で京介さんを真正面から見つめた。 
お互い何も発しなかったが、張り詰めた空気のなか時間だけが経った。 

やがて間崎京子が、胸元のポケットから小さなガラス瓶を取り出し首をかしげた。瓶は赤黒い色をしている。 
「飲んでるだけよ」
思わず声を荒げかけた京介さんを制して続けた。 
「白い紙に落とすよりよほど多くのことがわかるわ。寝不足も、過食も、悩みも、恋人との仲だって」 
「それが占いだって?」 
肩を竦めて見せる間崎京子を睨み付けたまま、吐き捨てるように言った。 

「好血症ってやつですか」 
そこまで息を呑んで聞いていた俺だが、思わず口を挟んだ。 
京介さんはビールを空けながら首を横に振った。 
「いや、そんな上等なものじゃない。ノー・フェイトだ」 
「え?なんですか?」と聞き返したが、
今にして思うと、その言葉は京介さんの口癖のようなもので、
no fate 、つまり『運命ではない』という言葉を、京介さんなりの意味合いで使っていたようだ。 
それは『意思』と言い換えることができると思う。 

この場合で言うなら、間崎京子が血を飲むのは己の意思の体現だというのことだ。 
「昔、生物の授業中に、先生が『卵が先か鶏が先か』って話をしたことがある。
 後ろの席だった京子が、ボソッと『卵が先よね』って言うんだ。
 どうしてだって聞いたら、なんて言ったと思う?
 『卵こそ変化そのものだから』」 
京介さんは次のビールに手を伸ばした。 
俺はソファに正座という変な格好でそれを聞いている。 
「あいつは『変化』ってものに対して異常な憧憬を持っている。
 それは、自分を変えたいなんていう、思春期の女子にありがちな思いとは次元が違う。
 例えば悪魔が目の前に現れて、『お前を魔物にしてやろう』って言ったら、あいつは何の迷いもなく断るだろう。
 そしてたぶんこう言うんだ。『なりかただけを教えて』」

間崎京子は、異臭のする涙滴型のフラスコの中身を排水溝に撒きながら口を開いた。 
「ドラキュラって、ドラゴンの息子って意味なんですって。知ってる? 
 ワラキアの公王ヴラド2世って人は、竜公とあだ名された神聖ローマ帝国の騎士だったけど、
 その息子のヴラド3世は、串刺し公って異名の歴史的虐殺者よ。
 Draculの子だからDracula。でも彼は竜にはならなかった」 
恍惚の表情を浮かべてそう言うのだ。 

「きっと変身願望が強かったのよ。英雄の子供だって好きなものになりたいわ」 
「だからお前も、吸血鬼ドラキュラの真似事で変身できるつもりか」 
京介さんはそう言うと、いきなり間崎京子の手からガラス瓶を奪い取った。 
そして蓋を取ると、ためらいもなく中身を口に流し込んだ。 
あっけにとられる間崎京子に、むせながら瓶を投げ返す。 
「たかが血だ。水分と鉄分とヘモグロビンだ。こんなことで何か特別な人間になったつもりか。
 ならこれで私も同じだ。お前だけじゃない。
 占いなんていう名目で、脅すように同級生から集めなくったって、
 すっぽんでも買って来てその血を飲んでればいいんだ」 
まくしたてる京介さんに、間崎京子は面食らうどころかやがて目を輝かせて、この上ない笑顔を浮かべる。 
「やっぱり、あなた、素晴らしい」
そして、両手を京介さんの頬の高さに上げて近寄って来ようとした時、
「ギャー」というつんざくような悲鳴があがった。 
振り返ると、閉めたはずの入り口のドアが開き、数人の女生徒が恐怖に引き攣った顔でこっちを見ている。 
口元の血をぬぐう京介さんと目が合った中の一人が、崩れ落ちるように倒れた。 
そしてギャーギャーとわめきながら、その子を数人で抱えて転がるように逃げていった。 
第二理科室に残された二人は、顔を見合わせた。 

やがて間崎京子が「あーあ」となげやりな溜息をつくと、テーブルの上に腰をかける。 
「この遊びもこれでおしまい。あなたのせいとは言わないわ。同罪だしね」 
悪びれもせず、屈託のない笑顔でそう言う。
京介さんはこれから起こるだろう煩わしい事にうんざりした調子で、隣りに並ぶように腰掛ける。 
「おまえと一緒にいると、ロクなことになったためしがない」 
「ええ、あなたは完全に冤罪だしね」 
「私も血を飲んだんだ。おまえと同じだ」 
「あら」と言うと嬉しそうな顔をして、間崎京子は肩を落とす京介さんの耳元に唇を寄せて囁いた。 
「あの血はわたしの血よ」
それを聞いた瞬間、京介さんは吐いた。 

俺は微動だにせず、正座のままでその話を聞いていた。 
「それで停学ですか」
京介さんは頷いて、空になったビール缶をテーブルに置く。 
誰もが近づくなと言ったわけがわかる気がする。間崎京子という女はやばすぎる。
「高校卒業してからは付き合いがないけど、あいつは今頃何に変身してるかな」 
やばい。ヤバイ。
俺の小動物的直感がそう告げる。 

京介さんが思い出話の中で、『間崎京子』の名前を出すたびに俺はビクビクしていた。 
ずっと見られていた感覚を思い出してゾッとする。 
近づき過ぎた。そう思う。
おびえる俺に京介さんは、「ここはたぶん大丈夫」と言って部屋の隅を指す。 
見ると、鉄製の奇妙な形の物体が四方に置かれている。 
「わりと強い結界。のつもり。出典は小アルベルツスのグリモア」 
なんだかよくわからない黒魔術用語らしきものが出てきた。 
「それに」と言って、京介さんは胸元からペンダントのようなものを取り出した。 
首から掛けているそれは、プレート型のシルバーアクセに見えた。 
「お守りですか」と聞くと、「ちょっと違うかなぁ」と言う。 
「日本のお守りはどっちかというとアミュレット。これはタリスマンっていうんだ」 
説明を聞くに、アミュレットはまさにお守りのように受動的な装具で、
タリスマンはより能動的な、『持ち主に力を与える』ための呪物らしい。 

「これはゲーティアのダビデの星。最もメジャーでそして最も強力な魔除け。年代物だ。
 お前はしかし、私たちのサークルに顔出してるわりには全然知識がないな。何が目的で来てるんだ。
 おっと、私以外の人間が触ると力を失うように聖別してあるから、触るな」 
見ると手入れはしているようだが、プレートの表面に描かれた細かい図案には随所に錆が浮き、
かなりの古いものであることがわかる。
「ください。なんか、そういうのください」 
そうでもしないと、とても無事に家まで帰れる自信がない。 
「素人には通販ので十分だろう。と言いたいところだが、相手が悪いからな」 
京介さんは押入れに頭を突っ込んで、しばしゴソゴソと探っていたが、
「あった」と言って、微妙に歪んだプレートを出してきた。
「トルエルのグリモアのタリスマン。まあこれも魔除けだ。貸してやる。あげるんじゃないぞ。
 かなり貴重なものだからな」
なんでもいい。ないよりましだ。 
俺はありがたく頂戴してさっそく首から掛けた。 
「黒魔術好きな人って、みんなこういうの持ってるんですか」 
「必要なら持ってるだろう。必要もないのに持ってる素人も多いがな」 
京子さんはと言いかけて、言い直す形でさらに聞いてみた。 
「あの人も、持ってるんですかね」 
「持ってたよ。今でも持ってるかは知らないけど。あいつのは別格だ」
京介さんは自然と唾を飲んで言った。 

「はじめて見せてもらった時は足が竦んだ。今でも寒気がする」 
そんなことを聞かされると怖くなってくる。 
「あいつの父親がそういう呪物のコレクターで、よりによってあんなものを娘に持たせたらしい。人格が歪んで当然だ」
煽るだけ煽って、京介さんは詳しいことは教えてくれなかった。 
ただなんとか聞き出せた部分だけ書くと、
『この世にあってはならない形』をしていること、そして『五色地図のタリスマン』という表現。 
どんな目的のためのものなのか、そこからは窺い知れない。
「靴を引っ張られる感覚があったんだってな。
 感染呪術まがいのイタズラをされたみたいだけど、まあこれ以上変に探りまわらなければ大丈夫だろう」 
京介さんはそう安請け合いしたが、俺は黒魔術という『遊びの手段』としか思っていなかったものが、
現実になんらかの危害を及ぼそうとしていることに対して、信じられない思いと、そして得体の知れない恐怖を感じていた。
体が無性に震えてくる。
「一番いいのは信じないことだ。
 そんなことあるわけありません、気のせいですって思いながら生きてたらそれでいい」 

京介さんはビールの缶をベコッとへこますと、ゴミ箱に投げ込んだ。 
そう簡単にはいかない。 
なぜなら、間崎京子のタリスマンのことを話しはじめた時から、俺の感覚器はある異変に反応していたから。 
京介さんが第二理科室に乗り込んだ時の不快感が、今はわかる気がする。 
体が震えて涙が出てきた。 
俺は借りたばかりのタリスマンを握り締めて、勇気を出して口にした。 
「血の、匂いが、しません、か」 
部屋中にうっすらと、懐かしいような禍々しいような異臭が漂っている気がするのだ。 
京子さんは今日一度も見せなかったような冷徹な表情で、「そんなことはない」と言った。 
いや、やっぱり血の匂いだ。気の迷いじゃない。
「でも・・・・・・」
言いかけた俺の頭を京介さんはグーで殴った。
「気にするな」 
わけがわからなくなって錯乱しそうな俺を、無表情を崩さない京介さんがじっと見ている。 
「生理中なんだ」
笑いもせず淡々とそう言った顔をまじまじと見たが、その真贋は読み取れなかった。








790 :どうして幽霊は鉄塔にのぼるのか:2006/08/28(月) 21:33:50 ID:9j0TgqFm0

師匠が変なことを言うので、おもわず聞き返した。 
「だから鉄塔だって」
大学1回生の秋ごろだったと思う。 
当時の俺は、サークルの先輩でもあるオカルト道の師匠に、オカルトのイロハを教わっていた。 
ベタな話もあれば、中には師匠以外からはあまり聞いたことがないようなものも含まれている。 
その時も『テットー』という単語の意味が一瞬分からず、二度聞きをしてしまったのだった。 
「鉄塔。てっ・と・う。鉄の塔。アイアン……なんだ、ピラァ? 
 とにかく見たことないかな。夜中見上げてると、けっこういるよ」 
師匠が言うには、郊外の鉄塔に夜行くと、人間の霊がのぼっている姿を見ることが出来るという。 
どうして幽霊は鉄塔にのぼるのか。
そんな疑問のまえに、幽霊が鉄塔にのぼるという前提が俺の中にはない。 
脳内の怪談話データベースを検索しても、幽霊と鉄塔に関する話はなかったように思う。 
師匠は「えー普通じゃん」と言って真顔でいる。 
曰くのある場所だからではなく、鉄塔という記号的な部分に霊が集まるのだと言う。 

近所に鉄塔はなかったかと思い返したが、子供のころ近所にあった鉄塔がまっさきに頭に浮かんだ。 
夕方学校の帰りにそばを通った、高くそびえる鉄塔と送電線。
日が暮れるころにはその威容も不気味なシルエットになって、俺を見下ろしていた。 
確かに夜の鉄塔には妙な怖さがある。 
しかし、霊をそこで見たことはないと思う。 

師匠の話を聞いてしまうとやたら気になってしまい、俺は近くの鉄塔を探して自転車を飛ばした。 
いざどこにあるかとなると自信がなかったが、なんのことはない。鉄塔は遠くからでも丸分かりだった。 
住宅街を抜けて川のそばにそびえ立つ姿を見つけると、近くに自転車を止め基部の金網にかきついた。 
見上げてみると送電線がない。
ボロボロのプレートに『○×線-12』みたいなことが書いてあった。 
おそらく移設工事かなにかで、送電ルートから外れてしまったのだろう。 
錆が浮いた赤黒い塔は、怖いというより物寂しい感じがした。 
というか、日がまだ落ちていなかった。 

近所のコンビニや本屋で時間をつぶして、再び鉄塔へ戻った。 
暗くなると俄然雰囲気が違う。人通りもない郊外の鉄塔は、見上げるとその大きさが増したような気さえする。 
赤いはずの塔は今は黒い。
それも夜の暗灰色の雲の中にその形の穴が開いたような、吸い込まれそうな黒だった。 
風が出てきたようで、立ち入り禁止の金網がカサカサと音を立て、
送電線のない鉄塔からは、その骨組みを吹き抜ける空気が奇妙なうなりをあげていた。 

周囲に明かりがなく、目を凝らしてみても鉄塔にはなにも見えない。 
オカルトは根気だ。
簡単には諦めない俺は、夜中3時まで座り込んで粘った。
『出る』という噂も逸話もない場所で、そもそも幽霊なんか見られるんだろうか、という疑念もあった。 
骨組みに影が座っているようなイメージを投影し続けたが、
なにか見えた気がして目を擦ると、やっぱりそこにはなにもないのだった。 
結局、見えないものを見ようとした緊張感から来る疲れで、夜明けも待たずに退散した。 

翌日、さっそく報告すると、師匠は妙に嬉しそうな顔をする。 
「え?あそこの鉄塔に行った?」 
なぜか自分も行くと言いだした。 
「だから、何も出ませんでしたよ」と言うと、「だからじゃないか」と変なことを呟いた。 

よくわからないまま、昼ひなかに二人してあの鉄塔に行った。 
昼間に見るとあの夜の不気味さは薄れて、ただの錆付いた老兵という風体だった。 
すると師匠が顎をさすりながら、「ここは有名な心霊スポットだったんだ」と言った。 
頭からガソリンをかぶって焼身自殺をした人がいたらしい。
夜中この鉄塔の前を通ると熱い熱いとすすり泣く声が聞こえる、という噂があったそうだ。 

「あのあたりに黒い染みがあった」 
金網越しに師匠が指差すその先には、今は染みらしきものは見えない。 
「なにか感じますか」と師匠に問うも、首を横に振る。 
「僕も見たことがあったんだ。自殺者の霊をここで」
そう言う師匠は、焦点の遠い目をしている。 
「今はいない」
独り言のように呟く。 
「そうか。どうして鉄塔にのぼるのか、わかった気がする」 
そして、陽をあびて鈍く輝く鉄の塔を見上げるのだった。 
俺にはわからなかった。聞いても「秘密」とはぐらかされた。 

師匠が勝手に立て、勝手に答えに辿りついた命題は、それきり話題にのぼることはなかった。 
けれど今では鉄塔を見るたび思う。 
この世から消滅したがっている霊が、現世を離れるために、
『鉄塔』という空へ伸びる、シンボリックな建築物をのぼるのではないだろうか。 
長い階段や高層ビルではだめなのだろう。 
その先が人の世界に通じている限りは。







770 :四隅:2006/08/28(月) 20:24:24 ID:9j0TgqFm0

大学1回生の初秋。 
オカルト系のネット仲間と、『合宿』と銘打ってオフ会を開いた。 
山間のキャンプ地で、『出る』という噂のロッジに泊まることにしたのである。 
オフ会は普段からよくあったのだが、泊まりとなると女性が多いこともあり、
あまり変なメンバーを入れたくなかったので、ごく内輪の中心メンバーのみでの合宿となった。 
参加者はリーダー格のCoCoさん、京介さん、みかっちさんの女性陣に、俺を含めた計4人。 
言ってしまえば荷物持ち&力仕事専用の俺なわけだが、呼ばれたことは素直に嬉しかった。
日程は1泊2日。

レンタカーを借りて乗り込んだのだが、シーズンを外したおかげでキャンプ地はわりに空いていて、
うまい空気吸い放題、ノラ猫なで放題、やりたい放題だったはずだが、 
みかっちさんが「かくれんぼをしよう」と言い出して、始めたはいいものの、CoCoさんが全然見つからずそのまま日が暮れた。
夕飯時になったので放っておいてカレーを作り始めたら、どこからともなく出てきたのだが、
俺はますますCoCoさんがわからなくなった。 
ちなみに、俺以外は全員20代のはずだったが……

その夜のことである。 
『出る』と噂のロッジも、酒が入るとただの宴の会場となった。 
カレーを食べ終わったあたりから急に天気が崩れ、思いもかけず強い雨に閉じ込められてしまい、
夜のロッジは小さな照明が揺れる中、ゴーゴーという不気味な風雨の音に包まれている、
という素晴らしいオカルト的環境であったにも関わらず、酒の魔力はそれを上回っていた。 
さんざん芸をやらされ疲れ果てた俺が壁際にへたり込んだ時、前触れもなく照明が消えた。 
やたらゲラゲラ笑っていたみかっちさんも口を閉じ、一瞬沈黙がロッジに降りた。 
「停電だぁ」と誰かが呟いてまた黙る。屋根を叩く雨と風の音が大きくなった。 
照明の消えた室内は真っ暗になり、ヘタレの俺は急に怖くなった。 

「これは、アレ、やるしかないだろう」と京介さんの声が聞こえた。 
「アレって、なんですか」 
「大学の山岳部の4人が遭難して、山小屋で一晩をすごす話。かな」
CoCoさんが答えた。 
暗闇のなか体を温め眠気をさますために、
4人の学生が部屋の四隅にそれぞれ立ち、時計回りに最初の一人が壁際を歩き始める。
次の隅の人に触ると、触られた人が次の隅へ歩いていってそこの人に触る。
これを一晩中繰り返して、山小屋の中をぐるぐる歩き続けたというのだが、
実は4人目が隅へ進むとそこには誰もいないはずなので、そこで止まってしまうはずなのだ。
いるはずのない5人目がそこにいない限り……

という話をCoCoさんは淡々と語った。 
どこかで聞いたことがある。子供だましのような話だ。 
そんなものノリでやっても絶対になにも起きない。しらけるだけだ。 
そう思っていると、京介さんが「ルールを二つ付け加えるんだ」と言い出した。 

1.スタート走者は、時計回り反時計回りどちらでも選べる。 
2.誰もいない隅に来た人間が、次のスタート走者になる。 

次のスタート走者って、それだと5人目とかいう問題じゃなく普通に終わらないだろ。 
そう思ったのだが、なんだか面白そうなのでやりますと答えた。 
「じゃあ、これ。誰がスタートかわかんない方が面白いでしょ。あたり引いた人がスタートね」 
CoCoさんに渡されたレモン型のガムを持って、俺は壁を這うように部屋の隅へ向かった。 
「みんなカドについた?じゃあガムをおもっきし噛む」 
部屋の対角線あたりからCoCoさんの声が聞こえ、言われたとおりにするとほのかな酸味が口に広がる。 
ハズレだった。アタリは吐きたくなるくらい酸っぱいはずだ。 
京介さんがどこの隅へ向かったか気配で感じていた俺は、全員の位置を把握できていた。 

CoCo    京介 
みかっち  俺 

こんな感じのはずだ。
誰がスタート者か、そしてどっちから来るのかわからないところがゾクゾクする。 
つまり自分が『誰もいないはずの隅』に向かっていても、それがわからないのだ。 
角にもたれかかるように立っていると、バタバタという風の音を体で感じる。 
いつくるかいつくるかと身構えていると、いきなり右肩を掴まれた。 
右から来たということは京介さんだ。 
心臓をバクバク言わせながらも声一つあげずに、俺は次の隅へと壁伝いに進んだ。 
時計回りということになる。
自然と小さな歩幅で歩いたが、暗闇の中では距離感がはっきりせず、妙に次の隅が遠い気がした。 
ちょっと怖くなって来たときに、ようやく誰かの肩とおぼしきものに手が触れた。みかっちさんのはずだ。 
一瞬ビクっとしたあと、人の気配が遠ざかって行く。
俺はその隅に立ち止まると、また角にもたれか掛かった。壁はほんのりと暖かい。
そうだろう。誰だってこんな何も見えない中で、なんにも触らずには立っていられない。 

風の音を聞いていると、またいきなり右肩を強く掴まれた。京介さんだ。わざとやっているとしか思えない。 
俺は闇の向こうの人物を睨みながら、また時計回りに静々と進む。 
さっきのリプレイのように誰かの肩に触れ、そして誰かは去っていった。 
その角で待つ俺は、こんどはビビらないぞと踏ん張っていたが、やはり右から来た誰かに右肩を掴まれビクリとするのだった。

そして、『俺が次のスタート走者になったら方向を変えてやる』と密かに誓いながら進むことしばし。 
誰かの肩ではなく垂直に立つ壁に手が触れた。
一瞬声をあげそうになった。
ポケットだった。
誰もいない隅を、なぜかその時の俺は頭の中でそう呼んだ。たぶんエア・ポケットからの連想だと思う。 
ポケットについた俺は、念願の次のスタート権を得たわけだ。 
今4人は四隅のそれぞれにたたずんでいることになる。 
俺は当然のように反時計回りに進み始めた。 
ようやく京介さんを触れる! 
いや、誤解しないで欲しい。なにも女性としての京介さんを触れる喜びに浸っているのではない。
ビビらされた相手へのリベンジの機会に燃えているだけだ。 
ただこの闇夜のこと、変なところを掴んでしまう危険性は確かにある。
だがそれは仕方のない事故ではないだろうか。 
俺は出来る限り足音を殺して右方向へ歩いた。 
そしてすでに把握した距離感で、ここしかないという位置に左手を捻りこんだ。 

次の瞬間、異常な硬さが指先を襲った。指をさすりながらゾクッとする。 
壁?ということはポケット?そんな。俺からスタートしたのに……
呆然とする俺の左肩を何者かが強く掴んだ。京介さんだ。 
俺は当然、壁に接している人影を想像して左手を出したのに。なんて人だ。 
暗闇の中、壁に寄り添わずに立っていたなんて。
あるいは罠だったか。
人の気配が壁伝いに去っていく。 
悔しさがこみ上げて、残された俺は次はどういくべきか真剣に思案した。

そしてしばらくしてまた右肩を掴まれたとき、恥ずかしながら「ウヒ」という声が出た。 
くそ!京介さんだ。また誰か逆回転にしやがったな。 
こんどこそ悲しい事故を起こすつもりだったのに。 
頭の中で毒づきながら時計回りに次の隅へ向かう。そしてみかっちさん(たぶん)には遠慮がちに触った。 

次の回転でも右からだった。その次も。その次も。 
俺はいつまでたっても京介さんを触れる反時計回りにならないことにイライラしながら、
はやくポケット来いポケット来いと念じていた。
次ポケットが来たら当然反時計回りにスタートだ。 
俺はそれだけを考えながら回り続けた。 

何回転しただろうか、闇の中で気配だけが蠢く不思議なゲームが急に終わりを告げた。 

「キャー!」という悲鳴に背筋が凍る。 
みかっちさんの声だ。 
ドタバタという音がして、懐中電灯の明かりがついた。 
京介さんが天井に向けて懐中電灯を置くと、部屋は一気に明るくなった。 
みかっちさんは部屋の隅にうずくまって頭を抱えている。 
CoCoさんが「どうしたの?」と近寄っていくと、 
「だって、おかしいじゃない!どうして誰もいないトコが来ないのよ!」 
それは俺も思う。ポケットが来さえすれば京介さんを……まて。なにかおかしい。 
アルコールで回転の遅くなっている頭を叩く。
回転が止まらないのは変じゃない。5人目がいなくても、ポケットに入った人が勝手に再スタートするからだ。 
だから、ぐるぐるといつまでも部屋を回り続けることに違和感はないが……
えーと、最初の1人目がスタートして次の人に触り、4人目がポケットに入る。これを繰り返してるだけだよな。
えーと、だから……どうなるんだ?
こんがらがってきた。 
「もう寝ようか」というCoCoさんの一言で、とりあえずこのゲームはお流れになった。 
京介さんは俺に向かって「残念だったな」と言い放ち、人差し指を左右に振る。 
みかっちさんもあっさりと復活して、「まあいいか」なんて言っている。 
さすがオカルトフリークの集まり。 
この程度のことは気にしないのか。むしろフリークだからこそ気にしろよ。 
俺は気になってなかなか眠れなかった。 

夢の中で異様に冷たい手に右肩をつかまれて悲鳴をあげたところで、次の日の朝だった。 
京介さんだけが起きていてあくびをしている。 
「昨日起ったことは、京介さんはわかってるんですか」 
朝の挨拶も忘れてそう聞いた。 
「あの程度の酒じゃ、素面も同然だ」 
ズレた答えのようだが、どうやら『わかってる』と言いたいらしい。 
俺はノートの切れ端にシャーペンで図を描いて考えた。 

ACoCo    B京介 

Dみかっち  C俺 

そしてゲームが始まってから起ったことをすべて箇条書きにしていくと、ようやくわかって来た。
酒さえ抜けると難しい話じゃない。
これはミステリーのような大したものじゃないし、正しい解答も一つとは限らない。
俺がそう考えたというだけのことだ。でもちょっと想像してみて欲しい。あの闇の中で何がおこったのか。 

1 時計 
2 時計 
3 時計 
4 反時計 
5 時計 
6 時計 
7 時計 
8 時計 
9 時計 
10 時計 
……

俺が回った方向だ。 
そして3回目の時計回りで、俺はポケットに入った。 
仮にAが最初のスタートだったとしたら、時計回りなら1回転目のポケットはD、
そして同じ方向が続く限り、2回転目のポケットはC、3回転目はB、と若くなっていく。 
つまり同一方向なら、必ず誰でも4回転に一回はポケットが来るはずなのだ。 
とすると、5回転目以降の時計回りの中で俺にポケットが来なかったのはやはりおかしい。 
もう一度図に目を落とすと、3回転目で俺がポケットだったことから逆算するかぎり、
最初のスタートはBの京介さんで、時計回りということになる。
1回転目のポケット&2回転目のスタートはCoCoさんで、
2回転目のポケット&3回転目スタートはみかっちさん、そしてその次が俺だ。
俺は方向を変えて反時計回りに進み、4回転目のポケット&5回転目のスタートはみかっちさん。
そしてみかっちさんはまた回転を時計回りに戻したので、5回転目のポケットは……俺だ。 
俺のはずなのに、ポケットには入らなかった。誰かがいたから。

だからそのまま時計回りに回転は続き、そのあと一度もポケットは来なかった。 
どうして5回転目のポケットに人がいたのだろうか。 
『いるはずのない5人目』という単語が頭をよぎる。 
あの時みかっちさんだと思って遠慮がちに触った人影は、別のなにかだったのか。 
「ローシュタインの回廊ともいう」
京介さんがふいに口を開いた。 
「昨日やったあの遊びは、黒魔術では立派な降霊術の一種だ。
 アレンジは加えてあるけど、いるはずのない5人目を呼び出す儀式なんだ」 
おいおい。降霊術って……
「でもまあ、そう簡単に降霊術なんか成功するものじゃない」 
京介さんはあくびをかみ殺しながらそう言う。 
その言葉と、昨日懐中電灯をつけたあとの妙に白けた雰囲気を思い出し、俺は一つの回答へ至った。 
「みかっちさんが犯人なわけですね」 
つまり、みかっちさんは5回転目のスタートをして時計回りにCoCoさんにタッチしたあと、
その場に留まらずに、スタート地点まで壁伝いにもどったのだ。
そこへ俺がやってきてタッチする。 
みかっちさんはその後、二人分時計回りに移動してCoCoさんにタッチ。そしてまた一人分戻って俺を待つ。 
これを繰り返すことで、みかっちさん以外の誰にもポケットがやってこない。 
延々と時計回りが続いてしまうのだ。 
「キャー!」という悲鳴でもあがらない限り。

せっかくのイタズラなのにいつまでも誰もおかしいことに気づかないので、自演をしたわけだ。 
しかしCoCoさんも京介さんも昨日のあの感じでは、どうやらみかっちさんのイタズラには気がついていたようだ。
俺だけが気になって変な夢まで見てしまった。情けない。 

朝飯どきになって、みかっちさんが目を覚ました後、
「ひどいですよ」と言うと、「えー、わたしそんなことしないって」と白を切った。 
「このロッジに出るっていう、お化けが混ざったんじゃない?」 
そんなことを笑いながら言うので、そういうことにしておいてあげた。 

後日、CoCoさんの彼氏にこの出来事を話した。 
俺のオカルト道の師匠でもある変人だ。 
「で、そのあと京介さんが不思議なことを言うんですよ。
 5人目は現れたんじゃなくて、消えたのかも知れないって」 
あのゲームを終えた時には4人しかいない。
4人で始めて5人に増えて、また4人にもどったのではなく、
最初から5人で始めて、終えた瞬間に4人になったのではないか、と言うのだ。 
しかし、俺たちは言うまでもなく最初から4人だった。
なにをいまさらという感じだが、京介さんはこう言うのだ。
「よく聞くだろう、神隠しってやつには最初からいなかったことになるパターンがある」と。 

つまり、消えてしまった人間に関する記憶が周囲の人間からも消えてしまい、
矛盾が無いよう過去が上手い具合に改竄されてしまうという、オカルト界では珍しくない逸話だ。 
しかしいくらなんでも、5人目のメンバーがいたなんて現実味が無さ過ぎる。
その人が消えて、何事もなく生活できるなんてありえないと思う。 
しかし師匠はその話を聞くと、感心したように唸った。 
「あのオトコオンナがそう言ったのか。面白い発想だなあ。 
 その山岳部の学生の逸話は、日本では四隅の怪とかお部屋様とかいう名前で古くから伝わる遊びで、
 いるはずのない5人目の存在を怖がろうという趣向だ。
 それが実は5人目を出現させるんじゃなく、5人目を消滅させる神隠しの儀式だったってわけか」 
師匠は面白そうに頷いている。 
「でも、過去の改竄なんていう現象があるとしても、
 初めから5人いたら、そもそも何も面白くないこんなゲームをしますかね」 
「それがそうでもない。山岳部の学生は一晩中起きているためにやっただけで、むしろ5人で始める方が自然だ。
 それから、ローシュタインの回廊ってやつは、もともと5人で始めるんだ」 
5人で始めて、途中で一人が誰にも気づかれないように抜ける。 
抜けた時点で回転が止まるはずが、なぜか延々と続いてしまうという怪異だという。 
「じゃあ自分たちも5人で始めたんですかね。それだと途中で一度逆回転したのはおかしいですよ」 

5人目が消えたなんていうバカ話に真剣になったわけではない。 
ただ師匠がなにか隠しているような顔をしていたからだ。 
「それさえ、実際はなかったことを、5人目消滅の辻褄あわせのために作られた記憶だとしたら、
 ストーリー性がありすぎて不自然な感じがするし、なんでもアリもそこまでいくとちょっと引きますよ」 
「ローシュタインの回廊を知ってたのは、追加ルールの言いだしっぺのオトコオンナだったね。
 じゃあ、実際の追加ルールはこうだったかも知れない
 『1.途中で一人抜けていい。2.誰もいない隅に来た人間が次のスタート走者となり、方向を選べる』とかね」
なんだかややこしい。 
俺は深く考えるのをやめて、師匠を問いただした。 
「で、なにがそんなに面白いんですか」 
「面白いっていうか、うーん。
 最初からいなかったことになる神隠しってさ、完全に過去が改竄されるわけじゃないんだよね。 
 例えば、誰のかわからない靴が残ってるとか、集合写真で一人分の空間が不自然に空いてるとか。
 そういうなにかを匂わせる傷が必ずある。
 逆に言うと、その傷がないと誰も何か起ってることに気づかない訳で、そもそも神隠しっていう怪談が成立しない」
なるほど、これはわかる。 
「ところでさっきの話で、一箇所だけ違和感を感じた部分がある。
 キャンプ場にはレンタカーで行ったみたいだけど……
 4人で行ったなら、普通の車でよかったんじゃない?」
師匠はそう言った。 

少なくとも、京介さんは4人乗りの車を持っている。
わざわざ借りたのは、師匠の推測の通り6人乗りのレンタカーだった。 
確かにたかが1泊2日。ロッジに泊まったため、携帯テントなどキャンプ用品の荷物もほとんどない。 
どうして6人乗りが必要だったのか。
どこの二つの席が空いていたのか思い出そうとするが、あやふやすぎて思い出せない。 
どうして6人乗りで行ったんだっけ……
「これが傷ですか」
「どうだかなぁ。ただアイツが言ってたよ。かくれんぼをしてた時、勝負がついてないから粘ってたって。
 かくれんぼって、時間制限があるなら鬼と隠れる側の勝負で、時間無制限なら最後の一人になった人間の勝ちだよね。
 どうしてかくれんぼが終わらなかったのか。あいつは誰と勝負してたんだろう」
師匠のそんな言葉が頭の中をあやしく回る。 
なんだか気分が悪くなって、逃げ帰るように俺は師匠の家を出た。 

帰り際、俺の背中に「まあそんなことあるわけないよ」と師匠が軽く言った。 
実際それはそうだろうと思うし、今でもあるわけがないと思っている。 
ただその夜だけは、いたのかも知れない、いなくなったのかも知れない、
そして、友達だったのかも知れない5人目のために祈った。







456 :坂:2006/06/03(土) 12:46:17 ID:3rNkYIQb0

大学1回生の夏。 
『四次元坂』という、地元ではわりと有名な心霊スポットに挑んだ。 
曰く、夜にその坂でギアをニュートラルに入れると、車が坂道を登って行くというのだ。 
その噂を聞いて僕は俄然興奮した。 
いたのやらいなかったのやら分からないようなお化けスポットとは違う。
車が動くというのだから、なんだか凄いことのような気がするのだ。 
とはいえ一人では怖いので、二人の先輩を誘った。 

夜の1時。 
僕は人影のない最寄の駅の前でぼーっと立っていた。 
隣には僕が師匠と仰ぐオカルトマニアの変人。やはりぼーっと立っている。 
いつもなら僕がそんな話を持って行くと、即断即決で『じゃあ行こう』ということになる人なのだが、
その時は肝心の車がなかった。 
師匠の愛車のボロ軽四は、原因不明の煙が出たとかで修理に出していたのだった。 
僕は免許さえ持っていない。
そこで車を出せる人をもう一人誘ったのだが、ある意味で四次元坂よりも楽しみな部分がそこにあった。 

闇を裂いてブルーのインプレッサが駅前に止まる。 
颯爽と降りてきた人はこちらに手を振りかけてすぐに降ろした。 
「なんでこいつがいるんだ」
京介さんという僕のオカルト系のネット仲間だ。 
「こっちの台詞だ」 
師匠がやりかえしてすぐに険悪な空気に包まれる。 
「まあまあ」と取り成す僕に師匠が、
「どうしてお前はいつも、俺とこいつが一緒になるように仕向けるんだ」というようなことを言った。 
面白いからですよ。とはなかなか言えないので、かわりに「まあまあ」と言った。 

師匠と京介さんは仲が悪い。強烈に悪い。 
それは初対面のときに京介さんが師匠に向かって、「なんだこのインチキ野郎は」と言ったことに端を発する。 
お互い多少系統は違えど、オカルトフリークとしては人後に落ちない自負があるらしい。 
いわば磁石のS極とS極だ。反発するのは仕方のないことかも知れない。 

「まあまあ、四次元坂の途中には同じくらいの激ヤバスポットもありますし、とりあえず楽しんで行きましょう」
なんとか二人をなだめすかして車に押し込める。 
当然師匠は後部座席で、僕は助手席だった。 
「狭い」
師匠の一言に京介さんが「黙れ」と言う。 
「くさい」と言ったときは、車を停めてあわや乱闘というところまで行った。 
やっぱりセットで呼んでよかった。最高だ。この二人は。 

そんな気分をぶっこわすようなものがいきなり視界に入ってきた。 
対向車もいない真夜中の山中で、川沿いの道路の端に巨大な地蔵が浮かび上がったのだった。 
比較物のない夜のためか異常に大きく見える。体感で5メートル。 
「あれが見返り地蔵ですよ」 
車で通り過ぎてから振り返ると、側面のはずの地蔵がこっちを向いていて、それと目が合うと必ず事故に遭う、という曰くがある。
二人が喜びそうな話だ。 
喜びそうな話なのに、二人とも何も言わず、振り返りもしなかった。 
ゾクゾクする。怖さのような、嬉しさのような、不思議な笑いがこみ上げてきた。 
振り返れないから、僕のイメージの中でだけ道端の地蔵は遠ざかり、曲がりくねる闇の中に消えていった。 
もちろんそのイメージの中ではこちらを向いていた。無表情に。 

師匠も京介さんも押し黙ったまま車は夜道を進んだ。 
イライラしたように京介さんはハンドルを指で叩く。 
やがて道が二手に分かれる場所に出た。 
「左です」という僕の声に、ウインカーも出さずにハンドルが切られる。 
左に折れるとすぐに上り坂が始まった。 
「どこ」
「ええと、たしかもうこの辺りからそのはずですが」 
あくまで噂では。 
京介さんは車を停止させると、ギアをニュートラルに入れた。 
・・・ 
ドキドキするのも一瞬。じりじりと車は後退した。 
京介さんはため息をついてブレーキを踏んだ。 
「あー、ちょっと楽しみだったんだけどなぁ」 
僕も残念だ。 
たしかに、本気でそんな坂があるなんて信じていたかと言われれば否だが。 
すると師匠が「ライト消して」と言いながら車を降りた。手には懐中電灯。 
3人とも車を降りると、周囲になんの明かりもない山道に突っ立った。 
「まあ多分こういうことだな」と、師匠はぼそぼそと話しはじめた。 

この山中の坂道はゆるやかな上り坂になっているわけだが、道の先を見ると路側帯の白線が微妙に曲がり、
おそらく幅が途中から変わっているようだ。
それが遠近感を狂わせて、上り坂を下り坂に錯覚させるのではないか。 
周囲に傾斜を示すような比較物が少ない闇夜に、かすかな明かりに照らされて浮かび上がった白線だけを見ていると、
そんな感覚に陥るのだろう。 
師匠の言葉を聞くと不思議なことに、
さっきまで上り坂だった道が、下向きの傾斜へと変化していくような気がするのだった。
「つまり、ハイビームでここを登ろうとする無粋なことをしなければ、もう少し楽しめたんじゃない?」 
師匠の挑発に京介さんが鼻で笑う。 
「あっそ。じゃあここで置いていくから、存分に錯覚を楽しんだら」 
「言うねえ。四次元坂なんて信じちゃうかわいいオトナが」 
虫の声が遠くから聞こえるだけの静かな道に、二人の罵りあう声だけが響く。 
しかし、京介さんの次の言葉でその情景が一変した。 
「どうでもいいけど、おまえ、後ろ振り向かないほうがいいよ。地蔵が来てるから」 

零下100度の水をいきなり心臓に浴びせられたようなショックに襲われた。 
京介さんの子供じみた脅かしにではない。 
その脅しを聞いた瞬間に、師匠が凄まじい形相で自分の背後を振り返ったからだ。 
驚愕でも恐怖でもない。なにかひどく温度の低い感情が張り付いたような表情で。 
しかしもちろん、そこには闇が広がっているだけだった。
その様子を見た京介さんも息をのんで、用意していた嘲笑も固まった。 
おいおい。笑うところだろ。騙された人を笑うところだろ。
そう思いながらも、夜気が針のように痛い。 
「すまん」と京介さんが謝り、なんとも後味悪く3人は車に戻った。 
師匠は後部座席に沈み込み、一言も口を利かなかった。 
そして僕らはくだんの地蔵の前を通ることもなく、県道を大回りして帰途に着いたのだった。 

師匠を駅前で降ろして、僕を送り届ける時に京介さんは頭を掻きながら、
「どうして謝っちまったんだ」と吐き捨てて、とんでもないスピードでインプレッサを吹っ飛ばし、
僕はその日一番の恐怖を味わったのだった。 








437 :写真:2006/06/03(土) 12:23:06 ID:3rNkYIQb0
大学2回生の春ごろ、オカルト道の師匠である先輩の家にふらっと遊びに行った。 
ドアを開けると狭い部屋の真ん中で、なにやら難しい顔をして写真を見ている。 
「なんの写真ですか」 
「心霊写真」 
ちょっと引いた。 
心霊写真がそんなに怖いわけではなかったが、問題は量なのだ。 
畳の床じゅうにアルバムがばらまかれて、数百枚はありそうだった。 
どこでこんなに!と問うと、「業者」と写真から目を離さずに言うのだ。 
どうやら大阪にそういう店があるらしい。
お寺や神社に持ち込まれる心霊写真は、もちろんお払いをして欲しいということで依頼されるのだが、
たいてい処分もして欲しいと頼まれる。 
そこで燃やされずに横流しされたモノが、マニアの市場へ出てくると言う。 
信じられない世界だ。 

何枚か手にとって見たが、どれも強烈な写真だった。 
もやがかかってるだけ、みたいなあっさりしたものはない。 
公園で遊ぶ子どもの首がない写真。 
海水浴場でどうみても水深がありそうな場所に、無表情の男が膝までしか浸からずに立っている写真。 
家族写真のなかに、祭壇のようなものが脈絡もなく写っている写真・・・ 
俺はおそるおそる師匠に聞いた。 
「お払い済みなんでしょうね」 
「・・・きちんとお払いする坊さんやら神主やらが、こんなもの闇に流すかなあ」 
「じゃ、そういうことで」
出て行こうとしたが、師匠に腕をつかまれた。 
「イヤー!」 
この部屋にいるだけで呪われそうだ。 
雪山の山荘で名探偵10人と遭遇したら、こんな気分になるだろうか。 

観念した俺は部屋の隅に座った。 
師匠は相変わらず眉間にしわを寄せて写真を眺めている。 
ふと目の前の写真の束の中に変な写真を見つけて手に取った。 
変というか、変じゃないので変なのだ。普通の風景写真だった。 
「師匠、これは?」と見せると、 
「ああ、これはこの木の根元に女の顔が・・・あれ?ないね。消えてるね。まあ、そんなこともあるよ」
って言われても。怖すぎるだろ! 
俺は座りしょんべんをしそうになった。 

そして、部屋の隅でじっとすることし暫し。ふいに師匠が言う。 
「昔は真ん中で写真を撮られると、魂が抜けるだとか、寿命が縮むだとか言われたんだけど、これはなぜかわかる?」

「真ん中で写る人は先生だとか上司だとか、年配の人が多いから、早く死に易いですよね。
 昔の写真を見ながら、ああこの人も死んだ、この人も死んだ、なんて話してると、
 自然にそんなうわさが立ったんでしょうね」 
「じゃあこんな写真はどう思う」
師匠はそう言うと、白黒の古い写真を出した。 
どこかの庭先で、着物を着た男性が3人並んで立っている写真だ。 
その真ん中の初老の男性の頭上のあたりに靄のようなものが掛かり、それが顔のように見えた。 
「これを見たら魂が抜けたと思うよね」
たしかに。本人が見たら生きた心地がしなかっただろう。 
師匠は「魂消た?」とかそういうくだらないことを言いながら、写真を束のなかに戻す。 
「魂が取られるとか、抜けるとかいう物騒なことを言ってるのに、
 即死するわけじゃなくて、せいぜい寿命が縮むっていうのも変な話だよね」 
なるほど、そんな風に考えたことはなかった。

「昔の人は、魂には量があって、その一部が失われると考えていたんだろうか」 
そういうことになりそうだ。
「じゃあ魂そのものの霊体が写真にとられたら、どういうことになる?」 
「それは心霊写真のことですか?身を切られるようにつらいでしょうね」
と、くだらない冗談で返したが、よく考えると、 
「でもそれは、所詮昔の人の思い込みが土台になってるから、一般化できませんよ」 
俺はしてやったという顔をした。 
すると師匠はこともなげに言う。 
「その思い込みをしてる、昔の人の霊だったら?」 
うーむ。
「どういうことになるんでしょうか」 
「取り返しにくるんじゃない?」
師匠は囁く様な声で言うのだ。やめて欲しい。 
そんな風に俺をいびりながらも、師匠はまた難しい顔をして写真を睨みつけている。 
部屋に入った時から同じ写真ばかり繰り返し見ていることに気づいた俺は、地雷と知りつつ「なんですか」と言った。

師匠は黙って2枚の写真を差し出した。 
俺はビクビクしながら受け取る。 
「うわ!」と思わず声を上げて目を背けた。 
ちらっと見ただけでよくわからなかったが、猛烈にヤバイ気がする。 
「別々の場所で撮られた写真に、同じものが写ってるんだよ。えーっと、確か・・・」 
師匠はリストのようなものをめくる。 
「あった。右側が千葉の浦安で撮られた、ネズミの国での家族旅行写真。
 もうひとつが、広島の福山で撮られた、街角の風景写真」 
ちなみに、写真に関する情報がついてたほうが高い値がつくと付け加えた。 
「もちろん撮った人も別々。4年前と6年前。
 たまたま同じ業者に流れただけで、背後に共通項はない。と思う」 
俺は興味に駆られて薄目を開けようとした。 

その時、師匠が「待った」と言って俺を制し、窓の方へ近づいていった。 
「夜になった」
また難しい顔をして言う。 
なにを言い出したのかとドキドキして写真を伏せた。 
師匠が窓のカーテンをずらすと、外は日が完全に暮れていた。 
確か来たのは5時くらいだから、そろそろ暗くなって来てもおかしくないよなあ。と思いながら、腕時計を見る。
短針は9を指していた。
え?!そんなに経ってんの?と驚いていると、
師匠が唇を噛んで「まずいなぁ。実にまずい」と呟き、「何時くらいだと思ってた?」と聞いてくる。 
「6時半くらいかな、と」
確かに時間が過ぎるのが早すぎる気もするが、それだけ写真を見るのに集中していただけとも思える。 
「僕は正午だ」

それはありえないだろ! 
しかし師匠の目は笑っていない。 
何かに体内時計を狂わされたとでも言うのだろうか。 
師匠は、「今日はここまでにしようか」と言って肩を竦めた。 
俺もなんだかよくわからないけれど、自分の家に帰りたかった。 

部屋中に散らばった写真を片付けようとして、さっき伏せた2枚の写真の前で手が止まる。 
『同じものが写っている』と言った師匠の言葉も気になるが、『見ないほうがいい』という第6感が働く。 
その時、師匠が妙に嬉しそうな顔をして床の上を見回した。
「人間には無意識下の自己防衛本能ってヤツがあるんだなあ、と実感するよ」 
なにを言い出したんだろう。
「動物園ってなにするところ?」 
話が飛びすぎで意味がわからない。 
「動物を見に行くところだと思いますけど」 
「たしかに、僕らはお金を払って動物園に行き、それぞれの檻の前に立って中の動物を見て歩く。
 しかし動物からするとどうだ。
 檻の中にいるだけで、色とりどりの服を着たサルたちが、頼みもしないのに次々と姿を見せに来る」 

動物を心霊写真に置き換えればいいのだろうか。 
なんとなく言いたいことが分かってきた。
床を見ながら師匠は独り言のように呟いた。 
「闇を覗く者は、等しく闇に覗かれることを畏れなくてはならない」 
「ニーチェですか?」
「いや、僕だ」
師匠はどこまで本気かわからない顔で、床に散らばった写真を指差した。 
「どうして伏せたんだ」
それを聞いたとき、心臓がドクンと鳴った。 
さっきの2枚だけではない。無数の写真の中で、何枚かの写真が伏せられている。 
全く意識はしてなかった。全く意識はしてなかったのだ。 
写真はすべて表向いていたはずなのに。僕が伏せたんだろうか。 
寒気がして全身が震えた。 
「怪物を倒そうとするものは、自らが怪物になることを畏れなくてはならない」 
やっぱりニーチェじゃないですか。
俺はそう言う気力もなく、怪物を倒すどころか写真をめくる勇気もなかった。







428 :血   前編:2006/06/03(土) 12:12:03 ID:3rNkYIQb0
大学1回生のとき、オカルト道を突き進んでいた俺には師匠がいた。
ただの怖い物好きとは一線を画す、得体の知れない雰囲気を持った男だった。 
その師匠とは別に、自分を別の世界に触れさせてくれる人がいた。
オカルト系のネット仲間で、オフでも会う仲の『京介』さんといいう女性だ。 
どちらも俺とは住む世界が違うように思える凄い人だった。 
師匠のカノジョも同じネット仲間だったので、その彼女を通じて面識があるのかと思っていたが、
京介さんは師匠を知らないという。
俺はその二人を会わせたらどういう化学反応を起こすのか見てみたかった。 
そこであるとき、師匠に京介さんのことを話してみた。「会ってみませんか」と。 
師匠は腕組みをしたまま唸ったあとで、
「最近付き合いが悪いと思ってたら、浮気してたのか」 
そんな嫉妬されても困る。
が、「黒魔術に首をつっこむとろくなことがないよ」と諭された。 
ネットでは黒魔術系のフォーラムにいたのだった。

「どんなことをしてるのか」と問われて、「あんまり黒魔術っぽいことはしてませんが」と答えていると、
あるエピソードに食いついてきた。
京介さんの母校である地元の女子高に潜入したときの出来事だったが、その女子高の名前に反応したのだった。 
「待った、その女の名前は?京子とか、ちひろとかいう名前じゃない?」 
そういえば、京介というハンドルネームしか知らない。
話を聞くと、師匠が大学に入ったばかりのころ、
同じ市内にある女子高校で、新聞沙汰になる猟奇的な事件があったそうだ。 
女子生徒が重度の貧血で救急車で搬送されたのであるが、
「同級生に血を吸われた」と証言して、地元の新聞がそれに食いつき、ちょっとした騒ぎになった。 
その後、警察は自殺未遂と発表し、事件自体は尻切れのような形で沈静化した。
しかしそのあと、二人の女子生徒が密かに停学処分になっているという。 
「当時、僕ら地元のオカルトマニアには、この事件はホットだった。○○高のヴァンパイアってね。
 たしか校内で流行ってた占いの秘密サークルがからんでて、停学になったのはそのリーダー格の二人。
 どっかで得た情報ではそんな名前だった」 

吸血鬼っていまどき。俺は師匠には申し訳ないが腹を抱えた。 
「笑いごとじゃない。その女には近づかないほうがいい」 
思いもかけない真剣な顔で迫られた。
「でも京介さんがその停学になった人とは限らないし」 
俺はあくまで一歩引いて流そうとしていた。 
しかし、『京子』という名前が妙に頭の隅に残ったのだった。 

地元の大学ということもあってか、その女子高出身の人が俺の周辺には結構いた。 
同じ学科の先輩でその女子高OBの人がいたので、わざわざ話を聞きに行った。 
やはり、自分でもかなり気になっていたらしい。 
「京子さん?もちろん知ってる。私の1コ上。そうそう、停学になってた。
 なんとか京子と、山中ちひろ。占いとか言って、血を吸ってたらしい。
 うわー、きしょい。二人とも頭おかしいんだって。
 とくに京子さんの方は、名前を口に出しただけで呪われるとかって、下級生にも噂があったくらい。
 えーと、そうそう、間崎京子。ギャ、言っちゃった」 

その先輩に、『京子』さんと同学年という人を二人紹介してもらった。
二人とも他学部だったが、学内の喫茶店とサークルの部室に乗りこんで話を聞いた。 
「京子さん?あの人はヤバイよ。悪魔を呼び出すとか言って、へんな儀式とかしてたらしい。
 高校生がそこまでするかってくらいイッちゃってた。
 最初は占いとか好きな取り巻きが結構いたけど、最後はその京子さんとちひろさんしかいなくなってた。
 卒業して外に出たって話は聞かないから、案外まだ市内にいるんじゃない?なにしてるんだか知らないけど」 
「その名前は出さないほうがいいですよ。いや、ホント。ふざけて陰口叩いてて、事故にあった子結構いたし。
 ホントですよ。え?そうそう。ショートで背が高かったなあ。
 顔はね、きれいだったけど・・・近寄りがたくて、彼氏なんかいなさそうだった」 

話を聞いた帰り道、ガムを踏んだ。 
嫌な予感がする。 
高校時代から怪我人が出るような『遊び』をしていたという、『京介』さんの話と合致する。 
山中ちひろというのは、京介さんが親しかったという黒魔術系サークルのリーダー格の女性ではないだろうか。 
間崎京子。頭の中でその言葉が回った。

それから数日、ネットには繋がなかった。 
なんとなく京介さんと会話するのが怖かった。ギクシャクしてしまいそうで。 
ある意味、そんな京介さんもオッケー!という自分もいる。 
別に取って食われるわけではあるまい。面白そうではないか。 
しかし、「近づくな」と短期間に4人から言われると、ちょっと警戒してしまうのも事実だった。 

そんな問題を先送りにしただけの日々を送っていたある日、道を歩いているとガムを踏んだ。 
歩道の端にこすりつけていると、そのとき不思議なことが起こった。 
一瞬あたりが暗くなり、すぐにまた明るくなったのだ。 
雲の下に入ったとか、そんな暗さではなかった。一瞬だが、真っ暗といっていい。 
しばらくその場で固まっていると、また同じことが起こった。
パッパッと周囲が明滅したのだ。
まるでゆっくりまばたきした時のようのようだった。 
しかしもちろん、自分がしたまばたきに驚くようなバカではない。 
怖くなってその場を離れた。

次は家で歯磨きをしているときだった。 
パチ、パチ、と2回、暗闇に視界がシャットダウンされた。 
驚いて口の中のものを飲んでしまった。 

そんなことが数日続き、ノイローゼ気味になった俺は師匠に泣きついた。 
師匠は開口一番、「だから言ったのに」。
そんなこと言われても。なにがなんだか。 
「その女のことを嗅ぎ回ったから、向こうに気づかれたんだ。『それ』はあきらかにまばたきだよ」 
どういうことだろう? 
「霊視ってあるよね?
 霊視されている人間の目の前に、霊視している人間の顔が浮かぶっていう話、聞いたことない?  
 それとはちょっと違うけど、そのまばたきは『見ている側』のまばたきだと思う」 
そんなバカな。
「見られてるっていうんですか」 
「その女はヤバイ。なんとかした方がいい」 
「なんとかなんて、どうしたらいいんですか」 
師匠は「謝りに行ってきたら?」と、他人事まるだしの口調で言った。 
「ついて来て下さいよ」と泣きついたが、相手にされない。 
「怖いんですか」と伝家の宝刀を抜いたが、「女は怖い」の一言でかわされてしまった。 

京介さんのマンションへ向かう途中、俺は悲壮な覚悟で夜道を歩いていた。 
自転車がパンクしたのだった。偶然のような気がしない。 
またガムを踏んだ。
偶然のような気がしないのだ。 
地面に靴をこすりつけようとして、ふと靴の裏を見てみた。 
心臓が止まりそうになった。
なにもついていなかった!ガムどころか泥も汚れもなにも。 
では、あの足の裏を引っ張られる感覚は一体なに?
『京子』さんのことを嗅ぎ回るようになってから、やたら踏むようになったガムは、
もしかしてすべてガムではなかったのだろうか?
立ち止まった俺を、俺のではないまばたきが襲った。 
上から閉じていく世界のその先端に、一瞬、ほんの一瞬、黒く長いものが見えた気がした。
睫毛?
そう思ったとき、俺は駆け出した。
勘弁してください!そう心の中で叫びながらマンションへ走った。 

チャイムを鳴らしたあと、「うーい」というだるそうな声とともにドアが開いた。 
「すみませんでした!」
京介さんは俺を見下ろしてすぐにしゃがんだ。 
「なんでいきなり土下座なんだ。まあとにかく入れ」と言って部屋に上がらされた。 

俺は半泣きで謝罪の言葉を口にして、今までのことを話したはずだが、あまり覚えていない。 
俺の要領を得ない話を聞き終わったあと、
京介さんはため息をついてジーンズのポケットをごそごそと探り、財布から自動二輪の免許書を取り出した。 
『山中ちひろ』
そう書いてあった。 
俺は間抜け面で、「だ、だって、背が高くてショートで・・・」と言ったが、 
「私は高校のときはずっとロングだ。バカか」と言われた。
じゃあ、間崎京子というのは・・・ 
「お前は命知らずだな。あいつにだけは近づかないほうがいい」 
どこかホッとして、そしてすぐに鳥肌が立った。





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